七
隆貴が名乗り出たことに、異論を唱える者はいなかった。
それは、紅珠の質問の意図が掴めなかったせいもあるだろうが、隆貴が彼らの中で、一番位が高いからだろう。役人の社会は階級がすべてなのだ。
「じゃあ、話は早いな。私と試合ってくれ」
紅珠は真摯に言った。
自分がここにいて一定の発言権を得るためには、それが一番手っ取り早い方法だった。
紅珠には何の肩書きも地位もない。自分の価値は自力で勝ち取るしかないのだ。
「そんな悠長なことを、あんたとしている暇はないんだがな」
「ここに来る暇はあったじゃないか。あんたは私にやらせたかったことがあるんだろう?」
紅珠が核心をつくと、隆貴は肩を竦めて、微笑した。
「意味が分からんが。…………まっ。いいだろう」
「いいんですか!?」
全員が見事に突っ込んだ。
それを隆貴は風を撫でるようさらりとかわす。
「だって、お前たちだってこの態度のでかい女を黙らせたいだろ。心配するな。俺は負けない」
沈黙を肯定と受け取ったのか、隆貴はよく通る声で命じた。
「武器を」
「はっ!」
衝立に隠れるようにして直立していた若い青年が応じた。
「ところで、お前さ。その格好着替えないのか?」
「着ていた服が昨夜、洗われてしまってからな。きっと、まだ乾いてはいないだろう」
紅珠は無愛想に答えると、髪を手櫛で整えて、素早く一つに結い上げた。
「とりあえず、私が勝ったら、英清のことは私にまかせてもらうぞ。襲撃に関しても、もう一回再考する。姉さんや義兄上の情報が入ったら、必ず知らせてくれ」
「色々と注文が多いな。じゃあ、俺が勝ったら、あんたは実家に帰るんだぞ」
「ああ、分かった」
青年は立派な朱塗りの棍棒を走って持ってきた。隆貴と同じ種類のものらしい。
紅珠は隆貴を中庭に誘った。
屋敷の裏庭は、雑草が伸び放題で、鬱蒼としていたが、小さいながらも池があり、その周辺は綺麗に草が刈られていて、軽く体を動かすことが出来るような空間が造られていた。
紅珠は棍棒を片手で数回振ってみてから、一杯に足を伸ばして、寝巻きの長い裾に慣れた。意外に動きやすいようだ。久しく忘れていた高揚感に軽く跳ねてみてから、微笑する。
「準備はいいか?」
「準備するのは、あんたの方だろう。試合するのは何年ぶりだ?」
「さあな。もう忘れた。でも、世間話はもういい。……いくぞ」
――そうだ。先手必勝だ。
紅珠はいまだに棍棒を構えていない隆貴のもとまで全力で駆けた。棍棒の重さを手に馴染ませながら、隆貴の左腹を狙う。だが、突いた時には隆貴はいなかった。
「観客が沢山いるからな。女とはいえ手が抜けない。怪我をしないよう自分で注意しろ」
「なめるな」
隆貴の位置に気付いた紅珠は、彼の背後に棍棒を振り上げた。隆貴も棍棒を前に出して、余裕の姿勢で紅珠の攻撃を防ぐ。
――速い。
……が、ついていけないことはない。
紅珠は必死に隆貴の力を受け流した。呼吸を整える意味で一旦距離を置いたものの、見切ったとばかりに、次の攻撃を隆貴が繰り出してきた。
肩を狙ってきたのが分かったから、紅珠は咄嗟に後ろに飛んで避けた。
しかし、その行動は隆貴に読まれていた。
隆貴の棍棒が正確に紅珠の腕を突いた。
痛みはなかった。
ただ唐突だったため、紅珠は棍棒を落としてしまった。
…………取りに行っている暇がない。
「叔母さん!」
初めてだった。
英清の叫びに、熱い感情が伴っている。
一応、心配はしてくれているようだ。
紅珠は逃げなかった。
隆貴の棍棒が自分に向かって振り下ろされることが分かったが、勢いは止めない。
前進した。
上体を屈めて、羽織っていた派手な上着を隆貴に投げつけた。
「わっ」
そこで隆貴に隙が生まれた。
紅珠は棍棒を拾い、擦れ違いざまに腕を軽く叩いた。
「…………っ!」
痛かったのだろうか?
久々すぎて、勝手が分からない。
それでも構えを解けず、再び棍棒を両手で握り返した時だった。
「はーい。そこまで!!」
宋林が何とも言えないところで、強引に二人の間に入っていた。
「紅珠さんの勝ち……ですね」
紅珠は何も言えず、愕然とした。すぐさま反撃の動きを見せていた隆貴は、宋林の有無を言わさない態度に、瞳を閉じて頷いた。
「そうだな。俺の負けだ」
「……蕩……殿」
「隆貴でいい。ほらよ」
荒い呼吸から抜け出せない紅珠に、隆貴は上着を投げて返した。
屋敷の中で事の行方を見守っていた男たちが一斉に騒いだが、隆貴は驚くほど潔かった。
「負けだよ。負け。俺も衛射として、鍛錬は積んできたが、この女動きが早い。別に困ることじゃないし、仕方ないだろう。女の言う通りにしよう」
寝巻きの袖で汗を拭った紅珠は、遠ざかっていく隆貴の広い背中を瞳に収めていた。
………………最低だ。
「叔母さん。本当に強かったんだな!」
紅珠は興奮気味の英清の肩に手をかけ唇をかみしめた。
「叔母さん?」
純粋そのものの、甥っ子の視線が痛かった。
「英清。お前、ちゃんと見ておけよな。……アイツはな、わざと負けたんだよ」




