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仙遊伝  作者: 森戸玲有
一章
5/36

 ――そうして。

 紅珠は恵祝に支払いを任せると、その足で奉海山ほうかいさんへと向かった。

 恵祝は義兄に知らせてくると屋敷に戻ったようだ。

 紅珠にとっても、そのほうが都合も良かった。

 老人を連れながらの登山では、どうしてもゆっくりになってしまう。


 紅珠は一気に登り、速やかに片をつけてしまうつもりでいた。

 奉界山は、都の後ろに位置する小山である。

 遠目では都を覆う石壁に隠れてしまうほど、標高は低い。


 昔は皇帝陛下の狩り場として使われていたので、道は整えられており、古いながらも標識があるので、迷うことはない。御殿吏時代は、ここで教練を受けたこともあった。


 こんな取り立てて見るものもない山に、皇帝の喪中に登ろうというのは紅珠くらいのものだろう。

 一体自分は都まで来て、何をしているのか……。

 雑念に囚われそうになる心を叱咤し、中腹を目指して山道を真っ直ぐ進んでいく。

 太陽が中天を過ぎた頃、上り続けだった坂の向こうに、萱葺き屋根の粗末な庵が見えた。


「あれか……!」


 頭に道士の顔を浮かべると、不意に力が湧いてくる。

 もちろん、その原動力は怒りであった。

 力を奮いたたせた紅珠は、遮二無二に走った。


(あの胡散臭い道士を捕まえて、一発ぶん殴って、誘拐犯として捕吏に突き出してやる)


 紅珠は庵を叩き壊す勢いで、暖簾を割る。

 ――が、そこには誰もいなかった。


「何処だ。道士!!」


 叫びながら、茣蓙ござが二枚敷かれているだけの庵の中をぐるりと回った。


(まさか、逃げられたのか……?)


 嫌な現実を想像しながら、紅珠は外に出て、周囲をもう一度見渡した。

 そうだ。

 そもそも、本当に男が奉界山にいるのか、そこから疑うべきだった。

 はたして、食い逃げした店の女に素直に居場所を告げる愚か者がいるのか。


「大馬鹿者だ。私は!!」


 だが、紅珠は男の言葉を疑いもせず来てしまった。

 脳内に、家族の嘲笑がこだまする。

 これは、もう、お人好しどころの騒ぎではない。


「……大丈夫ですか。貴方?」


 はっとすると、紅珠のすぐ横に、あの胡散臭い男がいた。


(いつの間に!?)


 男の傍らには猫ではなく、さっぱりした格好の少年が立ち、紅珠を静かに見つめていた。


(この子が私の甥、英清か?)


 それ以外、考えられない。

 八年ぶりの再会だが、赤ん坊であった少年は覚えてなどいないだろう。

 しかし、あんな小さな生物がよくここまで大きくなったものだ。

 咄嗟に声をかけようと思った紅珠だったが、どうにも気の利いた台詞が思いつかない。


 とりあえず無理やり柔和な笑顔を作ろうとする。

 ……が、駄目だった。

 自分の滑稽な表情を想像し、気が重くなった。

 紅珠の苛立ちは、自然と勝手なことをしてくれた道士に向かった。


「あんた、どうしてこんなことをしたんだ?」

「どうしてって。……ただ、僕は貴方と気兼ねなく、話をしたかっただけなんですが」

「何だと?」


 馬鹿にしているのかとぶん殴りたい衝動にかられたが、甥の目もある。

 紅珠は拳を震わせつつ、何とか堪えた。

 けれど、口調が剣呑なものになるのは抑えきれなかった。


「ふざけるな。こんな山奥まで逃げこんでおいて、私と話したかっただと?」

「逃げたつもりはないですよ。ただ、あれ以上人目につくところにいると面倒だったので……」

「こんな人気のない所に誘導するなど……身の危険を感じざるを得ないだろうが?」

「そんなことないでしょう? むしろ今は、僕の方が身の危険を感じているところですよ」

「私は武器など持っていないぞ」 

「しかし、殺気は感じます」


 びくっと、小さな甥の肩が震える。

 怖がらせるつもりはなかったが、仕方がない。

 これくらい威圧しなければ、この飄々とした道士には言葉が通じないのだから……。


「ともかく、あんたと話すことはもう何もない。とっとと英清と姉さんを返してもらうぞ」

「僕が「嫌だ」……と言ったら、どうします?」

「残念だが、あんたに選択肢はないんだ」


 言うや否や、紅珠は地面に落ちていた小枝を手に取ると、男の腕をしたたかに叩いた。


「……うわっ!」


 小枝の先端が割れ、男は大げさに尻餅をついた。

 即席で拾った枝だったが、思ったよりも役に立ってくれたらしい。

 紅珠は、男の鼻先に折れた枝の先を突きつけた。


「この枝で目を突けば、あんた、失明だぞ。いいから、早く英清を返せ」

「ほう。……やっぱり、貴方お強いじゃないですか?」


 男は窮地にあるという事実など気にも留めていないような、暢気な口調で応えた。


「英清君から聞いた話より、はるかに腕が立つ。まだ実力は見切れませんが、一安心しました」

「聞いた? 何をだ?」


 紅珠が小枝を更に突き出そうとすると、横から聞き覚えのない、甲高い声が飛んできた。


「それぐらいにしてあげなよ。どうせその人死なないんだから」

「へっ?」


 ――その声は、紅珠の甥・英清のものだった。


「えっと……」


 初めて聞く甥の声。

 不思議な感動が紅珠の胸に広がったが、しかし問題はそこではなかった。


(今、英清は何と言った……?)


 …………と、紅珠の注意が逸れたその瞬間。

 男は枝を掴む紅珠の手を包み込むように握ってきた。


「わっ!?」


 想定外の男の行動に、紅珠は面食らった。

 咄嗟に手を振りほどこうとするが、優しげな感触にもかかわらず、紅珠の手は全く動かなかった。

 思わず息を呑んだ紅珠に追い討ちをかけたのは、あまりに唐突な男の、とんでもない台詞だった。


「――――とりあえず、貴方。僕の嫁になりません?」


 幻聴か? 

 紅珠が停止したのを見知った男は、もう一度言葉をぶつけてきた。


「嫁です」

「よめ?」


 傾き始めた太陽を仰ぎ、鳥の声をたっぷり聞いたあとで、紅珠は再び男と向き合った。

 仮面のような笑顔が相変わらず、男を胡散臭く演出している。


「ええっと。嫁というのは、一生を添い遂げる伴侶のことを指しまして……ですね」

「よく知っている」

「そうでしょうね。望まぬ縁談で困っている貴方には、聞き飽きた言葉でしょう」

「お前、私をからかっているのか?」

「からかう? からかわれてくれるほどの余裕は貴方にはないでしょう。今、僕は貴方からめちゃくちゃ殺気を感じていますからね」

「とりあえず、殺してやろうかと……」

「そんな死に急がなくても、いずれ人間は死にますからね。まずは、二人で幸せになりましょうよ」

「……ああ、そうだな。一人で幸せになるのは自由だ」


(何なんだ。こいつ!?)


 くやしい。

 あんな話するんじゃなかった。

 絶対、紅珠を馬鹿にしているのだ。

 今度こそ本気で殴ってやろうと、掴まれたままの拳に力を込めた。だが、全く動かせない。

 この男の細腕に、紅珠に対抗するほどの力があるとは到底思えないのに……。


「信じてもらうないでしょうけど、思いつきときいえ、僕は本気ですからね」

「思いつきで本気を主張する奴がどこにいるんだ。お前の目的は一体何なんだ? いい加減白状したらどうだ?」

「目的も何も、ただ貴方に求婚しているだけなのに、どうして、とりあえず頷いてくれないんですかね?」

「普通に考えて、承諾できるはずがないだろう?」

「介護結婚より、良いじゃないですか?」

「痛いところを突くな!」


 そう。まるで意味が分からない。

 結婚に至るまでの経緯やら感情やら、当人たちにとって肝心であるべきはずのものが壊滅的に存在していない。


 ――そもそも。


「…………て、ところで、あんたの名前は何なんだ?」


 生まれて、三十三年。

 初めて自分に求婚を申し込んできた男の名を、紅珠は知りもしなかった。

 男は紅珠から目を逸らして、独り言のように呻く。


「ああ。そうですよね。僕の個人情報。そういえば……結婚するには戸籍が必要なんですよね。僕の戸籍って何処にあるんだろう?」

「…………はっ?」


 言葉が通じていないのか、名乗る気がないのか。


「さあな。私の知らない土地で勝手に探してくれ。私はあんたと結婚する気はないんだ」

「ほう。愛人で良いと? 謙虚ですね」

「……そろそろ、本気であんたを葬り去りたいんだが……」

「分かりました。じゃあ、名前だけでよろしいのなら……。僕、宋林そうりんと言います」


 もったいぶっていたのが嘘のような、まともな名前だった。

 もっと、とんでもない名前だと疑っていた紅珠は、肩透かしを食らった感じだ。


「宋林……って、……姓は? 普通は姓から名乗るものじゃないのか」


 耀国では通常名前は姓一文字、名二文字である。

 そして、親しくない間柄で名を呼び捨てにすることは、成人男子に対して無礼にあたるというのが常識だ。

 ――常識なのだが。


「そういうものなんですか。弱ったな」


 宋林は、心底困りはてたような顔で首を傾げた。


「知られると、まずい姓だとでもいうのか?」

「いや。そういうわけじゃないんですけどね。もう忘れちゃったんですよね」

「――そうか。それは大変だな。手の施しようがない」


 紅珠は無表情なまま頷いた。

 この男の頭の中が壊れていることは疑いようがない。


「だから! その兄ちゃんは仙人なんだって」


 英清が膨れ面で間に入ってきた。

 不思議なことに英清は、宋林に対してだけではなく、なぜか紅珠に対しても呆れているようだった。


「仙人……?」


 この男が?

 胡散臭いこと間違いはないが、へらへらした程度の低い優男にしか見えない。

 しかし、宋林は英清の言葉を受け取るように、ぽつりと呟いたのだった。 


「あ、そうなんですよねえ。本当、すいません。僕、貴方のお隣のお爺さんよりも年上みたいですけど。……やっぱり、年上駄目ですかね?」


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