沈溺
いつもなら、簡単すぎて気怠い授業があるはずの月曜日。
いつも通り「授業つまんねぇな」って、親友の緋築 智也が言って僕が「そうだね」って返してといっしょに笑いあっているはずの午前10:00頃。
そんな、普通にいつもあるはずの、幸せだと気付くことも難しいような幸せな光景、
いや、やっぱり普通にあるものだと思う、それは普通なのだと自身の真っ暗な眼窩にない、脳裏でみた光景を信じて現実逃避してみようと試みてみた、
が、その過去の妄想には線香の香りが鼻を衝き、現実に引き戻される。
仕方がないので、目を開けて前にいるお母さんからお焼香を受け取る。
お焼香を摘んで手を合わせるまでを淡々と済ませてお焼香を、お経を詠んでいるお坊さんに回す。
この葬式には僕と僕の両親しかいない。
しかし、この遺影の人物は僕の兄弟であるとか、従弟であるとか、血縁関係があるわけではない。
この遺影の人物は、僕の唯一の親友
緋築 智也である。
通夜を終えて、すぐに鞄をもって学校に向かおうとした僕を、背後からお父さんが止めてきた。
「翳浬、今日くらい学校はやすみなさい。智也くんには今、お前しかいないんだから、お前がいないとさみしがるだろ。それに、お前は学校なんか行かなくても―――」
「父さんっ...」
父の言葉に対して反射的してでてしまった今の言葉に、僕は少し棘をのせてしまった気がする。
それにしても、少し大きな声を出しすぎたようだ、お父さんがキョトンとしている。
「...ごめん、智也の告別式は明日でだよね?じゃあ学校は休めないよ、智也にサボりだって言われちゃいそうだし。」
父さんの方に振り向いて、明るい上っ面だけの笑顔をみせる。
こうすれば父は僕の機嫌がそこまで悪いものではないと安心してくれるだろうと思う。
「....それじゃあ....行ってくるね」
父さんは何か言いたげだが、父のほうへは首を向けずに鞄を持って、玄関の戸に手を掛ける。
正直のところ、父の不謹慎さには頭が来ている。
別に、父さんのことが嫌いなわけではない。
尊敬はしているし、ここまで育ててくれたことをとても感謝している。
どんなことがあっても親孝行な息子になってやろうと思っているくらいには大切な父だ。
でも、智也の件に関しては別件である。
僕ですら智也が死ぬときどんな気持ちで、どんな事を思っていたかなんてわからないのに、お父さんが智也の気持ちを語って僕を諭すのはとても腹が立つ。
さも、僕が一番必要だと言わんばかりに言うのは、許せない。
自分も許せない
戸を開けて外に出ようとしたときに今度は母さんが来た。
「翳浬、学校に行くの....?」
またかと、少しため息まじりな吐息を溢し後ろを振り返る。
「うん、僕にはこれくらいしか取り柄がないから....それに、行かないと智也が怒こりそうじゃない? 」
「いえ、別に行くのを止めるんじゃないわ....あなたに渡しておかなきゃいけないものがあるの....ちょっとまってね。」
喪服の上にエプロンを(いつのまにか)着ていた母さんは、ゴソゴソとそのエプロンについてる大きめのポケットから封筒を取り出した。
「これ....智也くんからあなたに」
そういうと、母さんは先ほど取り出した薄緑のきれいな封筒を、丁寧に僕の手の上にのせた。
「....遺書? 」
「わからないは、これはあなた宛てに書いてた物みたいだから、勝手にあけてはダメかなっておもって。私も....中身はしらないの。」
封筒を裏返してみると、『八統 翳浬へ』と少し文字に必要な線がたりないように感じさせる、独特な文字。
一般男子高生らしい少々な乱雑さはあるものの、汚いとは言えない、彼そのものみたいな文字。
一文字一文字にある暖かみのある丸文字。
間違いなく、正真正銘、智也の文字で....僕の名前が書いてあった。
「...... 」
「.....ほら、翳浬...早く行ってらっしゃい、今から急げば、三時間目には間に合うは。鞄にお弁当いれといたから、ほら行った行った。」
封筒を黙然と見ている僕の背中を母さんが押す。
「うん、行ってきます。」
今の僕は自然と行ってきますという言葉に、笑顔がのせられていた気がする。
15:45分、放課後。
帰りのホームルームが終わった現在、僕は自分の机の上に置いてるある鞄の上に、顔をを突っ伏させている。
いつもなら、他のクラスメート達が僕の机の周りに集まっている時間帯だが、女子達も、男子達も、智也が死んでしまった事で、僕に気を遣ってくれているのかもしれない。
いや、もしかしたら僕は周りに近づき辛いオーラでも発してしまってたのだろうか。
本当に今、自分の気持ちがわからない。
智也の席だった場所に、首だけ向けてため息をついてみる。
智也がいないなんて、なんの冗談だろうか。
頭には自信があるが、いくら考えてもこればかりは答えが浮かんでこない。
今日、学校での半日は漠然と過ぎてしまった。
今日は僕、学校で何をしていたのだろう、今日はどんな授業をしたんだっけ。
昼休みに食べた母さんの弁当には何が入っていたんだっけ。
なにもかもをボーっと過ごしすぎてしまっていたためか、何もかもに手がついていない。
僕にとって、智也を失うってことは、どんなことを意味しているのだろうか。
まぁ、答えを知るための欠片はあるにはあるのだが。
「....」
制服のポケットから、智也の遺書が入っている封筒をとりだしてみる。
封筒の出口を止めているシールに手を添えてみる。
「...帰るか」
椅子の後ろにかけているコートを羽織り鞄を持って席を立つ。
封筒はなぜか開けることができなくて、ポケットのなかにしまってしまう。
(....わかんないな。)
3月中旬、春であるはずの街路にはまだ雪が残っていた。
通行人の邪魔にならないように退けられている雪は、白というか、いろいろ土などを被って汚い色をしている。
それに、この風である。
もう少し春の兆しというのはもっと暖かい風が吹くものである気がするのだが、最近の異常気象のせいだろうか。
ものすごく寒い。
学校を出て、すぐ先に大きな橋がありその向こうに、自宅ではない僕が今日帰らなければいけない場所があるのだが。
なぜかその橋とは真逆の方角に、足が進んでいった。
(この先って、たしか本屋があったっけ。)
今日の僕は寄り道がしたいのだろうか。
それとも。
あの場所に、智也のもとに帰りたくないだけなのだろうか。
とりあえず、赴くままに、気の向くままに進んでいく僕の足は、やはり本屋へ向かっているらしい、街路から本屋への路地で足を止める。
(....)
寒くて、コートのポケットの中に手を突っ込んでいたのだが。
本屋へいくための左方向へ向く前に、右ポケットの中に入っているものを取り出そうと、僕の右手が....いや、僕はポケットの封筒を、僕の手で取り出そうとしている。
(....)
「...くそっ..」
結局、右ポケットの物、智也の封筒はとりだせなかった。
悔しかった。
さっきから僕は逃げてばかりである。
何一つとして、自分の意志ではないように自分の中で振る舞っている。
そうやって、自分の意思や葛藤から逃げ出そうとしている。
今の僕は親友の智也を亡くしたことに、悲しみを感じようとすることから逃げようとしている。
今日一日知りたくても、解が出せなかったことへの答えが右ポケットに入っている封筒をとりだして、中身を見るだけでわかることができるかもしれないのだが。
その答えが僕は怖いのだ。
智也が死ぬ前日、両親を突然亡くして平気であるはずのない智也が。
いままでに見せたことのないような笑顔で、「街にあそびにいこうぜ」なんて僕を誘った明らかにおかしい親友に何にも気づいてやれなかった。
その日一日、僕は智也と一緒にいたはずなのに。
彼がなにをおもって、何を感じていたかなんてなにも気づいてやれなかった、
親友であるはずなのに僕は何も気づけずに、その日の最後に「また明日」なんて智也に言ってしまった。
笑顔で、「おぅまたな」っていった親友のその笑顔に、何の疑問も抱けなかった。
あれは。
あの一日は。
智也は.....僕に何か気付いてほしかったんじゃないだろうか。
だって、智也は自身の決めた最後の日を、僕と過ごすことにしてくれていたのだ。
だが、今更時間はもどせない。
この遺書には、最後に智也の思っていたことが書いてあるんじゃないだろうか。
これを読めば、智也が自殺してからずっと疑問に思っていることへの答えがでてくるんじゃないだろう。
そして、その方程式を、もっと早くに僕が解くことができたなら、智也を救ってあげられたかもしてない。
だがそんなことに意味はない、時間は戻せない。
故に答えを知るのが怖かった。
あのとき、気付くべきこと今更気づいて、
だって、それを読むということは。
答えをしって、大切な、かけがえのない親友を失う原因となったあの別れの一瞬に親友へ、智也へ送るべきだった、
あの時言うべきだった正しい一言に今更気づくということ。
それは、それってきっと、親友を失ったということを、実感してしまうということではないだろうか。
今の僕には、悲しいということが分からない。
それにはもう答えがでている。
僕は悲しいという感情から逃げているのだ。
僕は智也がいないという現実から、その感情は未知のものだとして、逃れようとしているのだ。
どうせ、この遺書を読んで答えを知ってしまったところで、智也が戻ってくるわけではないのだから、知っても無意味だと、にげているのだ。
結果をこじつけて逃げているのだ。
いままでの事から簡単に要約して、簡潔に僕の『逃げ』を説明するならば。
僕は、死んだ親友が僕に何かを伝えようと手紙を残しているというのに、結果をしっても意味がないっていう理由をこじつけて、自分が傷つくのが怖いだけなのに、その手紙を読まずに逃げようとしているというだけの簡単な話だ。
本当に.....自分の情けなさに腹が立った。
自分の薄情さにも腹が立った。
彼奴がいて僕は救われたのに、彼奴を救えなかった挙句に、そのことから逃げようとしているなんて。
「....っ..」
結局、封筒を取り出さずにポケットから手を抜き。
自分の情けなさに、不甲斐なさに、薄情さから逃げ出そうと、街路から本屋への路地に脱線しようとした───
そのとき。
その曲がろうとした路地に吹き抜ける不気味な風、
何事かと、本能的な反射運動で路地を走り抜けようとした身体が、不意に機能を停止する。
音などなく、まだ、路地ではなく街路にいるというのに、周りに人などもなく、車もなく。
一瞬の出来事なのだが、それがとても僕を孤独にさせた。
なぜか、その路地から外すことのできない視界が唐突に反転する。
色が変わる。
右目は黒を、左目は白をみる。
一瞬にして、僕の世界に色が失われた。
モノクロに見える世界。
それも僕を不安にさせた。
僕は今おぼれていっている。
何におぼれているかはわからない。
とにかく、視界は僕の知っている世界を映していなかった。
どんどん、僕の中の孤独が膨れ上がっていく。
何が起きたのだろうか。
僕は死んでしまったのか。
側から見た僕はきっと、路地へのみちでずーっとボーっとしている男子高校生だったのだろう。
考え事をしていたのだが、実際ぼーっとしていたといわれれば、それは真実である。
なら、きっと僕はトラックに轢かれでもしたのだろう、
自分でも気づかないうちに、自分が傷つかないように。
へぇ、死ぬのってこんな感じなんだ、どんどん溺れていく。
怖い、
一人は怖い、
孤独が怖い。
智也、お前もビルから飛び降りたとき、こんな気持ちだっのかな。
僕は死にたくない、智也一人を逝かせてしまったのに僕は薄情だね。
なんだろう、自然と目を開けられなくなってきた。
どうしてだろう、僕は....どうなっていくんだろう。
「しょーねんっ、君の願い事を叶えてあげるら僕の代わりにさ、八卦を、両儀を統括してきてくれないだろうか、....いいだろう、天才くん?」
顔はみえないのに誰かがニタァと笑っているのがわかる。
ここでプツンと、僕の意識は完全に溺れていった。




