4 退屈という名の毒
「今日は何しようかねぇ……」
この世界に転移して早一週間。すでにイズミは、ある程度この生活に順応していた。
朝起きて、ご飯を食べて、好きな時に風呂に入って、そしてまたご飯を食べて寝る。言ってみればこれだけの生活だ。それぞれの時間の合間に本を読んだりビデオを見たり、あるいはゲームをして過ごしているだけである。
インターネットが更新されない……転移したあの日のその状態でしか閲覧できないのはかなりショックではあったが、しかし、電子の海というのはどこまでも広大だ。ただ時間を潰すだけだったらまるで問題が無い。調べ事には十分に使えるし、一応ゲームだって遊ぶことができる。web掲載の漫画や小説の続きが永遠に更新されないのだけは甚だ問題ではあるが、生き死にに関わることではない。
食材の問題についても、ほぼ解消されている。イズミがどれだけ使っても、翌日には見事に元通りに食材が復活しているのだ。肉も、卵も、砂糖に醤油、それに酒でさえ。試しに家中の食材という食材──なぜか床下収納の奥の方に結構高級な酒が隠されていた──を引っ張り出して試してみれば、やはり一つの例外もなく復活することが確認できた。
そのうえ、ゆで卵などにして加工さえしてしまえば、作り置きとして保存することができる。一方で卵の殻や野菜の皮、ペットボトルのラベルなど、ごみ箱に捨てたそれらはきれいさっぱり無くなってしまう。
【リセット】なのか【復活】なのかはわからないが、ともかくイズミが生活するうえでこの上なく便利で都合がいいことだけは間違いない。
唯一問題があるとすれば、一度に使えるそれに制限がある──最初の状態以上の数を扱えないことだろう。
卵だったら、最初にあった十一個以上を扱うことはできない。例えばゆで卵にして六個を作り置きで保存できたとしても、生卵を十二個に増やすことはできない。卵ポケットから全部取り出して冷蔵庫の中に置いておいても、その場合は元の位置に戻っているだけであった。
とはいえ、一度にそんなに大量に使う機会もない。使っても翌日には元に戻るというだけで、十分にありがたい話であった。
「一日中風呂に入っているってのも、悪くねェかもなァ……」
水使い放題、ガス使い放題、電気使い放題。他人様に聞かれたらブチ切れられそうな無駄使いをしても、ここでは誰も咎めないし、そもそもそれが「無駄」なのかすら怪しい。
「これで洗濯までやってくれれば、文句なしだったんだがなァ……」
究極の話、食べるところと寝床さえあれば生き物は生きていける。人間の場合、その社会性ゆえにそれだけでは生きていくことはできないが、今はその社会すら超越している。
何が言いたいかって、つまり。
働かなくとも贅沢しなければ自由に生きられるこの生活は、思いのほか悪くないってことだった。
「いっそびりびりに破けば、直してくれるのかね?」
【消費したものは巻き戻る】、【加工したものはそのまま残る】、【捨てたものはそのまま消える】。現状わかっている、三つの絶対的なルール。しかし、その境は実のところ結構あいまいだ。厳密にどこからどこまでが「そう」で、どこからどこまでが「そうでない」のか、今のイズミが調べるにはかなりリスクが大きい。万が一があった場合、リカバリーが効かないのだから。
現状に問題ないなら、そのまま運用すべきだ……というのが、イズミの考えであった。
「よし……今日は」
冷蔵庫を開け、イズミは冷えたビールを取り出す。
「日向ぼっこしながら、読書としゃれこむか」
現在時刻、(おそらく)朝の九時過ぎ。イズミはすでに、朝から酒を飲むことに何の疑問も葛藤も抱かない人間になっていた。
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「……寝るか。好きなだけ」
ある日のイズミは、好きなだけ惰眠を貪った。お気に入りのタオルケットにくるまり、お気に入りのクッションに埋もれて。カーテンを閉め切った暗い部屋で、ずっとずっと、好きなだけ眠っていた。
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「やっべェな……マジで続きが読みたい……」
ある日のイズミは、好きなだけ本を読んでいた。何十冊と続いているシリーズ物の小説だ。好きで買ったはいいものの、なかなか読む時間が取れなくて積まれていたそいつ。いざ読みだしてみれば、昼も夜も忘れて……四十八時間以上、ずっと読んでいた。
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「凝った料理を作ってみよう」
ある日のイズミは、インターネットのお料理サイトから写したメモを片手に料理に勤しんでいた。ワイルドな男の料理じゃない、手の込んだ文字通りのごちそうを作るべく、今までにないくらい真剣な表情でそれに臨んでいた。材料だけは好きに使っていいのだから、暇つぶしにはぴったりだった。
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「掃除しよう、掃除」
ある日のイズミは、家中の大掃除をしていた。なんだかしてもしなくても大して変わらない程度には部屋が清潔に保たれているが、こういうのは気持ちの問題だ。未だ手付かずだった両親の部屋や遺したものを整理することができて、イズミの心はだいぶすっきりとしていた。
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「筋トレしないと。体が鈍るな」
ある日のイズミは、トレーニングに勤しんでいた。田舎暮らしをしていただけあって、元々イズミの体格は悪くはない。たっぱはそこまででもないが、その分がっちりとした体形をしている。子供が二、三人突撃してこようともビクともしないし、腕相撲ならそこらの軟弱な若者に負ける気がしない。
それでも男は、無駄にトレーニング器具を買い漁ってしまう生き物なのだ。必要あるなしに関わらず、ついつい買ってしまう生き物なのだ。金だけはあって趣味らしい趣味が無い人間なら、なおさら。
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「…………」
そんな生活が二か月ほど続き。そしてとうとうイズミはある一つの結論に至った。
「……さすがに暇だ」
そうなのだ。最初はあれだけ楽しくて楽しくて仕方がなかったのに、今じゃ日常に退屈を覚えてしまってきているのだ。金の心配も働く必要もないというのに、せっかく自由を得られたというのに、その現状にいくらかの不満を覚えてしまっているのだ。
「……なんだろうなァ」
無論、まだまだやりたいことも、やるべきことも残っている。
起動していないゲームも、読んでいない本も、見ていない録画もある。
なのに、それらに手を伸ばす気持ちが起きない。やればのめり込めるだろうに、そこに到着するまでが酷く億劫だ。
食事だってそうだ。最近はもう、凝った料理は面倒くさいし後片付けも大変なので、そぼろと卵と青シソの実の三食丼で済ませる日が続いている。
「楽すぎて不安になってる……のかなァ」
社畜根性甚だしい日本人において、長期休暇中が落ち着かなく思えるというのは、悲しいことに珍しい話ではない。
「何か……何か、熱中できるものを探さないと」
──そうじゃないと、本当にクズ人間になっちまう。
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「……よし」
【何か熱中できるものを探さなくては】。
イズミがそう決意して、約二週間。こちらの世界に転移して、およそ三か月。
イズミはようやく、一つの結論に達した。
「外、出てみるか」