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ハーフ・ヴァンパイア創国記  作者: 高城@SSK
第三章 王都編
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45 壁

 夢を見た。


 遠い昔の夢を。


 ウル・エピテス尖塔群(せんとうぐん)


 空に高く伸び出た尖塔のひとつ、その暗い牢獄(ろうごく)で、彼女は目を覚ました。


 ずっと、浅い眠りを繰り返している。


 部屋の暗さとも相まって、時間の流れがひどくわかりづらい。


 ファン・ミリアに打ち負かされ、この牢獄に囚われてから、何日が過ぎただろう。とても長い時間のようにも、昨日のことのようにも思えた。


「……ざまぁないねぇ」


 口から流れ出た一筋の血が固まって、(のり)のように貼り付いている。


 両腕は鎖に繋がれ、わずかに動かすのさえ、億劫(おっくう)になっていた。


 あれから十年。


 妹を探す旅はまだ続いている。


 行方の手がかりさえ掴めず、こうして囚われの身となっている。


 薄緑の瞳を自嘲(じちょう)で細くさせた。


 ──あたしもヤキが回った……。


 妹の手がかりをと焦り、蛇を潰そうとした結果、まさか神託の乙女が出てくるとは思わなかった。


 (やぶ)をつつき過ぎた。


 それほどに蛇とウル・エピテスの繋がりは強い、ということなのだろう。


 だが、ここで朽ち果てるわけにはいかない。


 ここで容易(たやす)く死ねるほど、自分の(ごう)は軽くない。


「エルベ……」


 生き別れた妹の名を口にする。


 その呼びかけに応じるように、(おり)の向かい壁に影が映った。


 詰め所のほうから明かりが漏れている。それがゆらり、ゆらりと影絵を作り出していく。


 彼女は、この影たちを知っている。


 これらはきっと、自分が傷つけ、殺めた者たちの影。


 影は(わら)う。


 ──お前の妹など、とうの昔に冷たい(むくろ)と化していると。


 人殺しのお前の手では、妹には届かないと。


 だからお前もこっちに来い。影たちはそう言っているようだった。


「……あんたたちなんぞ、かまうものか」


 彼女もまた無数の影にむかって笑い返す。


 恨みたければ、好きなだけ恨めばいい。


「エルベ。必ずあたしが見つけ出してやる」


 彼女は決意を込めてつぶやく。


「お姉ちゃんが、必ず助け出してやる」


 さらに言うと、影は徐々に薄まっていき、元の壁の色へと戻っていく。


 入れ替わるように意識が明瞭(はっきり)と戻ってきた。


「……旅」


 ふと、耳にかすかな声が聞こえた。一瞬、夢かと思いかけたが、間違いなく現実の声だ。


 あわてて周囲に視線を走らせたものの、牢屋の中にも、檻の向こうにも人の姿はない。


「旅」


 繰り返し、先ほどよりもしっかりした声が聞こえた。女の声だった。


 ──後ろ?


 彼女はようやく気がついた。


 声と気配は、背後からだった。だが、壁の向こうは外のはずだ。しかも一階や二階の高さではなく、高層である。とても人が登ってこれるような場所ではない。


「一尾」


 疑問に思いながらギルドの合言葉を返した。すると──


「……(わし)の頭目、レイニー=テスビアだな」


 自分の名を呼ばれた。人違いではないらしい。


「誰だい?」


 彼女──レイニーが小声で訊くと、


「鷲のギルドに味方する者」


 女の声がすぐに返ってくる。


「私の名はティア。(えん)あってあなたを助けに来た。ディータたちはサスを助けるため、港を襲撃する手はずになっている」


 壁越しに、ティアと名乗る女が話しかけてくる。それから──大きく息を吐いたようだった。よくよくレイニーが背後に意識を集中させると、女はかなり呼吸を乱している。


 どうやってここまで来たかはわからないが、相当の苦労をしてくれたらしい。


「いま、そちら側に兵は何人いる?」


 ティアが(おさ)えた口調で訊いてくる。


「……囚人はあたしだけだ。入口の詰め所に必ずひとりが常駐している。腕は、そこそこってところかね。交代時間は真昼と真夜中と、その間の計四回。時間に狂いはないと思う。あたしから向こうの姿は見えない。向こうからも同じさね。ひとりにつき八回から十回、確認のために牢の前まで来る。来る時間はバラバラだ」


 レイニーが素早くティアに情報を伝えると、


「……わかった」


 どうやらティアは理解してくれたらしい。


「壁を破壊したい。避けられるか?」

「無理だね。あんたと挟んだ壁に鎖で繋がれてる」

「わかった。いまそちらへ行く」

「どういう意味だい?」


 牢には明かり採りさえ備え付けられていない。ティアという女がどれだけ小柄だったとしても、壁をどうにかしなければ、こちら側に回って来るのは物理的に不可能だ。


 それとも別の意味で言っているのか。


 考えていたレイニーは、鋭く息を()んだ。


 黒い霧が、壁をすり抜けるようにこちらに流れ込んでくる。


 霧はレイニーの前で一塊にまとまってその密度を高めると、みるみるうちに人型を形作っていった。すらりと細い手足と、驚くほど小ぶりな顔立ち。暗闇のなかでなお黒く光る長い髪。


 黒いヴェールを剥ぎ取るように、ひとりの少女が姿を現した。


「あんた、人かい?」


 おそるおそるレイニーが訊くと、


「どう取ってもらってもかまわない。だが、いまは怖がって騒がないでもらえるとありがたい──動けるか?」


 少女の瞳は薄く赤い。


「あたしを助けてくれるなら、どっちだっていい。御覧(ごらん)の通りピンピンしてるよ」


 その言葉とは裏腹に、両腕を鎖で繋ぎ留められたレイニーはあちこちに傷を作っていた。


「多少、痛めつけられはしたがね。こちとら頑丈(がんじょう)にできてる」


 言い、にやりと笑うレイニーに、ティアはちいさくうなずいた。


「あんたのほうこそ、ずいぶん疲れてるみたいだ」


 黒衣を羽織るティアの肩が、呼吸とともに大きく上下している。


「あなたを見つけるのにずいぶん手こずった……」


 ティアはぐいと額の汗をぬぐう。それから、はぁ、と声を押し殺しつつ、息を吐いた。


「だが、この(かせ)を外せば後は逃げるだけだ」


 ティアはよほど消耗しているらしく、傍目にわかるほど覚束ない足取りで鎖に触れた。がしかし、どういうわけかとっさに手を引っ込めてしまう。まるで、迂闊(うかつ)に熱い物に触れた時のような反応だった。


「銀、か」


 ティアがつぶやいた。苛立(いらだ)つような口調だった。


「問題かい?」

「どうやら私は銀が苦手らしい。それだけならまだいいが、この鎖にはとても嫌なものが塗り込められている」


 ティアは(うら)めしい目つきで鎖を見つめる。


「どうするんだい?」


 壁を破壊してからの逃げる手段があるのなら、枷さえ外してくれれば何とかする、そうレイニーがティアに告げた。その時だった。


 階段を、複数の足音が駆け上ってくる。


「気づかれたか」


 ティアは舌打ちするように言って、銀の枷を掴んだ。その手が、じゅう、と焼けるような音がした。端正な顔立ちが苦痛に歪む。


「肌が……焼けている?」


 レイニーは茫然とつぶやいた。ティアは歯を食い縛って細腕で鎖を強く引く。


「まさか、引きちぎるつもりかい?」


 信じられないことに、ギリギリと鎖が悲鳴を上げはじめた。


 その間にも足音が迫ってくる。


 ──もう少し。


「頼む、頑張っておくれ」


 (すが)るような気持ちでティアを励ます。が──。


 次の瞬間、レイニーは驚愕に目を見張った。


 突然、背後の壁から二本の腕が生えるように伸び出てきた。そうかと思うや、ティアの両手首を掴んで締め上げはじめたのだ。


「これは……!」


 ティアにとっても予想外のことらしく、レイニー同様、驚きで瞳を大きく見開いている。


「ぐっ……」


 そのまま正体不明の不気味な手が、ぐい、ぐいとティアを壁際に引っ張ってくる。その力に抗えず、ティアの身体が前のめり、間のレイニーとぶつかった。


「こいつ……強い……!」


 レイニーにもたれかかりながら、ティアがうめき声を発した。


 階下からの足音が止まり、詰め所で話し合う声が聞こえてきた。短い会話が終わると、すぐこちらに向かって一直線に歩いてくる。


「……力が、足りない」


 ティアの無念そうな声が落ちてくる。こちらに覆いかぶさる恰好になっているため、レイニーにその表情を見ることはできなかった。


 ティアの両手首を掴んだうち、片方の手が彼女の胸倉(むなぐら)を掴み直した。


 半身がのけぞったところを再び引っ張られ、ティアが頭から壁に激突しそうになる寸前──


「必ず……助けに戻る」


 それだけ言い残し、ティアの身体が一瞬にして黒い霧と化した。引っ張られる力そのままに、霧は壁の外へと流れ出ていった。

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