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ハウスリップ  作者: ひょうたんふくろう
ハウスリップ
3/99

3 ポケットの中の卵


「……あん?」


 「それ」にイズミが気づいたのは、この奇妙な転移生活二日目のことだった。


 朝起きて、寝ぼけ眼のまま外を見て──自分が日本のどこでもない、それどころか世界のどこでもないところに飛ばされた「かもしれない」ことを思い出したイズミは、しかし挫けることなく朝餉の支度をしようとしたのだ。


 昨日は一日中、本を読んだり撮り溜めた録画を見て過ごした。向こう一週間はそのようにして過ごすとイズミは決めている。


 未知の世界に憧れを抱かないといえばウソになるが、しかしそれにしたってこの秘境のような森を練り歩く勇気も無謀さも若さもない。下手をしたら死んでしまう可能性があるのなら、もっと死ぬ間際になってからでも遅くはなかろう、それまではつかの間の平和を楽しんでもよかろう……というのがイズミの考えだ。


 とはいえ、普通に過ごすだけで人間の腹は減っていく。飯をよこせと煩く喚く腹の虫を黙らせるには、それ相応の餌をくれてやらなくっちゃあならない。


 そんなわけで、平和な時間を楽しむためにも朝餉の支度をしようとしたイズミであったが、冷蔵庫を開けて固まった。


「……卵、増えてる?」


 冷蔵庫の卵ポケット。昨日使って二つ空いたはずのそこに、当たり前のように卵が鎮座している。


「……気のせいか?」


 指を折って数えてみる。


「夕飯の肉の卵とじで二個だろ。昨日の段階で、そう、すでに一個使っていたから……」


 冷蔵庫の卵ポケットの数は十二個。イズミはいつも、奥から手前へ新しくなるように卵を入れている。昨日取り出した時は、間違いなく段違いになっていたそれを取り出したのだから、元々一個使われていたのは間違いない。


 そして、夕餉に使った卵の数も間違えようがない。ならば、残った卵は九つのはずだ。


 が、しかし。


「十一個……あるな」


 間違いなく、十一個ある。


「いや……いやいやいや」


 そもそもイズミは、消費期限がヤバそうなやつから手をつけていこうとしたのだ。だからこそ、腐ったらヤバいの代名詞ともとれる卵を早々に消費することにしたのである。楽しめる時に楽しまないで、あとから後悔するのなんて絶対に損なのだから。


 なのに、現実はどうだ。


「使ったのに増えてる……いや、戻っている……のか?」


 と、なれば。


 見るべきところなんて、一つしかない。


「……ははっ」


 確かにごみ箱に捨てたはずの卵の殻が、物の見事に消えてなくなっている。これでもう、【よくわかんないけど新しく増えた、または補充された】可能性は消え去った。いや、ある意味じゃその通りなのだが、どちらにしろ超常現象であることは間違いない。


「こりゃあ、いよいよもって俺の頭がおかしくなってきたか……?」


 卵の殻がごみ箱に残っていたのなら、何か大いなる力によってどこからか卵が補充されたという説明ができる。それにしては卵ポケットにフル補充してくれないなどと妙にみみっちいところがあるが、まぁ納得できないこともない。


 しかし、使ったはずの卵が復活し、捨てたはずの殻がどこにもない。そうなると、導き出せる解答は──あまり多くはない。


「どこかを境に巻き戻っている……か」


 あるいはバックアップよろしくある一瞬を保存し、何らかの条件でそこに回帰しているか。


「米の量……はさすがにわからねえ。ガスや水のメーター……も無理だ。あとは、何を使ったっけな……」


 ボディソープ。シャンプー。各種調味料に爪楊枝。あるいはチリ紙。使ったことは間違いないが、どれだけ使ったかを確認するにはいささか心もとないチョイスばかりだ。


 だけど、まぁ。


「悪くはない」


 餓死の可能性が一気に減った。それどころか──自由気ままな、文字通りのぐうたら生活ができる可能性ですらある。


「余力のあるうちに調べておくべきだよな」


 卵を三つ取り出し、イズミはペンとメモを準備した。


「ゆで卵……三つ。残りの卵は八つ。……よし」


 目視確認、指さし確認、メモによる確認。これだけやれば数え間違えるはずもない。加えてゆで卵として調理してしまえば、確かな証拠だって残る。


「あとは、と」


 細いネームペンを一本。そいつを片手に風呂場へ赴き、シャンプーとボディソープのボトルに線を引く。線を引いたのはもちろん、現在の量をきっちり記録するためだ。


「爪楊枝は……しょうがない、数えるか」


 ティッシュの枚数を数えるよりかはマシだと割りきり、イズミは食卓に備え付けていた爪楊枝を一本一本数えていく。地味に面倒な仕事だと思いきや、意外に意外、十分程度で数えきることができた。


 ちなみに、327本であった。


「あとは……そうだ、あれも」


 地味に狂ってしまっている時計。イズミの体感的に今は朝の九時か十時といったところだが、パソコンが示すそれも、壁の時計が示しているそれも、ちょうど十二時となっている。正確な時間なんて今やわかりようもないが、ざっくり三時間くらいはズレていると言っていい。


「一個だけ……十時、と」


 時計の針を弄り、そして準備は完了する。ぱっと思いつく限りでは、室内でこれ以上やることはない。家の外に出るのは、まだちょっとそのときじゃないとイズミは心の中で言い訳した。


「……こんなもんだろ」


 今日のやること、終了。あとは昼餉を取り、風呂に入って、そして夕餉を取って寝るだけだ。


「んじゃまぁ、そういうことで」


 卵は使わない。使った食材は記録しておく。そうメモに書き残し、イズミは本の山を攻略すべく自室へと戻っていった。



▲▽▲▽▲▽▲▽



「……ははっ!」


 結論だけ述べよう。


「そうか……そうか!」


 卵ポケットの卵の数……十一。作り置きしたゆで卵の数……三。ごみ箱に捨てたはずの卵の殻……見当たらず。それぞれ五プッシュ以上行って確実に減らしたシャンプーとボディーソープ……チェックラインと同じ。十本ほど無駄に折って捨てたはずの爪楊枝の数……327本。


「そういうことかよ!」


 【使った卵:三】のメモ書きはそのまま。あえて一つだけ狂わせた時計……そのまま。


 パソコンの日付……一昨日と同じ。インターネットのニュース欄……一昨日と同じ。


「最高じゃねえか!」


 イズミが餓死する心配が、消えてなくなった瞬間だった。

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