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仙遊伝  作者: 森戸玲有
二章
16/36

 ――深夜。

 紅珠は中庭で昼間使った棍棒を振っていた。

 鋭く、速く、振ることが出来るのは、最初の数十回程度。

 それ以上振り続けていると、肩が痺れて、棍棒を握るどころではない。

 少し休憩をはさまないと、使い物にならない。

 昨日動きすぎたために、疲れているだけだと思いこみたかったが、そういうわけではない。これは、紅珠が受けた呪いのようなものだ。


「昔みたいには、いかないか……」


 いや、以前の腕を持っていても、隆貴に勝てたかというと、怪しいところだ。

 騙し騙し、攻撃するにはどうしたら良いかそんなことばかり考えている。

 そんな卑怯な考え方をする自分が嫌で、武器は捨てたはずだった。

 ……なのに、今。

 どういう因果か、再び紅珠は戦わなければならないようだ。


「おい。何でこんな暗闇の中で棒を振るってるんだよ。怖いだろ?」

「英清。それは私の台詞だ。まさか姉さんと義兄上を捜しに行くつもりじゃないだろうな?」

「行きたいけど、でも、馬鹿な親父みたく俺までいなくなったら、大変だってみんな言うから、あの、小うるさいおっさん達にまかせることにした」

「小うるさい、おっさん……」


 多分、隆貴と紅珠は年が近い。複雑な心中で紅珠が口元を歪めていると、英清が声を荒げた。


「そうじゃなくて、俺はさっきのことで、叔母さんに用があったんだ」

「声が大きいな。英清。おねしょでもしたのか。怒らないから叔母さんに言ってごらん?」

「そんなことで俺は誤魔化されないからな。昼間言っていたこと説明しろよ。いかさまババア」

「ババアは酷いだろう。オバさんと言われても、心が痛むのに。……しかし、まあ仕方ないな」


 舌打ちすると、紅珠は英清のいる中庭に面した廊下に戻り、英清の隣に腰をかけた。

 今夜は雲に隠れて、月が出ていなかったが、自分が持ってきたものと、英清が持ってきた手燭で廊下はぼんやりと明るい。

 紅珠は、廊下に座り込んで、息を整えながら答えた。


「先程の試合で、私が勝利することは、隆貴殿も望んでいたことなんだ。私は実力で勝ちたかったが、駄目だった。仕方なく、小道具として上着を使わせてもらった」

「寝巻きで戦ったのは、そのためだったのか……」

「本当は、簪でも、つけていこうかと思ったんだけどな」

「そんなの、いつ打ち合わせしたんだよ?」

「別に。何となくさ。血気盛んな他のやつらと違って、あの人は、武力行使なんて望んじゃいないんだろうって思ってな」

「そう思ってるんなら、アイツ自身が仲間に言えば良いじゃないか。遠回しすぎる。嘘つきだ」

「大人の社会ではな。こういうのは嘘とは言わない。空気を読むっていうんだ」


 紅珠はまだ明かりの点いている離れに目を凝らして、小声になった。聞かれたらまずい。


「上手く身内をまとめるためには、必要なことだった。隆貴殿が命じたところで、宰相様の命令じゃないから、みんな、きかないんだ。だったら、隆貴殿と私の対立を作っておいて、有無をもいえない理由で、私に従うことになってしまったという方が、都合が良いんだ。もっとも、あんまり露骨にいくと、みっともないから、適当に話は引き伸ばしたけど」

「さっぱり、分からない」

「分かる必要もないよ。私もあまり好きじゃない。だから迷った。権力とか仕事とか大きくなればなるほど、そういうものが近くなる。私は嫌なんだ。そういう場所にいるのがな」

「でも……。俺は、これから、そういうところに行かないといけないってことなんだろ?」


 掌が半分しか出ない、ぶかぶかの寝巻き姿で蹲る英清が更に頼りなく、小さく見えた。

 口は達者でも、たった八歳の子供なのだ。


「英清、それは、私にも分からないよ。正直まだ信じきれないくらいだ。お前があのお方の血筋だっていう証拠は暁虎くらいしかないだろう。暁虎は、私にだって見えているしな」

「ううん。叔母さん。……俺……白涼帝の子なんだ。母様が言ってた。いつか、俺に王宮から迎えが来るって。最初、宋林がそれかと思った。自分と山で暮らさないかって言い出したからさ」

「それ、私も誘われたぞ……。ついでに恐怖の求婚もされているがな」

「いや、叔母さんのは、俺のとは違うよ。俺はアイツに真面目に聞かれたもの。多分、宋林は、俺に自分と一緒に仙人になるかって訊いていたんだ」

「英清?」

「俺は、母様が心配だから行かないって言った」

「宋林は、何て言ったんだ?」

「むしろ、母様が無事だったほうが、君の未練になるのではないかって。よく分からなかった」


(宋林……。アイツ)


 無邪気な顔して、残酷な仙人だ。


(でも、姉さんが言っていたのなら、もう英清の出生は疑いようがないってことだな)


 紅珠は静かな気持ちで、それが事実なのだと改めて認識した。

 事実なのだと悟ってしまえば、恐るべき現実を受け入れようとしている幼い英清が不憫でならなかった。


「俺、迎えなんかいらない。親父は馬鹿だけど、アイツと母様と三人の方が良かった」 

「……そうか」

「二人とも、俺を置いて何処に行っちゃったんだろうな?」


 ぽつりと、英清が零す。

 伏せた顔は見えなかったが、肩が小刻みに揺れていた。泣いているのだろう。


(まだまだ、親に甘えていたい子供なのだろうに……)


 こんな不安定なときに、英清の前に二人はいないのだ。

 紅珠はどうしたら良いか分からなくて、ただ硬直するしかなかった。


「心配するな。きっと大丈夫だ」


 焦って口をついて出てきた言葉は、紫英や宋林と同じような身も蓋もないものだった。


「でも、もし二人が無事だったとしても、その前に俺が殺されちゃうかもしれないじゃないか」

「お前一人くらい、私が護ってやるさ。それなりに私だって強かったんだ。……過去形だけど」

「叔母さん、慰め方が下手だよね?」


 ああ。とうとう突っ込みが入った。

 熱っぽく語っていた紅珠と、顔を上げた英清の目が合った。

 黒い大きな瞳が涙で濡れている。

 でも、英清は笑っていた。


「さっきの勝負。嘘だって聞いても、やっぱり叔母さんは格好良かったと思う」

「そうか? うん、嘘でも嬉しいな」


 思わず、目尻に涙を浮かべてしまった紅珠は、英清を抱き締め、顔を隠した。

 腕の中にすっぽり収まった英清は、不思議なくらい動かなかった。


「ねえ。叔母さん」

「何?」

「いや。あのさ……」


 言いにくそうにしている英清の様子が気になって、そっと体から放す。次の言葉を紡ぐために、英清が口を開いた途端、二人の間に空から猫が降ってきた。

 そんな異常な身体能力を持った猫は一匹しか心当たりがない。


「暁……虎?」

「あーあ、まったく。酷いなあ。紅珠さん。部屋にいないなんて」

「…………げっ」


 紅珠は隣に置いていた棍棒を引き寄せた。常時、使える武器があるのは魅力的なことだ。


「宋林。何だよ。寝てろよ。夜中だろう?」

「数年間、眠ってたこともありますからね。一日くらい寝なくてもたいしたことはありません」

「…………それ、冬眠の種類か? 仙人って、新種の動物か何かなのか?」


 紅珠は、持っていた棍棒で宋林の脇をつんつんと突っついた。

 宋林は「やめて」と言いながら、愉快に笑っている。

 英清がおもいっきり嘲笑した。


「まったく、真夜中なのに、うるさい奴らだな」


 早速紅珠と宋林から距離を取り始めていた。


「なんだ、英清。寝るのか?」

「納得いかないけど、話は分かったからな」


 英清は欠伸をして、とろんとした瞳を紅珠に向けた。


「ああ、だから。叔母さん」 

「何だ?」 

「さっきの続き。もしもの話だけど」

「うん?」

「俺が大人になっても、叔母さんが嫁にいけなかったら、俺がもらってあげてもいいよ」

「……はあっ!?」


 紅珠は耳を疑い、ついでに目も疑って、腕に抱えていた暁虎を膝の上に落としてしまった。英清は、「へへへ」と、悪戯っぽい笑声を轟かせながら、去って行く。


  (からかわれているのか……)


 若干、八歳にして、年上の女性に対する社交辞令まで身につけているのなら、将来末恐ろしいが、もしも、英清が本気で言ったのなら、とてつもなくかわいそうだった。

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