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ハーフ・ヴァンパイア創国記  作者: 高城@SSK
第三章 王都編
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34 熱情

 曖昧(あいまい)な意識のなかで、(ひたい)に、誰かの手が触れる感覚があった。


 ひんやりと冷たく、それでいてほのかに温かい。


 心地よく、そして安心できる……。


 ずっと、このままでいてほしいと思った。


 しかし願いは(かな)わず、その手はすぐに離れてしまう。かすかな衣擦(きぬず)れの音とともに、立ち上がったようだ。


 どこかへ行ってしまうのだろうか。


「う……」


 青年は、手の持ち主を呼び止めようとした。けれども(のど)は空転したように、出るのはうめき声ばかりである。


 もっと、大きな声を出さなければ。


 待ってくれと、そう言わなければ。


 それなのに、喉が乾いて言葉が出てこない。


 焦るほどに身体の節々(ふしぶし)が痛み、全身が焼けるようだった。


「うぅ……」


 精一杯、声を発したつもりが、やはりうめくことしかできない。


 幼い頃に高熱で寝込んだ時のような、心細さで胸が()めつけられる。


「痛むのか?」


 声がした。女の声だった。


 はじめて聞く声だ。妙に安心できる声。声色こそ若いものの、落ち着いた雰囲気が漂っている。


 ──返事をしなければ。


 そうしなければ、彼女は今度こそ立ち去ってしまうかもしれない。


「……ぅ」


 声というより音を発して返事をする──したつもりだった。


「すこし待っていてくれ」


 ふたたび耳に届いた声。


 先ほどと口調は変わらない。落ち着いた声音だが、他の女のものと比べ、何かが特に際立っているというわけではない。


 ──なぜ、こうも安らいだ気分になるのだろう。


 その声を聴いているだけで、自然と痛みがやわらぐ気さえした。


 待っていろ、ということはまた戻ってくるはず……。


 それでも青年は不安だった。彼女は本当に戻ってきてくれるだろうか。


 青年がかすかに身じろぐと、女は笑ったようだった。


「すぐ戻る」


 言い残し、青年から離れていく。だが、そう遠くはない。物音がした。遠くでもなく、近くでもない。まだ完全に覚醒(かくせい)しきっていない耳に聞こえる、魔法のような甘美(かんび)な響きだ。


 やがて、女が戻ってきたようだった。


 青年はすべて、耳に届く音だけで女の存在を確認していた。まぶたは重く、全身が痛みで痺れている。


「薬は、飲めるか?」


 訊かれたものの、返事をするのは難しかった。


「悪いが我慢してくれ」


 女の言葉とともに、青年の顔を(おお)うような影が射した。


 青年の唇に、何かが触れた。


 腔内(こうない)に、液体が流れ込んでくる。逆らわず、こくりと嚥下した。こくり、こくりと二度、三度、喉を鳴らすと、それは彼の唇から離れていく。


「私は、夜は起きている」


 女の声が、すぐ間近から聞こえた。


「何かあれば教えてくれ。耳は良いほうだから」


 だが、青年が女を呼ぶことはなかった。その後すぐ、彼はまた深い眠りへと落ちていった。


 ◇


 青年が目を覚ましたのは翌日の日没ごろだった。


 右眼がまったく開かない。痛みのすくないほうの手でまぶたにそっと触れると、ズキリと鋭い痛みが走った。


 片眼のみで天井を見つめ、それからゆっくりと身体を起こす。肩には包帯(ほうたい)が巻かれていた。


 誰かが、自分を介抱してくれたらしい。


 誰が? という疑問を持つまでもなく、青年は部屋の一角から目を離せなくなった。


 夜と黄昏(たそがれ)狭間(はざま)で、女はひとり、窓の外を眺めていた。


 光を失いかけた部屋のなかで、白い肌が、輝くように浮かび上がっている。対照的に髪は光を吸い込むほどに黒く、そして長い。無造作に流した髪が、椅子の背にかかっていた。


 ──女神か、妖精か。


 とても人界の存在とは思えなかった。


「起きたのか」


 その幻のような人が、こちらを振り向くと、声をかけてくる。


 この声だ、と思う。


 夢うつつに聞こえた女の声に間違いなかった。


 長い睫毛(まつげ)(ふち)取られた、灰褐色の瞳がこちらに向けられる。


 青年はただ左眼を広げ、声を失って女に見惚(みと)れることしかできない。


「痛むのか?」


 こちらをうかがう女の眼遣(めづか)いに、青年は「ごくり」と唾を飲んだ。それが自分が思っていた以上に部屋に響いた気がして、恥ずかしさに目を伏せた。


「喋れないか?」


 それを女は誤解したらしく、立ち上がった。


 女はごく簡単な服装だった。上下とも薄い亜麻の布地で、男女兼用のトゥニカのようにゆったりとした造りになっている。袖口部分は腕輪とつなげて余りを絞り、肘の下で留めている。前後にわかれた長い前身頃(まえみごろ)は折り返して帯に巻き込み、逆に後ろはそのまま流して(くるぶし)丈のスカートに重ねていた。

 

 女は寝台の脇まで椅子を引いて、座った。


 顔をあげた女の視線が青年のとぶつかり、無言で見つめ合う。


「……?」


 あまりに無遠慮に見つめたせいだろう、女は訝しんで自分の顔に手を当て、払うような仕草をした。どうやら顔に何か付いているのかと思ったらしい。


「あ、いや、その」


 やっとの想いでそれだけ言うと、女は不思議そうに首を傾げた。


「そんなに痛むのか?」

「いえ、まったく……」


 青年は言いかけ、


「少しは、痛みますが……」

「薬ならあるが」

「あ、いまは大丈夫……です」


 正直なところ、痛んで仕方ない。が、今はそれどころではなかった。彼女から見られていると思うだけで全身が緊張で強張り、動悸(どうき)がして、いよいよ言葉が出てこない。


「すごい汗だが……」


 そんな青年に対し、女もどう接すればいいのか計りかねている様子だ。


 ぎこちない沈黙のなかで、青年は「このままではいけない」と切実に思った。自分がこんな美しい女性と話をするのは、人生で一度あるかないかだろう。


 ──この機会を逃すわけにはいかない。


 必死である。


 ちなみに。


 彼は独身だった。絶賛(ぜっさん)、恋人募集中の身でもある。


 ──こんな女性(ひと)を娶ることができれば。


 死んでもいい! 心の底からそう思えた。


 ──きっと、誰もが羨むにちがいない。


 想像が妄想となって男の脳内を走りはじめる。


 思い浮かべるのは、彼女との新婚生活である。


 毎朝、家を出る時は彼女の笑顔とともに送り出され、帰りも同じ笑顔で「おかえりなさい」と、迎えられる。当然、彼女は料理の腕前も一流にちがいない。極上の家庭料理を食べながら、彼女は今日、市で見かけた珍しい物や、友人との会話を喜々とした表情で話しかけてくる。──そう、その通りだ。異常な可愛さだ。だが、折悪く自分は疲れていて、彼女に対してぞんざいな態度を取ってしまうのだ。そんな自分に対し、彼女は()ねたような顔をして、それでも構ってほしいがために甘えた声を出して……。


 そこまで妄想し、青年ははっと我に返った。


 顔をニヤつかせている自分に気づく。


 まずい、と思っておそるおそる女を見ると、彼女は明らかに狼狽(ろうばい)した様子で、


「だ、大丈夫か? 頭を打っていたか? 熱はないようだったが」


 それでも心配そうに声をかけてくれる。


 ──なんて優しさだ。


 青年は感動せずにはいられない。


 普通、彼女のような多感な年頃の娘であれば、即座に「ヤダ、この人キモチわるぅ!」などと罵声を飛ばし、部屋から一目散に逃げていくのが当然だろう。


 それをしないばかりか、あくまで他者を思いやろうとするその姿勢──まさに女神である。


 ──これ以上、彼女に気まずい思いをさせては男が(すた)る!


 意を決して、青年は女を見つめた。


 これまでとは一転して青年の鬼気(きき)迫る表情に、女は何事かとたじろぎ、椅子に背中をつける。


「あなたは、女神だ」

「……は?」


 女はぽかんと口を開く。


 構わず、青年は続けた。


「命を救っていただき、ありがとうございました」

「ん?」

「僕の名はバディス=ノウと言います」

「……ああ」


 突然の自己紹介に、女は呆気(あっけ)に取られつつ、こくりとうなずく。


「あなたのお名前を教えていただけませんか?」 

「ティア」

「ティアさん、素敵な名です」 

「……どうも」


 ()められて困ったような表情が、たまらなくいじらしい。


「ティアさんにはもう、決まった人がいらっしゃるのでしょうか?」


 初対面の女性に尋ねるべき質問でないのは承知しつつ、青年──バディスの熱情は止まらない。


「決まった人、というのは?」

「恋人とか、伴侶(はんりょ)となる人のことです」

「それは、いないな」

「良かった!」


 バディスは感極(かんきわ)まってティアという名の女神の手を取った。


「えっと」


 ティアは嫌がってか、手を振りほどくような素振りを見せるも、そうは問屋が卸さない。バディスの熱情はギヨ・タライ永久凍土(とうど)をも溶かし尽くすほどに高まっている。


 なお、ギヨ・タライ永久凍土はノールスヴェリア王国の北、クォーリス大森林地帯よりも北にあるとされる、幻の大地である。


「僕にとって、ティアさんのような女神に出会えるのは人生でこれっきりだと思います。ですから言わせてください! 僕と……僕と結婚を前提に付き合っていただきたい!」

「断る」


 ティアが即答した。見事なほどにためらいがなかった。


「……え?」


 あまりの言葉の切れ味に、思わずバディスが硬直する。そこへ、部屋の入口から飛んできたリンゴがバディスの顔面に直撃した。


「え、じゃねーだろーが。え、じゃ。ボロボロのなりして告白してんな! このド変態!」

 

 リンゴの入った包みを抱え、鬼のような殺気を放つカホカがそこに立っていた。

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