38 三人寄っても
ガブラの古塔。道を塞ぐ動く死体共をバッタバッタとなぎ倒し、そしてようやくイズミは最上階へとたどり着くことができた。
こちらに気づかず──文字通り無防備な相手を一方的にボコボコにするだけだったとはいえ、それでも動く死体はそれなりに多かった。単純に塔を登るという行為だけでも階段を一段一段踏みしめていくという、現代人の基準で考えれば不便極まりなかったこともあって、最上階のその扉の前に着くころにはもう、イズミもすっかり息があがっていた。
「う、うう……!」
「お、おい……? ど、どうした……?」
それでもまぁ、なんとか奥様と護衛と思しき人物──生きている人間だから間違いなくそうだろう──を見つけることができて、イズミとしてもようやくこの暗くて陰気臭くて物理的に臭い塔を登った甲斐があった……と思ったのに。
「なぁ、頼むよマジで……! 俺、こういうのホントに苦手なんだよ……!」
暗い小部屋の中にいた二人。まるで動く死体と間違えてしまうほどにやせ細り、体も薄汚れてはいたが、そのうちの一人は目に強い光を宿し、奥様と思われる彼女の前に立ちはだかってイズミを迎え撃とうと構えていた。
だからこそ、イズミはそんな彼女を護衛だと思えたし、死んだ人間にはないその迫力をもって生きた人間だと断じることができた。
故に、もう大丈夫だ、心配ないぞ──と安心させる言葉をかけたまではよかったのだが。
「う、ああ……!」
「頼む、頼むから泣き止んでくれよ……!」
ライトで照らされた彼女は、それはもうびっくりするくらいに泣いている。ちょっとこれは男の自分がそのまま見ているのはいろいろデリカシー的に拙いんじゃあないかってくらいに、泣きじゃくっている。
──いつぞやも、似たようなことがあったっけ。
ふと、脳裏によぎったのは明るい茶髪のメイドの顔。幸いなのは、あのころに比べたらわずかばかりの経験値がイズミにあったことだろう。
だから、あの時と同じく安心させようと、イズミは多少躊躇いながらも歩を進めよう……として。
「ま、まだ近づくな……! 所属と、名前を言え……!」
泣きじゃくる彼女が、目をはらしたまま虚勢を張る様に声を上げた。
もちろん、イズミとしては困惑するばかりである。
「あの、泣きながらそんなに凄まれても……」
「う、うるさい……! わ、私だってそれはそうだと思ってる……! たぶんきっと、敵ではないだろうとも思ってる……!」
「……じゃあ、なんで?」
「だって……また、契約魔法で縛るようなやつかも……! もう、万が一にも失敗なんてできないんだ……!」
「あちゃあ、そういうパターンね……」
契約魔法がなんだかはわからないが、きっと言質を取って行動を強制させるものなのだろうとイズミはあたりをつけた。似たような話をミルカがしていた気もするし、昔話やおとぎ話の類でも、うっかりしてしまった口約束が破滅を招いた……なんてものはいくらでも聞く。魔法が存在するこの世界ならば、そういった手法で相手を嵌めるのなんてさほど珍しいことではないのだろう。
とはいえ。
「名前はイズミ。所属は……いや、そもそも所属なんてものはないんだが」
残念ながら、イズミに名前はあっても所属はない。しいて言うなら、戦国時代らしく「日のいずる国の四辻家」といったところだろうか。
もちろん、それは彼女の望む回答ではないだろう。そして残念なことに、この回答で問題ないか……と問い質すのを躊躇ってしまうほど、護衛の彼女はいっぱいいっぱいな感じであった。
「──あの」
「ん?」
声をかけてきたのは、護衛の彼女の後ろにいた──奥様と思われる人の方だ。
「誰からの依頼で来てくださったのか、それだけでいいんです」
「あ、そうか」
ならば、話は早い。
「ミルカさんからだよ」
「ミルカ……! そうか、やっぱりあいつが……! よかった、よかったぁ……!」
護衛の彼女は、今度こそ本当に泣き崩れた。色々限界だったのだろう、ぺたんと腰を落として座り込んでしまい、完全に警戒心を解いている。人目を憚らずにわんわんと泣いて、それでも安心感と喜びのあまり笑顔を隠せないでいるようだった。
「あ……そう、やっぱりあの子が……うん、そうよね」
「……?」
一方で、奥様の方は様子が少しおかしい。嬉しそうと言えば嬉しそうだし、イズミがミルカの名を出した瞬間はぱぁっと明るい雰囲気になったのだが、すぐに……それこそ、その喜びを打ち消すほどに深い悲しみを帯びた表情になったのだ。
「どうした?」
「……いいえ、何でもないのです。ええと……イズミ様は、ヴェルガル雷山公の?」
「ヴぇる……? すまん、もう一回」
「……辺境伯を、御存知ないのですか?」
イズミは知る由もないが、ヴェルガル雷山公とは元々ミルカたちが頼ろうとしていた辺境伯のことである。雷鳴が轟く山のように、国外からの敵の侵入を撃退し続けているという生きた伝説からつけられた、いわゆるあだ名や二つ名のそれだ。
「え……辺境伯からの救援ではないの……? ミルカは、あの方の下へ逃げ込めたんじゃ……?」
「まさか……ミルカからの依頼と言うのは嘘なのか……? 実は、私たちを処理しに来た暗殺者なのか……!?」
「待て待て待て! 辺境伯とやらは知らないけど、ミルカさんから頼まれてきたってのはホントだよ!」
「しかし……辺境伯以外で、私たちを助けてくれる力を持つ人なんて……。そんな人がいるなら、奥様はこんなことには……」
「殺伐としすぎてるだろオイ……」
しかし、護衛の考えも理解できないことはない。よくよく考えてみれば、ミルカは逃亡中にイズミと出会い、帰らずの森のど真ん中なのに安全に保護されるというミラクルを起こしているのだ。その上さらに、ガブラの古塔が意外と近くにあって救助に向かえるというミラクルも発生している。止めとばかりに、おそらくガブラの古塔の侵入者撃退システムであろう動く死体をイズミがスルーできるというミラクルも起きている。
よくよく考えなくても、救援側としてはあまりに都合が良すぎる。いっそのこと、実情を知っている敵側が奥様達の生死確認にやってきたと考えるほうがまだ自然だろう。
「ああもう……なんかないかな、身の潔白を証明できるものは……!」
「……ミルカの好きなものは? ホントにミルカの知り合いだというなら、知っているはず」
「ああ、それならわかる! ミルカさんが好きなのは桃缶……つまり、桃だ!」
「……あいつが好きなのは、野イチゴとラズベリーの焼きたてパイだ」
「……えっ?」
「野イチゴのパイでも、ラズベリーのパイでもない。その二つを使った『焼きたて』パイが好きだとミルカは公言している」
「うっそだろオイ……」
やっぱりイズミは知る由もないが、野イチゴとラズベリーのパイよりも、桃缶の方がずっと甘味は強い。お洒落なお菓子と言う意味では野イチゴとラズベリーのパイのほうがよっぽど上等だが、思い出補正もあって、ミルカの好物ナンバーワンの座にはいまや桃が着いている。
「やっぱり、ミルカのことなんて全然知らないんじゃ……?」
「いや、ホントに知ってるんだよ……! あの人、ホクロが多いことをすごく気にしていて……! 目元に口元、あとうなじに足、胸元とかにもホクロがあって……!」
「……たしかにありそうだけど、逆になんでそんなところのホクロを知ってるの?」
「あ゛」
いろいろあって、色々全部見たからです……なんて、口が裂けても言えるはずがない。それを口にしたが最後、イズミは別の意味で信頼されなくなってしまう可能性が高い。
しかし。
彼女のコンプレックスであるホクロこそが、イズミに一つの天啓をもたらした。
「……あ! そうだ、ホクロで思い出した! これなら……これで、どうだ!」
ホクロ。ミルカ。そして、イズミがここへやってきた大きな理由。その三つを合わせれば、答えはすぐ近くにある。
「あ……!」
「これ、は……!」
──一応持ってきておいて、正解だったなァ。
イズミの手元にあるそれに、奥様も護衛も釘付けになって──そして、奥様は感極まったとばかりにポロポロと大粒の涙を流し、笑った。
「ああ……! テオ……! こんなに、こんなに嬉しそうに笑って……!」
先ほどまでの憂いの表情はどこへやら。奥様は、嬉しくて嬉しくてたまらないとばかりにイズミが持つスマホの待ち受け画面へと指を伸ばした。
「よかった……! 生きて、笑ってる……! テオが、テオが……!」
「……これで信用してもらえるかな?」
「ええ、ええ……! テオがこんなふうに笑えているんだもの……! ああ、本当に、本当に……!」
──ありがとう。
それは、どれに掛かった意味だったのか。今のイズミが、その答えに迷うことはなかった。
▲▽▲▽▲▽▲▽
「──本当にありがとう。そして、すまなかった。救援に来てくれたのに、あんな疑うような真似をして」
ややあって──一息ついてから、護衛の彼女はそう言って深々と頭を下げた。口調は力強いものの、目にはいまだに泣きはらした跡がしっかり残っているため、イズミとしては悪いことをしてしまったかのように気まずさが半端ない。
「いや、あんたの役割を考えたら──状況を考えたらおかしなことじゃないさ。なんか、相当ドロドロした状況だったって話だし」
「そう言ってもらえると、助かる」
護衛の彼女──ペトラは、にこりとほほ笑んでイズミが持ち込んだ水をこくりと飲んだ。その傍らにはやっぱりイズミが提供したチョコレートの包み紙がある。
「こんなに美味しい水を飲んだのは初めてだ……! チョコレートとやらも、夢でも見てるんじゃないかってくらいに……死んであの世の楽園にいるんじゃないかってくらいに甘くて幸せだ……!」
「笑えない冗談だな、それ」
イズミがバッグに仕込んでいた分──要は、この塔に侵入するにあたり持ち込んだ分は大した量ではないし、チョコレートだって味のわからないイズミが適当に買った安物だが、それでもほとんど飲まず食わずであったのだろう彼女にとっては、何よりものご馳走になったことだろう。
「あんた……いや、奥様はどうだ?」
「ええ……本当に、生き返ったかのようですわ……!」
「遠慮せず飲んでくれよ。ただ、ゆっくりとな。いきなり一気に飲み食いすると、おなかがびっくりするだろうから」
奥様の方も、ペトラと同じようにイズミの持ち込んだ水に頬をほころばせ、そして一かけらのチョコレートを口の中でコロコロと転がしている。イズミの言いつけをしっかり守っているのか、それとも一気に食べるのは勿体ないと思ったのか。ちょっと判断に迷うが、まぁそんなに大きな問題ではない。
──そういや、ナチュラルに間接キスだけどそこんところどうなんだろ?
二人に渡したのはペットボトルに入ったそれだ。当然、ここに来るまでにイズミだって水を飲んでいる。護衛であるペトラはともかく、貴族である奥様が下々民が口をつけたものに口をつけて問題が無いのか……とイズミとしても思わなくもない。
さすがにこの状況でそんなこと言ってられないのは間違いないが、イズミには貴族社会におけるルールや法律の類は一切知らないのだ。後々になって不敬罪などでしょっぴかれるのはさすがに困る。
「……遠慮せず、というのは本当にありがたい話だが。その……イズミ殿の分までいただくわけには」
「そうね……手持ちの水だって、限度があるわけだし……」
「いや、そんな状態で遠慮なんてしなくても……」
ペトラも奥様も、囚人服であろうボロボロの貫頭衣をまとっていて──というか、それしかない。履物の一つも無ければ、おそらく肌着も無いだろう。文字通り襤褸をまとった浮浪者のようにしか見えない出で立ちだ。
そして、水浴びもろくにできていない。髪は見るからに痛んでいるし、正直言ってかなり薄汚れている。動く死体共の腐臭で鼻がイカれていなければ、おそらくイズミはこの部屋に入った瞬間に、女性に対しやってはいけないリアクションをして退散することになっていただろう。
「それに、ここがゴールだって聞いたんだけど。ここに来ることさえできれば、万事解決するって──ほら」
胸のポケットに大事に大事にしまってあったそれを、イズミはそっと取り出す。
鍵は、松明の炎を受けて赤く輝いた。
「む、それは……!」
「……これを、どうすればいいのでしょう?」
「……ん?」
奥様もペトラも、驚いてはいる。驚いて、イズミの手のひらの上にある鍵をまじまじと見てはいる。
でも、それだけだ。
「えっと……ミルカさんにあてた手紙は、奥様が書いたんだよな? 手紙にこいつの挿絵があって、鍵と共にここに来れば万事解決って……」
「え、ええと……ちょっと、待ってくださいね……?」
顎に手を当てて、奥様が何やらウンウンと唸りだす。明らかに、想定外であることは間違いない。少なくとも、ミルカの言っていたような『とりあえず奥様のところまで行ければ大丈夫』というそれの雲行きはかなり怪しくなってきていた。
──水も食料も、もう余裕なんてねえぞ。
イズミが内心でかなりの冷や汗を流し、そしてややあってから。
「──ミルカは、あなたにあの手紙のことをなんて説明しましたか?」
奥様から出てきたのは、そんな奇妙な問いだった。
「いや……さっき言った通りだよ。奥様が捕まって、ガブラの古塔に幽閉されている。でも、鍵をもってそこにたどり着くことさえできれば、何もかもうまくいくって……違うのか?」
「……何がどうしてそうなるのだとか、そういう詳しい理由については?」
「……信じろって言われた。理由は言えないけど、とにかく信じてほしいって」
話してくれたことと言えば、【そうすればうまく行く】という事実そのものしかない。本来だったら信ずるには値しないそれだけれども、しかしミルカがミルカなりの覚悟を持っていて、イズミはその瞳に本気の光を見たからこそ、こんなバカげた救出劇を実行しようと決めたのだ。
──意外なことに、イズミのこの答は奥様達を満足させるものだったらしい。
「それなら……ええ、それなら大丈夫ですわ」
「ああ……少なくともミルカは間違っちゃいない。何かあったのだとしたら、おそらく……あまりにもイズミ殿が強すぎた……といったところか?」
「んんん……?」
事態は何一つとして好転していない。なのに、奥様達は嬉しそうに笑っている。
「なぁ、いったいどういうことだ? もったいぶらずに教えてくれよ」
「ええ……いえ、できません。知っていたとしても教えられませんし、どのみち今回は私たちも知りません」
「……」
「だが、信じてほしい。私たちではなく、信じろと言ったミルカ自身を。そのうえで……奥様、言える範囲のことは言ってしまうべきでは?」
「そうね、そうしましょう……というか、そうするべきなのよ、ここまできたら」
すでにイズミの頭の中はハテナマークでいっぱいだ。混乱の極みと言っていい。何が何だかわからないから、口をはさめず黙って話を聞くしかないというのが実際のところである。
「ええと、まず……私は、イズミ様の持つそれが何なのかはわかりません。知っているのは、それが鍵であるということだけ。それがどういうものなのか……どうしてこれがこの事態を解決する事につながるのかは、わからないのです」
「ちょ、ちょっと待て……!」
奥様の発言に、イズミが驚かないはずがない。
「その口ぶりだと……なぁ、鍵ってのは【解決のための鍵】ってことか? そういう意味で【鍵】って言ってるのか?」
「……そ、そうですけど」
「いやいやいや……そういう意味じゃなくて、これ、俺の家の鍵だぞ!?」
「は……?」
奥様の顔も、ペトラの顔もぴしりと固まった。
「か、鍵……? それが家の鍵? いや、鍵っていうのはそんな出来損ないの板みたいなものじゃなくて……もっとこう、細い棒みたいなものだろう……?」
「……知ってて描いたんじゃないのか? そもそも、どうやって……使い方も、あるかどうかすらもわからない俺の家の鍵を知ったんだ? どうして、これでうまく行くと思ったんだ?」
「そ、それは……」
「てっきり、強力な魔道具か、援軍を呼ぶための割符か何かかと……」
「ペトラっ!」
慌ててペトラが口をつぐむ。が、発してしまった言葉が戻ることなんてあるはずがない。
そもそもが、鍵だ。誰がどう繕ったってこれはイズミのあの家の鍵である。その役目はあの扉の開閉を司るというだけで、それ以上でもそれ以下でもない。決して、罪人の流刑地に流されてしまった人間を助ける機能なんて備わっているはずが無いのだ。
だけど。
なら、どうして──奥様は、この世界に存在しないはずの鍵を知り、そして使い方すらわかっていないのにこれでなんとかなると手紙に書いたのか。ペトラの反応を見る限りでは、強力な武器か身分証のようなものになる──【事態解決の役割を持つ鍵】であると推測していたようだが、そもそもその考え自体が謎だ。
「待て待て……ちょっと落ち着いて、話を整理しよう。間違ってたら、言ってくれ……」
「え、ええ……」
「まず俺の方からな。あの鳥……シャマランからの手紙で、奥様達が幽閉されていることを知った。で、ミルカさんが言うには、手紙に描いてあるこの【鍵】と共に合流できれば、それで何もかも上手くいくって……。ミルカさん自身、描いてあるものが何なのかはわからなくて、それがたまたま俺の家の鍵で……そして、どうしてそれで上手くいくのかの説明はなかった。ただ、信じてくれと」
「そ、そうですね……。内容も挿絵も、私がミルカに宛てた手紙に間違いありません……」
「だけど、あんたらは……【鍵】の中身までは知らない。【鍵】があれば解決できるって漠然と知っているだけ……自分が描いたものが何なのかすらわからないのに、それだけはわかっている……」
「そ、そうなるな……」
「──理由はやっぱり『言えない』? それとも『言わない』?」
「……基本的にはその両方で、今回に限って言えば『言いたくてもわからない』が正しいです」
「……」
「今度は、私からの質問になるのですが」
わからない、言えない……そんな状態なのに質問なんてあるのかと、イズミは思う。いや、だからこその質問なのかと思う自分もいれば、はっきり言って時間の無駄だと語る自分もいる。
いずれにせよ、元々一般人と同じごくごく普通の平均的な脳みそしか持ち合わせていないイズミにとって、このファンタジー(?)な会話はあまりにも難解過ぎた。
「何かこう……変わった感じだとか、大いなる予兆を感じたりはしていませんか?」
「……同じことを、塔に入る前にも聞かれたよ。何もないって答えたら、やっぱり奥様に会わないとダメなのかもって」
「む……待て、つまりそれって……ミルカもこっちに来てるのか!?」
「ミルカさんも、テオもいるぜ?」
「え……どうして……!?」
「あー……そこから話さないといけないか」
そういえば話していなかったなと思いつつ、イズミは自身のことをかいつまんで話す。
「俺さ、異界の人間らしいんだよ。ある日気づいたらこの帰らずの森に家ごと迷い込んでいて、それでずっと暮らしてたら……テオを抱いたボロボロのミルカさんが迷い込んできた」
「い、異界……? まさか、そんな……」
「ホントホント。で、ミルカさん助けて暮らしてたら……例の手紙が来てさ。中のアクセサリーを見るに、意外と近くにいるっぽいから助けに行ける……ってのはよかったんだけど、異界の人間だからか、俺に魔法の素養が全く無くて。せっかくのアクセサリーも、俺じゃ使えなかったんだよ」
「そっか、だからミルカが案内人として必要になった……テオが一緒なのは、家で一人でお留守番ができないから……待って、それってまさか……」
信じられないとばかりに、奥様がイズミのことを見た。
「イズミさん……ここに、強力な魔封じが施されているのはわかりますか……?」
「えっ」
「……水の巫女として歴代最高と名高い奥様が、何もできなくなるほどのものだ。大して魔法の素養のない私にさえ、息苦しさを感じるほどの物なのだが」
ああ、だからかとイズミは思い当たる。以前、ミルカは奥様のことを【歴代の中でもトップクラスの水の巫女】と言っていた。現実の巫女ならともかく、ファンタジーの巫女であり、特別な力を秘めていて──そして、あのテオの母親だ。
そんな人が、黙って幽閉などされるだろうか? ましてや、ここに出てくるのは動く死体ばかり。巫女様の力をもってすれば、簡単に駆逐できそうな相手である。水の魔法を使うのか、それとも聖なる祈りとかでもするのか……方法はわからないが、万全の状態なら決して後れを取ることはないだろう。
「……全然気づかなかった。というか、魔法関係はマジで何もわからないんだ。魔法の匂いってのも全然わからないし、俺自身からも魔法の匂いはしていない……らしい」
「……本当ね、なんか変な匂い」
「あの、言い方」
「でも……これで少しだけ、わかってきたかも」
「うそぉ」
「鍵と共に、私と会うのがゴール……それ自体は間違っていない。理由は言えないけれど、それは問題ないの。問題なのは……今の私の状態のほう」
つまり、奥様の魔力が封じられているから物事がうまく回っていない。逆を言えば、奥様の魔力が解放されればその瞬間にクリアとなる。
じゃあ、どうやって解放させるのか。
答えは単純に──
「私を連れて、この魔封じの外へ出ればいいんです。──塔の敷地内から出られれば、そのときはきっと」
奥様が、確信を持ったように笑った。
「何もかも上手く良くはずです──水の巫女の名に誓って」




