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ハーフ・ヴァンパイア創国記  作者: 高城@SSK
第三章 王都編
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53 悦楽

 王都ゲーケルン。貴族街にて。


 幾重(いくえ)にも雨雲が重なった夜空に、雷鳴が(とどろ)いた。


 ティアの鳩尾(みぞおち)に、化物の拳が深々とめりこんでいた。


 食いしばった歯の隙間から、血がこぼれ落ちていく。


「はぁ……はぁ……」


 ティアは全身を回転させて腕を振るも、力も速度も足りず、かすりさえしなかった。化物は距離を味方につけながら、打っては離れを繰り返す。


 精神と肉体を削られ、ティアは限界を迎えようとしていた。


 ──息が、苦しい。


 立っているのがやっとの状態だ。


 それでも、再び襲ってくる拳に、上半身を反らして避けた。両足で相手の腕に飛びつき、身体を振って脇に挟み込む。その関節を固定した。


「ぬ……あぁ!」


 腕を取ったまま、全体重をかけた。しかし逆に化物によって軽々と持ち上げられ、そのまま地面に叩きつけられた。


 視界に火花が散った。後頭部にぬるりと濡れる感覚がひろがっていく。


 力なく地面に仰向けになったティアの、かすれた視界のなかで、化物の銀の瞳が冷然とこちらを見下ろしてくる。


「もはや動けまい」


 ひろがっていく血だまりに身を浸しながら、白々と肌理(きめ)細かな肌が、はだけ、破れた服の裂け目からのぞいている。


 老人の姿をした化物が、視線を上向かせた。


 周囲には、『城へと続く深い森バール・オズ・ミィ・エルドゥ』の黒い霧が、消えることなく渦巻いている。


 銀の双眸そうぼうが、ふたたびティアを見下ろした。


「霧の内に閉じ込めところで、何の意味もない」


 化物の足元で、ティアがひゅうひゅうと呼吸を(あえ)がせている。


 誰が見えても、虫の息なのは明らかだった。


「簡単には殺さぬ」


 その言葉に、ティアの表情が(ゆが)んだ。身をよじるような素振りを見せる。


「怖いか、子鼠(こねずみ)


 恐怖に(おのの)いている、化物はそう思ったに違いない。にもかかわらず、不可解にもティアは口の端を上げた。弱々しくも、笑う。


 化物は(かが)み、ティアの顔を掴んだ。それを嫌がるように、ティアがわずかに首を振った。男は構わず、掴んだ顔の、後頭部を地面に打ちつける。


 それでも、ティアは笑うのをやめない。


「ア……ハ」と笑い声をこぼし、


「霧……より……」


 ティアはパクパクと口を開く。かすれ、木枯(こが)らしのような呼吸音とともに、苦しげな声が漏れて出る。


蝙蝠(こうもり)に……なる……ほうが……」


 ぎょろり、とティアの瞳が化物を向いた。


「……力が……いる」


 しかし灰褐色の瞳に力は戻らず、死に体であることに間違いはない。


「何をたくらんでいる?」

「ア……ハァ……」


 訊かれたティアの瞳が、ゆっくりと細まっていく。


「……時間……だ」


 その言葉に重なるように、何かが飛来する音が聞こえた。


「羽音?」


 化物も気づいたらしく、黒い霧を仰ぎ見た。


「あれは?」


 不可侵(ふかしん)の黒い霧のむこうから、巨大な羽を持つ黒い影がこちらに飛んでくる。


 それが、化物の上空でぴたりと止まった。


「蝙蝠?」


 形は巨大な蝙蝠で間違いないはずだが、その顔には眼も、口も、何もなかった。のっぺりとした奥行きのない影が、翼を動かすでもなく宙に張りつくように静止している。


 それが、突如として大口を開けた。化物めがけて急降下してくる。


「ぬぅ!」


 影の(あぎと)から逃れるため、化物は跳んで距離を取った。


 化物を追い払った蝙蝠は、ギチギチと耳障りな音を立てながら、形を変える。


 次に取った形は、人型の──地に倒れたティアとまったく同じ影だった。


 先ほどの蝙蝠の名残(なごり)とばかりに、ぽっかりと暗黒の口だけが開いている。


 その口が半円を形作ると、「ギャ、ギャ、ギャ!」と、いかにも陽気な、けれど人ならぬ笑い声を上げはじめた。銀髪の化物を指さし、これ以上おかしいことはないといった様子で笑い狂う。


「子鼠が……!」


 化物は忌々(いまいま)しそうに吐き捨てる、自分が虚仮(こけ)にされていることはわかっているのだろう。


 わかっていながら、化物は動かない。いや、動けない。この笑い狂っている影から、自身をはるかに凌駕(りょうが)する黒い力を感じているのだろう。


 後ずさった化物の背を、周囲の黒い霧が壁となって弾く。


 逃げることができないことに化物はようやく気がついたらしい。ティアが霧を張ったのは、すべてこの時を見据えたうえでの行動だったのだと。


 化物はただ呆然と立ち尽くしている。


 一方の影はいつの間にか笑うのをやめ、ティアの(かたわ)らで手をかざしていた。


 その指先から、どろりと粘着性のある黒い液体が滴りはじめた。液体は長く、細い糸のように垂れると、その下で口を開いたティアへと注がれていく。


 ゴクゴクと喉を鳴らしながら、ティアはその黒い液体を飲む。


 乾ききった身体に、これこそを待ち侘びていたのだといった様子で、ただ無心に。ひたすら貪欲に。


 黒い液体を飲み続けるティアに対し、影はティアに分け与えるほどに小さくなっていく。


 そう、ティアは補給していた。


 影が持つ力を、ティアへと移し変えているのだ。


 やがて、飲むのが追いつかず、ティアの口から黒い液体があふれはじめた。顔面が黒い液体にまみれ、白い肌が、黒に浸食されていくようにも見えた。


 逃げようとしてだろう、化物は左右にせわなしなく首を振る。あきらかに動揺していた。


 そうこうしているうちに、影がすべて黒い液体となり、ティアへと注ぎ尽くされた。見えない力に引っ張られるように、ティアが起き上がってくる。


 顔にあふれた液体も、肌に()み込むように消えていく。


 立ち上がったティアの瞳は、妖しい紅玉(ルビー)の光を宿している。口からちろりと舌を出し、その舌先でもって、口元についた最後の一滴を()め取った。


 そして化物に告げる。


「私が城へと続く深い森バール・オズ・ミィ・エルドゥを張った時点で、お前は終わっていたんだ」


 ティアは化物を見もせず、たしかめるように両手を開き、そして閉じた。すでに噛まれた右肩と左手の傷は癒え、問題なく動く。


「城で蝙蝠に化けた時、追いかけてきてくれて助かった。お前に逃げられてしまうと、後事に障るから」


 両手から視線を持ち上げ、化物を見た。化物は、黒い霧を背景に立っている。


「一部の蝙蝠を、別の場所に行かせていた。血を得るために。お前は、私の身体がちいさくなったことに疑問を抱かなかったのか? ただ、弱っているからとでも思ったのか?」


 化物は何も答えない。ただ思考が停止した様子でかたまっている。


 ティアが、歩き出した。


 化物へと向かっていく。真っ直ぐ歩いているはずが、足元が軽くよたついた。強い昂揚(こうよう)を感じながら、ティアは笑う。


「やはり、飲み過ぎには注意だな」


 笑いながら、ふらふらと近づいていく。


 化物が、ティアの接近から逃れるため、跳ぼうとした。だが──


「これは……」


 銀髪の化物は驚愕した。


 背後の霧が腕を伸ばしたように化物を捕捉し、四肢を(しば)っている。


「手遅れなんだ、すべて」


 こみあげてくる笑いを隠すこともなく、ティアは自分の指を唇へと持っていく。口角(こうかく)を横に引っ張ると、そこから鋭く光る牙がのぞいた。


「……お前は、噛むのが大好きなんだろう?」


 黒い霧によって動きを封じられた化物を見上げ、ティアは腰に手を当てた。服からのぞく肌が、白く(つや)めいている。


「いま、とても酷いことをしてやりたい気分なんだ」


 ひたひたと化物の頬を叩く。


 化物は暴れ、霧の拘束を引きちぎろうと躍起(やっき)になっている。


「切れないよ。お前に私の闇は切れない」


 ティアが、化物の胸元に(てのひら)を押し当てた。雷に打たれたようにその銀髪が逆立ちはじめる。


「暴れちゃダメだ。もう、諦めないと」

「グォォォ!」


 化物の全身から、ぶすぶすと煙が立ち昇りはじめる。肉の焦げる臭いが、ティアの鼻腔(びこう)をくすぐった。


「いい匂いだ。このまま焼いてやってもいいが」


 くすくすと、ティアは笑い声を漏らす。


 力を失った化物の顔を、ティアは観察するように(のぞ)き込んだ。


 精気のみなぎる赤い瞳と、かすかな輝きのみを残した銀の瞳。


「快楽が欲しいのか、お前は?」


 両手を伸ばし、するりと化物の首裏に通した。指先が、ずぶずぶと溶け入るように化物の体内へと侵入していく。


 その体内にあって、ティアは自分の指先を消滅させた。自分の血を化物の身体のなかへと流し込みながら、同時に化物の血を取り込みはじめる。


「お……おお……お……」


 化物が白目を剥いた。恐怖で引きつった顔が、一転して(よろこ)びに歪みはじめる。全身が痙攣(けいれん)して、しまりの()かなくなった口元からは(よだれ)が垂れ落ちていく。


「どうだ? 気持ちがいいか?」


 ティアもうっとりとした瞳で化物を見つめる。


「気持ちがいいのか? 三下(さんした)ァ!」


 我慢しきれず、ティアは叫んだ。


 化物の顔を両手で掴むや、大口を開け、その首筋に思い切り牙を突き立てた。

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