表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ハーフ・ヴァンパイア創国記  作者: 高城@SSK
第三章 王都編
76/239

32 介抱

 (わし)のギルドの青年を背負い、宿に戻ると、部屋の窓が開けっ放しになっていた。


「イスラ?」


 留守番をしていたはずの黒狼がどこにもいない。青年を寝台に寝かせ、もう一度その名を呼んでみたが、やはり返事はなかった。


「どっかの影で寝てるんじゃない?」


 カホカの言葉に、「いや」とティアは頭を振った。


「イスラの気配がまったく感じられない」


 ティアは窓を見やる。


 風に、カーテンがはためいている。それが持ち上がるたび、隙間(すきま)から夜の闇がのぞいて見えた。


「出かけたらしいな」

「どこに? 散歩?」

「わからない」


 イスラの外出先など、ティアには知る(よし)もない。


 カホカとファン・ミリアの出会い、自分の死の状況、そしてルクレツィアの件など、色々と話したいことがあっただけに肩透(かたす)かしをくらった気分で、ティアは青年に視線を戻した。


「さっきよりも顔の()れがひどくなってきているな」


 まぶたも腫れてしまっているため、右目は塞がって見ることはできないだろう。


 上着を脱がせると、首から下のいたるところに殴られた痣ができていた。


「肩も脱臼(だっきゅう)しているな」


 ティアが言うと、「どれどれ」とカホカが寄ってきた。


「こんなもん、大したことないって」


 カホカは鼻歌まじりに青年の肩と腕を掴むと、「おら」と、はずれた肩を一瞬で()める。


「慣れたもんだな」


 ティアが感心するよりも呆れて言うと、「シダに稽古(けいこ)してやってる時に覚えた」と、おそろしい答えが返ってきた。


「気を失ってくれていて助かったな」


 起きていれば、かなりの痛みを感じたはずだ。


「シダは我慢してたよ。んじゃ、アタシはお婆ちゃんから薬と包帯をもらってきてあげる」


 事もなげに言って、カホカが部屋を出ていく。


「シダ、大変だったろうな」


 カホカの弟分のことを想いながら、傷だらけの青年の身体をじっと見下ろす。


 ふたりきりになると、カーテンのひるがえる静かな音だけが聞こえはじめた。


 青年の殴られた(あざ)の、ところどころから血が(にじ)んでこびりついている。


 ──血……。


 その、赤に対する意識がゆっくりと這い登ってくる。


 先ほど、ルクレツィアの首筋に触れた感触を思い出す。


 ──とても、うまそうだった。


 ルクレツィアの首に触れたのは、特に考えてのことではなかった。彼女の動きを制するため、無意識にティアが選んだ身体の部位だった。


 生きている証。


 脈打つ、心臓の鼓動。


 その血の流れ。


 彼女が逃走した後も、かすかに芽を出した欲望は、いまも糸を引くようにティアの渇望を疼かせている。


 ──カホカは……?


 足音は聞こえない。まだ戻ってくる気配はなさそうだ。


 ティアは、指先を青年の身体に触れさせた。労わるように軽く……けれども傷跡から滲む血がより指に付着するよう、ゆっくりと動かす。


 そうして血になじんだ指を、ゆっくりと自分の口に運んでみる。


 独特の香りと、鉄のような味。


 これが、自分の食糧。自分が、求めているもの。


「……おいしい」


 思わずつぶやく。


 どうしようもなく、そう感じてしまう。カホカの血を飲んだ時の、脳髄に一撃を喰らったような恍惚(こうこつ)陶酔(とうすい)ほどではなかったが、それでもティアの期待に応える程度には美味である。


 ──もっと……。


 自分の唾液で濡れる指を、気を失っている青年の傷跡に触れさせる。固まりはじめた血をふたたび溶かすように、指ですくって舌で()め取った。


「ふふ……」


 嬉しくて、美味しくて、つい口元がゆるんだ。


 ゆらり、とティアの円らな瞳が右から左へと流れる。


 整いすぎた顔立ちの、その眉が楽しげに開く。


 繰り返し青年の血を指につけて舐める。そうしているうちに、


 ──噛みつきたい。


 より強い血への衝動に駆られていく。


 ……この男の血を飲み干し、他者の血を全身に行き渡らせたい。


 そう思った瞬間、ティアはとっさに青年から視線をそらした。


「……だめだ!」


 しっかりと声に出し、自らに言い聞かせる。


『ふたたび化け物になりたくなければ、腹を満たすのは少しずつにせよ』


 イスラからよくよく言い聞かせられた言葉を、頭の中で何度も反芻する。


 間の悪いことに、いまイスラはいないのだ。もし自分がリュニオスハートでの洞窟(どうくつ)の時のようになってしまったら、きっと周囲の者たちを傷つけてしまう。


 誘惑と戦っていると、青年が「う……う」と、苦しそうに身じろぎした。


 はっとしてティアが見ると、青年の片目がゆっくりと開いていく。


「ここは……?」


 痛みに顔を歪めながら、青年がつぶやいた。


「安心しろ」


 青年に負担をかけぬよう、ティアは寝台の上に身体を乗り出し、その顔を真上から見下ろす。


「誰、だ」


 かすれた声で訊かれ、ティアは表情を和らげた。


「お前たち鷲の仲間だ。安心して眠れ」

「仲間に……」


 青年は譫言(うわごと)のようにつぶやく。


「伝えなければ……」

「わかっている」


 ティアはすべてを知っている風を装い、青年の額にそっと手を乗せた。


「何も心配はいらない……仲間のためにも、お前は眠らなければいけない……」


 ティアが優しい声音で話しかけると、青年は安心した様子で瞳を閉じた。


「それでいい」


 ティアが手を離したときにはもう、青年は安らかな寝息を立てている。


 ──眠ったか。


 ティアが身体を起こした。そうして部屋のドアを見ると、カホカが薬と包帯を手に、不機嫌そうな表情で立っている。


「そんなところで何してるんだ?」


 ティアが訊くと「別に」とカホカが唇を尖らせた。


「勘違いするなよ」と、先にティアは言っておく。

「彼を寝かせていただけだ」

「それは見てたからわかる。いま寝かせたの、吸血鬼の力ってやつ?」

「なに言ってるんだ。力なんて使ってないぞ」

「ふうん……」


 カホカは釈然(しゃくぜん)としない表情で部屋に入ってくると、青年の介抱(かいほう)をはじめる。


「オレも手伝おう」


 ティアが申し出ると、


「アンタは絶対に手伝うな」


 断固として拒否されてしまった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ