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ハーフ・ヴァンパイア創国記  作者: 高城@SSK
第三章 王都編
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44 思い出は暗き淵より(後)

残酷な描写があります。

 はじめは、ただ出かけているだけだと思っていた。


 妹が家の外に出ること自体、珍しいにちがいないが、旅立つ前に、村の景色を見ておきたくなったのかもしれない。


 そんな軽い気持ちで帰りを待っていた彼女だったが、時間とともにだんだん不安になってきた。


 朝のうちに妹は家を出ていったようだが、それが昼になり、夕方になり、そして夜になっても戻ってこない。


 ──どう考えてもおかしい。


 妹には時間を忘れて話し込むほどの友人はいない。買い物なりをするにしても、狭い村なのだ、往復を考えても一刻か、一刻半もあれば十分のはずである。


 久しぶりに外に出て、疲れてどこかで休んでいるのだろうか?


 叔母夫婦に行先を知っているか訊いてみたが、知らないと言う。


 やがていても経ってもいられなくなり、彼女は叔母夫婦に頼んで妹を探してもらうことにした。彼女も恋人の家に走り、一緒に探してほしいと頼んだ。


 夜半を過ぎても妹は見つからず、とうとう村人総出の捜索がはじまった。


 だが、妹はどこにもいない。


 今朝から夜にかけて、妹の姿を見かけた者さえ皆無(かいむ)だった。


 彼女は動揺し、そして混乱した。


 なぜ、妹は出ていってしまったのか。


 言葉では彼女と村を出ていくと言っておきながら、その実、心の中では嫌がっていたのだろうか。


 だが──彼女が一緒に村を出ないかと誘った時の妹の笑顔は、とても嘘だとは思えなかった。


 村人たちの捜索は夜通し続いたが、結局、妹が見つかることはなかった。


 なぜ、妹は自分に何も言わず……何一つ彼女に告げることなく姿を消してしまったのか。


 混乱のうちに彼女は旅立ちの朝を迎えた。


 恋人の青年がやってきたが、彼女は部屋の椅子から立つことができなかった。


 ──見つかったらすぐに知らせてやるから。お前は彼とお行きなさい。


 叔母夫婦からも彼についていくよう勧められたが、それでも駄目だった。


 今も、ひょっとしたら妹は寂しい想いをしているかもしれない。何かの拍子(ひょうし)に足を怪我し、どこかで動けなくなっているかもしれない。


 寒い想いをしているのではないか、お腹を空かせているのではないか……。


 考えるほどに全身から冷たい汗が吹き出し、心臓を(わし)掴みされた心地がする。


 明けてからも捜索は続いていた。彼女も皆と一緒に探したかったが、妹が戻ってきたときに安心させてやれるのはお前だけだからと、家で待つよう言われた。


 妹のこと以外、何も考えられない彼女に、恋人は「妹が見つかったら、その後に来てくれればいい」と、そう言い残し、先にひとりで村を出ることになった。


 だが、二日が過ぎ、三日が過ぎても、妹は帰ってこない。


 必死の捜索は続いたが、その痕跡さえも見つかることはなかった。


 しだいに村人たちの間に、「妹は自ら家を出ていったのではないか」という暗黙の空気が流れはじめた。これだけ探して手がかりひとつ残っていないのは、かえって不自然だ、そう臆面(おくめん)もなく彼女の前で言う者さえいた。


 それでも、彼女は信じられなかった。


 ──あの子が、自分に何も言わず、出ていくはずがない。


 その想いだけが、胸の底に残っていた。


 ◇


 一週間が過ぎても妹が戻ることはなく、捜索は打ち切りになった。


 家に立ち寄る村人の数も目に見えて少なくなり、やがて誰も来なくなると、今度は腫れ物を触るように彼女から遠ざかるようになった。


 彼女は妹の無事を願うだけの日々を過ごした。


 不安や恐怖が募り、自分のなかで処理が追い付かなくなると、彼女は妹の部屋に頻繁に出入りするようになった。


 何をするわけでもなく、ただ部屋の中央にぼんやりと立ち、妹の寝台や調度、衣服を眺めた。


 そうして「ほら、こんなにもあの子の物があるじゃない」と彼女はつぶやく。


 こんなにも妹の物たちが帰りを待っている。


 妹が本当に出ていくつもりだったのなら、必要な物はすべて持ち出していったはずなのだ。


 ──だから戻ってくる。


 あの子は、絶対に、戻ってくる。


 彼女は何度も自分に言い聞かせた。


 そうして気持ちを落ち着かせ、彼女が部屋を出かけた時だった。


 ざわり、と彼女の全身から鳥肌が立ち、脳裡(のうり)に火花のような閃きが走ったのは。


 ──何……?


 自分でもこの感覚の理由がわからない。


 彼女は部屋を出るのを止め、あわてて振り返った。もう一度、部屋の中央まで戻っていく。


 ゆっくりと。


 ──何かが、おかしい。


 ゆっくりと、妹の部屋を見回す。


 頭の中で、激しく警鐘(けいしょう)が鳴っている。


 ……この部屋には、何か異常なことがある。


 彼女が気づかなければならない「何か」を隠している。


 カーテンに、西日が強く当たっている。その隙間から差し込んでくる夕日の照り返しに、寝台の奥の床が血のように輝いている。


 そこで彼女はあることにようやく気づく。


 部屋の中が、あまりに整然と片付けられ過ぎている。


 それこそ、寝台の上掛(うわか)けに至るまできっちりと。数冊の本と筆置き、そして服までもが、完璧とも言えるほど、収まるべき場所に収まっている。


 旅立つ前日だというのに、まったく準備がなされていない。


 ──私と村を出るつもりがなかったから?


 自問しながら、ちがう、と彼女は心の中で否定する。


 妹は、絶対に自分と村を出るつもりだった。それを疑ってはならない。


 その前提を、疑ってはならない。


 彼女は妹の衣装棚を探ってみた。捜索のため、当時の妹がどのような恰好で出て行ったか、すでに叔母が調べていたはずだったが、もう一度確認してみると、たしかに妹の外着の一式がなくなっていた。


 だが。


 ──ちがう……ちがう……!


 何度も彼女は否定する。


 妹は彼女と村を出るつもりだったのだ。そんな妹が何も告げず、家を出ていくわけがない。


 もし用事があったなら、彼女に行先を告げたに決まっている。


 だから、そう。


 妹は、その日、家を出かけるつもりなどなかったのだ。


 彼女はてっきり妹が朝方に出たとばかり思っていたが、その姿を村人の誰もが目撃しておらず、かつ、家を出るつもりなどなかったとしたら……。


 彼女はそこまで考えると、あわてて衣装棚を漁った。


 彼女の予想は的中する。思った通りだった。


 ──妹の夜着がどこにもない。


 もう戻らないつもりだったから? ちがう。もしそうなら、夜着だけでなく、他の服も持っていかなければ不自然だ。


 妹は夜着で出かけた? いや、それもちがう。そんな夜更けに出かける理由などあるわけがない。


 妹は、夜に連れ出されたのだ。


 そしてその事実を隠蔽(いんぺい)するため、外着を隠した者がいる。


 ──他にもなくなっている物は?


 彼女は記憶を手繰り寄せながら、部屋の中を見回した。それから机のなか、寝台の上掛けの下などを一通り調べてみた。


 特に失くなっているのはない、そう思いかけて、さらに彼女は気づく。


 机の上の数冊の本。そして、筆置きと、黒のインク。


 ……筆が、ない。


 筆置きはある、にも関わらず、なぜ筆だけがなくなっているのか。


 彼女は机の上と抽斗(ひきだし)を入念に探してみた。が、やはりどこにも見つからない。


 いよいよおかしい。


 ──何かがある。


 この部屋には、妹の失踪を(ひも)解く何かが必ずある。


 確信めいた予感を抱き、彼女は入念に部屋の隅々(すみずみ)を探す。


 そして、彼女は見つけた。


 ◇


 それは、西日の日溜まりに赤く輝いていた。


 入口から見て、寝台の奥の床の木板──その一枚にだけ光が当たり、まるで彼女に気づかれるのを、息を潜めて待っているようだった。


 よくよく見ると、その一箇所だけがかすかに汚れている。彼女は床にしゃがみこみ、板と板の隙間に爪を立てる。すると大した力をかけてないにもかかわらず、簡単に板が浮いた。


 心臓が、冷たく鼓動を打っている。


 彼女は赤い光を背に浴びながら、その板をずらした。


 板一枚分の、ごく細い空間だった。そこに、一冊の本が縦に差し込まれている。


 引き抜くように取り出して見ると、本は妹の日記帳だった。見つからなかった筆も、本のなかに挟んであった。


 ──これだ!


 間違いなかった。


 すべての秘密が、この本にあるに違いない。


 彼女は木板を元通りにすると、急いで部屋を片付け、自分の部屋に移動した。


 家には、彼女ひとりしかいない。叔母夫婦は妹の捜索を延ばしてもらおうと、村長の家に出かけていた。


 自室の椅子に腰かけ、彼女は本を開いた。


 今、思う。


 あの日記を読み終わった時、自分は別の人間になったのだ、と。


 彼女は慟哭(どうこく)した。


 自分を殺してやりたいと思った。


 日記には、妹の苦悩に満ちた日々が(つづ)られていた。


 妹は、ずっと脅されていたのだ。


 自分と妹を家に置いてやるかわりにと、妹は叔母の夫から脅され続けていた。


 その対価として、妹が払い続けてきたもの。


 すべてが赤裸々(せきらら)に語られていた。


 畜生(ちくしょう)にも劣る男によって妹が汚されたのは、一度や二度ではなかった。夜ごと(けだもの)は妹の部屋に忍び込み、彼女の身を弄んでいた。


 死にたい、と書かれてある日も少なくなかった。


 ずっと、気の遠くなるような長い時間を、妹は耐え忍んで生きてきたのだ。


 ただ姉の幸せを祈って。


 妹の日記には、彼女を恨む言葉は何一つ書かれていなかった。それでも、妹は耐えがたかったのだろう。彼女が青年と恋仲になった頃から、文面はさらに重く、苦しい心境が綴られていた。


 自分と青年との関係が進めば進むほど、妹は嬉しく、そして辛かった。姉の幸福を祈りながら、(ねた)まずにいられない自分があさましい、そう書かれていた。


 それが一転して、彼女が村を出ようと誘った日付には、妹の踊り上がるような嬉しい心境が書かれていた。──ようやく家を離れることができる。新しい家ではきっと自分も働こう、そんな明るい決意にあふれていた。


 そして旅立つ日の前日。


 その(ページ)には、さらに楽しい未来を夢見る言葉、そして最後の行に『お姉ちゃん』とだけ走り書きがされ、そこで唐突に終わりを告げていた。


 筆を挟み、日記を床の下に隠す時間があった以上、押し入り強盗の類ではないのは明らかだった。そもそも、彼女と妹の部屋は隣り合っているのだ。その夜は彼女も自分の部屋で寝ていたし、不意の物音がすれば気づくことができただろう。


 では、いったい誰が妹を連れ去ったのか。


 答えは、明らかだった。


 ◇


 黄昏に染まる部屋の中で、彼女は絶望に濡れる瞳を、ゆっくりと持ち上げた。


 部屋には、片付け途中に使ったままの(ほうき)が無造作に壁に立てかけられている。


 ──あれがいい。


 彼女は立ち上がると、(ほうき)を手に取った。いささか軽すぎる気がしたが、()はしっかりしている。痛めつけるには十分だと思った。


 刃物ではいけない。


 ──刃物では、苦しみが短すぎる。


 それでは妹の味わった苦しみに見合わない。


 彼女は準備を済ませると、灯をつけずに叔母夫婦の帰りを待った。しばらくして家に帰ってきたふたりを後ろから襲った。布袋に銅貨を詰め込み、後頭部を叩いてふたりを昏倒させると、妹の部屋に運んだ。四肢をきつく縛り上げ、猿ぐつわを噛ませた。それが終わると箒を掴み、ふたりの頭から水をかけ、意識を回復させた。


 ──私がなぜ、このような目をお前たちに遭わせるのかわかるか? 


 そう問うたところ、獣は首を横に振った。なので、彼女は手始めに獣の股間を滅多打ちにしてやった。死なぬよう、手加減をしながら。


 そうしてもう一度同じ質問をすると、獣はあっさり首を縦に振った。


 彼女は男の手足の骨を折った。猿ぐつわを通して絶叫が聞こえたが、かわいそうだとも、ざまあみろとも思わなかった。当然すぎる報いに、彼女の感情が動くことはなかった。


 その間、叔母はただ(おび)えた目で震えているだけだった。


 叫んだら殺す、助けが来るまでにお前を殺すは簡単だ。そう前置きして、彼女は獣の猿ぐつわを外した。


 獣は泣きながら、許してくれと命乞いをしてきた。彼女は「命だけは助けてやる」と約束したうえで、獣から話を聞き出すことに成功した。


 妹は人買いに売った、と男は言った。


 妹が村を出れば、いつか自分の悪行を漏らすかもしれない。そうなっては自分はこの村で生きていくことができない、と。


 肌も、髪も、眉も、すべてが白い妹は、その道では非常に珍重され、高値で売れる、とも。


 虫唾(むしず)が走った。この獣はこの期に及んで己の保身と金のみを考え、口封じのため彼女の最も大切なものを人買いの手に委ねたのだ。


 それから彼女は叔母に振り返った。


 彼女は叔母に、この獣の行いを知っていたのか、と問うた。


 叔母は首を横に振った。なので、獣同様、彼女は叔母の四肢の骨を砕いた。やめてくれと泣く獣を、彼女はせせら笑った。


 獣には獣なりの愛情があるらしい。


 そう思うほどに、より激しい憎悪と殺意が胸に込み上げてきた。


 ──ならばなぜ、妹にはあれほどの酷い仕打ちを重ねてきたのか。


 痛みで床に這いつく叔母を、彼女は虫けらを眺めるような眼で見つめた。


 叔母は、確実に知っていた。


 知らぬわけがない。妹が外着で出かけたことを村人に告げたのは、他ならない叔母だったのだ。いや、それ以前に夜ごと寝台を出ていく夫に不審を抱かないわけがない。


 率先(そっせん)して関わることはなかったのかもしれない。だが、見て見ぬ振りをしていたことにちがいはない。


 彼女の眼には叔母も同罪に映った。


 それにもし、もし仮に叔母が本当に何も知らなかったとしても、それが何だと思った。


 すでに彼女はこの叔母夫婦に対し、一片の憐れみさえ残してはいなかった。


 血の(つな)がりを信じてこの村にやってきたことが、すべての間違いだったのだ。


 血の繋がりなど、何の保証にもならぬものだったのに……。


 彼女は叔母をさらに打ち続けた。獣が何か言おうものなら、ますます強く痛めつけた。


 ──お前たちがずっと、妹にしていたことだ、と。


 ひたすら、叔母を打ち続けた。


 動かなくなるまで。


 叔母が意識を失うと、また彼女は獣に質問した。


 妹は誰に売られたのか。


 どこに連れ去られたのか。


 いまどこにいるのか。


 だが、獣はほとんどのことを知らなかった。どれだけ脅しつけ、痛めつけても詳しいことはわからないと泣きながら答え続けた。


 わずかな手がかりだけを得ると、彼女はさらに気が済むまで獣を打ち続けた。


 いや、気が済むことなどなかった。


 打ち続けることが、彼女の妹にできる懺悔(ざんげ)だった。


 ──打っていたのは、自分自身だ。


 箒を持つ手の皮が剥け、血が流れた。彼女は何度も箒の柄を握り直し、獣を打った。耐えきれず箒の柄が折れたが、折れたままに打ち続けた。


 ──獣は、自分自身だ。


 何も知らず、自分だけがのうのうと幸福を手にしようとしていた。妹の苦しみに気づかず、日増しに塞ぎ込んでいくその様子に、自分は何を思った?


 守らなければいけない妹に、ずっと守られ続けていた。両親を失い、死の恐怖に怯えていた幼少の頃から、今日に至るまで、ずっと。


 それさえ気づけなかった自分の愚かさ、その馬鹿さ加減。


 すべてが(ゆる)せなかった。


 赦してたまるものかと思った。


 彼女は意識を失った獣と叔母に、油をかけた。そして家中に油を()くと、ためらうことなく火を放った。


 その晩、彼女は燃え上がる家を(かえり)みることもなく、村を出た。


 妹の日記と、折れて血まみれになった箒だけを手にして。


 ──妹の日記の最後。


『お姉ちゃん』と書かれた言葉。


 その呼びかけは何を意味していたのだろう?


 その続きを、彼女は知らなければならない。


 叶うことならば、続く言葉は自分に対する呪詛(じゅそ)の言葉であってほしかった。


 叶うことならば、死ねと言ってほしい。


 愚かな姉を恨んでいてほしい。


 使えなくなった箒の柄は、削って(くい)にした。化け物の心臓を一突きに刺し殺すことができるよう、鋭く、先を(とが)らせた。


 いつか妹を助け出す日が来たら、この杭で自分の心臓を刺し貫いてもらおう。


 それだけが、彼女の唯一の夢であり、生きる希望だった。


 妹の名はエルベゼーテ=テスビア。


 そして彼女の名は──。


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