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仙遊伝  作者: 森戸玲有
一章
2/36

 

 手紙は姉からではなく、姉の嫁ぎ先の家宰からだった。

 どうやら姉と甥が失踪したらしい。二人の行方を知らないか。もしも実家に戻っているようだったら一報欲しいと、そんなことが書かれていた。


 ――放っておこう。

 それは、家族の総意だった。


 何しろ、手紙には、いつ姉が行方をくらましたのか、原因は何なのか、一切書かれていなかったのだ。


 ――どうせ、喧嘩でもしたのだろう。


 父は、姉は実家には戻っていない旨を書いた短い手紙を、家宰宛にしたためた。

 そう、それで万事終わりのはずだったのだ。

 家族にとっても、紅珠にとっても。いつもであれば……。

 だが、この時ばかりは、紅珠の事情が変わっていた。

 どうせ家にいても、ろくなことがない。

 紅珠の蓄えはほぼ底を尽き、だが税金の支払い期日は刻一刻と迫っている。

 自宅にいたら、明日にでも暇な徴税人がやって来るはずだ。そして家族は今度こそ、紅珠を「張さん」に押し付ける違いない。

 家族の目を見ればわかる。


 彼らは、やる気だ。


(……そうなる前に、姉さんの所に行こう)


 紅珠は、なかば発作的に今しかないと覚悟を決めた。

 姉が心配で仕方ないと寒々しい台詞を並べた紅珠は、最低限の持ち物だけを引っ掴むと、止められるよりも先に家を飛び出した。


 自宅のある苓領れいりょう威彩州いさいしゅうから、姉の暮らしている香陽こうようまでは、南の方角に二十日程度の道のりだ。


 苓領は都の隣に位置している。威彩州は商業都市として名を馳せており、都までは大道が敷かれていた。宿泊施設も整備されており、大道沿いには多くの店が立ち並んでいるため、決して治安も悪くはない。かつて都に住んでいたこともある紅珠にとっては、慣れた道程だった。天候にも恵まれたせいか、紅珠が実家を飛び出してから二十日も経たないうちに巨大な石壁が見えてきた。


 この壁の向こうが耀国の都、香陽だ。


 背後には天然の防壁として名高い坤礼こんれい山脈の稜線が薄っすらと姿を覗かせている。見るものを圧倒するような雄大な光景は香陽の名物でもあり、紅珠が住んでいた当時のまま変わっていなかった。


 壁の頂には、所狭しと白地の三角旗がはためいており、それが真っ青な空に映えていた。旗には青い文字で、「龍」と鮮やかに記されている。


 ――白涼帝の旗印だ。


 耀国の主要な都市の城門には、この旗が掲げられている。都の香陽が他と違うのは、文字だけではなく、龍の絵が描かれた大きな旗が掲揚されている点だ。


(とうとう、着いてしまったのか……)


 だが、紅珠の心の裡には到着した達成感ではなく、むしろ残念に思う気持ちの方が強かった。

 一人旅はいい。もちろん身の危険には注意が必要だが、誰からも何からも束縛されることはない。できれば、このまま都を越えて、漂い続けたいくらいだ。

 けれども、一方で紅珠は野宿が嫌いだった。できれば宿に泊まって、のんびりと寛ぎたい。そんな贅沢な旅をするためには金が必要なのだ。


(やはり、金か……)


 香陽は国内で一番の都会なのだから、短期間でがっぽり稼げる楽な仕事もあるのではないか。

 そんな現金な考えを巡らせつつ、紅珠は石壁を切り抜いて作られた入口、大門の前に立った。

 ここに駐留している衛兵は、旅人に旅の目的を問い、そこに不審な点がないかを調べるのが仕事だ。

 紅珠の場合は姉の素性がはっきりしているので、これまでの経験からも問題なく通してもらえるはずだった。


 ――が。意外にも、時間がかかった。


 しばらく来ないうちに、大門の通過基準が厳しくなったのか。だが、そんなことになっていたら、商売をしている実家のもとに情報の一つも入ってくるはずだった。


 半ば取り調べのように訊かれるうち、紅珠は自らの過去の経歴まで話す羽目となった。


「ほう。御殿吏ごてんりをしていたのか?」 

「昔の話です」


 まだ都に住んでいた頃、紅珠は『御殿吏』と呼ばれる後宮の衛兵をしていた。

 男子禁制の後宮の衛兵は、女でなければならない。全国から腕の立つ女が集められた。

 紅珠は後宮で女官をしていた姉の推薦で職を得たのだが、その性質上縁故だけでは登用されることのない職なので、一応は実力も認められたのだと当時は周囲も褒めてくれた。


「陛下に、恨みを抱いているわけではあるまいな」

「はっ?」


 紅珠は一瞬、敬語も忘れて、声を荒げた。


「そりゃあ、皇帝陛下は即位後すぐに後宮自体を解体してしまったけど、そんな十年も前のことを気にしてどうするんだ?」

「ふむ」


 役人は、紅珠の不機嫌をも見越したような態度で頷いた。


「まあ、そうだろうな。行ってよし」


 振り上げた拳を何処に持っていったらいいのか、そんな気持ちで戸惑っているうちに、紅珠は大門の通過を許可された。

 一体何があったのかと、去り際に紅珠は役人に問いかけたのだが、全く耳に入っていないような態度で無視された。

 不可解で後味が悪い。

 絶対、何かあったのだ。


 ――そして、その疑問は、都の香陽に足を踏み入れた途端に確信へと変わったのだった。


 あちらこちらで、白と黒の布がはためいていた。

 白と黒の布は弔意を表す時に軒先に掲げるものだが、ここまで大々的だと、よほどの権力者とみるべきだ。紅珠の質問に口を閉ざしていたのは、高貴な人の死をぺらぺらと喋ることを不敬ととらえたためだ。店先には黒い暖簾がかかり、たまに見かける都の人たちは、皆、地味な着物を纏っていた。旅装の紅珠の方が派手に見えてしまう。


 白壁で統一された美しい街並みを鑑賞するには都合良く視界が開けているものの、歩くたびに巻き起こる土煙を見ると物寂しい感情が湧き上がってくる。


(誰が死んだんだろう?) 


 皇帝の側近、もしくは后……か。

 道行く人に訊きたい衝動にかられたが、うつむき加減で足早に歩いている人を呼び止めて強引に聞き出すのも気が引けた。


(とりあえず、義兄様の屋敷に行こう……)


 姉がいなくなったということだが、少なくとも義兄に会えば誰が亡くなったのかくらいは明らかになるだろう。それに、実家に手紙が届いてからもう二十日近くが経っている。

 ひょっとしたら、姉はもう屋敷に帰ってきているかもしれない。

 そんなふうに考えていた紅珠だったが、思いもよらないところから解答が飛んできた。


「とってもね、お偉い方が亡くなられたんですよ」


 まだ若い、だがいかにも怪しげな男だった。

 閉まった緑の門の飯屋の前に、朽ちて割れた四角い卓。

 その男は、卓の上に片手で頬杖をつき、暑くもないのに白い大きな扇子を広げていた。


(道士か……)


 一瞥してすぐに察した。

 男のひらひらした格好も、緩く一つに束ねただけの長髪も、巷で流行していた道士そのものだ。


 ――道士とは、道行く者に占いをしたり、おかしなものを売りつけたりして生計を立てている者のことを言う。


 金もないのにややこしいのを相手にしている暇は、紅珠にはなかった。 

 だが、先ほどの解答の続きだけは、どうしても知りたかった。


「一体、誰が亡くなったんだ?」

「皇帝陛下です」

「はあっ!?」


 大声を上げてから、紅珠は周囲を見渡し、人がいないことを確認した。


「白涼帝のことか?」

「他に誰がいるんですか?」


 ……それもそうだ。


「もしもそれが嘘だったら、あんたの首なんて軽く吹っ飛ぶぞ」

「嫌だな。本当ですよ。触れが出たのが昨夜でしてね。まあ、ここまでお達しがきたのが夜だから、実際はもっと前に亡くなっていたのかな。じっくりと弔旗を観察すれば、容易にわかりますよ。龍の絵が描かれる弔旗は皇帝陛下以外には使われないですから」

「……そんな」


(大変なことになった……)


 人間というのは自分の手に余ることに遭遇したとき、思考も記憶も何もかもすっ飛ぶらしい。


 皇帝、白涼はくりょうの改革は、未だ半ばの状態だ。

 皇位継承を巡り白涼は兄と争うも、一度は敗れて逃走した。

 だが、それから二十年以上の時を経て、兄帝が油断したところを見計らって再び挙兵し、皇帝の位を奪った。


 それも、たった十年前のことだ。


「ようやく、まともになってきたのになあ……」

「先の皇帝陛下、白涼帝の兄上の政治は最悪でしたものねえ」


 淡々と男は呟くが、あの時代、御殿吏として、王宮で働いていた紅珠にとっては、胸が痛む思いがあった。

 上層部を諌めることが出来なかったことを今も悔やんではいる。

 あんな世の中に逆戻りをさせてはならないという思いは、紅珠の心底にもあった。

 ――とはいえ、なけなしの良心をふりかざしてみたところで、市井の女一人でどうにかできるものでもない。

 ましてや、科挙七年連続落ちの実績まであるのだ。


「陛下には後継がいないからな。かといって、先の皇帝陛下の血縁に頼るのも癪だろうし」

「では、まさかお后様が即位するのでしょうかね?」

「いや、そう単純にはいかないだろう」


 紅珠は自らの知識を必死に掘り起こしてみた。

 后の背後には白涼帝の擁立に動いた有力な地方豪族のばん氏がいるが、その蕃氏を野蛮だと敬遠する派閥もいると聞いている。その対立に火がつけば面倒なことになる。もしかしたら、都が再び戦場になるかもしれない。


(これから、どうなってしまうんだろうな?)


 税金から逃れるため家から飛び出してきたくせに、つい真面目にそんなことを考えてしまい、紅珠は頭を横に振った。


 ――それどころじゃないのだ。


 皇帝が死んだところで、税制度が直ちに変わるわけではないのだ。


「事情は分かった。じゃあ私は……」


 これで……と去ろうとした紅珠を、しかしその道士風の男は呼び止めた。


「見たところ一人のようですね。女の一人旅なんて少々物騒じゃないですか?」

「近くのむらから、所用で来ただけだ」


 男の胡散臭さに、紅珠は咄嗟に素性を隠したのだが……


「何故、嘘をつくんですか? 貴方は威彩州から来た人でしょう」

「なっ?」


 こうも簡単に見破られたのは予想外だった。


「どうして、分かったんだ?」

「ふふふふ」


 扇子を懐に捻じ込むと、男は薄気味悪い笑みを浮かべ、壊れた卓ごと往来に乗り出してきた。

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