33 旅準備
それから、一夜明けて。
イズミが出した結論は──やはり、奥様を助けに行くというものであった。ミルカの願いであるということはもちろん、奥様はテオの母親でもある。ミルカはテオのことをすでに自分の子供同然だと言っていたが、それはもはやイズミだって同じようなものだ。
なら、家族を助けに行かない道理はない。
もちろん、問題はいくつか残っている。
まず第一に、イズミ一人ではガブラの古塔の位置がわからない……すなわち、奥様を探知する魔道具が使えないこと。ある程度ざっくりした位置だけならこの家でミルカに確認してもらうことができるが、実際に旅立った時に方向がわからないとなると、間違いなく「詰む」。一応方位磁石の類が無いわけではないが、それにしたって絶対とは言い切れない。
では、ミルカを連れて行けば問題は解決する……とも安直には言い切れない。ミルカを連れて行ってしまえば、他でもないテオの面倒を見ることができる人間がいなくなる。もしテオが五歳か六歳くらいだったら、少し長いお留守番ということで頑張ってもらえたかもしれないが、未だ離乳食を食べている赤ん坊を家に放置することなんてできるはずがない。
発想を変えて、イズミが留守番し、ミルカが救出に行くという案も出ないわけではなかった。これならば探知器の使用も、テオの面倒についての問題もクリアすることができる……が。
「ミルカさん一人じゃ、無事にたどり着けるか怪しいだろ……。それをするって言うなら、ぶん殴ってでも止めるぞ」
「で、ですよねー……」
そんなことが可能だったら、そもそもミルカはイズミに夜這いをかけたりなんてしていない。ボロボロの状態で森を彷徨うこともなかっただろう。魔獣に襲われた場合、ミルカだと抵抗虚しくそこで散ってしまう可能性が大いにあった。
イズミとて特殊な訓練を積んだわけでもない一般人である。が、それでも男であり、この数か月の間だいぶ卑怯とはいえ魔獣と戦って勝利を収めてきている。単純な身体能力を考えても、ミルカに比べたらイズミのほうがずいぶん強い。
「ふーむ……」
何も行動をしなければ、おそらく奥様が死ぬ。
イズミ一人が救出に向かえば、目的地にたどり着けず奥様が死ぬ。
イズミとミルカの二人で救出に向かえば、奥様は助け出せてもテオが死ぬ。
ミルカ一人で救出に向かえば、テオは無事でもミルカ自身がたぶん死ぬ。
つまるところ、どう行動しても誰かが無事では済まない。テオか、ミルカか、奥様か。現状の選択肢では、天秤の皿のどちらかが確実に死ぬこととなり、もう片方が助かるとも限らない。
では、どうすればいいか。
「一応……方法が無いわけじゃあない。ミルカさんもテオも、もちろん奥様も助かる方法があるにはあるんだが」
「ほ、本当ですか!? して、それはいったい……!?」
「──俺とミルカさんと、テオで奥様のところへ向かう。探知器は使えて、テオの面倒も見られて、そしてベストの戦力だ。ただ……」
「……失敗したら、みんな死ぬ」
「赤ん坊を連れていくことがどれだけ負担になるのか……そもそもテオ自身が強行軍に耐えられるのか……」
「……」
人が増えれば、持っていくものも増える。守るものがあれば、その分動きが鈍くなる。負わなくてもいいリスクを背負うことにもなりかねない。
それでも。
「どのみち、どの選択肢でもリスクはある。だったら──全員助かる可能性に賭けるべきだと、俺はそう思う」
「……そう、ですね。それに……ろくに水も食料もないままこの森を彷徨うのは、すでに私とテオは経験済みです。準備がばっちりで、イズミさんもいれば……」
「決まり、だな」
そうと決まれば、さっそく準備を行わなくてはならない。
まずは、持っていくもののリストアップだ。食料、水、毛布……といった旅の道具はもちろん、登山用のジャケットや長靴と言った装備一式。基本的には登山用品やキャンプ用品の一式のそれがあれば問題ない。
もちろん、それらはすべてイズミの物だ。だから、ミルカが使うには少々サイズが大きかったが、それでも何とか用立てることはできた。
──ちなみに、【消耗品扱い】になる程度に痛めつけ、新しいものが補充されてから直すだけで二人分のそれが準備できたりする。その匙加減さえ間違えなければ、実にこの家は便利であった。
持っていくもの……とりわけ食料については慎重になる必要があった。三日か四日程度の距離ということは、単純に考えて二人分だと二十四食分は用意する必要がある。テオの食べる量が大人の半分だと多めに見積もれば、三人で旅するのに必要な食糧は三十食分だ。
「私は一日二食で十分ですわ。それに……この森にも食べられる木の実はあるはずですし」
「あ、そうなの?」
「ええ……あの時は必死に逃げていたし、あとは単純に上の方に生っているせいで採れないものが多かったですけど……」
「ふむ……それなら、けっこう減らせるかも。それに、味気ないけど栄養バーとかをメインにすれば……」
「出発日の朝はここで食べていくわけですし……きちんとしたお弁当を作れば、初日の夜まではちゃんとしたものを食べられるはずですよ」
「……意外といけそうだな!」
贅沢を言わなければ、食料についての問題はないということが判明した。げにすばらしきは日本の技術力である。飲み水ばっかりは減らしようがないが、そこはもう割り切るしかない。それに、行程を進めていくうちには必然的に荷物は減っていくのだ。
「あとは獣対策だな……」
満タンのクマよけスプレーと鉈を持っていくのはもちろん、鎌やノコギリなども得物として持っていきたい。攻撃力だけを鑑みるならチェーンソーが最強だが、しかし持っていくにはあまりに重すぎる。
「ミルカさんの護身用の武器も欲しいし……」
「んー……ナイフは懐に忍ばせるとして……最悪、撃退できれば何でもいいのですが……」
「……そう言えば」
離れのところに適当にしまってあったそれ……爆竹。害獣撃退用に田舎なら割と常備している逸品である。最近は爆竹慣れした獣が増えたせいであまり使われなくなってしまったものだが、それでもこの世界なら効果はそれなりにあるはずである。
「これ、火ィつけて投げるとすごくデカい音がするんだ。害獣撃退用に使われてたやつ。……ホントに危ないときは火をつけてる暇なんてないだろうけど、無いよりはいいだろ」
「なるほど……牽制には使えそうですし、決まれば効果は高そう……」
「そうそう。クマよけスプレーでひるませて、俺が盾になれば……それくらいの時間は稼げるさ」
「ちなみにですが、そもそも魔獣と遭わなくなるような道具ってあったりします……?」
「いやァ、そもそも俺の世界には魔獣なんて……待てよ?」
魔獣云々は別として、クマよけスプレー同様に害獣撃退グッズやそれに類するものは腐るほどある。そして、イズミが住んでいたのは田園風景の広がる田舎だ。今日日珍しいくらい、野生と隣り合わせな場所であった。
「地元の付き合いでもらってた奴があってだな」
「……それは? 見たところ、クマよけスプレーの類のようですが」
「殺虫剤、忌避剤、虫よけスプレー……などなど」
「ふむ?」
「要は、獣や虫の嫌う匂いを出す薬品だよ……ミルカさん、適当な布でマントとか、作れる? 簡単な奴でいいんだ。それにこいつらをしみこませて纏えば……」
「強力な魔獣避けになる……!?」
「やらないよりかは、やってみたほうが良いと俺は思う」
「反対する理由なんて、ありませんわ!」
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そうして、あの日ミルカが覚悟を決めてからたっぷり四日後。
「水よし、ガスよし、電気よし」
大きなリュック。登山用装備。リュックの中にはたくさんの食料と水。イズミもミルカも肌の露出は極端に抑えられていて、そしてミルカは抱っこ紐でテオを抱えている。
イズミはいつものプロテクター一式に鉈や鎌を腰に掲げていて、ミルカもクマよけスプレーを腰のホルスターに掲げていた。
「──鍵よし」
装備をがっちり固め、魔獣避けのマントを身に纏い。いつも通りの指さしチェックをきっちり行ったイズミは、大事な大事なそれを胸ポケットに入れた。
「……忘れ物は無いな?」
「……ええ」
「あう!」
覚悟を決めて、イズミは玄関の扉を開く。
鬱蒼と生い茂る樹々。むわりと香る、深すぎる自然の匂い。朝ぼらけの空に輝く、水色と黄色の二つの月。
「──行くか」
──玄関を開けた先に広がる、深い森。
イズミとミルカとテオの、三人の旅が始まった。




