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ハウスリップ  作者: ひょうたんふくろう
ハウスリップ
32/99

32 理由とお願い


「ミルカさーん……」


「ふーん!」


 思いっきり抓られた胸をさすさすと摩りながら、イズミはご機嫌を窺うようにミルカに声をかけた。三十過ぎの男が十七の小娘に取る態度としてはあまりにも情けなく、これではどちらが大人かわかったものではない。


 当然、ミルカはそっぽを向いている。イズミにとって幸いだったのは、それでなお先ほどからの物理的な距離関係が変わっていないことだろう。美人というのは怒った顔でさえも綺麗だからずるいよな……と、イズミは先ほどから裏でそんなことを考えている。


「どうせ私は嫁ぎ遅れですよ……そればかりか子供がいてもおかしくない見た目をした年増ホクロ婆ですよ……」


「俺の国じゃミルカさんの年齢だとまだ子供だよ……嫁ぎ遅れどころか親元で保護される年齢だから……」


「まあ! それは素敵ですこと! イズミさんの国なら、私も一端の女として扱ってくださるって言うんですね! ええ、本当に夢みたいな国ですわね!」


「マジなんですよホントに……」


 ──女子高生には見られないだろうけど、という言葉をイズミは飲み込んだ。体つきからしても言動からしても、ミルカはできる大人のおねーさんという感じなのだ。日本人が外国の人の年齢を掴みにくいことを鑑みたとしても、ミルカは明らかに二十代の雰囲気を放っているのである。


「はぁ……私、なんでこんな人に夜這いまでしようとしたんだろう……これじゃ元々無理な話ではないですか……」


「さっきも言ったけど、普段通りだったら普通に成功してたから……あと、そろそろマジな話をするべきでは」


「む……」


 夜はまだ始まったばかりである。そしてここまで来た以上、二人の間に変な遠慮もクソもあったものじゃない。そのうえで、本来の目的──ちゃんとしたお話し合いはまだ全く始まっていないのだ。


「そう、ですね……なんか、色々ありすぎて混乱していたみたいです」


「しょうがねえよ。それだけいろんな覚悟を決めていたってことなんだから……それで」


 頼みたいことって、なんなんだ──イズミが、目だけで伝えた。


「酷なこととか、死にに行けとか……なんかずいぶん物騒な話をしていたけど」


「そうですね……それを話すにはまず、私がテオの母親ではないことを含めて……いいえ、私たちがここを訪れるに至った理由と、手紙を受け取るまでの全てを話す必要があります」


 ミルカは、静かに語り始めた。



▲▽▲▽▲▽▲▽



 まず、最初に──テオは私の子供ではありません。イズミさんもうすうす気づいていらしたでしょうが、テオ……テオラウル・オルベニオ坊ちゃんは、尊き血筋の系譜である一族の中でもさらに特殊な立ち位置である、オルベニオ家の跡取りとなります。


 え? ええ、要は貴族です。すごく偉い家に生まれたお坊ちゃまですよ。この国にはオルベニオ家以外にも何人も貴族の方はいらっしゃいますが、テオの格式に比べたら大したことありません。


 なんでテオって呼び捨てにしているかって? それは……私が、テオの乳母だからですよ。そもそも私は、テオの母親……ルフィア様に仕えているのです。元々ルフィア様とは学生時代からいろいろ良くしてもらっていまして、その縁で付き人……メイドとして雇われていたわけなのですが、テオが生まれるにあたり乳母としての任を拝命したのです。


 ……言っておきますけど、乳母の仕事は奥様に代わりテオの面倒を見ることであり、決してお乳を与える仕事ではありませんからね? 私になら息子のことを託せると奥様が信じて任せてくださった、大切な役割ですからね?


 ともかく、私はテオのことを生まれた時から面倒を見ているのです。もうほとんど自分の子供同然ですよ。自分の子供を「坊ちゃま」と呼ぶ母親がいますか? もちろん、公の場では立場を弁えていますとも。


 さて……次はテオの父親のことを話さねばなりません。


 いいですか、これはイズミさんだから……いいえ、この帰らずの森の奥深く、夜遅くに誰もいない部屋で呟かれたたわごとです。いいですね?


 テオの父親は、どうしようもないくらいのクソ野郎です。


 おほほ、何をそんな驚いた顔をされているのですか? 婦女にも口はついていますし、それはイズミさんについているものと同じものですよ? どんな一言が出てきてもおかしくはないでしょう?


 この国の国民として、誤解のないように言っておきますが……カルサス・オルベニオ様は仕事はきっちり行ってくださいますし、その手腕も相当なものです。民のことを考え、情に厚く、理不尽な要請を行うこともありません。ええ、政治的手腕だけを見るならば、この上ない存在なのです。


 ですが、それ以外が──ええ、女性関係がとにかくクソなのです。


 なんでしょうか、少し子供っぽいというか、ロマンチストな面があると言いますか……惚れっぽくて、全力で恋愛に没頭する気質をしていると言いますか……。


 ちょっと仕事で遠出をしたと思ったら、両手を使っても足りないくらいに愛人を侍らせて帰ってくることも珍しくないのですよ。


 ええ、顔だけはいいのです。それでもって女の扱いにも長けています。そして、そんなだらしない性格ながら、決して無理やりなことはしないのです。性質の悪いことに、すべてが双方合意済み。文句を言うのは、環境(まわり)や立場だけなんですよ。


 そして、カルサス様は恋愛……いいえ、人の気持ちを全く理解していないのです。


 どの女性とも本気で恋愛して、本気で愛している。その気持ちに一切偽りはなく、どの相手に対しても平等に……残酷なまでに公平で純粋な愛を向けるのです。ええ、当然そこには順番や序列なんてものはありません。


 イズミさんも、わかるでしょう? 本来人が持つであろうある種の独占欲を。恋人は自分だけの存在でいてほしいと思う気持ちを。他所の女と手をつないで微笑む恋人を見て、何も感じない女なんて……この世には存在しないんですよ。


 でも、カルサス様にはそれがわからない。


 自分はみんなを愛している。そしてみんなも自分のことを愛している。カルサス様の中ではそれだけで完結してしまっているのです。カルサス様自身は分け隔てなく誰もを愛せますが、普通の人はそうではないということを、まるで理解できないのです。


 ──私は、奥様のことはあらゆる意味で尊敬しています。たまたま縁があったからというだけで貴族でも何でもない、ごく普通の平民である私を雇い入れ、お傍に置いてくださって。それどころか、私のことを家族と呼び、そして自らの御子さえも私に任せてくださいました。立場上、普通の母親として触れ合うことは難しかったからとはいえ……私は奥様のためなら、なんだってする覚悟があります。


 ……ええ、本当に。箱入り娘だったからでしょうか……男を見る目が養われていなかったのが悔やまれます。それとも、それだけカルサス様が上手だったのか……。いずれにせよ、私が気づいた時にはもうすでに、奥様はカルサス様と燃えるような恋に落ち、そしてテオを授かるに至ったのです。


 ここからが、頭の痛いところです。


 先ほど述べた通り、カルサス様には愛人や浮気相手と呼ばれる方が複数人いらっしゃいます。その中でも平民の方の場合は、自分はあくまで遊び相手のようなものであり、それ以上でもそれ以下でもないと認識されているのですが……。


 問題は、カルサス様のお家柄と釣り合ってしまうほどの相手です。……ええ、夜会とかそういうアレコレで知り合って、夜が明けるころにはもう……って、あんまり変なこと言わせないでくださいよ。


 こほん。


 ともかく、そんな相手がけっこーいるんですよ……。そうなったらもう、本当に悲惨なドロドロのアレですよ。あらゆる手段を用いて互いを蹴落としあい、自分が正妻の座に居座ろうとして、それはもう醜く残酷な争いを……あんな虫一匹殺せないような笑顔の裏で、あれだけエグいことをしていたと初めて知った日はもう、人を信じることができなくなりましたとも。


 信じられますか?


 ついさっきまで笑顔で語り合ってた相手を、借金まみれにして売り払う人を。

 差し伸べられた憐みの手を、引きずり込んでへし折るような真似をする人間を。

 あえて手を差し伸べて、相手が安心したところで振り払う……一周回ってありきたりな、そんな人もいましたね。


 公衆の面前で痴態を晒させるような真似をする、くらいなら可愛いものです。有象無象の殿方に下着姿を晒すことになろうとも、覚えるのは屈辱と羞恥だけですから。


 ……え? ……聞きたいですか?


 そうですね……それこそその手の話なんていくらでもありますが……。


 ああ、何がどうしてそうなったかはわかりませんが、家畜の尻の穴を舐めさせられたご令嬢もいましたね。比喩表現でも何でもなく、まったくもって文字通りのことですよ。たぶん、魔法契約で縛ったのでしょうけれども……。


 可哀想? さすがに酷い? あはは、イズミさんはわかっていませんね。


 そんな言葉が似合うほど、あの世界はきれいじゃありませんよ。


 件のお嬢様、泣きも喚きもせず、恐ろしい形相でお相手のご婦人を最後まで睨んでいましたから。綺麗なお顔が……その、アレで汚れ、そしてとうとう耐え切れずにそこらに吐瀉物を吐き散らかしてしまっても、悪鬼のように睨み続けていましたよ。


 家畜の尻の穴をきれいにした後、お嬢様はその口でご婦人にそれはもう熱烈なキスをしたそうです。そのあと、ご婦人の髪の毛をひっつかんで自らの吐瀉物にその顔面を叩きつけた……と言うところまでは人伝に聞きました。


 まぁ、こんな直接的なことならまだかわいいものですよ。もっと精神的にエグいというか、そこまでするのか……みたいな、聞いているだけで目の前がクラクラするようなことがもっとたくさん……え? もういい?


 本当に不思議なんですけど、あれだけのことをやっているのに、絶対にそれって表に出ないんですよね……。同じ女ながら、あの特有の陰湿さは本当に嫌になります。知るべき身内だけにその事実が行き渡って、知るべきでない人にはとことん知られない……いったいどういう人生を歩めば、あんなことが当たり前のようにできるのか……。


 え? ええ、そうです。そんな中で、奥様はテオを授かるという……俗っぽい言い方ですが、他の人たちに比べて大きなリードをしていたのです。


 はっきり言いましょう。


 カルサス様の正妻は奥様です。そして、カルサス様の正統後継者もテオで間違いありません。これはもう、どうにも覆しようのない事実です。


 ですが。


 問題なのは──カルサス様自身が、そのことなんてどうとも思っていないことなんです。



▲▽▲▽▲▽▲▽



「どういうことだ? 聞く限りじゃ相当なクズ野郎だけど、それでもテオの父親で、ミルカさんの尊敬する奥様の旦那だろう?」


「普通は、そうなんですけどね……ええ、そもそもなんで奥様がリードできたのかってところがあるのですが」


「ふむ?」


「奥様は、正確には貴族ではありません。神殿に所属する──いわゆる、水の巫女です」


「……え」


「それも、歴代の中でもトップと言われるほどに相当な力を秘めています。水とは命と流れの象徴。その特別な力は神殿に……いいえ、この国に無くてはならないものとして重宝されています。そんな奥様を害することなんて、普通の神経をしていたら無理ですね」


「……俺の世界じゃ、巫女ってのは特別な存在で、その、形式上は色恋沙汰とかはしちゃいけなかったような」


「ええ、そうですよ? 少なくとも巫女として正式に引退するまでは、清らかな乙女である必要があります。……だからこそ、私としても神殿としても、油断していたんですけどね」


「……」


「そんな巫女が在職中に子供を産んだ。……ええ、表面上はお祝いムードでしたよ。表面上は」


「ひええ……」


「でも、すごく特別な……それこそ貴族以上に特殊な立場である相手に子供を産ませたのなら、それで落ち着く……この泥沼の関係もそれで何もかも終わるって思うじゃないですか。なのに、今まで通りの何もかもそのまま……子供を産ませた奥様が普通の恋人扱いのままって……そんなの、誰も予想できないじゃないですか」


「えっ?」


「だから、そのままの意味ですよ。形式上は奥様が正妻で、奥様自身の立場もあり実際にその通りの扱いを受けてはいるのですが……肝心のカルサス様は奥様のことを恋人として認めていても、自身の妻とは認めていない……そもそもそういう認識をされていないんですね」


「うわー……」


「それだけだったら、まだよかったのですが……」


「まだ何かあるの?」


「あのクソ野郎……よりにもよって、自分の息子(テオ)に嫉妬したんですよ」


「…………えっ?」


「自分の子供なら愛おしく思うのが普通です。ですが、あのクソ野郎の感性は普通じゃありません。テオが生まれ、奥様がテオに愛情を向ける時間が増えると……一般的な意味では元々大して存在していなかった奥様と旦那様の時間が減りだすと、あからさまに扱いがぞんざいになったんですね」


「なんだよそれ……!?」


「感覚としては、新しく生まれた弟に母親を奪われたと思う兄のようなものでしょうか。上手いたとえが見つかりませんが……カルサス様はここに来て初めて、自分が今までさんざん他者に与えていたそれに気づいたのです」


「……」


「ざっくりまとめますと、テオはカルサス様の跡継ぎでありながら、カルサス様自身はテオのことを子供だと思っていないのです。それどころか、恋人を取られて疎ましくさえ思っています。……一応、一般的な意味での嫉妬の範囲なので、そこはまだマシなのですが」


「そりゃそうだろ……そこでもし権力を振りかざす意味での反感とか嫉妬だったら、本当に救いようがないぜ……」


「……カルサス様自身にその程度の良識があっても、周りは違いますよ? 良いとこのお嬢様に家畜の尻の穴を舐めさせるような人種に、良識があると思いますか?」


「……あっ」


「本当に、突然のことでした……馬車での移動中、おそらくは愛人の一人の私兵団に襲撃されて……」


「……」


「繰り返しますが、カルサス様はテオのことなんてどうとも思っていないのです。抱っこしたことすらありませんし……そんな子供が【偶然にも】事故に巻き込まれて行方不明になったとて、多少は悲しむことがあったとしても……それは人の命が消えたというその一点のみで、それが終われば、むしろ奥様との時間が増えて嬉しいとさえ思うでしょう」


「……」


「ちなみに、奥様の旦那様に対する評価は──「恋人としては最高、夫としても悪くない、でも父親としては最悪」です。……そのうえで、「あの人のことを未だに愛していて憎むことができない」とも仰っていましたが」


「……」


「ちなみに、その他愛人の方から見て、テオはかなりの利用価値があります。……カルサス様はクォーターエルフでありクォーターフェアリーです」


「ちょっと待って情報量が多い……」


「要は、魔力の素養が化け物染みているってことですよ。エルフの力もフェアリーの力もほとんど使えないらしいですが、逆に魔力の素養は人としては明らかに規格外ですね。無駄に惚れっぽくてロマンチストで顔だけはいいのは、間違いなくエルフとフェアリーの血でしょう」


「エルフもフェアリーも、俺の世界ではおとぎ話の存在だったよ……」


「……で、そんなカルサス様と、水の巫女である奥様の子供であるテオ。さて、その身に宿す魔力は……その身には果たして、どんな力が宿っていると思います?」


「……少なくとも水の力は宿ってる、ってか。髪先なんか水色だし、すでにもう赤ん坊とは思えない魔力の素養があるって話だし」


「その通り。テオはほぼ間違いなく、今までにない程の大きな力を秘めています。そんな、膨大な魔力の素養に水の巫女の力を受け継いだ赤ん坊。……貴族社会では、血のつながらない母親なんて珍しくないです。上手くモノにできなくても、使い道はたくさんありますし……最悪、秘密裏に消しちゃえば」


「わかった、もういい」


「元々、疎まれていましたからね……奥様の周りには、私と護衛がもう一人くらいしか……馬車での襲撃の時も、帰らずの森の手前で二手に分かれて……まさか向こうも、血迷って帰らずの森に入り込んだメイドのほうにテオが託されているなんて、思ってもいなかったでしょう」


「……」


「この森でイズミさんに出会えたのは、本当にまたとない幸運でした。もしイズミさんに出会えなかったら……私もテオも、この森で野垂れ死んでいたことでしょう」


「……そういえば、奥様の方は」


「生きてます……ここでようやく、手紙が出てきます」


 長い長い、しかし必要だった前振り。ミルカとテオの立場と関係、そしてどうしてこの森に迷い込むことになったのか……どうしてイズミと出会うことになったのかはわかった。


 あとは、手紙とミルカのお願いの番だ。


「元々、私たちはこの森を越えた先にある辺境伯のところでお世話になるつもりでした。王都に戻ることができない以上、確実なところに身を寄せる必要があったのです。辺境伯とは奥様の巫女としてのお仕事の伝手があったので、匿ってもらえるのはほぼ確実です。愛人の方たちも大っぴらには敵対行動はできませんし、そこまで行ければ私たちの勝ちでした」


「でも、二手に分かれることになった……と」


「ええ。ちょうどこの帰らずの森は山と山の間に広がっているような感じになっているのですが……帰らずの森を通らない、山を迂回するルートなら馬で十五日ほど、帰らずの森を突っ切るなら歩きで七日程度で着くだろうと言われていました。それなら追い付かれることも、待ち伏せされることも無く辺境伯のところへ行けると踏んでいたのです」


「ふむ……歩きで七日か。なんか思ったより大したことないように思えてきたな。その程度で帰らずの森なんて名前がつくのか」


「それは……文字通り、この森に足を踏み入れて帰ってきた人間がいないからですよ。どうも特殊な魔力の雰囲気があるらしく、普通の生物ならば著しく方向感覚が狂うみたいで……元々この森に棲んでいる生き物は別みたいですけど」


「あー……そういうパターンか……」


「とはいえ、それもあくまでそういう推測というだけで、実際のところはわかりません。先ほどの七日と言うのもあくまで地理的な距離から計算したもの。実際はどうなるか……私たちにとっては賭けでした」


「……」


「なので、何があってもいいように、護衛が奥様の位置を探知する魔道具を用意していたのです」


 それが、これです──と、ミルカはシャマランの脚に括りつけられていたアクセサリーを掲げた。昼間見た時は普通のアクセサリーだったはずのそれは、しかし今はなぜだかうすぼんやりと青白い光を放っている。


 ミルカはそれを、部屋のあちこちに向ける。ある一点に向けた時だけ、青白い光がぱっと強くなった。


「そうか……それがあれば、万が一はぐれたとしても奥様と合流できるってか」


「森の中ではぐれた時、優先すべきはテオを抱えた奥様ですから」


「でも、それが送られてきたっていうのは……」


「……奥様と護衛は、追手に捕まって幽閉されている、そうです」


「……」


 それが、手紙の内容だったのだろう。なるほどたしかに、【近況報告】であることに嘘偽りはない。


「どんな理由を用意したかわかりませんが、表向きには軟禁ということになっているみたいです。……実際にいる場所は、罪人の流刑地とされる【ガブラの古塔】。手紙には、これからそこに転移させられる旨が綴られていました」


「……手紙を出せる状況なら、安心できる?」


 ミルカは目を伏せた。


「ガブラの古塔の場所は、一般には公開されていません。死刑にできない罪人を、限りなく死刑に近い形で処罰するための物。表向きには罪を償う修行の場所であり、やがてはそこから解放されるとされていますが……戻ってきた人は聞いたことがありません」


「……」


「手紙を送ることができたのは……シャマランを使うことができたのは、処刑関係者の誰かがあまりにも憐れんだからか、あるいは辺境伯の領地前でシャマランごと始末しようと思ったか。すでにそちらに網は張っているはずですし……あるいはもっと単純に、帰らずの森で死んだメイドに手紙を届けられるはずもなく、そのままシャマランごと帰らずの森に朽ちると思ったのか」


 いずれにせよ、とミルカは続けた。


「それこそが敵の誤算であり、私たちの勝機です」


 ミルカはもう一度、探知の魔道具を掲げた。


「この光の強さから……ガブラの古塔はここからそう遠くはありません。おそらく……三日か四日程度のところにあると思います」


「それって……」


「ええ、この帰らずの森の浅いほうですね。誰も場所を知らないわけですよ」


 ただし、場所を知れたからと言って助けに行けるわけではない。ここにきて、大きな大きな問題がある。


「助けに行きたいのはやまやまです。ですが私には……テオを守るという使命があります。この森の中を、テオを背負ってガブラの古塔まで行けるかなんて……そんなの……だから……」


「抱え込むなよ。もういい加減、お互い素直になろうぜ」


「でも……っ!」


 ここまでくれば、イズミにもわかる。


 【酷なこと】、【死ねと頼むようなもの】。ミルカが自身の体を賭けてまで、イズミに頼もうとしたことの正体は──


「ミルカさんに代わって、俺が奥様たちを助けに行く……それも、一人で」


「は、い……」


 魔獣が跋扈する帰らずの森を、一人で探索する。途中に補給できる場所が存在するかもわからないから、魔獣が存在しなかったとしても、目的地に到着できるか怪しい。そのうえ、イズミ自身にはほぼ無関係な相手のために行うことであり、当の依頼人はその間ぬくぬくと家に引きこもっている。


 命を賭けさせている相手に対し、安全なところでのんびりと暮らす。


「なるほど……報酬が無ければやってられない話だなァ……。それも、かなり上等な奴じゃないと……」


「で、では、やっぱり……きゃっ!?」


「いや、そういうつもりじゃなくて……その、探知器貸して?」


「あ……そ、そうですよね」


 ミルカの手からアクセサリーを受け取り、イズミは気合を入れてみる。心の中で雄たけびを上げ、そして先ほどのミルカと同様に、あっちこっちへそれを向けた。


 が、しかし。


「……無反応だな」


「……あれ?」


「ほら、俺魔法の素養無いし……」


「…………」


「手掛かりなしに出発するのは、無謀だぞ。報酬があろうが無かろうが、無理な話だ」


「う……」


「あと、現実的な話をすると……奥様を助けて終わりってわけじゃないだろう? その塔が流刑地で……ええと、転移させられたってことは、無人の廃墟みたいなところなわけだ。……奥様をこっちに連れ帰れるのか? 行き帰りで八日分の食料を持てたとして、奥様まで連れ帰ることは……」


「……それについては、問題が無いのです」


 おや、とイズミは意外に思う。否定的な意見を述べたつもりだったのに、ミルカの目には先ほどとは違う……強い確信の光があった。


「奥様と合流できれば、それですべて解決です」


「どういうことだ?」


理由は言えません(●●●●●●●●)──信じてください」


 意志と確信にあふれた、ミルカの眼差しがイズミを貫く。こうまでされては、イズミにできる回答は一つしかない。


「──わかった、信じる。そう決めたから」


「ありがとうございます。……とはいえ、まったくもって何も話せないというわけでもなくてですね」


「ふむ?」


「奥様からの手紙は……重なっていましたが、もう一枚あったのですよ。こちらですね」


「──!?」


「ええと、ざっくりまとめますと──【鍵と共に来てくれ、そうすれば万事うまくいく】って書いてあります。ただ……ええ、この鍵が何なのかがさっぱりわからないのです。奥様が私に宛てた手紙である以上、私が知っている……あるいは、私が手に入れられるものであるのは間違いないのですが」


「……」


「見てくださいよ、これ……鍵の挿絵みたいなんですが、こんな鍵みたことあります……? 奥様、絵画のセンスはありませんでしたから……」


 正方形に、細長い長方形をつなげただけの簡素な絵。細い長方形の部分には、小さな丸がいくつか列状に描かれている。これだけ見ると孔の空いた板のようにしか思えず、正方形の部分からはピッと一本線が飛び出て、その先に特徴的な形の括れた円があった。


「普通、鍵っていったら……こう、棒の片端が輪っかになっていて、もう片方に突起がついていたりギザギザしていたりするじゃないですか。どうすればこんな孔の開いた板が出てくるのやら……」


 心臓を鷲掴みされたような奇妙な感覚。なにか得体のしれないものに監視されているかのような、気味の悪い感覚。


 その鍵の挿絵を見れば見るほどに、その感覚は強くなった。


「いいや……こいつは鍵で間違いない。これは孔じゃなくて……窪みだよ」


 そう、だって、なぜなら──


「──これ、だろ」


「え──」


 枕元、携帯の充電器やクレジットカードケースなどの【大事なもの】を入れてある引き出し。イズミはそこから、最近ほとんど使っていなかったそれを取り出した。


「これ……!? この絵の……!?」


「ああ……この家の鍵だ」


 ひょうたん型の鈴をつけた、俗にいうディンプルキー。


 手紙に書かれていたそれと窪みの位置もサイズも何もかも変わらないものが、イズミの手の中にあった。

20200528 誤字修正


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― 新着の感想 ―
[一言] ミルカさん。あんたも十分糞です >差し伸べられた憐みの手を、引きずり込んでへし折る様な真似をする人間を。 似たような事やろうとしましたよね? 匿って貰って、治療して貰って、安全な寝床提供…
[一言] ミルカさんが語り出してから途端につまらなくなりました。
[一言] どういうことだってばよ 続き!続きが気になる!
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