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仙遊伝  作者: 森戸玲有
四章
32/36

「な、な、何?」

「ああ。そうだ。こっちを忘れてた」


 宋林は紅珠ではなく、芳全と向き合った。


「もう少し黙っていてくれないんですか。えーっと、名前なんて言いましたっけ?」

「―――殺す」

「あははは。随分と、変わった人ですねえ」


 ――あんたに言われたくないだろう。


 宋林は屈託なく笑っている。

 これ以上、神経を逆撫ですることはやめて欲しかった。


「……でも、僕だって結構前から貴方のことは知っていたんですよ。今回は白涼が病に倒れてから、紫英殿の屋敷には頻繁に出入りしていましたからね。恵祝殿と道士が連絡を取っていることくらい分かっていましたよ。貴方が契約を条件に身動きが取れないことも、分かっていました。手筋を見れば相手のことは分かりますから。それを逆手にとって、僕の情報だけ流さないようにすることくらいは、容易いことでもあります」

「じゃあ、貴方は私のことを覚えて……」

「面倒なことは嫌いなので、忘れたいことは忘れたふりをして何処までも逃げます。でも、未来の妻の頑張りを目の当たりにして、逃げるような真似はしたくありませんからね」

「未来の妻って誰のことだ?」 

「……そんな。やっぱり、こんな女と本気で結婚するつもりなんですね?」


 芳全が愕然としている。

 がっかりするところが違うだろう。


「貴方、僕に弟子入りしたいんですよね。何度も追いかけて来てくれたこと、覚えてますよ。……なので、ちゃんと報いてあげようと思って、昨夜から仙籍帳の書き換えに行ってたんです」

仙籍帳せんせきちょうって、あんたが言っていた仙人の戸籍のことか?」

「……はい。師が弟子を昇仙させる時に必要なものです。そんなわけで、貴方は僕の弟子と、立派な仙人となったわけです。おめでとうございます。夢の昇仙ですよ。そして、仙人同士の争いは、お咎めなしです。さあ、楽しくなってきました」

「ふざけるな!」


 芳全の怒声と共に、暁虎が宋林に向かって火を噴いた。

 ……容赦ない火力だ。


「宋林。芳全が暁虎を……」

「いえ。これはただの暁虎の私怨です」


 ……そうなのか。

 暁虎に袖を燃やされた宋林は、懐から符を取り出すと暁虎に目掛けて放った。


「今、お前の相手をしている余裕はないんで、少し大人しくして下さい」


 だが、容赦なく紅珠の剣が宋林に向かう。

 珍しく紅珠の攻撃をかわした宋林は唇を尖らせた。


「いつものキレがないですよ。紅珠さん」

「あのな。私がやってるんじゃないんだ。仙人なら、私についている符をどうにかしてくれよ」

「いやあ。でも符で操られながらも、これだけ口が回るということは、紅珠さん。やっぱり、貴方には仙人になる才能があるんじゃないでしょうかね」

「そんなものはいらない」 

「じゃあ、仙人の妻という特権が」

「だから、そんなものいらないと何遍言ったら……!」

「まんざらでもないくせに……」


 ――えっ? 


 一瞬、心が揺らいだ。

 そこを見逃さなかったのだろう。

 宋林は素早く紅珠を引き寄せた。

 意外に逞しい腕だ。

 離せない。

 顔が間近に近づいてくる。


「おい、待て。やめろ」


 首筋に宋林の手が触れた。

 冷たい感触に身を震わせると、耳朶に唇が当たって囁かれた。


「……あ。とれた」

「はっ?」 


 …………おそらく、今までで一番、紅珠にとって、恥ずかしい瞬間だった。

 気が付けば、紅珠は素のままで、宋林を叩きつけていた。

 彼は、襟元の符を取ってくれただけなのだ。


「いや……すまない。つい……その」


 宋林は、白目をむきながら親指を立てた。


「今のはいい感じです」


 ……それなら、よかった。

 芳全は紅珠を操っているどころではなかったのだろう。

 乱れた髪を、更にかきむしっていた。


「――う、嘘だ。本人の同意なしに、仙人なんかになれるわけがないだろう?」

「ええっと」


 宋林は首を回しながら、よろよろと立ち上がった。


「でも、貴方のその力は、僕の力の残滓です。貴方が子供の時に調子に乗って、仙界にまで足を伸ばして遊んでしまったばかりに、僕の力が貴方の体に影響を及ぼしてしまったのでしょうと。……そう言ったら、上の人も貴方のことを認めてくれました」

「えげつないぞ。宋林!」

「そうだ。宋林殿!」


 対峙する二人の無言の戦いに水を差すかの如く、興公のだみ声が響いた。


「私と取り引きをしよう。何が良い? その女との結婚か? それとも、金か? 私のできることなら、何でもする。だから……」

「兄様!」


 青后がどんと壁を叩いた。

 いつの間にか、手と足の拘束を解いてしまっている。

 やはり、やればできるんじゃないか……。


「私だって覚悟をして、こちらに来たんです」

「馬鹿な。そなたとて、まだ后でいたいだろう? そなたが痛いほど皇帝陛下を慕っていたことを私はよく知っている。この仙人さえ頷けば、それが可能なのだぞ?」

「私は貴方に引導を渡しにきたのです。それとも、私が白涼の浮気に悋気を起こして麗華を追い出したとお思いか? 兄様。残念ながら、私にはそのような気持ちは存在してないのです」

「違うのか? だから、そなたは麗華という女を攫ったのでは……?」

「お后様! 姉さんは!」

「ええ。彼女は、私より元気にしていますよ」


 青后が艶やかな微笑をすると、英清も聞いていたのだろう。

 複雑な顔で唇を噛み占めていた。


「私には嫉妬という感情はありません。そして、悲しみの感情も人間より劣っている。だけど、愛情だけは分かったような気がします。それは……とても嬉しい」

「……いいんですか。青嵐?」


 宋林が珍しく真面目な視線を青后に向けた。

 紅珠も、そして英清も二人を見比べ、戸惑った。


(……何が?)


 青后は寂しげに微笑を浮かべると、何度かうなずき、隣で呆然としている興公を見つめた。


「兄様。私も……、貴方も、もうおしまいです」

「契約は陛下の死後七日間だ。まだ、終わっていない。あと一日、あるではないか?」

「たかが一日で何をなさるおつもりですか。黄達と麗華は、興州に赴き貴方の領地を検分しています。貴方がきちんと領地を治めていれば別ですが、最近は周囲にばらまくお金に追われていて、苛政に傾いていたようですね。その証拠が揃えばどうなることか」

「待ってくれ。私は……!」


 興公が后にすがりつくようにして裾を掴んだ。


「秦紹も、芳全もつくづく未練がましいですねえ」


 宋林は懐に手を入れて、紙切れを取り出した。


「宋林……それは。」


 間違いない。

 紫英が持ってきた神仙文字の書かれたものだった。


「一、政治に口出ししないこと。

 二、白涼、秦紹、黄達以外に正体を知られてはいけないこと

 三、能力は最小限しか使ってはいけないこと

 四、伴侶の死の七日後までは、召喚者・宋林と会ってはいけないこと

 五、伴侶の死の七日後に、本性となり、召喚者・宋林のもとにかえること

 ――以下のことを遵守できなかった場合、本性に戻し、二度と人には変化できないものとする。……これがこの屋敷で紫英殿が命懸けで、もぎとってきた神仙文字の内容です。僕は二十年前、青嵐を白涼と秦紹に人として託した。これは契約書です。貴方には読めないでしょう。芳全?」

「馬鹿にするな!」 


 宋林は得意げに、紙切れを広げてみせた。これは芳全に対しての嫌がらせに決まっている。


「くそっ!」


 芳全が懐から取り出した数枚の符を投げ飛ばした。

 しかし、宋林に辿り着く前に、符は自然に燃えて塵となった。

 宋林は人の悪い笑みと共に契約書をびりびり破いて、周囲にばらまいた。


「宋林殿。貴方は一体何ということをしているんだっ!?」

「何をしているんだとは、僕の台詞ですよ。秦紹。神獣の契約書は貴方の引き出しの中でぐちゃぐちゃになっていたそうですね。元々簡単に捨てることも、焼いてしまうことも出来ないものですが、こんなふうに、ぞんざいに扱うなんて、契約不履行にされても仕方ないですよね」


 宋林は、にべもなく言い放った。


「言いがかりだ」

「神仙文字を読もうとせず、ここに書かれた内容を問わなかった貴方が迂闊だったのです。黄達は薄々気づいていましたよ。どちらにしても、青嵐は明日には僕のもとに還る予定だった」

「……還るって? 宋林」

「紅珠さん。人間の時間は無限ではない。貴方の言葉に僕も反省しましたよ」

「えっ?」

「僕の召喚した神獣は二匹いる。一匹は紅の虎で、二匹目は龍」

「…………」 


 芳全がたじろぎ、興公はうなだれた。

 紅珠は英清と視線を見合わせ、英清が后を指差した。

 青后が蒼く発光する。


「芳全。貴方は今回とんでもないことを犯した。……ということで、師匠として制裁を加えなければなりません。長いお芝居もここでおしまいにしましょう。一日早いけど、青嵐せいらん。やっちゃって下さい」


 ――青嵐。

 ――神獣。

 そうか……。


「…………龍?」


 紅珠の頭の中で、あらゆる単語が乱れ、ぷつりと途絶えた。


 一番肝心なところで、紅珠は気絶したのである。

 しかも、よりにもよって、宋林の腕の中などに落ちてしまったのだ。

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