亜紗見麻里を捜して(前編)
月の光に暴かれて、世界は本当の姿を表す。
あんなに笑っていた君も死にゆく記憶のなかでもがいている。
君が望んだものが何なのか?
降り注ぐ空の下で何を見つけられたのだろう?
さぁ、次は誰の番だ
『亜紗見麻里を捜して』
5月4日。
私、二荒出版社に勤める│飯島康太は会社の机の上に置かれた『亜紗見麻里を見つけて欲しい』というメモを基にこれを記述している。
字の特徴から笹原デスクのものであろう。
デスクはここ4日間程出社しておらず、連絡もつかない状態だ。
部長は仕事に対してマメな笹原デスクが無断欠勤する事はありえないとして、自宅や実家にも連絡を入れたようだ。
デスクの行方を捜すのに、以前から調査していた亜紗見麻里の事件が関係していると睨み、私はデスクの机を漁った。
そして引き出しから事件の資料が出てきた。やはりデスクは亜紗見麻里の事件を追っていたようだ。
彼女の写真を見る。
程よい彫りの深さに綺麗な白い歯を覗かせた笑顔の彼女。
まるで無垢な子どものようだ。
――3月14日の新聞記事より抜粋
『女子大生、刺殺される』
都内に住む女子大生・亜紗見麻里さん(20)が世田谷区の住宅街にて血を流して倒れているのを通行人が発見、通報した。亜紗見さんは搬送された病院にて死亡が確認された。事件から3時間後、世田谷署に「自分がやった」と21歳の男が出頭した。男は「以前から亜紗見さんに好意を持っており、交際を求めたが拒否されたので殺して自分も死ぬつもりでやった」と供述している模様。世田谷署は事実関係を確認するとともに、男を殺人容疑で逮捕する方針と発表した。
――3月19日。事件の詳しい概要をまとめた週刊誌の記事より
被疑者・多嘉内庄司は被害者・亜紗見麻里さんと同じ大学の同級生であり、入学当初から亜紗見さんに好意を持っていた。
2月、多嘉内容疑者は亜紗見さんに交際を申し込むが断れる。
その後、亜紗見さんに付き纏うようになり、無言電話やピンポンダッシュを繰り返すなどのイタズラを繰り返したと供述。
3月に入り、亜紗見さんを道連れに自殺する事を計画。近所のスーパーにて刃渡り15センチの包丁とガムテープを買う。
3月14日。12時半ば。授業が早く終わり、帰宅途中であった亜紗見さんを待ち伏せし、背後から包丁で刺した。その後倒れた彼女の胸を数回刺した後に現場から逃走。凶器は現場に残されたままであった。
自宅に戻り、数時間悩んだ後に世田谷署に出頭した。
私は笹原デスクが調査していた資料を全て引き出し、部長に相談を入れた。もちろん、笹原デスクが追っている亜紗見麻里の事件を引き継ぐ為に。
部長は二返事で許可をくれたが、去り際に「くれぐれも深追いするなよ」と釘を刺された。笹原デスクの件もあるのだろうと思い、私は「気を付けます」と返しておいた。
5月9日。
多嘉内容疑者と被害者の亜紗見さんの同級生であるK君に話しを聞くアポが取れた。個人情報など、細かい事は記事にしないのが条件だ。
ただ彼には悪いがペン型のICレコーダーで音声は録音をし、帰宅するなり音声を聴きながら細かく書き起こしている。
ーーこんにちは
「こんにちは。初めまして」
K君はぎこちなく挨拶をする。黒縁のメガネを掛け、淡いブルーのカジュアルシャツを着た、どこにでもいる若者だ。
――突然呼び出すような真似をしてごめんなさい。
「いえ、以前にも同じような事がありましたから」
――私と同じように、話を?
「はい」
――それはもしかして、笹原という方では?
「そうです。…知ってる人ですか?」
――えぇ、前の会社で勤めていた時にお世話になった先輩です。彼は現在も同業者であり、
この間お会いした時にこの事件を調べていると言っていましたので。
私の嘘はバレていない様だ。特に何の疑いもなく会話を続ける。
「そうなんですか。それで、多嘉内さんの事でしたっけ?」
――そうです。彼、事件の前はどんな方だったのでしょうか?
少し頭を傾げ、苦笑気味に話すK君
「僕の印象からして、明るい人間ではなかったですね。彼、1年浪人してから入学してきたので。僕と彼は同じ音楽研究会ってサークルに居たんですが、彼は僕と他2人ぐらいとしか喋りませんでしたからね」
――人付き合いが下手だった?
「まぁそんなところですね。プライドがあったのかもしれません。同学年とはいえ、一つ上の人間ですからね。少し上からなところもありましたし」
――多嘉内君と亜紗見さんはどんな関係でしたか?
「顔見知り、というところだと思います。サークル内でも挨拶を交わすぐらいで、世間話ですらごく稀にしかしませんでした。ただ、彼が亜紗見さんと話している時はとても幸せそうでしたね。」
――それはつまり、好意を抱いていた、と?
「そう、ですね。亜紗見さん事態、サークルの中で可愛い方でしたのでみんな一目置いていました。僕たちのサークルはバンドを組んで活動するのですが、みんな亜紗見さんを引き入れたがっていました。」
――多嘉内君も?
「…彼は誘わなかったですね。多分ですが、誘えなかったんじゃないでしょうか?奥手なところありましたし。」
――報道では多嘉内君は彼女に告白したが、フられたと?
「はい。その辺りは自分も詳しくは知らないんです。」
――その頃に多嘉内君に変わった様子は?
「変わったというか……。12月の頃からあまり学校に来なくなってました。」
――学校に来なくなった?
「えぇ。それで……。これ、サークルの先輩からの又聞きなんですが……。」
息を呑むK君。若干緊張しているようだ。
「その先輩、多嘉内さんと連絡が付かないから、心配で家に行ったみたいなんです。で、家に行ったら多嘉内さんは居たらしいんですが…。様子が変だったらしいんですよ」
――どんな風に変だった?
「まず風呂に何日も入ってないみたいで体臭が酷かったらしいです。そんで目の集点があってなかったらしいです。ただ本人は『体調不良だから大丈夫』って言ってたらしくて…。ただ…」
――ただ?
「部屋の中、ゴミだらけだったらしいんですが、一箇所だけ綺麗してあるスペースがあって、そこに座椅子があったんですが、その座椅子の背もたれに亜紗見さんの写真が貼ってあったらしいんですよ。その先輩は見なかった事にして帰ったらしいんですが…。」
――それから多嘉内君は学校には?
「全然見かけなかったです。ただ、友達に聞いたら亜紗見さんの近くで何度か見かけたらしいです。大学の食堂だったり、帰り道だったり。サークルの先輩達が亜紗見さんを警護するみたいになってましたね」
――その時の亜紗見さんはどんな様子でしたか?
「亜紗見さんは……いつもどおりでした」
若干、K君の表情が引き攣ったのが見て取れた。
――そして彼は告白し、フられた腹いせに彼女を?
「そう、ですね。」
――彼女の殺害前に多嘉内君とは会いましたか?
「いえ、会ってないです」
――そうですか。では話を変えましょう。亜紗見さんについてです。彼女はどんな人でしたか?
「亜紗見さん、ですか?……なんと言いますか、やっぱり容姿は綺麗で、愛嬌があってサークルの中ではマドンナ的な存在でした。そんな自分の事を鼻に掛けるでもなく、周囲には優しく振る舞う良い子でした。ただ……」
――ただ?
「時々、遠くを見ているというか。なんというか、一人だけ違う世界にいるようなオーラを出していました。」
苦笑気味に言うK君。だがどこか震えた様子。
「実は彼女、何人もの人と付き合っていたんですが…。どれも長くは続かなかったんです」
――交際がどれも上手くいかなかった?
「はい。付き合った人は皆別れた理由を話してくれませんでした。ただ、サークルの先輩で一人、付き合っていた人が一言だけ言ってました」
――どんな事をおっしゃっていましたか?
「『一緒にいると自分が分からなくなる』と」
――自分が分からなくなる?
「はい。…どういう意味かは分かりません…。ただ…」
――ただ?
「 なんとなく、言ってる事は分かる気がします。その、言葉には出来ませんが…」
何か煮え切れぬ様な表情を浮かべるK君。
――具体的にお願い出来ないでしょうか?
「……言うなれば、怖かったです」
――怖かった?
「はい。なんとなく、ですが……。それとすいません、もうすぐバイトの時間なので…」
――分かりました。貴重なお時間を頂き、ありがとうございます。
K君との会話は以上だ。
最後はどこか、無理やり終わらせた様に感じる。
色々と推測をしたが、仮説の域を超える確証がないので記述を以上とする。