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仙遊伝  作者: 森戸玲有
三章
19/36

「紅珠様!」


 短い間に知り合いとなった女中が廊下をかけて、こちらにやって来る。

 なぜか、女中からは「様」をつけられている紅珠だったが、今はやめて欲しいと止めている暇はなかった。英清と隆貴が紅珠の隣を大股で歩く。


「あの、使者の方が紅珠様を指名されていて……」

「使者? 誰のだ……?」

「…………興公です」


 女中の言葉に、その場の全員が絶句した。


「さすがに、俺が行くのはまずいな?」

「隆貴殿が出たら争いになりかねない。出来れば、ここにいる連中にも覗き見を避けて欲しい」


 相手が何者か分からない以上、本来、この家にいてはいけない人々には、隠れてもらう必要があった。

 そうでないと、下手な火の粉を浴びかねない。


「分かった。他の連中にも伝えておこう」


 隆貴は素直に従い、紅珠とは逆方向に走り出した。

 英清に引きずられるように、玄関の前まで行くと、人気がまったくなかった。

 下働きの者にも、興公との対立は知れ渡っている。

 誰も寄り付きたくなかったのだろう。


「私は興公の使いで参りましたせき 芳全ほうぜんと申します。突然の来訪をお許し下さいませ」


 大門から入ってすぐの格子造りの玄関の前で、小柄な男が拱手していた。


(もしや、囲まれている?) 


 一瞬、篭城戦を覚悟するべきかと、身構えた紅珠だったが、芳全と名乗る単身痩躯の男と、もう一人の従者以外、人の気配がしないことをすぐに察知した。


(……芳全。こいつ、道士か?)


 その格好は道抱の色こそ黒と白とで違うものの、宋林とほぼ同じ格好だった。


「私をご指名とお伺いしましたが?」

「ああ。貴方が紅珠殿でいらっしゃいますか?」


 道士の間で流行っている黒の組紐で作られた頭巾を気にしながら、顔を上げた芳全は、口の端を歪めた。

 隙のある感じを醸し出そうとしているようだが、瞳が爛々としている。


「貴方のことを聞いて、私は是非お会いしたいと思っていたのです。齢三十を越えて、女らしさから脱皮し、益々勇ましくなられているとのこと。素晴らしい御方だと思っておりました」

「はい?」


 紅珠の背中に鳥肌が立った。


「その痛々しい風評は、一体、誰からの言葉なのでしょうか?」


 おそるおそる、一歩踏み出す。

 芳全は、格好に気を配っているようだが、武器らしいものは持っていないので、多分大丈夫だろう。


「もちろん。貴方の義兄君でございます」

「あー…………義兄上……ですか?」


 玄関の格子から様子を見ている英清が、ずっこけたのが分かった。


「確認したいのですが、義兄というと、私には髙 紫英しか思い浮かばないのですが?」

「ええ。紫英殿です。数日前から興公様のお屋敷にいらっしゃておりましてね」


 ここ数日で、紅珠は一気に老け込んだような気がしていた。


(よりによって、どうして敵地のど真ん中に……)


「それで? 義兄は生きているのですか?」

「何を物騒な。当然です。ぴんぴんしています」


 どうやら少し感情的になってしまったと、紅珠は自省をして駆け引きに入る。


「申し訳ない。肝心の義兄の姿が見当たらないので、言葉が過激になってしまいました」

「いえ。私の方こそ、主にはあくまで丁重にお話をするよう命じられていましたのに、申し訳ありません。実は私共も、再三自宅に戻るように、お話しているのですが、なかなか応じて頂けず、困っていたのです」

「応じない?」


 敵方に疎んじられているのに、帰らないとは、頭がどうにかしているとしか思えない。

 殺されるのを待っているようなものである。

 紅珠はすぐ側の柱によろよろと手を伸ばして、寄りかかった。


「義兄がご迷惑をおかけしています」


 他に言葉がなかった。


「主は、宝正の紫英殿には陛下の葬礼について、色々と話を聞くことが出来て、有難いと重宝されておいでですが。何分、明後日に陛下の葬礼も迫っていることですし、余裕がありません。お引取り願いたいのです。しかし、今日も酔っていらっしゃって」


 そのまま、屋敷内の何処かに埋めて下さいと言うべきか、究極の選択を迫られながら、紅珠は可愛い甥のために言葉を選んだ。


「今すぐ迎えに行きます」

「有難うございます。では、出来ましたら……」


 ここにきて、芳全の身にまとう気配が変わった。

 穏健な鎧を捨てたかのように鋭さが増す。


「こちらにいる仙人を紫英様の迎えに寄越して欲しいと、主が申しているのですが……。如何でしょうか?」

「…………はっ?」


 毎回、飽きもせず紅珠の予想を上回ることが発生するものだ。

 屋敷にいる仙人は、一人しか心当たりがない。


(やはり、皆の狙いは宋林なのか? でも、なぜアイツなんだ?)


「心当たりがあるのではないですか?」


 念押された紅珠は声にならない呻きを漏らしながら、額を押さえた。 


「すぐに呼んでまいります。しばしお待ちを」


 答えて、先ほど宋林と別れたばかりの井戸端へと向かう。

 宋林は、まだそこに佇んでいた。

 好奇心だけは強い仙人にしては、珍しいことだった。


「宋林。ご指名だぞ」

「僕が?」


 宋林はきょとんとしていた。


「隆貴殿が言っていたことが、いよいよ現実味を帯びてきたってことじゃないか。興公があんたを狙っているっていう。しかも、迎えの男は道士のようだ。仲間も来て本格的じゃないか?」

「道士……ねえ」

「石 芳全と名乗っていたぞ。心当たりはないのか?」

「さあ、知りませんね。長く生きていると名前を覚えているのは、億劫なので、興味のない人の名前は速攻忘れるようにしているんです。でも、僕が知らないのに、相手が知っているかもしれないっていうのは、薄気味悪いものですね。僕に何させるつもりなんでしょう? 嫌だなあ。仙人なんて基本的に無力な生き物なんですよ」

「友達が空気だからな。でも、長く生きた分、何か必殺技の一つくらいは持っていないのか?」

「人を傷つけたり、殺してしまったら、制裁を食らう仕組みになっているんですよ。政治に介入ししてはいけないって、規則もありましてね。他にも色々と細かったりします」 

「仙人の世界も、広いんだな」

「まあ。仙人にも色々といますからね。私利私欲を突き詰めても、仙人になれないことはないんです。人間の肉体を極限にまで高めた状態みたいなものですから。悟りきった聖人だけではない。だから、自然取り締まる側も厳しくなるわけです」

「じゃあ、捕吏みたいのが仙人の世界にもいるっていうのか?」

「直接、仙人を捕えるわけではないのですが。制裁を与える存在はいます。僕は優良仙人なので、いまだに掟を破ったことはないんですけど。掟を破った仙人は、存在ごと消滅させられてしまうでしょうね……。結構、強力です」


 言っているわりには、宋林から悲愴感がまったく感じられないが、長く生き続けたせいで、感覚が麻痺しているのかもしれない。


「でも、どの仙人が何処にいるなんて、分からないだろう?」

「『仙籍帳せんせきちょう』というのがありましてね。仙人になるとそれに登録されるんです。自力で仙人になる人より、師について仙人になる人の方が多いので、登録方法は師匠から弟子に伝授されます」

「へえ……。それはそれで、窮屈な社会だな……」


 それでも、興公の屋敷は危地だ。

 紫英を見捨てないためには、殺しても死なそうな宋林を放つのが一番良いのだが……。

 無理やり宋林を、放り込むべきか?

 しかし、宋林を何に使おうとしているのか分からない状態で、相手の思惑にはまってしまうのも、恐ろしいことだろう。


「それは、僕じゃなきゃ駄目なんですかね?」

「できたらって言ってたから、別にいいんじゃないか」


 問われて、つい正直に答えてしまった。即座に後悔したが、もう遅い。


「じゃあ、隆貴殿に行ってもらいましょうよ」


 名案とばかりに、瞳を輝かせている宋林に、けれども隆貴が鋭く突っ込んだ。


「俺は衛射だぞ。興公には顔も知れているんだ。行けば、紫英殿も俺も二人で死ぬのがオチだ」

「……では、俺が行ってやろう。体が鈍っていたところだったんだ」


 突然、離れの奥から大男が現れ、威勢よく剣を振り回した。


「いや、俺だ。興公と刺し違えて、ついでに紫英も救ってやろうじゃないか」

「いいや。絶対、俺だ。紫英め。手柄を独り占めするつもりだったとはな……」


 皆、言いたい放題で、腹黒さ満載である。


(戦争に行くんじゃないんだから……。こいつらじゃ駄目だな)


 やっぱり、腹を括るしかないようだ。

 ここにいる男達よりは、紅珠の方が強いと自負している。

 それに、身内を迎えに行くというのは、当然のことで、怪しい人選でもない。


「分かった。分かったよ。行く。私が行けばいいんだろう」

「…………へ?」


 男たちが全員唖然となった。宗林が小首を傾げる。


「あの……。紅珠さん、本気で言っているんですか?」

「とんだ、とばっちりだけどな。でも、義兄上の問題でもあるし、仕方ないだろう」

「叔母さん……」


 英清が寂しいというより、悔しそうな顔で、紅珠を見上げていた。


「本当は、俺が行くべきなんだ。だって、あれでも俺の親父なんだから」

「何言ってるんだ。お前はここにいるのが仕事だろ。下手に捕まったら、それこそお前の人生もみんなの人生も変わってしまうんだ」

「……ごめんなさい」


 やけに素直に英清が謝ってくるので、そっと頭を撫でてやった。


「絶対に、全部終わったら、お前の親父から、金をせしめて税金払うからな。それに、英清。安心しろ。…………麗華姉さんは生きているみたいだぞ」

「えっ。本当に?」

「ああ、隆貴殿から情報をもらった」


 大輪の花が開いたかのように、明るく微笑みが返ってきて、紅珠の方が照れてしまった。

 慌てて踵を返す。その袖を宗林が掴んでいた。


「……で。紅珠さん。そのような感動的な話に仕立てて、僕も同行させようという魂胆ですね?」

「いや。あんたは置いていくよ。恵祝を連れて行く」

「…………ちょっと待って下さい。いきなり、年上好きになったんですか?」

「あんたの発想はそればかりだな。ただ単に、恵祝は興公と繋がりがあるって聞いたからだよ」

「しかし」

「気にするな。あんたには、仙人の世界ってのがあるんだろう。元々戦力に数えてないんだ。私はあっちの思惑に、乗りたくない。ただそれだけだ。英清を護る手も必要だしな?」


 紅珠は、玄関の方に歩き始めていた。


「一言、怖いから傍にいてって、猫撫で声でねだってくれたら、可愛いんですけどね?」

「気色の悪いことを言うな」

「好きですよ。紅珠さん」

「……はあっ?」

「貴方のその無駄に男前で貧乏くじをひくところが、とっても素敵です」


 紅珠は、宋林の居場所まで戻ると、縄できつく縛り上げた上で、木に吊るしあげた。


(目でも回してろ……)


 後ろは見なかったが、微妙な歓声があがっている。

 宋林は、意外に逆さ吊りが好きなようだった。

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