1 玄関を出たら 【House Slip】
☆書籍化することになりました☆
詳細は活動報告にて。
玄関を出たら、そこには異世界が広がっていた。
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ちりりり、と控えめなベルの音を受け、四辻 イズミは目を覚ました。カーテンの隙間から漏れる光に少しだけまぶしそうに顔をゆがめ、カリカリと腹をかきながらのそりと布団から這い出る。眠そうに眼をこすりながらも、彼はベッドの誘惑に負けることなく洗面所へと向かった。
「……」
寝ぐせの目立つ髪。ハリネズミのように太く、しっかりと生えてしまっている無精ヒゲ。数年前まではまだ若々しさにあふれていたその顔も、いまやすっかりおっさんじみたものになっている。中年と呼ぶにはまだ早いが、しかし「お兄さん」と呼ばれるには遅すぎるような──そんな、いかにも中途半端な顔立ちであった。
「やべェな……人に会わないと本当に落ちぶれる……」
ばしゃりと顔を洗い、いつもの電動髭剃りのスイッチを入れ。イズミは朝の身支度を整えていた。
──イズミが住んでいるのは、両親が遺した田舎の一軒家であった。田舎ではそう珍しくもない、二階建てのそれなりに大きい家。ちょっとした物置のような離れのような何かに、これまた車庫とも作業場とも言える謎空間もセットになった──敷地だけは無駄に広い家だ。
そんな広い家に、イズミはたった一人で住んでいた。
「こんなもんだろ」
髪をかき上げ、きりりと表情を引き締め。誰に見せることもないその仕上がりに満足して、イズミはリビングへと向かった。
「~♪」
手慣れた様子でイズミは朝餉の支度を行っていく。とはいえ、男の朝飯に繊細さなんてあるわけがない。冷蔵庫から取り出した卵とウィンナーを手早く焼いて、昨日の残りの豚汁を温めなおし、ついでとばかりになめたけを添えるだけのものだ。フライパン一つで事足りる、実に男らしい風景だと言えよう。
「……」
両親が遺した大きな家。都会に憧れて家を飛び出した時は古くて田舎臭いとしか思えなかったのに、いざこうして帰ってきてみれば、それはイズミに何よりもの安心感を与えていた。
つい数年前にリフォームをしたばかりだから、外見に反して内装は驚くほど今風だ。ネット環境もばっちりで、風呂だって自動で沸かしてくれる代物である。
両親の希望により畳の和室が残っていたり、そもそも物理的にリフォームの手を入れられなかったところもあるが、都会のウサギ小屋みたいな狭い住居と比べれば、まさしくここは天国と言ってもいいだろう。田舎の家の良いところと、都会の今風の家の良いところを組み合わせた、ハイブリッドってやつだった。
「休日は良いね、やっぱり」
時計が示す時刻は朝の九時。本来なら、自室のパソコンを立ち上げて業務に取り掛かる時間だ。
幸か不幸か、イズミの生業はこんなコンビニ一つないド田舎でもできる──いわゆる、在宅業務ができるそれであった。そういう形態で熟せる仕事だったからこそ、イズミはこうして生まれ育った実家を継ぐという選択がとれたわけでもある。
また同時に、イズミがろくすっぽ人に会わずに家に引きこもっている原因でもある。無論、昨今のインターネットの発達により、テレビ会議なんてものは今やどんなパソコンでもできることではあるし、実際イズミもしょっちゅうそれのお世話になってはいるが──カメラでこちらの姿を映さなければ、必然的に身なりに気を使うことも無くなってくる。
「……さて」
身支度は整えた。朝餉も済ませた。そして今日は休日。なれば、やるべきことなんて決まっている。
買うだけ買って遊べていないゲームか、買うだけ買って手を付けていないDVDか。あるいは、録るだけ録って見られていないアニメでもいいし、やっぱり積まれるがままになっている本の山を崩していくのも悪くない。再びベッドに戻り、惰眠を貪るというのも選択肢に入るだろう。
いずれにせよ、やりたいことは腐るほどある。いくら田舎の一軒家に引きこもっているとはいえ──いや、だからこそ、自分の時間というのはこれでなかなか取れないものなのだ。たまの休日くらい、好きなことをして過ごすべきだろう。
「……あえて外に出るのも一つの手か?」
イズミは思案する。考えてみれば、ここ最近まともに外に出た記憶が無い。買い物はだいたいネット通販やネットスーパーで済ませている。こんなクソ田舎まで物品を届けてくれる配達員の皆々様には頭が上がらない……のはともかくとして、まっとうで健康的な人間の生活的に、これはいささか問題がありそうな気がしなくもなかった。
「……よし」
決めた。決まった。普段インドアな奴ほど、ふとした拍子に意味もなく外に出てみたくなるものなのである。
釣りをするのか、山菜でも採りに行くのか。そんなもの外に出てから考えればいい。必要な道具は全部車に積んである。往々にして、田舎の車なんてそんなもんだ。
「水よし、ガスよし、電気よし──鍵よし」
指さしチェックを滞りなく終わらせ、そしてイズミは玄関の扉を開いた。
「…………は?」
鬱蒼と生い茂る樹々。むわりと香る、深すぎる自然の匂い。朝ぼらけの空に輝く、水色と黄色の二つの月。
「…………は?」
──玄関を出たら、そこには異世界が広がっていた。