幻想教師Extra~幻想少女~
それは人の楔から逃れた少女の結末。
そこは熱の国であった。
一面を砂で覆われ、尽きることのない死に埋め尽くされた場所。私は書士隊として様々な場所を巡る中でそこに行き着いた。
「暑い」
身体が水を欲している。舌がはりつき、喋ることすら満足にできない。水、水が飲みたい。
「いけない」
私は腰につけた水筒に伸ばした腕を、意思の力で押さえつける。ここで水を飲んではいけない。ここはそういう場所なのだ。周りを見てみろ。
砂を纏い身を隠しているが、目はこちらを捉えて離すことはない砂猫。
足元を悠々と泳ぎ、この旅人が倒れる時を今か今かと待ちわびる地潜鮫。
時折その翼で太陽を隠し、隙を窺っている硬晶鷲。
皆、私のことを監視している。砂漠に入り込んだ獲物が熟成するときを。
こいつらは私が喉を潤すその時を待っている。枯れ果てた獲物よりも、潤いに満ち溢れた獲物を彼等は襲う。もしここで欲に身を預け水で体を満たそうものなら、その命はここで彼等の血肉となり一生砂漠の世界に取り込まれることになるだろう。
私はここで朽ちるわけにはいかない。彼等にそう眼で訴える。彼等は皆一様に、私を嘲笑っていたように思う。無論、私の思い込みであろうが。
そんなことを思いながら歩を進めていたとき、私の目の前に異様な光景が映った。骨、骨だ。私の両の手のひらぐらいの大きさをした魚類の骨が見える限りの砂原に散乱していた。そのどれもが魚の一種であるとわかるほどに綺麗な形で散乱していたのだ。不思議な感動を覚えた。昔、森の中で出会った顔のない巨大な生きた像を見たときと同じだ。私がこうして書士隊として生きることになったきっかけも、あのときであったか。
遠いような近いような、曖昧な自分の過去を思い出しふと意識が逸れた。私は現実に目を戻し、その魚の骨へと触れてみようと手を伸ばした。触れることは叶わなかった。
それは生きていたのだ。触れようとした手から逃れるようにそれらは一斉に砂の上で跳ね出した。放心していた私を置いて、魚達は元気よく砂の中へ潜っていった。
後に知ったことであったが、彼等──磁潜魚はその体へ日光に含まれる光素を取り入れる為に、私が見たときのような日光浴を行うらしい。人の目に触れることは希少らしく、もし私がその光景を撮影できていたら書士階級も大きく上がっていたことだろう。
思いがけず希少な光景を目にしたことで、私の体は多少元気になっていた。日の出ているうちに砂漠を踏破し、オアシスにある国へたどり着くために私は歩を進めていた。どうやらガッツを見込んでくれたのか、私を獲物と見定めていた砂の獣達はその眼をほんの少しだけ柔らかにしてくれた。ふと近くを歩いていた砂猫が何かに気付いたようにとある一点を見る。私もつられるようにそちらを向いた。辺りは静かだ。さっきまで足元を泳いでいた地潜鮫も今は深層へ行ってしまった。私のバッグをつつき、餌をねだっていた鳥達も何かに気付いたように散っていってしまった。私は蜃気楼が見える砂漠の果てに、目を凝らした。
轟音。振動。思わずその身を地面に預ける。崩れた体勢でも、瞳は外さない。だから見えたのだ。東京タワーほどもあろう巨体が、砂から飛び出し宙を舞う姿が。
地動鯨だ。私は呆気にとられた。さっきの神秘的なそれではなく、純粋な畏れから。傍らの砂猫は日常的なものなのか大した動揺もなく、呑気に欠伸をしていた。しかし次の瞬間、彼は鋭く鳴くと私を置いてそこから走り出した。呆然としていた私の頭が突如痛いほどの警報を鳴らした。そうだ、思い出した。あの鯨が出てきたということは、あれがやってくる。この砂漠で最も危険な災害。陸津波がやってくる。
私は砂猫が走り出した方向に続く。鍛えていた足腰はこの一年でさらに強化された。太ももを叩き、肉体強化をかける。蹴り出した足が砂を舞い上がらせ、うねる砂上をもろともせず走り出す。あっという間に砂猫の背中を見つけた。鯨のいた方向をふと見ると蜃気楼は見えず、代わりに砂色の壁が見えた。言わずもがな、あれに巻き込まれたら私も、この砂猫もこの砂漠の一部と成り果てよう。
一人と一匹は走った。私の頬へ、体へ、足へ砂がぶつかるが気にしていられない。走りながら胸の辺りをまさぐる。首から下げたお守りとも言える小さな笛が何本もその姿を覗かせる。私はその中から一対の翼の装飾がされた緑色の笛をとる。指の先から魔力を流す。昔と比べると随分上手くなったものだ。笛の模様が発光したのを確認して、口にあて思いっきり息を吹き込んだ。
枯れた世界に浅緑の音色が響く。程なくして、この砂漠には似つかわしくない色をした巨鳥が、太陽を背にして私の側にやってきた。私は足を止めず、目の前を走る砂猫の首をひっつかんでその巨鳥の背中へ飛び乗った。その背にしっかり掴まり、首もとを軽く叩いてやる。巨鳥は上昇し、やがて太陽が掴めそうなほどの高さへやってきた。迅速な行動を褒めるように、巨鳥の背中をゆっくり撫でる。喉を鳴らしてご機嫌な巨鳥に行く末を任せて、私は連れてきてしまった砂猫を見た。最初は呆然としていたらしい彼も、眼下の陸津波を見て自分が助けられたと思ったらしい。砂猫はペッと口から何かを吐き出し、それをこちらに渡してくる。毛玉かなにかかと思いきや、それは綺麗な結晶だった。磁力を纏ったそれは、希少な武具や魔具を作ったりするのに必要なもので入手が難しい代物で有名だった。助けたお礼とでも言うつもりだろうか。砂猫は勝手にしろ、とでもいうように巨鳥の背の上で横になってしまった。私はとりあえず重要な記録サンプルとしてそれを腰のポーチにしまった。
陸津波を横目に、私は巨鳥に乗ってオアシスの国にやってきた。砂猫は私が巨鳥から降りたときにどこかへ行ってしまった。彼等は元々群れを作らず一匹で過ごす性質な為、ここが人が多いところだと悟り逃げ去ってしまったのだろう。私はそう思うことにした。
巨鳥がここに着いたとき、周りはかなり騒がしくなっていた。曰く、砂漠の獣が入り込んだのかと思われたらしい。自分は書士隊でここには記録調査の為にやってきたことを伝えると、皆一様に納得し安心していた。……巨鳥に関しては中央ってのはそういうもんなんだな、くらいに思ったらしい。
ようやく一心地ついた私は、乾いた体を癒すために近くの酒場に向かった。扉を開けて中へ入ると外とは違う独特の空気と匂いに体が包まれる。ジョッキとジョッキがぶつかる音、バタバタと人が歩き回る音、そして人々の話し声。賑やかな喧騒に身を浸しながら、空いていたカウンターの席に座る。
「見ない顔だね」
酒場のマスターらしい女性がこちらに話しかけてきた。隠すことでもないので、自分は書士隊であり記録調査の為にやってきたと話す。するとどこか納得したように「ああ」と呟く。
「アンタが噂の新人書士隊員かい。見たところずいぶんとやり手みたいだけど……」
書士隊に入って一年経っているにも関わらず、どうやら自分はまだ新人らしい。私が苦笑するとその意味をどうとったのか、マスターはニヤッと笑った。
「気を悪くしたなら謝るよ。なにせこんな辺境の地じゃあ、中央の情報なんてもんは滅多に来なくてね。あんたの話も二、三ヶ月前に聞いたばかりさ」
私は納得した。確かにここに来るための船は半年に一回と聞くし、私のように歩いてやってくるものなどいないだろう。そんなことを話しているうちに自分と同じくらいの少女が料理を運んできてくれる。砂漠の魚介を中心とした実に美味しそうなものであった。ありがとう、と礼を言いその魚介に手を伸ばす。無論旨い。煮魚、だろうか。私は砂漠でみかけることはなかったが、骨だけのアレらだけでなくちゃんと身のついた魚もいるのであろう。等と思っていればその骨だけのアレも一緒に皿の上にいた。骨の部分をじっくり煮込んだらしく、その食感はパリパリで魚介特有の臭みもない。実に癖になる味と言えた。私の見た目と合わない食べっぷりにマスターは少し驚いていたようだった。このまま平穏無事に終われば、私の記憶は最高だったのだが。
私が食べ終わる頃、それは起こった。皿の割れる音が聞こえた。見れば、さっき私に給仕をしてくれた少女が大男に絡まれている。周りの人々も「あいつ……」「またかよ」等といった風でいい顔をしていない。
マスターにそれとなく事情を聞いてみた。部外者である私が首を突っ込むことではないのは百も承知であったが、しかしここで見逃してしまうほど心は強くなかった。一年前なら見ないふりをしていただろうけれど。
「町のゴロツキさ……ここいらじゃ珍しい外の人でね。仕事終わりにゃここに寄って、あの始末さね。誰かとつるむことがないせいで、周りに止めるやつもいないのさ」
ため息をついてさてさて、とばかりに事の顛末を見守っている。私は懐から一枚の金貨を取り出してマスターの前に置く。
「お、おいアンタ。これはいくらなんでも多すぎやしないかい?」
立ち上がる私を慌ててマスターが止める。迷惑料も入っている、と伝えるとマスターはキョトンとした。眼鏡を外し、人相がわからないようフードを目深に被る。静かに息を吐き、誰にも聞こえないほどの舌打ちを繰り返す。私の目は眼鏡をつけなければ物を見ることはできない。だから今、私の視界はうっすらとした靄に包まれたようであった。歩くことすら覚束無いだろう……普通ならば。
チッ、チッ、チッという舌打ちの音が反響し、辺りの地形を鮮明に写し出す。ほんの少ししか聞こえない音でも、私の耳にはよく捉えられている。書士隊に入って一年、眼鏡を外さなければいけない場面が多くなり、そのなかで私が編み出した秘策。いわゆる、小さなエコーロケーション。お陰でゴロツキの位置までしっかりと把握できる。
私はわざとゴロツキの体に肩を強く当ててやる。
「あぁん?なんだ、てめ──」
自分が書士隊だとバレる訳にはいかない。私個人も、書士隊そのものも危険に晒されてしまう。だから、一瞬で、隙を与えることもなく、殺すこともなく、無力化する。
私はゴロツキの足を容易く掬ってやった。一瞬彼が宙に浮いたタイミングで、
何かが弾ける音。私だけがわかる、それは空気が弾けた音。
ゴロツキは地面と平行に飛んでいった。そのまま酒場の扉を破壊し、向かいの壁に叩きつけられた。一応壊す場所は選んだつもりだ。……昔よりも壊すことに躊躇がなくなってきた事に対して、私は少し頭が痛くなる。
酒場内の人々が吹き飛んだゴロツキを見ていた隙に、私もそこから退散することにした。全速力で駆ければ誰にも見つかることはないだろう。駆け出す直前、近くにいた店員が何か言いたそうにしていたが、残念ながらそれを聞く時間はなかった。
酒場を後にして、私はこの国にある書士隊の駐屯所へ向かうことにした。元々はここにある環境データを取りに来たのだが、些か寄り道をしすぎてしまった。約束の時間よりも少し遅れて駐屯所へ着くと、その前に一人の少女が立っていた。日に焼けた肌が自分のそれと比べても健康的であった。
「あ!本部の方ですかー!?」
声が大きい、というよりも良く通る。私は速足で彼女に近付きそうであることを伝える。
「よかったですぅー!砂漠の方で何かあったのかなとか、さっきも酒場の方で凄い音がしてたのでそれに巻き込まれちゃったのかな、とか心配してたんですよー!」
申し訳ない、色々と。心の中でそう謝罪しておき、遅れた理由を適当にでっち上げて伝える。すると彼女は納得したらしく、自分を駐屯所の中へと案内してくれる。
中はそこそこ広く、机の上に広がった資料らしきものに目を瞑れば整理整頓のなされた空間であった。しかし、確かここの駐屯所は書士隊員が三人いたはずだが。私は気になってそのことを訪ねてみる。すると彼女は、
「あぁー。お二人は元々予定されていたフィールドワークに行ってしまわれまして。……少し前から、砂漠の存在する水素の量がかなり上昇していまして。なにか怪しいと感じたので、前々から計画していたんですよ」
なるほど。それは確かに気になる。来たときも思ったが、あそこは水素がたくさん存在できる環境ではない。早速私は彼女にそのデータを見せてほしいと伝える。彼女は快諾し、棚に積んであった資料から一纏まりの紙束を渡してくれる。
暫く中を見ていると、該当するページに行き当たる。確かにここ1ヶ月ほどの砂漠には、本来あり得ないような程の水素が確認されている。空間の亀裂から流れ込んできているのか、また水素を生成する獣でも出たのか。私が思案顔でそれを見ていると、隣にいた少女が私に話しかけてきた。
「あの、貴方がもしかして……噂の"操獣奏者"様ですか?」
心の奥から何か苦いものが溢れてくる。本部のつけた二つ名がここまで伝わっているとは。これを考案した先生には後でお礼参りに行くとしよう。心の中で思っているそんなことを悟らせないように、少女の一言を肯定する。すると彼女は顔を輝かせてこちらに詰め寄ってくる。
「やっぱりー!他のお二人もそのことを噂していまして、ここにいられないことを後悔していたんですよー!!あえて嬉しいですぅー。あ!サインとか頂けます?あ、獣を操るのってどうやるんですか?あっ!まず何か飲みますよね、私ったら……」
捲し立ててくる少女に戸惑いながら、とりあえずサインは断り、操獣にかんしては企業秘密と答え、水をいただく。ひとしきり話し終わると少女は落ち着いたように息を吐く。
「すみません……私、興奮しちゃって。憧れの奏者様に出会えて、つい」
様呼びは止めてほしい。こそばゆい呼び方にそう伝えると「とんでもない!」と彼女は立ち上がる。
「書士隊の中でも実力、実績ともにエキスパートの域に達したものを讃える"十賢"。そこに最年少で入った貴方を敬称をつけず呼べるでしょう!」
見た目の上で言えば九士のヤエシ様の方が最年少だが。というよりも椅子の上で立ち上がるのはやめなさい。私は、せめて名前でよんでくれないかと言ってみる。するとうーん、という顔をして、
「失礼ながら……操者様の真名を私は知らないのです」
……なるほど。私は、なぜ書士隊は名前を浸透させず二つ名の方を浸透させるのか、と頭を抱えた。とりあえず、自分の名前を彼女に伝えることにしよう。……そういえば、私の名前は二つあるのだがどっちを伝えるべきか。私は僅かに迷う。とりあえず愛着のある方を教えるべきかと思い、その名前を伝える。
「私は、アスカ。コジョウ・アスカだよ」
「アスカ様ですね!」
だから様付けは……まあいいか、と私は苦笑した。
私はその後、彼女から約束の資料を受け取りオアシスの端にやってきた。側にはついてこなくても大丈夫と伝えたのだが、お見送りします!と聞かなかった少女がいる。
「あの、なぜこんな外れに?」
少女の問いに目立つのは避けたいから、と返す。訳がわからず首を傾げる少女を見て微笑み、私は胸元に下げた笛から他のどれよりも無骨で真っ白なものをとる。目を閉じ、唇に軽く触れさせる。
風が舞った。枯れた空気を撫でる、冷たくも力強いそれは私と傍らの少女を包む。突如、莫大な風素が空から舞い降りた。それを切り裂いて私の顔にぶつからんばかりの距離に彼の顔が近づく。
「ダメだよ、ハク」
私はその鼻先に手のひらを押しあてる。グルル、と喉を鳴らし顔を離していった。傍らで固まってしまった少女に声をかけると、彼女はゆっくりと再起動した。
「あの、あのあの……これって、ドラゴンですよね?」
そうだ、と私は肯定した。一年前から私と一緒にいてくれる大切な相棒だと説明する。彼女はキャパオーバーらしく、だらしない顔でこちらを見下ろす竜──ハクを眺める。彼女一人でさえこの始末なのだから、街中でこんなものを呼び出したらパニック必死だろう。私はハクの背中へ飛び乗る。ハクは面倒くさげにファゥと一鳴きし、辺りの風素をかき集め始める。それに負けぬよう声を張り上げ、少女に礼を言う。少女は呆気にとられていたが、やがて笑顔で元気よく、
「はい、アスカ様!こちらこそありがとうございました!また会いましょうねー!」
負けず劣らずの声でそう返してきてくれた。ハクは集めた風素を使って、その身体を天高いところまで昇らせた。
「ありがとね、ハク」
私は彼の頭を優しく撫でる。無反応だが私にはわかる。
ふと体に違和感を覚えた。あぁ、そうかと思い出す。私はハクの背中の上で服を脱ぎ出した。ハクは紳士的なのか興味がないのか、こちらを見ずにいてくれる。素肌に触れる風に少し寒さを感じるが、それはすぐになくなった。ハクが薄い空気の膜を張ってくれたのだ。一年前よりもずっと気遣いが上手になったと感じる。
「っ……ぅぁ」
そんなことを考えてる間、私の体は待ってくれなかった。視界が鮮明になる。肩甲骨の辺りが反り返るような感覚。腕の皮膚がパリパリと音をたて、尾てい骨から何かがせりあがってくる。
やがて体が落ち着くと、そこにはきっと人ではない私がいたのだろう。一対の翼、細く長い尻尾、白色の鱗で覆われた腕、そして耳の後ろから生えたハクと同じような角。私の体は人と竜の狭間──ドラゴニュートの姿に変化してしまっていた。この一年で随分進んだものだ。昔は痛みさえ伴っていたこれも、今ではだいぶ和らいでしまった。ハクがこちらへチラッとだけ目を向ける。
「大丈夫……もう慣れたし、私の帰るとこはここだから」
そう言って私はハクの頭をまた撫でてやる。今度はちょっと素直に、瞳を細くする。眼鏡をはずしても変わらない風景に、私はどこか心地のいい感覚を覚える。私とハクを照らす太陽を見上げながら、次はどこに向かうことになるのだろう、と物思いに耽り始めたのだ。
覚えておりますでしょうか。もし覚えていらっしゃるのなら相当な方ですね。
これを見て、もっと読みたいと思った方がいらっしゃれば……もしかしたら、もしかするかもしれません。