方向
「あっ...あぁ、すみません主様....? 」
一瞬誰かの声が聞こえたと思うと、頭痛が引いていった。
きっと、さっきの頭痛は僕の記憶の欠損を補うための脳が見せたフラッシュバックなるものだと僕は思う。
故に頭痛が僕に教えてくれたのは、僕が、八統翳浬とは誰なのかという疑問であった。
僕はその脳裏で行われた記憶の修正?によるフラッシュバックなるものに対して僕は「誰なんだ」と叫んだつもりだったのだが、
誰なんだと叫んだことだけが、なぜか口から洩れてしまっていたようである。
この封筒を咥えた猫も、触られそうになった途端に、僕が突然手を止めて、突然叫び声をあげたのだから、心なしかへんな顔でこちらを見ている気がした。
「おかしいですね、....主様が私を呼んだはずなんですけど、本当に私の事を存じないとおっしゃいます?」
「ごめん、少し僕には記憶に欠損があるみたいだ....一から説明してくれないかな、君の事。 」
頭はちゃんと回っているようだ、機転は利いてる。
「私は、ジャンヌ・ダルク、あなたの使い魔ですよ主様。 」
ジャンヌ・ダルク、確かに知っている。
ジャンヌ・ダルクは15世紀のフランスの軍人にして、カトリック教会の聖人。
ただの農夫の娘だったのだが、神の啓示を受けて最終的にフランスの百年戦争に勝利をおさめたオルレアンの聖処女。
ここまで僕は彼女の事を知っているのだから、彼女となんらかの関係があってもおかしくはないとは思うが、やはりおかしい。
彼女は捕虜として捕まりイングランドでピエール司教に異端審問にかけられ異端と判決が下り、彼女は19歳という若さで火刑に処されその人生に幕を閉じた。
その火刑が実刑されて、火が彼女を蝕んでいく最中、彼女は「イエズス様、イエズス様」と叫んで死んでいったという。
僕は彼女の最期を知っている。
故に、彼女が僕と何らかの関わりがあったにしても、ここにジャンヌがいることには説明がつかないのである。
「なるほど、記憶にはないけどジャンヌ、使い魔とはなんだ? 」
「使い魔とは、召喚魔法によって生み出した魂体の事を指します。」
ん?ん?ん?
まずい、ジャンヌについてわからないのなら、次の疑問に答えを探ってみようと思ったのだが、ますます疑問が増えてしまった。
召喚魔法?、魂体?、僕の記憶にはまったく存在しないのだが。
「ごめん、それについて、まったく記憶がない。」
ちょっと頭を抱えて考えている僕をみて、ジャンヌはため息をつきやっぱりかみたいな残念そうな顔をする。
「いえ、私はだいたいわかりました。主様の記憶の紛失は、自分という存在のみかと思われます。」
その説明は的を射ているかもしれない。
僕は、自分に関する記憶が欠如しているが、さっきのジャンヌ・ダルクについての事といい、知識としてのものはしっかりと頭に残っているのである。
ということは、大脳皮質に何らかの衝撃が.....とか、いろいろ考えるのはまた後のほうがいいだろう。
「なるほど、確かに僕は、自分が八統翳浬という人物であること以外に自分の事を思い出せない。」
「いえ、問題はそこじゃありません。」
「じゃぁ....なにが問題なんだ?」
ジャンヌが封筒を咥えている黒猫を抱きかかえて、こっちに歩み寄ってくる。
彼女は視線を僕の左手に向けいているのだがどうしたんだろうか。
「知識は残っているのに、私を召喚してしまうほど優秀な召喚士が魔法の知識が一切ないということです。」
「なるほどね、つまり僕は魔法とやらの知識をすべてなくしているか、そもそも魔法というものをしらないというわけだね。 」
「はい、察しが良くて大変助かります。たぶん後者が正しいですね、私を呼びだしたのは間違えなく主様ですが、その手助けをしたのは、その左手のものでしょう。」
左手のもの?
僕は左手を目線の前にやったとき驚いた。
僕は知らぬ間に表紙が薄緑色の本をずっと握っていたのである。
「これは....? 」
中身をパラパラとめくってみる。
「わかりません、ただ、それは大切に持っているべきですね。」
ふぅん、と空返事をして、中を確認する。
このライトノベルサイズの小さな本の中身はほとんどが白紙で、全234ページ。
内、文字が確認できるのは132ページにジャンヌ・ダルクと書かれていることだけだった。
「では、主様には知識の取得が最優先事項ですね、とりあえず...──── 」
ジャンヌが空を見上げる。
空は太陽と月。
朝と夜空を分けている。
この異様な情景はこの橋の下にある大きな河を境に、空も朝と夜を分けている。
つまり彼女のいっているのは。
「ジャンヌ」
「はい? 」
「僕には、陰陽が似合う...? 」
知識を手に入れるために人を探す。
そのための道が2択あるので、太陽の見える道にすすむか月の見える道に進むか選べということである。
僕は記憶の欠損、わけのわからない空、混乱しそうな自分の気持ちを殺して、強がっている僕の瞳。
光を失い、翳りばかりを魅せる瞳で、彼女を見つめる。
「そうですね....」
猫を抱えて空を右と左を交互に見つめて考える。
そんな彼女を太陽は自身の見せる明るい光で、月は自身の魅せる怪しくも妖艶な背景で、彼女の秀麗さを、一層華やかにさせた。
ここの空は、きっと、この空の月夜見尊と天照大神は仲良しなんだろうな。
二人が協力して、ジャンヌを引き立てているように見えた。
「似合うのは、月じゃ....ないでしょうか」
ジャンヌはクルッと体を僕のほうに向ける。
「ですがあなたが──────」
「僕が求めているのは、たぶん光だろうね。」
ん?っと意外だというよな顔をジャンヌが僕に向ける。
「これから行く道は左の太陽があるほうで決まりだ。」
「はいっ」
彼女は猫を抱えて微笑む、僕もその輝かしい笑顔につられて自然と笑みがこぼれた。




