40 『頼む』
「あぶないっ!」
どん、と横からの衝撃。突然のそれにイズミが耐えきれるはずもなく、物理法則がなされるままに吹っ飛んでいく。
少し前までイズミがいたところに、一拍遅れてそれとは比べ物にならないほどの衝撃が襲った。
「う、わ……」
巨大な石の剣による、ただひたすらに重い一撃だ。切れ味という観点ではお世辞にも褒められたものじゃないが、しかし破壊力だけを見ればそこらの名刀よりもはるかにすさまじいものを持っている。
人を輪切りにすることはできなくとも、たったの一撃で原型がわからないほどにミンチにできるであろうことは、大きく立ち込める土煙と、その下に覗く元が石の床だったとは思えない大きな破壊の痕を見れば素人でもわかることだ。
「イズミ様っ! 立って!」
「っ!」
イズミを横から突き飛ばしたのは──突然の出来事に呆然としていたイズミを助けたのは、奥様だった。今もまた、あまりの事態に頭が働いていないイズミの手を取って、慌てたように立ち上がろうとしている。
「すまん、迂闊だった!」
よりにもよって、守るべき奥様に助けられてしまうとは。そうでなくとも、向こうは女で一児の母だ。本来なら、男である自分の方こそ率先してこの場を何とかする必要がある──と、イズミの価値観ではそういうことになる。
あまりの自分の迂闊さに、イズミは盛大に舌打ちをした。
「こっちだデカブツ!」
横合いからペトラが躍り出る。その騎士の腕を狙い、大きくひねりを加えて草刈り鎌の一撃を叩き込んだ。
が、しかし。
「くぅ……っ!」
──ゴ、ゴ
強力な一撃を加えたはずのペトラの方が眉を顰め、そして騎士の方はまるで何事もされていないかのように平然としている。うるさいハエを叩き落とすかのような自然な動きで、ついさっきまでペトラがいた場所に石の剣を叩きつけた。
「ペトラさんっ!」
「大丈夫だ! こいつ、動きは思っていた以上にずっと遅い!」
実際、その通りなのだろう。ペトラは騎士の攻撃の隙をつき、その懐をさっと通り抜けてこちらへとやってきた。イズミからしてみれば、少しだってあんな危ない存在に近づきたくはないというのに、一切のためらいが無い。
映画やなんかでは主人公があっさりやりのけてしまうような陳腐な動きだが、現実でそんなことをやれと言われても絶対にやりたくないような──そんな、普通に日本で生きているならまず目にしないような動きであった。
「奥様も、イズミ殿も無事……だな」
「え、ええ。ペトラの方こそ、大丈夫?」
「はい。ただ……」
出口の前に、あの騎士鎧が居座っている。そいつはしっかりと盾を構え、ここから先は何人たりとも通さないとばかりに無言のプレッシャーを放っていた。
「あいつをどうにかしない限り、脱出は難しいですな」
「くそ……っ! 来た時はあいつ、動かなかったのに……!」
そうである。あの大きな騎士鎧は、このガブラの古塔に入って最初にイズミが見つけたものだ。その時はこんなふうに動き出したりはしなかったし、そもそも触って動かそうとしても動かないくらいに大きく重いものだ。そんなものが帰りになっていきなり動き出して襲い掛かってくるだなんて、堪ったものじゃないとイズミは思う。
「ああ……だから、イズミ殿は反応が遅れたのか」
「すまん。あと、ありがとう。奥様がいなかったら本当に死んでいたかも」
「いえ……今の私にできることなんて、それこそ体を張ることくらいですし……」
幸いにして、あの騎士鎧……石の騎士は、積極的にこちらを倒そうと動くわけではないらしい。その目的はあくまで【生きた人間を塔の外へ出さない】ことであるようで、イズミ達がこうして話すだけの余裕はある。
もちろん、これはあくまで推測でしかない。もしかしたら次の瞬間襲ってくるかもしれないし、塔から出ても襲ってくる可能性はゼロじゃない……むしろ、高いほうだと言えるだろう。
「イズミ様、ペトラ……あれ、倒せそうかしら?」
「……今の手持ちの武器じゃ、難しいです。さっき、確実に捉えたはずの攻撃でビクともしませんでした。正直、いつもの剣があっても……」
「……俺の鉈でも、たぶん同じだ。ペトラさん、手ごたえってやっぱり石みたいな感じか?」
「ああ。あんなのをまともに切りつけていたらすぐ刃がダメになる……いや、もうダメかも」
燭台のぼんやりとした光に照らされたそれは、イズミが見てわかるほどに刃毀れしていた。たったの一撃でこうなってしまうとなると、もはや奴に対する刃による攻撃は通用しないものとしてみたほうがいいだろう。
「最後の最後でこれかよ……! それにあいつ、俺のことが見えていやがった……! てっきり動く死体と似たようなものだと思ってたのに!」
「イズミ殿が最初に入った時は動かなかったというのも少し気になるな……やはり、魔力か?」
「……きっと、ゴーレムの機能を持たせた魔法鎧の類かしら。起動条件が生きた人間の魔力で、敵の感知が動きや音だと思う。あれだけ大きいのだもの、動く死体が入ったところで動かせるわけないですし」
生きた人間が塔に入ってきたなら、それに反応して動き出す。塔の中の人間が外に出ようとしても、やっぱり反応して動き出す。何らかの方法により魔力を偽装すれば反応させずに塔の中に入ることができるが、中の人物を連れ出そうとすればやっぱりアウトだ。
魔力を発していない人間なら、石の騎士と戦う必要はない。しかしそうなると、塔の中や周囲にうろつく動く死体に対処する術がない。魔力のある人間なら動く死体に対処できるが、石の騎士と戦う羽目になるし、そもそもこのガブラの古塔には魔封じが施されている。
「ちくしょう……どう頑張っても楽はさせてくれないってことか……! 考えたやつ性格悪すぎるだろ……!」
「だが、恐ろしく効果的だ。魔法を使わずこいつを倒す方法なんて、それこそ攻城兵器でもなければ……」
もっと言えば、現実はさらに拙い事態だったりする。
「……今更だけど、さ」
「ん?」
「……戦力としての俺、あんまり期待できないと思う」
「……えっ」
「いや……その、さっきの動く死体みたいに、今まで無力化したりして無抵抗の相手としか戦ってきてないから……。技能的な意味でも、センスや経験的な意味でも……あんな、攻撃の隙を突いて背後に回るなんて、絶対無理だ」
「むっ……いや、別に謝ることでもなんでもないさ。イズミ殿は憲兵や護衛でもなく、ましてや冒険者でもない一般人だったのだろう? むしろ、こんな事態に巻き込んでしまったこちらのほうこそ……」
ペトラの慰めの言葉。しかし、それで事態が好転するわけでもない。こちらにはまともな攻撃手段が無く、目の前には打倒するにはあまりにも大きすぎる敵が構えている。唯一の救いは、敵の動きが鈍重であることと、得物が石の剣だから、こちらの装備が襤褸であっても大して影響がない……というくらいだろうか。
「とはいえ、弱ったな……上に戻れば襲われることも無いだろうが、それじゃ意味が無い」
「出直して機会を窺うにしても……正直、使えそうなものがここにあるとは思えない。明るいうちにケリをつけないと余計に酷くなりそうだし、外で待たせているミルカさんとテオも心配だ」
「……ねえ、イズミ様」
「ん?」
ここで、話を聞くばかりだった奥様が声をあげた。
「動く死体に襲われないのは魔力が無いからって話でしたが……この塔に来るまでの、森の中での道程ではどうしていたんですか? 森の中にだって魔物はたくさんいたでしょう?」
「ああ……一つは、この魔獣避けのマントを作ったんだ。俺の世界にある害獣避けとかをありったけ沁み込ませた奴だな。こっちでもそれなりに効果があったっぽい」
「なるほど……変な匂いはこれからも出ていたのね……」
「……あとは、これにも使われているクマよけスプレーだな。相手を無力化する霧を吹き出す道具って言えばいいか? どうしても戦う必要があった時は、これで無力化してから叩きのめしていた」
「ん? なら、それを使えばあいつも止められるんじゃないか?」
「いやァ……。無力化の仕組みが問題でさ。要は、尋常じゃなく……それこそ、命の危機を感じるほど目に染みて咽かえる成分を吹き付けるものなんだ。めちゃくちゃ濃縮した塩水やコショウや辛子の類を、目や鼻や口に無理やりツッコむってイメージか?」
「うわ……そりゃ、たしかにまともじゃいられないだろうが……しかし、あの石の騎士では」
「効かないだろうな。あいつ、見るからに普通の生き物じゃないし。ちなみに、動く死体にも効かなかった。……ただの魔獣なら覿面なんだけど」
「……だが、霧を出す道具ではあるんだな?」
「まぁ、そうだけど……霧って言っても、赤とかオレンジのやつだぜ?」
「なおさら都合がいいよ……私に一つ、アイディアがある」
ペトラが改まった表情で、はっきりと告げた。
「私が囮になろう。反対側に引き付けるから、その隙にイズミ殿は奥様を連れて出口へ逃げてくれ」
「はァ!?」
「ペトラっ!」
イズミも奥様も、抗議の声をあげようとする。が、ペトラのその真剣な表情は、二人が思わず行動を止めてしまうほどに覚悟と意志に溢れていた。
「冷静に考えてほしい。現状で一番確実で合理的なのは、この方法だろう?」
「で、でも……! それなら、私が囮になれば……!」
「馬鹿言わないでください。なんのために、イズミ殿がここに来たと思っているのですか。なんのために、私がここにいると思っているのですか」
「だけど……囮なら、俺だって……!」
「イズミ殿。ここから出られたとしても、すぐ外には動く死体がいるんだろう? 情けない話、私じゃ奥様を守り切れないんだ。それに、全く勝算が無いって話じゃない。……イズミ殿と奥様が魔封じの外に出さえすれば、もう勝ちなんだから」
「……」
ペトラの言い分は尤もだ。ここから脱出するには誰かを囮にするほか現状では手立てがない。そしてその「誰か」はペトラが最も相応しい。戦闘経験の劣るイズミでは満足に囮の役割を果たせないだろうし、ペトラでは外に出た後の動く死体の対処ができない。何より、今のイズミ達の目標は魔封じの外に出た状態でイズミと奥様が会合することである。この時点でもう、ペトラ以外の選択肢は無くなっている。
「奴が動きで感知しているのか、音で感知しているのかはわからないが……赤い霧があれば、多少なりとも攪乱にはなるだろう。……なに、こっちだって死ぬつもりはないさ。上手く誘導して、何とか外に出てみせる。狭い場所でなければ、あんな鈍間にしてやられるはずもないしな」
「……」
「だから……頼む」
「ペトラぁ……!」
「イズミ殿……奥様を、頼む。なんとかして、テオ坊ちゃんと会わせてやってくれ……!」
「……わかったよ。でも、それはペトラさん、あんたも一緒だ。仮にも護衛だってんなら、奥様を心配させずに切り抜けてくれよな」
「……ありがとう」
そうと決まれば、あとは早い。
「──こっちだッ!」
ペトラが大きな声を上げて躍り出る。わざとらしく鎌を振り上げ、クマよけスプレーを片手にもって。全く意味もなく地団駄を踏み、殊更目立つように、挑発するように石の騎士をにらみつけた。
──ガ、ゴ、ゴ
何に反応したかはわからないが、石の騎士はそんなペトラを目標に定める。鈍重な、されどあまりに大きすぎる圧迫感を纏いながら、その巨大な剣を叩きつけようとゆっくりと動き出した。
「今だっ!」
「おう!」
一瞬。ほんの一瞬のスキを突き、ペトラが石の騎士の面前にクマよけスプレーを噴霧する。風のないところだからか、ほんの少しだけその特徴的で刺激的な匂いがイズミの鼻を突いた。
もちろん、イズミは振り返らない。石の騎士がそれに反応したにせよしなかったにせよ、やることなんて──ペトラに託されたことはたった一つだ。
「行くぞ!」
半ば無理やり奥様の腕をひっつかみ、出口に向かって走り出す。先ほどまではあまりに絶望的だったその小さな隙間を目指して。
「舌ァ、噛むなよッ!」
「きゃっ!?」
走って。
走って。
走って走って走って。
近づくほどに大きくなる、その巨大な石の鎧。こちらを見ていないことはわかってはいるのに、しかしそれでももしかしたら……という気持ちがむくむくと起き上がる。そんな自分の意志の弱さを無理やりねじ伏せながら、イズミはかび臭さと面前に迫る石の質感を一切無視し、出口の光だけを考えるようにした。
「ええい、南無三ッ!」
「っ!?」
すり抜ける。
直後にも、上から石の剣が振り下ろされるのではないか──一瞬の間にそんな考えが頭の中を巡り、冷や汗が瞬間的に背中をぐしゃぐしゃにする。
しかし──何も起こらない。
起こらないまま、イズミも奥様も、しっかりと走り抜けた。
ペトラが石の騎士を十分に引き付けてくれていたのか、それとも色んな意味で状況に舞い上がりテンションがおかしくなっていたのか。どうしてイズミが、そんな普段は絶対に出来ないようなことができたのかは……今となっては、誰もわからない。
重要なのは。
「ぬけ、た──!?」
「ペトラっ!?」
破壊音。
出口にたどり着いたと息を抜いた瞬間、後方から大きな音がした。
──ガ、ガ、ガ
「走れぇッ!!」
生きてる。ペトラの声だ。土煙で向こう側なんて見えないが、ペトラが叫んでいる。
しかし──これでは。やっぱり、どう考えても。
「いや! いや! ペトラぁっ!」
「……行くぞ! まだ終わったわけじゃないんだ!」
大丈夫。あいつは鈍間だ。ペトラは腕利きの護衛。さっきだって一人で脇をすり抜けていた。よく見えなかったけど今だって無傷のはず。隙をついてもう一度すり抜けることだってペトラならできる。たとえあの石の騎士がどんなに大きく、逃げ道を完全に塞ぐように中央に居座ったとしても、ペトラなら自分の想像を超えた動きをもってその困難に打ち勝つはず。だってペトラは自分なんかと違いきちんと訓練を受けた護衛なのだから。
──そんな、都合の良すぎる妄想がイズミの頭の中に溢れかえる。心の奥底ではそんなわけはない、現実を見ろと叫んでいるのに、そう思うことしかできなかったのだ。
ぐちゃぐちゃになった心とは裏腹に、危機的状況を本能で理解している体の方はしっかりと動き続けている。奥様の腕を意識しているわけでもないのにがっしりと握り、塔の外へと自然と足が進んで、いきなり明るくなった環境で目を傷めぬよう、イズミの瞳孔は少しずつ閉じていく。
そして、見てしまった。
「──え」
外。実に数十分ぶりの外。まだまだ明るい日差しのせいで、最初はほとんど何も見えなかったが……やがてそれに慣れるにしたがって、イズミの目ははっきりと鮮明に、その様子を捉えていく。
「どういうことだよ……!?」
異常がある。いや、異常が無いのだ。
それが良いことなのか悪いことなのか、イズミにはさっぱり判断がつかなかった。
「どうして……動く死体がいないんだ……!?」
ガブラの古塔、その入り口。先ほどまで何十体もの動く死体が彷徨っていたその広場。
──動く死体が、一匹残らず消え去っていた。




