35 古塔の前にて
そいつらは、ざっと数えても百匹ほどは蠢いているように見えた。大きな塔を囲んでいるからか、数に反してそこまで密集しているようには感じないが、しかしそれでもその中を突っ切って行って無事に済むとはとても思えない。
「動く死体……! こんな、外法の中の外法が……!」
「ゾンビって名前じゃなく?」
「ぞん……? いえ、動く死体とかアンデッドとか呼ばれる存在ですよ。禁忌の術により、死してなお紛い物の生に執着させられた、邪悪で哀れな者たちです」
動く死体の名の通り、そいつらの体は土気色をしている。半分方腐っている者もいれば、骨やはらわたが見えている者だっている。当然の如くお話し合いの通じるような相手ではない。物理的に脳みそがあるかどうかも怪しいのだから。
幸か不幸か、そいつらは塔の周りを徘徊しているだけで、森の方へは向かおうとしない。ステレオタイプなゾンビよろしく、動きは鈍くて緩慢だ。
「ちなみにあれ、気づかれるとどうなる?」
「私たちの中の【命】を求めて、そのまま貪られて……」
「だいたいわかった。……噛まれたら一発であいつらの仲間入りになったりは」
「いえ……そりゃあ、下手に傷を負ったらそこから化膿して酷くなるってことはありますが、奴らに毒はないですよ」
「それを聞いて安心したよ」
「でも、外法がこの地に縫い付けられたものなら、命を失った瞬間にアレらのお友達になる可能性も……」
「あんま考えたくないな、それ」
動く死体が塔の周りを徘徊している意味。まず間違いなく、罪人の流刑地とされるこのガブラの古塔からその罪人を逃さないためだろう。そうでなくては、この森の中にいきなりそんな死体たちが湧き出るはずもない。
「なぁ、まさかとは思うけど奥様は……」
「それについては……ええ、大丈夫そうです」
「う?」
ミルカがテオで隠すようにして例のアクセサリーを掲げる。先ほどまでと同じように、それは青白い光を放っていた。
ちょいちょいとミルカがそれを傾ける。ある意味予想通り、光に瞬くような強弱がついた。
「この感じだと……奥様がいらっしゃるのは、塔の最上階ですね」
「定番だな」
ゾンビに囲まれた古い塔。その最上階にいる奥様を助けに行く。いよいよもってファンタジーらしくなってきたと考えざるを得ない。
「なぁ、一応ここはゴールだろ? 到着すれば万事解決ってやつは……」
「……鍵、出してもらえます?」
「ほい」
手紙に書かれていたそれを信じ、イズミは懐から家の鍵を取り出した。
が、しかし。
「……何も無いな」
「なんかこう……変わった感じだとか、大いなる予兆を感じたりとかは……」
「ねぇな」
「……やはり、奥様の元まで行かないと意味が無いのかも」
「やっぱそううまくはいかないか」
奥様の救出は必須。その後どうなるかは置いておくとして、それだけは今回の旅の絶対目的だ。
目下のところ、問題なのがいかにしてこの動く死体の群れを突破して塔に入るかである。さすがにこの開けた場所では隠れてこそこそと言うわけにはいかないし、夜の闇に紛れて侵入するというのもできれば避けたいところである。理由なんて、あえて語るまでもない。
次に問題になってくるのが、この動く死体が塔の中にもいるかどうか、である。開けた外なら逃げるにしても倒すにしても物理的空間と言う余裕があるが、塔の中までそうとは限らない。下手をしたら、塔の中はすでにこいつらでいっぱいで、あぶれたものが外に出てきている……という最悪の展開だってあり得る。
最後に問題になってくるのが、動く死体たちの戦闘能力だ。
「ミルカさん」
「……はい」
イズミはミルカに問いかけた。
「正直、今更引くって選択はないと思う。ここまでほとんど消耗せずにこれたけど、次もそうなるとは限らない。たとえ準備を万端にできたとしても、そもそも「次」なんてないかもしれない」
「……と、なれば」
「ああ──日のある今のうちに、ケリをつけるべきだ」
「ちなみに、具体的な作戦はあったりしますか?」
「そこなんだよなァ……でも、とりあえずあいつらが倒せるかの確認はしたい。真正面から戦ってどうにかなる相手だったら──それこそ、いくらでもやりようがあると思う」
「……それでは」
「出し惜しみなしでいこう。帰りのことは考えず、ここで全力を出す……信じて良いんだよな?」
「ええ、間違いなく。それだけは、私自身の命に懸けて誓います」
「よっしゃ」
「う!」
話が決まれば、あとは早い。
まずは、連中に気づかれないよう距離を取りながらぐるりと塔の周りを一周する。残念ながら都合のいい抜け道なんかは見つからず、入り口は正面にある一つしかなかったが、代わりになぜか一匹だけぽつねんと他の連中より離れたところで佇むそいつを見つけることができた。
「周りの連中と気が合わなかったのか、生前からそういう性格だったのか……」
「都合がいいことに変わりはありませんわ」
まずは、この一匹を上手く「釣る」。そうしてタイマンに持ち込んで、その実力を探るというのがイズミ達の第一目標だ。
「じゃ……頼む」
「ええ」
ミルカはクマよけスプレーを片手に持つ。今までと同じように、ほんの一瞬だけ噴いたそれを風の魔法で包み、直接動く死体を狙うのだ。そうしてうまく行動不能にさせたところを、上手い具合にイズミが誘導してタイマンに持ち込む。
もしかしたら、クマよけスプレーが効きすぎて戦闘どころじゃ無くなる可能性もある。それならそれでより安全に塔の入口まで行ける可能性が強まるから、どちらにしても悪い結果ではない。
そう、思っていたのがいけなかったのだろうか。
「行きま──え?」
「っ!?」
風下。音を聞き取るにしては遠い距離。この条件、この距離ならば鼻の鋭敏な魔獣でも絶対に気づかない──そう、経験から理解していたはずなのに。
──オ、オオ!
動く死体と目が合った。
「そのままやれっ! ミルカさんっ!」
動く死体がこちらに向かって駆けてくる。ほぼ同時にイズミが茂みから立ち上がり、ミルカをかばうように前に躍り出た。ミルカの放ったオレンジ色の霧は動く死体の顔面に直撃するも、奴は一向にひるんだ様子を見せない。それどころか、自分が何かされたとも気づいていないらしかった。
「チッ! やっぱ死体に効くわけないか……!」
迎え撃つようにしてイズミは陣取る。自分の十分後方にミルカがいるのを気配で感じ、まずは一安心。すぐに意識を切り替え、鉈で強めに近くの樹を殴りつけた。
──気づいているのはこの一匹だけ。ならば。
「俺が相手だ! やってやんぞオラァ!」
挑発。タウンティング。単純に大きな音を立てて注意を引き付けただけ。しかしたったそれだけで、大半の獣はイズミのことしか見えなくなり、ミルカ、ひいてはテオの安全度はグッと向上する。それは今まで何度も経験してきたことで、今更疑うようなことではない。
──オ、オオオオ!
なのに。
「はァ!?」
せっかくイズミが自らの体を危険に晒したというのに。
そいつは、イズミのことなんてどうでもいいとばかりに──ミルカの方へと向かっていった。
「え……」
「うー?」
予想外の出来事に、一瞬動きが止まるミルカ。事態をまるで理解しておらず、いつも通りにミルカを見上げて小首を傾げているテオ。
そんな二人を貪り喰らおうと、藪を突っ切って向かってくる動く死体。
──もちろん、イズミがその隙を見逃すはずが無かった。
「舐めやがってよぉ……ッ!」
無防備な背後からの、強烈な一撃。無視されたことをいいことに──無視されたことのはらいせかのように、イズミは渾身の力を込めてその鉈を振るった。
鉈が叩き込まれたのは、人間でいえば頸椎に当たる部分。真っ当な生物なら間違いなく致命傷になるはずのそこ。本能的にここだけは攻撃されまいとどんな生物でも回避行動をとるはずだが、しかしこいつはすでに死んでいる身だ。元よりイズミのことを無視していたこともあって、文字通りのクリティカルヒットとなった。
結果として。
ぽーんと、その腐りかけの頭が飛んでいった。
「きゃ……っ!?」
とんとん、ごろり。濁った白い瞳をもつそれが、ミルカの足元に転がっていく。首だけになってなお、そいつは奇妙なうめき声を発し続け、そして歯をガチガチと鳴らしていた。
おまけに。
「ミルカさん! 前!」
「わっ──!?」
さすがは動く死体と言うべきか。頭が無くなってなお、そいつは動き続けていた。
「こンの野郎ッ!」
相も変わらずミルカしか見えていないようなそいつに、イズミは一切の遠慮も容赦もなく鉈を叩き込んでいく。腐りかけの体故に面白いように刃が体に食い込んでいって、そいつの体をどんどんと襤褸切れのように壊していく。
思ったよりも、体は脆いらしい。一撃を入れるたびに体のどこかが吹っ飛んでいって、明らかに動きは鈍くなる。すでに血が流れていないのか、返り血の類もほとんどでない。感触としては土嚢を殴っているようなそれに近く、そして殴るたびに特有の腐臭が強くなった。
──オ
「しつっこいぞてめェ!」
もはや原型がわからなくなるほどにぐちゃぐちゃにして。そこまでしてようやく、動く死体は動かなくなった。
「ふうっ!」
「あ、ありがとうございます……」
「良いってことよ。……でも、どうして」
どうして、狙われたのはミルカだったのか。どうして、こいつはイズミのことを歯牙にもかけなかったのか。動く死体であろうと、自らのことを明確に害する敵に対して、どうして何の反応も示さなかったのか。
「一匹だけなら手こずる相手じゃない……けど」
「理由がわからないと不気味ですわね……もし、何かの間違いで一斉に群がられたりでもしたら」
「逃げるしかないな、さすがに」
幸か不幸か、動く死体の感知範囲はそこまで広くないらしい。元々それなりに離れたところだったからか、塔の周りをうろついている「本隊」がこちらに気づいた様子はなかった。
「……やっぱり、私の方が弱そうだったから狙われた?」
「そんなことを考えられるアタマがあるようには思えなかったけどなァ。むしろ、もっと本能的と言うか……若い女だから狙ったとか? なんかこう、生命力に溢れてそうな感じするし」
「生命力という意味なら、イズミさんも変わらないのでは……やっぱり、イズミさんのことに気づいていなかったという線で考えたほうがいいかも」
「ふむ……個人的には、俺のこと以上にミルカさんに夢中になっていた説を推したいところだが……なんで睨むの?」
「いえ……なんかまた、私の方が美味しそうとかそんなこと言いだしそうな気がしたので」
「強ち間違ってないと思うけど。なんか奴らって食欲旺盛そうな感じがするし……ミルカさんだってめっちゃ腹が減っていたのなら、汗臭い男よりも良い匂いのする若い女の方にかじりつきたくなるだろ?」
軽い気持ちで言った冗談。単純に、暗い空気にならないように叩いた軽口。どうせまた、顔を真っ赤にして怒るんだろうな──なんて思っていたイズミの予想は、意外過ぎる形で裏切られた。
「──あ、それだ……」
「マジかよ」
明日よりいつもの定期更新(たぶん週一くらい)に戻ります。一か月も毎日更新はやっぱり体力使うね?




