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ハウスリップ  作者: ひょうたんふくろう
ハウスリップ
15/99

15 目覚め


 暗い、暗い森を彷徨っていた。


 冷たい雨と、重くなった体。体中のあちこちが痛くて、体の芯から疲れ果てている。


 なのに私は、森を彷徨っていた。


 泥まみれ、血まみれになってでも。もう一歩も動けないと思っていても。


 もう何日もまともにものを食べたり、眠ったりもできていない。


 昼と夜の感覚すらわからなくなってきて。それでも、絶対にこの子だけは守ると心に誓って。


 だから──それが見えた時、最初はとうとう幻覚が見えてしまったのかもと思った。


「……あか、り?」


 木々の隙間から見えた、オレンジ色の光。見慣れたもののはずなのに、すごく懐かしく感じてしまったそれ。


 なにより──この帰らずの森では、本来見られないはずの暖かな光。


「……!」


 自然と、歩くのが速くなった。もうこれ以上絶対に動けないと思っていたのに、自分でも信じられなかった。


 この暗い森だ。明かりなんてものがあれば、目立たないはずがない。一歩、また一歩とそこに近づくたびに、その明かりは強くなって──自分の頭がおかしくなったのではないということを、強く実感することになった。


 そして。


「……っ!」


 家だった。信じられないことに、この帰らずの森に立派な家があった。


 明かりの正体は──この家から漏れ出たものだった。


 つまり、人がいる。


「誰か……っ! 誰か、いませんか……っ!」


 固く閉ざされた門扉を叩く。何度も何度も、しつこいくらいに。


「おねがい……っ! おねがいですから、あけて……っ!」


 ああ、どうして中に入れないのだろう。取り立てて丈夫そうでもない、こんな簡素な門扉なのに。ちょっと頑張れば、簡単に越えられてしまいそうなちっぽけなものなのに。


「お願いです……っ! せめて、軒先だけでも……! 雨だけでもしのがせてください……っ!」


 ああ、私の声は中の人に届いているのだろうか。もう、かすれてまともに出ていないんじゃないだろうか。


 そもそも──中の人は、まっとうな人間なのだろうか。こんな森の真ん中に隠れ住んでいるような人間に、善性なんて期待できるのだろうか。


 私たちを捕らえるために先回りした、追手ではないのだろうか。


 ──いや、そんなの今はどうでもいい。


「誰か……っ! お願い……っ!」


 叩く。叩く。何度も、何度も。


 叩きつける拳から血が噴き出ていても。痛みが骨の芯まで響いても。


「……っ!」


 人だ。男の人だ。男の人が、その家の扉から出てきた。


 よかった、少なくとも軍属じゃない。私兵でもなさそう。体のどこにも紋章がない。


 この人なら──。


「どうか……っ! どうか、お願いします……っ!」


 最後の力を振り絞り、この子を託す。


 だいじょうぶ、やさしそうな人だ。ほら、今だって、釣られるように腕を伸ばしてくれた。


「どうか……この子を、助けてあげて──」


 ああ、やっぱり。ちゃんとしっかり抱っこしてくれた。


 あの子はちゃんと、無事にあの人の腕の中にいる。


 その事実が、たまらなくうれしい。



 ──私、ちゃんと……役目を果たせたよね?



▲▽▲▽▲▽▲▽



 ここは、どこだろう。


 どこまでも安らかで、穏やかな感覚。ずっとずっとここにいて良いんだって、もう不安になることは何もないんだって……そう、お父さんとお母さんに抱きしめられているような感覚。


 見えない。聞こえない。


 でも、ただただ安心できる。心地よくて、何もかもがどうでもよくなってしまう。


 なんだろう。


 たしか、すごく怖い目に遭っていた気がする。すごく辛い目に遭っていた気がする。泣き出しそうになって、逃げだしそうになって、それでもどうしようもなくて……挫けそうになりながら、ずっと足掻いていた気がする。


 でも、今は違う。


 すごく、気持ちが良い。


 ああ、体がすごく軽い。そして、何か柔らかくて暖かいものに包まれているみたい。すっごくぽかぽかしていて、ふんわりと深く何かに沈み込んでいるようで。


 青い空に浮かぶ白い雲に寝そべったら、きっとこんな感じなのだろうか。


 それに、何か良い匂いがする。


 焼きたてのパンの匂いじゃない。咲き誇る花の匂いでもない。抱きしめてくれたお母さんの匂い……とちょっと似ているけど、やっぱり違う。


 なんだろう、この匂い。嗅いでいると、本当に安心する匂いだ。


 夢の中にいるみたいなのに、あまりに気持ち良くて眠ってしまいそう。


 ──夢の中で眠ったら、いったいどうなるのだろう?


「……」


 ちょっと、喉が渇いた。


 口の中が、なんか妙に甘い気がする……こんなに甘い感覚、いったいいつぶりだろう?


 甘い。ただただ、甘い。混じりっけ無しに甘い。


 あ。


 たまに来る、この感じ。


 ちょっと火照った体がすっきりさっぱりする、この感じ。


 まるでお湯をふんだんに使って体をきれいにするような……一度でいいから、贅沢にお風呂に入ってみたい。あったかいお湯をいっぱいに用意して、そこに飛び込んでみたい。


 ──なんで、この感覚はたまにしか来ないのだろう? ふかふかも、ぽかぽかも、良い匂いもずっとあるのに!


 ──ずっと、ここで微睡んでいたい。


 何もかも忘れて、ここで、こうして幸せに──



▲▽▲▽▲▽▲▽



「……っ!」


 どこだ、ここは。


 私はいったい、どこにいる?


「……」


 ゆっくりゆっくり、開けていく視界。いったいどれだけ眠っていたのだろう。久方ぶりに開いたからか、酷くかすんで周りがよくわからない。


「……いえの、なか」


 ああ、ダメ。なんて酷い声。かすれてガラガラ……まるでおとぎ話に出てくる悪い魔女みたい。こんな酷い声じゃ、誰も振り向いてくれなくなっちゃう。


 いや、それよりも。


「……っ!」


 意識がはっきりしてくるにつれ、手足がとんでもなく痛くなってくるじゃありませんか! 擦り傷、切り傷、打撲に裂傷……と、我ながら色んなケガを負っていたと自負はしていますが、よもやここまで酷いとは……。


 うう、絶対傷が残ってるだろうなあ。あ、足なんてもうたぶんグチャグチャになってる……。


「……」


 ベッド、かしら?


 私は今、ベッドにいる……間違いない? それにしては、妙にふかふかで上等な……やだ、この毛布も何もかも、すっごい高級品ではないかしら? これは下手をすると奥様のベッドよりも……。


「……っ!!」


 違う。冷静になれ。


 なんで私はここにいる? 私じゃなくて──あの子は?


「……い、ない」


 思い出せ。


 そうだ、あの時私は──あの子を、あの人に託した。


 たぶん、ここはあの家の中だ。どうにも奇妙な内装だけれど、現実的に考えてそれくらいしか可能性はない。


 私がベッドに寝かせられているということは、どういう意図があるにせよ、すぐに命を奪うようなやつじゃない。交渉の余地はある。しかもおそらく……看病までしてくれているらしい。ただ放置されていただけにしては、妙に体に力が残っている。


 これは……もしかすると、一番理想的な状態かもしれない。


「……」


 それよりも、あの子だ。あの子を探さなくては。


「……も、ぉ」


 なんで、私の体は動かないの? 足が、全然動かない! 力を入れているのに、全然動いてくれない!


 かろうじてできるのは、首の向きを少し動かすだけ……あと、ちょっと手が動きそう。


 そうだ、まずは辺りの様子を探らなくては……あ。


「あ、かり……」


 部屋の端から、明かりが漏れている。いっそ不自然なほどに、煌々とした明かりだ。不思議なことに、揺らめきの一つもない。ずっと同じ強さで、まるで扉の向こうに昼が広がっているかのように。


 ……なんなの、ここ?


「おち、ついて……」


 安全ではあるはず。雨も風もしのげて、信じられないくらいに柔らかいベッド。盗賊や蛮族の根城のような野蛮さはなく、悪趣味な成金貴族のような驕った雰囲気もない。ただただ見慣れない内装ではあるけれど、庶民らしさというか、妙な生活感はある。


 なら、きっと……あの子は無事なはず。


「きっと、あの、ひかりのむこう……!」


 痛む体を何とか動かして。ようやっと、倒れ込むようにして……体勢を変えることができた。


 光の隙間。ようやく、その先が見え──


「──あ」



「いーい湯だったなァ」


「だーう」


 半裸の男が、あの子を抱っこしている。抱っこされているあの子はふわふわのタオルにくるまれていて、元気に手足を動かしている。


「なんだかんだで半身浴でもけっこう温まったな……どうせ俺とお前しかいないんだ、この格好でもいいだろ。お前も半裸みたいなもんだし」


「だう!」


 半裸の男が、優しくあの子をソファに座らせた。


「俺特製ミルク粥の時間だぞ……っと。ほれ、口開けろ」


「うー!」


「おーおー……ホント、美味そうに食うよなァ」


「あう!」


 半裸の男が、あの子にご飯を食べさせてあげている。あの子に飲み物を飲ませてあげている。


 自分が食べるのも忘れて、あの子の面倒を見てくれている。


「……けぷ」


「よーしよしよし、良く食った」


「あい!」


 あの子を抱きしめて──あの子に笑ってあげている。


 あの子が──元気に、笑っている!


「あう! あう!」


「ちょ、こら、叩くなって!」


「う! う!」


「待て待て待て、そんなぺちぺち俺のほっぺを叩いたってどうにもならんぞ!」


「きゃう! う!」


「なんだお前、もうおなかいっぱいだろ? これ以上何が──」


「だう!」


「ん……なんだお前、そんな……あ!」


 ああ、よかった。


 本当に……よかった!




「あんた──目が覚めたのか!」


「だーう!」


 


 ──あの子が笑う姿を、また見ることができた!

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