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仙遊伝  作者: 森戸玲有
一章
6/36

「……英清。本当にこいつが仙人だというのか? 道士ではなく?」


 紅珠は値踏みするように、宗林を上から下まで見下ろした。


「一応、足はついているようだが?」

「冗談が上手いですね。紅珠さんったら……。僕は幽霊でもないし、道士でもありませんって」

「確かに、道士と仙人は違うらしいな。道士は人間で、仙人は化け物なんだってな。不老不死だとか。隣の爺さんが教えてくれたことがあったよ。しかし、それはあくまでおとぎ話の中の存在だろう。あんたのような胡散臭い男がそれだって? 証拠でもあるのか?」

「証拠ねえ……。どうしようかなあ……」


 宋林は尻餅をついたまま、顎に手をあてた。

 握っていた手をようやく放してくれたので、紅珠は突きつけていた枝を捨てると、そのまま宋林の頭を固くした拳で殴った。


「痛たたたたっ! いきなり何でしょうか?」


 そんなに強くしたつもりはないのだが、宋林は目尻に涙をためながら頭を押さえる。


「だって、あんたは仙人なんだろう。痛みなんて、感じないんじゃないのか?」


 この男……案外、自分は仙人なのだと思い込んでいるだけかもしれない。

 もしそうならば、馬鹿を通り越して、ただの頭が可哀相な人だ。相手にする時間が惜しい。


「あのね、僕だって生きていますからね。殴られたら、それなりに痛いです。誤解がないように言っておきますが、仙人は化け物じゃないですよ。化け物は貴方が見た猫の方です」

「怪しいな」


 一蹴すると、宋林は涙目で紅珠を見上げてくる。

 おかしい。

 これでは紅珠が悪役ではないか。


「ああ、もうお前のことなんて、どうだっていい! 姉さんは何処だ? 隠しているのなら、とっとと出せ!」

「……嫌だなあ。もう少し頭を使って下さいよ、紅珠さん。もしも僕が麗華さんを浚ったとしたら、のこのこ貴方の前に姿を現すようなことはしませんよ」

「…………それは」

「大体、貴方は僕のことを仙人だって信じてないのでしょう? 非力な男一人で、女子供とはいえ二人同時に拉致することは大変なことです。それに、もしも麗華さんが旦那さんと喧嘩して自発的に家出を企てたとしても、僕より良い相手なんていくらでもいるじゃないですか?」

「…………ぐ」


 腹立たしいことだが、言われてみれば、そうかもしれない。


「それじゃあ、姉さんは一体何処に……?」


 その答えは、しかし宗林からではなく、その背後に立つ英清から発せられた。


「だから、捜してるんじゃないか! 分かんねえのかよ。いくら紅珠叔母さんが暴れたところで、俺は母様が見つかるまで、絶対にあんな屋敷になんか帰らないからな」

「はっ?」


 いきなり怒鳴りつけられ、思わず紅珠は目を丸くした。

 英清は、胸を反らしてこちらを睨んでいる。初めて、紅珠はその容貌を直視した。

 鼻筋は通っていて、唇は厚く、黒い瞳はぱっちりと大きい。はっきりした顔立ちをしている。浅黒い肌は、健康的で利発っぽかった。

 …………何となく姉には似ていないように感じる。義兄に似たのだろうか? 

 しかし、一度しか会ったことのない義兄の顔を、紅珠はあまり覚えていなかった。


「私のことを覚えているのか? 英清?」

「この話の流れでそれを言う? 赤ん坊のときに一度しか会ったことがないらしいから、まったく覚えてはいないけれど。あんたは俺の叔母さんだろ? 科挙に連続で落ち続けている。元御殿吏で乱暴者の紅珠叔母さんだって」


(…………ああ) 


 時の流れとは、かくも無情なものだ。

 最後に顔を見たときには、泣くことしか出来なかった甥が、こうまで生意気な口を叩けるほどに成長していたなんて……。


「へえ。貴方、御殿吏ごてんりだったんですね……」 

「何だ。それは英清から、聞いていなかったようだな?」 

「ええ。紅珠叔母さんは口下手が禍いして、手が出るようになってしまったとしか、貴方のことは聞いてないです」

「余計なことを……」

「御殿吏って、母様から聞いたことあったけれど、女の暴れ者のことを言うんだろう?」

「……まあ、英清が生まれた頃には、後宮自体が崩壊してしまっているから知らないのも無理はないんだろうけどな……」


 紅珠は現実の痛さに、唇をかみしめた。

 十年前、皇帝が変わり、後宮が解体されて、御殿吏という官職は消滅してしまった。

 栄清が知らないのは仕方ないが、紅珠にとっては過去の栄光。唯一まともに就いた仕事だった。


「……あのな、英清。今はもうないけれど、御殿吏だって一時期はそこそこ知名度のある仕事だったんだ。あまり、御殿吏のことを悪し様に言うなよな」

「難しくてよく分からないけど、まあ、確かに荒くれでもうちの親父に比べたらマシだな」

「親父って、義兄上のことか」

「上なんて、つける必要ないさ。あいつは、ただのへたれ親父だ。あんな腰抜け親父のいる家なんか、なくなっちゃえばいいんだ」

「腰抜けだって……?」


 意味が分からずにいる紅珠に対し、宋林が得意げに口を挟んだ。


「まあまあ。紅珠さん。麗華さん、貴方のお姉さんが連れ去られたのは事実なのです。僕は偶然、その場に居合わせて、英清君を保護したんですよ」

「どうして、そんな大切なことを今まで黙ってたんだ?」

「うーん、色々と、僕にも思惑がありましてね」


 何も考えていなかったに違いない。

 そんな気がする。


「それで? どうして義兄上が腰抜けなんだ。宋林?」


 宋林は背後の英清に目配せした。

 そっぽを向いた英清の姿を微笑ましげに見届けてから、紅珠に顔を近づけ小声で言った。


「英清君は麗華さんの行方を捜して欲しいと、お父上に頼んだんですよ。でも、拒否されたみたいでしてね。まあ、あの時は、皇帝陛下がご危篤で、役人も貴族も、みんな混乱していましたから、仕方なかったのかもしれませんが」

「でもっ!」


 英清が声を張り上げた。ちゃんと聞こえていたらしい。


「母様が大変な目に遭っているのかもしれないのに、親父は家から一歩も出ないんだぞ。家にぞろぞろ人を呼ぶだけで、引き籠ってる。親父にとっては、皇帝の方が母様より大事なんだ」

「…………英清」

「母を慕う、子供の気持ち。胸に染みますねえ。どうでしょう。紅珠さんも、麗華さんを捜す会に参加されますか? 今なら僕の貴方に対する類稀なる愛情がついてきます」

「そんな気色の悪い愛情はいらない。ともかくだ。一度義兄上の所に帰るぞ。英清」

「絶対に嫌だ!」


 英清は体を小さくし、全身でもって紅珠の申し出を拒否している。


(これが、子供が駄々をこねるというやつか……)


 子どもと話す経験なんてほぼ皆無の紅珠は、どう説得していいか分からなかった。


「よし、英清。叔母さんと一緒に家まで帰ってくれたら、お菓子を買ってあげよう」

「子供だと思って、なめてんだろ!」


 ……失敗だったようだ。

 自分の不器用さに心が痛くなる。


「英清……。お前の言うことを信用するためにも、一度屋敷に戻らなくてはならないだろう? もしかしたら、姉さんも入れ違いで戻っているかもしれないし……」

「そんなの、絶対に有り得ない!」

「いい加減にしろ、英清!」


 焦れた紅珠は、英清の小さな手を掴むと強引に引き寄せた。

 だが、英清も素直に従わない。

 傍らの宋林に目を遣ると、涼しい顔で二人の姿を眺めていた。

 その表情からは彼の意図が読めず、それがまた紅珠の心をざわつかせた。


 もっとも、三十三年間、一度も正式に結婚を申し込まれたこともない紅珠に、求婚してくるような変人だ。

 この男の考えなど誰にだって分かるはずもないのだろうが……。

 とっととこの場を離れるべきだと、更に力を込めて英清を引き摺っていこうとした。

 ――が。


「うわっ!」


 突然の英清の悲鳴で、紅珠は我に返った。

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