36 ガブラの古塔
「……」
そうっとそうっと──息をひそめるようにして、イズミはその動く死体の横を通り過ぎた。
間近で改めてみてみると、なるほど、こちらに気づいた様子もなくただ虚空を見つめるその瞳は、まさしく死人のそれである。一応はちゃんと動いている以上、少しは生物らしいところもあるのでは……というイズミの淡い期待とは裏腹に、それはもう絶対の事実としてそこに刻まれていた。
「……」
二体目、三体目。動く死体はやはり、イズミに気づいた様子はない。明るい日差しが降り注ぐこの開けた空間で、堂々と目の前を通り過ぎているのに。先ほどミルカに見せた生への執着が嘘かのように、ただただイズミの存在を無視している……否、捉えられていない。
──ミルカさんの予測が当たったなァ。
慎重に……念のため、音を立てないようにしながらイズミははるか彼方を振り返る。軽く手を振って合図を送ってみれば、視界のはるか先の方でミルカが手を振り返しているのが見えた。
動く死体がイズミに気づかない理由。ひいては、あのときミルカだけを狙った理由。
それは、匂いの有無だった。
そもそもが死体だ。まともに目や耳が効いているか怪しいところである。じゃあ、どうやってこちらのことを感知しているのか──というところで挙がったのが、魔法の匂いであった。
あの時、動く死体がイズミ達に気づいたのはミルカが魔法を放とうとした瞬間だ。それまでは一切気づいた様子はなく、ぼーっと虚空を見つめていたのである。
なのに、魔法を放とうとした瞬間に、音や一般的な意味での匂いの届かないそこからこちらに気づき、そして執拗にミルカだけを狙い続けた。
いきなり気づいたのも、イズミのことを無視してミルカだけを狙ったのも、魔法の匂いで獲物を感知していると考えれば説明がつく。実際に魔法を放ったミルカに、赤ん坊でありながら強い魔法の素養を持つテオがいれば、そもそも魔法の素養なんて一切持ち合わせていないイズミのことを捉えられるはずがない。
「耳も聞こえてないセンが強いな、これは」
気づかれることも無く、何の苦労もアクシデントもないまま、イズミは塔の入口に着くことができた。はるか遠くに見えるミルカに向かってぶんぶんと手を振り、【中に入る】のジェスチャーを送る。
どうせ、奥様に会うことさえできればそのあとはなんとかなるらしいのだ。気づかれないことをいいことに塔の周辺をうろついている死体を片付けるのも悪くないが、いささか手間だし時間もかかる。なら、時間や体力的に考えて、さくっと中に入って奥様達を救出してしまったほうがいい。
「……ん。ちょっとの間、待っててくれよ」
【了解】のジェスチャーを確認し、そしてイズミは塔の中へと入っていった。
「……ふむ」
大広間、と言えばいいのだろうか。塔の下層がまるまるホールになったかのような造りになっているらしい。朽ちてもはや土と大して変わらない状態となったボロボロのカーペットや、これまた朽ちて使い物になりそうにない剣だの槍だのが近くの壁に掲げられている。その他端の方にはいすや机だったと思われる雑貨類があったが、やはりボロボロになっていて原型がまるでわからない。
そして、ある意味想像通り中は薄暗い。入口に近いここだからこそ外の光がいくらか入って様子がわかるが、それ以上となると、ぽつぽつとところどころにある明り取りの窓だけでは頼りない感じだ。
「持ってきて良かった……っと」
リュックの中からライトを漁り、イズミはスイッチをつけた。
「……うわ」
広間のど真ん中に、それはもう立派だったと思われる鎧が飾られている。大きくて厳つくて、そして重圧感のある鎧だ。長い年月が経ったからか、金属質であったのであろうその表面には蔦が絡みついていて、全体として石のような見た目になっている。
人間じゃとても持ち上げられそうにない、石でできた大剣。これまた人間じゃ動かすのも難しそうな、巨大な石の盾。鎧自体がイズミが見上げなければならないほど大きい……少なく見積もっても2m程の大きさであることを考えると、剣も盾も成人女性と同じくらいの大きさであるはずだろう。
そして、一番目を引くのがその立派な兜だ。いわゆるフルフェイスの兜で、明らかに一般的な人間の頭よりも三回りくらいはデカい。目元のところに横に長い穴が開いていて、そして頭には雄牛を彷彿とさせる角のようなものがついている。
おそらく、あえて大きく作ることで相対者に対して威圧感を与えるようにしたのだろう。
シミュレーションゲームで言うなら、足は遅くて俊敏性に欠けるけど、ひたすらタフで防御力の高いタイプのキャラ。攻撃力もばっちりあって、まさに味方の総大将とでもいえるべきキャラが纏っている鎧。
あるいは。
「は、は……映画なら、番人として動き出すのがお約束だが」
塔の入口を守る番人。飾りであるはずのそれ、あるいは石像などが突如として動き出し、主人公たちに襲い掛かってくるアレ。そういう捉え方をすることもできる。
「……動かないよな?」
コンコン、とイズミはそれの表面を叩いてみる。が、特に変わった様子はない。ゆさゆさと揺さぶってみても、そいつはピクリとも動かない。
「ま、そもそもこんなデカい鎧や剣を、使える人間がいるわけないか……」
モニュメントやシンボル的な像の一種だったのだろうとイズミは結論を出した。きっと昔々はこの像の前で騎士団とかが整列をして、朝礼でも何でもしていたのだろう──と、そう思うことにしたのだ。
「……」
鎧のことはどうでもいいとして、イズミはさらにホールを検分する。ライトの光を動かす度にネズミの類がちょろちょろと駆け回り、そして無数の蠢く黒い虫が光から逃れるように壁を這っていく。光の剣で闇を切り裂いている……と形容すればカッコいいが、実際は妙な生理的嫌悪感を覚えるほかにない光景だ。
──幸いにして、このフロアには動く死体はいない。そして、入り口から一番奥の方に階段がある。壁沿いに沿ってぐるりと回りこむように作られているところを見るに、もしかしたら上へあがっていくためにはいちいちフロアを横断しなくてはいけないのかもしれない。
「明かりってのは……やっぱ落ち着くよな」
慎重に歩を進めながら、イズミは階段へ向かう。途中、ところどころにある燭台らしきものに片っ端から火を灯していった。長い年月が過ぎてなお中には油のようなものが残っており、近くには燃料となる朽ちた樹のようなものが置かれていたのだ。
「炭のような……なんだ? 油をしみこませた樹か? こっちの世界のスタンダードなのかね……」
誰かが補給しているのか、あるいは加工されているために極端に劣化しにくいのか。いずれにせよ、そいつを燃やすと特徴的なちょっぴりの獣臭さのする匂いがした。先ほどからずっと感じている埃っぽさやかび臭さよりかは人間の生活の匂いがして、イズミの心にいくらかの安心感が生まれる。
ちなみに最初の一本はマッチで点けて、残りは道中で作った松明もどきを用いている。少々煙いが、いちいちマッチを擦るよりかははるかに効率的だ。それにどうせ、この塔が多少汚れようが焼けようが、イズミには関係ないのだから。
「……よし!」
フロアの燭台すべてに火をつけるのに、体感でおよそ十分。オレンジの炎にぼんやりと照らされたそこは、イズミの高校の体育館の半分程度の広さしかない。暗かったせいで余計に広く感じたのだろう。
相も変わらず、中央に鎮座する鎧が妙に不気味だが、さっきに比べれば全然マシだ。廃墟やお化け屋敷の探検といった雰囲気から、妖しい邪教の神殿へ潜入している……と言えなくもないくらいには雰囲気が良くなっている。ポジティブに表現するなら、リアル思考のそういうテーマパーク、とでも言うべきだろうか。
「明かりだよ、明かり。やっぱ人間には光が必要だ……っと」
造りの都合か、階段のところは窓があるから明るい。昼に近い今、お日様の光がこれでもかとばかりに降り注いでいる。その代わり、窓ガラスの類なんて何もないものだから、段のところが吹き晒されていてちょっとばかり風化が激しい。植物もたくましく育っているために、うっかりすると足を滑らせてしまいそうだ。
「外の空気と明かりがこんなに恋しく思えるとは……」
窓の外に顔を出し、イズミは深呼吸をしよう──として。
──シャウウ!
「わっ!?」
窓の外。内側からでは気づかないそのすぐ下のところに、大きめの蛇がいた。塔の外壁を這って、ちょうどいい亀裂にもぐりこんでいたのだろうか。そいつは頭を出したイズミに対して鎌首だけを向けて、小さく空気が漏れるような音を──威嚇音を発している。
「おっと、ごめんよ」
さっとイズミは頭をひっこめ、窓から離れる。こういう手合いは下手にちょっかいをかけず、気づかないふりをしてさっとやり過ごすのが一番いいのだと経験から悟っているのだ。威嚇してくれるだけまだ話し合い(?)が通じる相手であり、そこでこちらが退けば何の問題も無いのである。
都会はともかく、田舎では蛇が出るのなんて日常茶飯事だ。中には当然ヤマカガシなどの毒蛇もいるが、こっちから手を出しさえしなければ大丈夫……とイズミは子供のころからそう教わっている。
「ふむ」
一階とは打って変わり、二階は通路と小部屋で構成されているらしかった。階段を上りきったそこから見えるのは右手にドア、左手にドアのない部屋、そして正面にT字の突き当りである。構造上しょうがないことなのか、やはりここにも燭台の類が結構多い。
左手のドアのない部屋は、がらんどうであった。木材の破片やガラクタもないわけではないが、所詮はそれだけである。なんとなくかつて人が生活していたんだろうな、という雰囲気はあるものの、じゃあここはどんな部屋だったのか──と聞かれると困るような、そんな感じだ。
そして、もう一方。閉ざされたドアを開けてみれば。
「ひぇっ」
そんなに大きくない小部屋の中に、死体がおそらく三つほど。やっぱり服がボロボロになっていて酷く判別がしにくいが、今にも崩れそうな髪の長さから考えるに、男が二人に女が一人と言ったところだろう。
正確にいえば、はっきりと識別できる首が三つというだけだ。それ以外は──
「──ひでェな。全部、バラバラか」
動く死体同士で殺し合いでもしたのか、それとももともとバラバラにされて殺されたのか。あるいは、入り込んだ獣の類にバラバラにされたのか。いずれにせよ、もう動く死体としても使い物にならないくらいに、そいつらはバラバラにされている。
手、足、胴体、腕。正直言って、あまり見ていて気持ちの良いものでもない。
「……次、行くか」
ここに見るべきものは何もない。そう判断してイズミは燭台に火をつける。そして、T字の通路へと向かった。
T字のその突き当りのところにも、やっぱり燭台はある。
「うぉっ!?」
手前からでは見えなかったそこ。明かりによって照らされた右手の通路のすぐ。壁にもたれるようにして、死体が一つ。なんともご丁寧なことにおなかが見るも無残に潰れていて、後ろの壁に大きな褐色の花が咲いていた。
その隣には、白骨死体もある。
「エグいな……」
ホラー映画も真っ青なこの光景。動く死体に見慣れた今でも、正直ちょっとチビりそうなくらいに迫力がある。イズミが何とか震えずにいられるのは、あちこちに灯した火と、自分の後方にある階段──窓から降り注ぐ明るい日差しのおかげだった。
「うう……早く、次の階段を見つけないと。階段のところはきっと明るい……げ」
ぼやきながら、死体を超えて。その先の光景を、見てしまった。
──オ、オオ
動く死体が四匹ほど。人とすれ違う分には問題ないが、暴れまわるには大いに問題がありそうな幅の通路に蠢いている。どいつもこいつも体の劣化が激しく、中には右腕が丸々もげている者もいた。
──ついでとばかりに、足元にはバラバラになった死体がたくさんある。
「なるほど、なァ……この塔の中にも、お前らはいるのか……」
動く死体と動かない普通の死体。その違いなんてイズミにはわからない。もしかしたら今は動いていないだけで、あとからひょっこり動く可能性もある。
でも。
「どんな事情で彷徨っているのかは知らない。罪人を逃さない塔の番人なのか、それとも罪人の成れ果てなのか。気の毒な事情があったり、無実の罪で……ってやつもいるかもしれない」
瞳から光を消したイズミが、割としっかり通る声でそんなことをつぶやいても。奴らはただただ、何も映していない濁った瞳で虚空を見つめていた。
「──立ち塞がるなら容赦はしねェ。死にたくない奴はどいてろ」
右手に鉈。左手に松明。
──血や肉片のこびり付いたその刃が、赤い炎を受けて鈍く煌めいた。




