THE COLLISIONS#2
全く異なる出自を持ちながら拮抗する二者。信じられないような動機から恐るべき者どもの殺し合いが始まり、それは宇宙に忌むべき悪影響を与え始めた。
『名状しがたい』注意報――この話は冒頭から文体がけばけばしく、改行が極端に少ない。
登場人物
―イサカ…猿人種族ヤーティドに君臨する風を司る神王、慄然たる〈混沌の帝〉。
―〈打ち捨てられし王国の永冬〉…超種族ノレマッドの一個体、権力階層構造の高官。
【名状しがたいゾーン】
コロニー襲撃事件(ストレンジ・ドリームス事件)の数年前:詳細不明の銀河、星間ガス領域
〈打ち捨てられし王国の永冬〉と名乗ったノレマッドの個体は信じられないような美青年であり、見ただけで自殺してしまう程の美貌を前にして貌を顰められる余裕が対峙者にあるのは、それもまた尋常ならざる実体であるからに他ならなかった。星の海を泳ぐ名状しがたい頂点捕食者達は確率論的に言えばそこまで互いに争う事はあるまいが、あるいは『それ程もの回数』争っているとも言えるのかも知れなかった。何であれ両者は空間を凍結させて対峙しており、一天文単位程度の距離しか空いていないため、すぐにでも恐るべき攻防が始まっても不思議ではなかった。既知の銀河の者どもはこの闘争がいずことも知れぬ遥か遠方の超銀河団での出来事である事に感謝しているかも知れなかった。
{さて、俺はお前の力を試さねばならない。そのため最初の攻撃権をお前に譲らなければならなくてな}
真空の宇宙空間にて、ノレマッドの高官は飄々とした声色であの風のイサカその人に対してそのような傲慢極まる物言いをしたのであった。風のイサカの恐ろしさを知る地球の魔術師達であれば仰天して失神するかも知れなかったし、魔術界の裏の重鎮である禿頭のアレイスター・クロウリーですらも呆れて開いた口が塞がらない事であろう。しかしかつて二の五乗の限界値なる異常事象の干渉によって滅亡の危機に曝されながらも何かしらの奇蹟によって助かり、その後は想像を絶する科学進歩の末に神のごとき超種族へと進化したノレマッドであれば、他の万神殿の主神に匹敵する力を持つ風のイサカを相手にしてもそうした冒瀆的な言葉を投げ掛けて然るべきなのであった。夜が終われば朝が来るように至極当然の事ながら、神以外の実体から己を相手にそこまで対等の物言いをされる事に慣れていない名状しがたい風の神格は、この世の全てを呪い殺す程の怒りを滾らせるに至った――それもそのはずであろう、何せあの風を司る〈混沌の帝〉に対し、その対峙者は『初撃を譲ってやろう』などと畏れ多くも言い放ったのだ。
[何たる愚、何たる傲り! 一撃にて我が眼前より失せなさい!]
常に恐ろしい程穏やかに喋る風の神格はぴしゃりと叱り付けるように言葉を放ち、それは明確な怒りと殺意とをもって襲い掛かった。かの混沌に属する神が言葉と共に大剣を片手で振るい、その一撃はあり得ないレベルの風速を誇る暴風として星間ガスを引き裂き、極光じみた星間ガスの輝きは離れた場所からであれば、強盗がカーテンを棒で強引に払い除けたかのようにガスの歪む様がよく観察できた事であろう。これが平時かつ無害なればこれ程奇怪かつ興味深い現象もそうは無いから、諸帝国の碩学達が挙って観察ドローンを飛ばすにしても、しかし今は明らかに最も奔放な終末論者の妄想にすら終ぞ登場する事無き地獄めいた闘争の只中であった。まず当然の摂理として、それは周辺星系にて既に散々被害を受けていた運の無い惑星を西瓜を叩き割るがごとく両断し、その斬り裂かれる過程があまりにも早過ぎて現実味が薄く、しかし両断されたそれぞれは内側から外側向けて少しずつ真っ赤に充血しつつ恐ろしくゆっくりと分離し、しかしやがて第二の悲劇が発生した。それ以上はあまりにも残酷なのであえて語るまいと、後に多くの歴史家は言うであろう――この惨劇を生き延びた者が近隣にいれば。
少し漏れた余波ですらそこまでの破壊を発生させ、そうした宇宙的尺度から見ればごく些細な災厄を尻目に、ほとんどロス無く目標物向けて迫った暴風は観測不能な速度――一般的には超光速――でノレマッドの高官に激突した。その滅殺の風はしかしイサカの全力とは言えなかったものの、そこらの石ころの上を這い回る微生物どもを纏めて消し去るには明らかに過剰であったにしても、とは言えいかに神と言えど己らと同じ階梯にまで進化した未知の実体を過小評価すべきではなかった。ノレマッド権力階層構造にて浮き沈みを繰り返しつつ、今では被管理領経済監視長官の座に居座っている〈打ち捨てられし王国の永冬〉は、風のイサカが神罰として下す『という程度の規模』の攻撃で滅びるはずも無かった。相手は決して惑星最強の能力者などではなく、神の域にまで進化して今や神性すら帯びようとする勢いのまま帝国を拡大している高次種族であり、イサカはやはり相手を見下して正常な判断を誤っていたらしかった。この世のものならざる宇宙の大風とてノレマッド高官からしてみれば興味深い観察対象でしかなく、故にその尋常ならざる実体は己に激突した死の風を楽しそうに実況し始めた。
{面白いな、これを見るがいい。あのイサカとやらは俺のマントに傷を付けられるらしいぞ。しかも今ので少し肌がかさかさになったな…やはり進化の階梯を登った先でも乾燥は美の大敵足り得るか}
すると離れた場所で状況を見ていた別のノレマッドが愉快そうに笑うのが聞こえ、蹂躙を受けた宇宙空間に場違いな笑い声が響き渡った。無論の事であるが、己の攻撃が全くの失敗に終わったという事実は風のイサカには到底受け入れられるものではなかった。
[莫迦な…オーディンやアカン三神にも匹敵するこの私の攻撃を受けながら、あろう事か談笑など…!?]
信じられないのも当然であろう、少なくとも己の知る範囲では混沌の神格として二番手にいる武闘派であり、なおかつただの癇癪で星間文明を文字通りの塵に変える事ができ、信じられない程の年月を閲して今ここに存在する己が邪魔者の排除に失敗したのだ。それを見てノレマッドの高官は邪悪を嘲笑う這い寄る混沌のようにせせら笑いながら、更なる冒瀆へと踏み込んだ。
{おい、そこのイサカとやら。己を至高かそれに準ずると信じて疑わぬ純真さには呆れるぞ。あるいは今もこうしてそのような心を持ち続けられる貴様を称賛して然るべきか…まあそれは別の誰かが決めるだろう}己の服を宇宙的な力で修復しながら、ゾンビじみた美青年は飄々とした様子で話を続けた。{以前俺も〈惑星開拓者達の至宝〉――そういう惑星があるのだ――の古代文明を滅殺せしめたカタストロフ・デイを探し出して挑んでみたが、しかしあれはシャウグナー・フォーンという三次元上では別個体に分離している単一と全く同じ原理、より高い次元から己の力を少しだけ投影しているというだけなのだ。であるにも関わらずあの力量故、当時は中枢艦隊に座乗できるまでに出世していた俺の力もまた全く通じず、種族全体に更なる科学の進歩を提案したわけだ。お前はあのような実体に挑んだ事があるのか? あるいはあれなどはどうだ? 己の領地に居座っている状態の悪魔。まあそうだな、俺も〈深淵〉のアドゥムブラリ程度であれば簡単に蹴散らせたし、貴様にも可能のはずだが。他にも我々のような、あるいはそれ以上の頂点捕食者が実在する事は認めた方が貴様のためだと思うぞ。我々ノレマッドを絶滅寸前に追いやった二の五乗の限界値には同族がいた事が判明してな。いずれは我々も多元宇宙規模の活動を始め、無限の同位体達を己らに接続した上で、あのような気色の悪い異常事象種族を狩らねばならないのだ。そう言えばあれだな、宇宙を喰らう怪物ディバウラーが迫っているが、無数の未来を物色すれば俺と貴様とであれに立ち向かう未来とてあるかも知れないな――}
そこで言葉は途切れた。さすがのノレマッド長官もまさに嵐としか言いようのない恐るべき斬撃の数々を前にして、防御をせぬわけにはいかなかった。猿人の神王が放つ斬撃は正面からのみならず、かの神は風としてあらゆる場所に存在する事で全方位からの斬撃として成立した。忌むべき悪逆の徒どもによって己の故郷を滅ぼされたヘリックスの魔術師が得意とする全方位同時斬撃とも部分的には似ており、その意味では『魔術とは神が日常生活で使用する力を人間用に廉価したもの』という基本事項の体現であるようにも思われた。
ところでヤーティドという種族全体の神王として君臨する毛深い猿人の神は、莫大な信仰――すなわち莫大な権力――を一身に集めて神々の主神にも比肩するはずの己が、本気で相手を殺しに掛からねばならないという屈辱によって突き動かされていた。気色の悪い妙な早口でノレマッドの美青年が口にした言葉、すなわち『イサカよりも上位の実体が存在している』という、この美しき猿人の神王が目を背けてきた地獄めいた屈辱の事実が心の中で華氏一億度の焔となって内側で燃え上がり、かの神は己が身に纏う美麗な黒い焔の甲冑の重量が周囲に与える影響のコントロールを怒りで完全に放棄し、吐き気を催すドールの畸形の眷属どもが不潔な穴蔵で餌を貪るがごとく、ただひたすらに目の前の冒瀆者を塵すら残さず消し去る事に没頭していた。しかし風の神格にとっては非常に不愉快な話ではあるが、ノレマッド権力階層構造にて征服した種族の領地における経済大臣の任に就いているトリックスターじみた青年は、在りし日の軍神エアリーズや時の果ての無人の荒野にて一人座するロキがそうするように笑って見せ、イサカはそれが己へと向けられているのかと考えるだけでも全身の原子が粉々に吹き飛びそうな衝動が駆け巡った。そして生憎ではあるが、イサカにも匹敵する次元違いの美を備えたノレマッドの高官〈打ち捨てられし王国の永冬〉は、全くもって困惑せざるを得ない事に、別段イサカを弄するようなつもりではなく、ただ純粋な好奇心によって無邪気に振る舞っているに過ぎなかったのである。