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仙遊伝  作者: 森戸玲有
二章
15/36

 隆貴が名乗り出たことに、異論を唱える者はいなかった。

 それは、紅珠の質問の意図が掴めなかったせいもあるだろうが、隆貴が彼らの中で、一番位が高いからだろう。役人の社会は階級がすべてなのだ。


「じゃあ、話は早いな。私と試合ってくれ」


 紅珠は真摯に言った。

 自分がここにいて一定の発言権を得るためには、それが一番手っ取り早い方法だった。

 紅珠には何の肩書きも地位もない。自分の価値は自力で勝ち取るしかないのだ。


「そんな悠長なことを、あんたとしている暇はないんだがな」

「ここに来る暇はあったじゃないか。あんたは私にやらせたかったことがあるんだろう?」


 紅珠が核心をつくと、隆貴は肩を竦めて、微笑した。


「意味が分からんが。…………まっ。いいだろう」

「いいんですか!?」


 全員が見事に突っ込んだ。

 それを隆貴は風を撫でるようさらりとかわす。


「だって、お前たちだってこの態度のでかい女を黙らせたいだろ。心配するな。俺は負けない」


 沈黙を肯定と受け取ったのか、隆貴はよく通る声で命じた。


「武器を」

「はっ!」


 衝立に隠れるようにして直立していた若い青年が応じた。


「ところで、お前さ。その格好着替えないのか?」

「着ていた服が昨夜、洗われてしまってからな。きっと、まだ乾いてはいないだろう」


 紅珠は無愛想に答えると、髪を手櫛で整えて、素早く一つに結い上げた。


「とりあえず、私が勝ったら、英清のことは私にまかせてもらうぞ。襲撃に関しても、もう一回再考する。姉さんや義兄上の情報が入ったら、必ず知らせてくれ」

「色々と注文が多いな。じゃあ、俺が勝ったら、あんたは実家に帰るんだぞ」

「ああ、分かった」


 青年は立派な朱塗りの棍棒を走って持ってきた。隆貴と同じ種類のものらしい。

 紅珠は隆貴を中庭に誘った。

 屋敷の裏庭は、雑草が伸び放題で、鬱蒼としていたが、小さいながらも池があり、その周辺は綺麗に草が刈られていて、軽く体を動かすことが出来るような空間が造られていた。

 紅珠は棍棒を片手で数回振ってみてから、一杯に足を伸ばして、寝巻きの長い裾に慣れた。意外に動きやすいようだ。久しく忘れていた高揚感に軽く跳ねてみてから、微笑する。


「準備はいいか?」

「準備するのは、あんたの方だろう。試合するのは何年ぶりだ?」

「さあな。もう忘れた。でも、世間話はもういい。……いくぞ」


 ――そうだ。先手必勝だ。


 紅珠はいまだに棍棒を構えていない隆貴のもとまで全力で駆けた。棍棒の重さを手に馴染ませながら、隆貴の左腹を狙う。だが、突いた時には隆貴はいなかった。


「観客が沢山いるからな。女とはいえ手が抜けない。怪我をしないよう自分で注意しろ」

「なめるな」 


 隆貴の位置に気付いた紅珠は、彼の背後に棍棒を振り上げた。隆貴も棍棒を前に出して、余裕の姿勢で紅珠の攻撃を防ぐ。


 ――速い。

 ……が、ついていけないことはない。


 紅珠は必死に隆貴の力を受け流した。呼吸を整える意味で一旦距離を置いたものの、見切ったとばかりに、次の攻撃を隆貴が繰り出してきた。

 肩を狙ってきたのが分かったから、紅珠は咄嗟に後ろに飛んで避けた。

 しかし、その行動は隆貴に読まれていた。

 隆貴の棍棒が正確に紅珠の腕を突いた。

 痛みはなかった。

 ただ唐突だったため、紅珠は棍棒を落としてしまった。

 …………取りに行っている暇がない。


「叔母さん!」


 初めてだった。

 英清の叫びに、熱い感情が伴っている。

 一応、心配はしてくれているようだ。

 紅珠は逃げなかった。

 隆貴の棍棒が自分に向かって振り下ろされることが分かったが、勢いは止めない。

 前進した。

 上体を屈めて、羽織っていた派手な上着を隆貴に投げつけた。


「わっ」


 そこで隆貴に隙が生まれた。

 紅珠は棍棒を拾い、擦れ違いざまに腕を軽く叩いた。


「…………っ!」


 痛かったのだろうか?

 久々すぎて、勝手が分からない。

 それでも構えを解けず、再び棍棒を両手で握り返した時だった。


「はーい。そこまで!!」


 宋林が何とも言えないところで、強引に二人の間に入っていた。


「紅珠さんの勝ち……ですね」


 紅珠は何も言えず、愕然とした。すぐさま反撃の動きを見せていた隆貴は、宋林の有無を言わさない態度に、瞳を閉じて頷いた。


「そうだな。俺の負けだ」

「……蕩……殿」

「隆貴でいい。ほらよ」


 荒い呼吸から抜け出せない紅珠に、隆貴は上着を投げて返した。

 屋敷の中で事の行方を見守っていた男たちが一斉に騒いだが、隆貴は驚くほど潔かった。


「負けだよ。負け。俺も衛射として、鍛錬は積んできたが、この女動きが早い。別に困ることじゃないし、仕方ないだろう。女の言う通りにしよう」


 寝巻きの袖で汗を拭った紅珠は、遠ざかっていく隆貴の広い背中を瞳に収めていた。

 ………………最低だ。


「叔母さん。本当に強かったんだな!」


 紅珠は興奮気味の英清の肩に手をかけ唇をかみしめた。


「叔母さん?」


 純粋そのものの、甥っ子の視線が痛かった。


「英清。お前、ちゃんと見ておけよな。……アイツはな、わざと負けたんだよ」

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