31 『私、そんなに魅力ありませんか?』/『ウソだろ』
「……落ち着いた?」
「え、ええ……」
あれからどれだけ経ったことだろうか。ミルカの嗚咽も次第に収まり、部屋に静寂が訪れて。それでなお続く余韻をいいことに、しばらくずっとそのままの状態であった二人は、やがて気恥ずかしさからどちらともなく体を離し、二人で対面するように──今度はまったくもって健全な意味だ──ベッドの上で向かい合った。
「その、お恥ずかしいところをお見せしました……」
「どこかで聞いたセリフだなァ、それ」
目を伏せ、頬を赤らめて恥ずかしがる彼女を改めて見てみる。すでに先ほどのような切羽詰まった雰囲気は無くなり、ほとんどいつも通りの、明るくて上品な感じがするいつものミルカだ。未だに微妙に開けている胸元だけがいつもと違い、そしてそのギャップから先ほど以上に色気がある。
「……どこ見てるんですか」
「いや……なァ?」
「……えっち」
「男はみんなそうだ。そうとわかってて夜這いに来たのはミルカさんの方だろうに」
「よ、よば……!? いえ、確かにそうですけど……!」
今度こそ本当に、さっとミルカは自らの胸元を隠した。ぷちぷち、ぷちぷちとボタンを締め……そして、ほんの少しだけ残念そうな、がっかりしたようにも見える表情になった。
「男はみんなケダモノ……なるほど、その通りなのでしょう」
「うん」
「ですが、そんなケダモノのイズミさんに抱かれなかった私って……」
ふよん、とわざとらしく。ミルカは大きな大きな二つの柔らかなそれを誘うように腕で持ち上げた。
「私、そんなに魅力ありませんか? ……肉付きも戻ってきたと思うのですが」
据え膳食わぬはなんとやら。同じ考えは、異世界にもあるのだろう。動機や理由、結末については置いておくとして、勇気を出した一世一代の行動に対し予想外にも全くそういった気配を見せなかったイズミに、ミルカの女としてのプライドが少々傷ついたのは間違いない。
もちろん、そんなのミルカの思い過ごしに過ぎない。
「いや……ナイーブになってなければ……お互いにいつも通りだったら、危なかったよ」
「……ホントですか?」
あえて、あえていま一度確認しよう。
ミルカは、イズミが今まで会った中で一番きれいな人である。加えて、そのプロポーションもすごかった。出ているところはきっちり出ているし、引っ込んでいるところはきっちり引っ込んでいる。全体的にバランスが取れていて、各部位のシルエットも完璧だ。
なにより、テオはミルカに抱っこされるとイズミに抱っこされた時以上ににこーって笑う。ふわふわ、ぽふぽふとその感触を楽しんで、たいそう嬉しそうにする。そして、そのまま気持ちよくなって、全身がふかふかで柔らかなそれに包まれたまま眠ってしまうのだ。
つまり、そういうことである。
「正直今も、さっきの余韻でめっちゃドキドキしている。なんか……なんだかんだで流してるけど、恋人同士みたいな距離感だし……」
「あ、ホントだ……」
「うぉえぁっ!?」
ぴと、とミルカの小さな手が真正面からイズミの左胸にあてられた。
当然、そんな経験なんて皆無なイズミの心臓がそれに耐えられるはずもない。
「わ、わ……! すごく、すごくドキドキしてるのが伝わってくる……!」
「あの、めっちゃ恥ずかしいから……!」
「ふふ……少しはイズミさんも私の気持ちを味わってくださいませ」
ぴと、ぴと……とミルカがからかうようにイズミの体に触れていく。これはこれで嬉しいけれども、色々諸々拙いんじゃあないかとイズミは思わずにいられない。そりゃ、さっきまでのそれに比べたらよっぽど健全だが、それはあくまでお互いがそういう意味で特別な関係の時に限ることだ。
「……反応を見る限り、女に興味が無いってわけじゃないんですよね」
「そりゃあな。それに……この際だから言うけど、ミルカさんの見た目で気持ちが昂らない男はいないと思うよ」
「あら……誉め言葉として受け取っていいのかしら?」
「むしろ、それ以外にどんな意味があるのか……」
イズミをぺたぺたと触っていた、ミルカの手が止まる。
少し目を伏せ、ミルカはぽつりとつぶやいた。
「じゃあ、やっぱり……ほくろのせいですか? 首にも胸にも……あはは、ムードもなにもあったものじゃないですよね……」
「なぜそうなる?」
「だって……」
「ウチの国じゃ、目元のほくろも口元のほくろも、色っぽいってことで人気だったよ」
「またまた……そんなお気遣いしなくても……そんな馬鹿な話、あるわけないでしょう?」
「ホントなんだけど」
これ以上は変な地雷を踏みかねないということで、イズミはごほんとわざとらしく咳払いをした。
「マジな話……あの時、泣きそうな顔が見えたからってのと」
「ふむ」
イズミは男だ。そして、まっとうな文明人であるということも自負している。だからこそ、倫理道徳人道に外れる行為だけはしてはいけないという強い意識もあった。
「さすがに……子持ち人妻に手を出すのは人としてやっちゃダメだろ」
「──は?」
体の芯から凍てつくような、冷え切った声。一瞬確かに、時が止まった。
あれ、なんかおかしいぞ……とイズミが思ったときにはもう遅い。
今まで見たことないくらいに表情が消えた──否、凍りきっているミルカがいる。
「イズミさん……私のことを経産婦だと思っていたんですか……?」
「えっ」
完全な予想外。
「……どこみてるんです?」
「いや、だって……」
その体つきで、子供がいないのは詐欺だろう──そんな、人として最低すぎる言葉を心の中に押し込んで、イズミは慎重に言葉を選んだ。
「普段のテオを見る眼差しを見れば……今までの行動の全てが、それ以外に考えられないだろう? ミルカさん、テオの母親……だよな?」
「ねえちょっと待ってくださいうそでしょ……?」
まずい。かなり拙い。なぜだかイズミの冷や汗が止まらない。光の消えた瞳でブツブツと呟くミルカが、なんだか何よりも恐ろしいものに感じる。
女心のまるでわからないイズミだってわかる。こいつは、かなり危険な状態だ。
「まさかとは思いますけど……イズミさん」
「は、はい」
「……私、何歳に見えます?」
イズミにとって、一番聞かれたくない質問が来てしまった。
正直に答えるべきか、それとも盛るべきか。正直に答えるなら、ミルカのその体つきと、上品な雰囲気と、大人っぽい言動から──二十代半ば過ぎと言ったところ。
つまり。
「お、俺より若いとは思っていた……」
「あら、お世辞とはいえ嬉しいですわ……で、具体的な数字では?」
逃げられない。どうあがいても逃げられない。体の自由が利くはずなのに、蛇ににらまれたカエルのように心が縛られて、イズミはミルカの放つプレッシャーに完全に押しつぶされた。
「に、二十二か二十三くらいかなって……」
「なるほど、二十七、八くらいだと思っていたんですね」
「ひえっ」
バレてる。
そして、ミルカの眉間に深い深い皺が寄った。
「この際だから、はっきりさせておきましょう」
顔がすっごく笑顔なのが、何よりも恐ろしかった。
「私は、テオの母親では……ましてや、経産婦でもありませんっ! まだ今年で十七の、乙女ですからっ!」
「……ウソだろ!? 十七!? ミルカさんが!?」
ミルカが夜這いを仕掛けてきたことよりも、ミルカがテオの母親でなかったことよりも大きな衝撃。冷静さを欠いたイズミが、そんな言ってはいけない一言を叫んでしまったのも、少しは同情の余地がある……のかもしれない。
「ええ! 年増に見えて悪うございましたね!」
「い゛……ッ!?」
ぎゅっと抓られる胸。
異世界の夜に、男が痛みに歯を食いしばる音が響いた。




