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ハーフ・ヴァンパイア創国記  作者: 高城@SSK
第三章 王都編
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22 Day Off

 窓辺に、一鉢の花が活けられている。


 まだ開花前ではあるものの、白いつぼみはぽってりと膨らみ、いまにも花びらが弾け出そうな力強さがある。


 その花は、シーニョと呼ばれていた。隣国の聖ムラビアよりも西、シニフィアという国の国花とされている花で、春には大輪の花を咲かせ、油分が多く採れるため、香水にすることもできた。


 朝──ファン・ミリアは夜明けとともに起き出すと、まず水盤で顔を洗った。


 その残りでシーニョに水やりをする。


 つぼみを指でつついてやると、困ったようにちいさく震えた。


「もうすぐだな」


 ファン・ミリアは満足そうな笑みを浮かべながら、東の窓を開け放った。間近に迫るウル・エピテス城のむこう、東雲の空が薔薇色を映じている。


「……いい天気だ」


 窓枠に手を置いて、ゆるく目を閉じる。


 かすかに冷気を感じさせる黎明の風が、ファン・ミリアの頬を撫でていく。


 この花冷えの季節が、彼女はたまらなく好きだった。


 清新な息吹を感じさせる風の香りに、生まれ変わった心地がする。


 目を閉じたまま軽く腕を組み、壁に肩をあずけていると、背後でドアの開く音がした。ファン・ミリアが寝台から床に下りた物音だけで、起きたのがわかったのだろう。


「おはよう、サティ。相変わらず早いわね」


 言われ、「おはよう」とファン・ミリアも返す。


「あなたが絵になる女性なのは十分に知っているつもりだけど、そんな薄着では風邪を引くわよ」


 入ってきたのは、女従者のルクレツィアである。彼女は手に持っている紅茶をいったん寝台脇の小卓に置くと、ファン・ミリアの肩に毛皮の半マントを掛けた。


「ありがとう」


 ファン・ミリアはお礼を言って紅茶を受け取り、口をつけた。熱い液体が喉を通っていく感覚に、すん、と鼻をすすった。


「せっかくの非番なんだから、もっとゆっくり寝ていればいいのに」

「自然に目が覚めてしまうんだ。ルクレツィアの仕事を増やしてやれとの神のお告げかもしれない」


 朝焼けの空を眺めながら、ファン・ミリアは冗談めかして微笑う。


「結構なことだわ。労働は神への奉仕だもの」


 慣れた調子でルクレツィアが返してくる。


 ルクレツィア=タルチオはファン・ミリアの故郷、ラズドリアでの幼馴染である。年齢も同じで、太陽の光を浴びるとほのかに青みがかる不思議な黒茶色の髪と、同色の瞳を持っていた。


 もとはシニフィアのさらに西、パダリアの人だが、物覚えのつかない頃に家族とともに東ムラビアのラズドリアに渡ってきた移民だった。彼女もファン・ミリア同様、農家の娘だったが、ラズドリアの砦包囲戦において、神の啓示を受けて蜂起したファン・ミリアの片腕として、共に戦場を駆けた戦友でもある。女性らしく力こそないものの、双剣をよく扱い、こと投剣に関しては農民軍でも随一の腕前を持っていた。


 ルクレツィアはファン・ミリアとはちがい、出仕の誘いを()けなかった。そのためファン・ミリアの上京に伴い、一度は離ればなれになったふたりだったが、ファン・ミリアが慣れない王都暮らしを愚痴る手紙を送ったところ、何も言わずに訪ねてきてくれたのだ。


 それ以来、こうしてファン・ミリアの従者として仕えてくれている。


「それで、今日の聖女様のご予定は?」


 訊かれ、「どうしようか」とファン・ミリアはつぶやく。はっきり言って、予定は何もなかった。

 今日に限らず、ファン・ミリアの休日は唐突に訪れる。副団長のベイカーから前日に「明日は一日休んでください」と言われれば、その日は休日である。バリエーションとしては、「明日は午後からお願いします」や「明日は午前だけお願いします」や、まれに「明日と明後日は休んでください」があったりする。


 なぜこれほど唐突になるかと言うと、他の団員たちの出勤を組んだうえで、最後にファン・ミリアの調整が入るからだった。ファン・ミリアは特に休みが欲しいとも思っていないので、そうしてほしいと自らベイカーに申し出たのである。


 また、団長のジルドレッドと休みをかぶらせるわけにはいかない、という事情もあった。


「素振りでもするか」


 ファン・ミリアが言うと、「まったく、サティときたら」と、ルクレツィアが呆れ顔を作った。


「花の乙女が、何が悲しくて休日に剣を振り回すっていうのよ。いつもいつも、家に持って帰るのは仕事ばっかり。たまには男のひとりやふたり、連れ帰ってきなさいよ」


 ルクレツィアの小言を聞かされるのはいつものことである。


 ちなみに、ルクレツィアがファン・ミリアを『サティ』という愛称で呼ぶのは、ファン・ミリアの元々の名に由来している。


 ファン・ミリアという名前は託宣の際に神より授かった名であり、両親から与えられた名をサティアという。大陸の文化に照らし合わせると、『ファン・ミリア』は称号か、もしくは洗礼名に近い。ゆえに正確な彼女の名はサティア=ファン・ミリア=プラーティカになるのだが、彼女自身はサティアを幼名のようなものだと認識しているため、これを省いてファン・ミリア=プラーティカと名乗っている。


 そのため彼女を『サティ』という愛称で呼ぶのは、託宣以前の彼女を知る人物だけ、ということになる。


 この広い王都で、現在、ファン・ミリアをサティと呼ぶのはルクレツィアただひとりである。


「……男女については、私にはまだ早いと思う」


 特に異性に対する関心の薄いファン・ミリアが言うと、


「その言葉、十年前からまったく変わってないわよ」


 いい? とルクレツィアはファン・ミリアに迫るように、


「十七歳で恋人ひとり作らなくて、この先どうやって生きていくつもりなの。どんなにお美しい聖女様だって、いつかは皺だらけのお婆さんになるのよ?」

「それはルクレツィアも同じだろう」

「私はいいの。サティよりも器用にできてるから」


 ルクレツィアはきわめて理不尽なことをさらりと言ってのける。


「サティってば、戦場以外ではほんとうに垢抜けない田舎娘なんだから」

「そこまで言わなくてもいいだろう」


 憮然としてファン・ミリアが返すと、


「じゃあ恋人なり、好きな殿方なりがいるの?」


 ファン・ミリアはしばらく考え、「わかった」と顔を上げた。


「今日は焼き菓子でも作ろう。渡したい人がいるんだ」

「あら」


 幼馴染の意外な発言に、ルクレツィアは目を丸くする。


「ちゃんといるんじゃない。どんな人なの?」

「身長は、私よりも低い」

「小柄なのね」

「物知りで、頭のいい方だ。一昨日、久しぶりに会ったんだ。城内にある図書館の館長を務めている」

「なるほど、あなたとは真逆なタイプの男性ってわけね」


「そうだな」とファン・ミリアはうなずき、


「いつでも来ていい、と言ってくれたんだ」

「なかなか情熱的じゃない。おいくつなの?」


「おそらく……」と再びファン・ミリアは考え込む。


「六十は過ぎていると思う」

「はい、却下」


 ルクレツィアはぱん、と手を叩く。


「なぜだ」というファン・ミリアの抗議は無視された。


「そんなことだろうと思った。私はあなたがお婆さんになることを予言したけれど、いますぐと言った覚えはありません」

「そんなことは、わかっている」

「いいえ、聖女様は何もわかっておられません」


 いい? と、ルクレツィアはさらにファン・ミリアに迫る。


「はっきり言って、サティには遊び心というか、余裕がないのよ。だから眉間に皺を立てるばっかりで休日の予定を立てられないし、鍛錬にかこつけて素振りをはじめてしまうの」


「それはちがう」とファン・ミリアは否定する。


「予定が立てられないのは休日が突然決まるからであって、私に余裕がないわけではない。また、素振りは私の趣味であって、やることがないわけ──」


「おだまりなさい」


 ぴしゃりと言われ、ファン・ミリアは押し黙る。親友とはいえ、なぜ休日の早朝から怒られなければいけないのか、ファン・ミリアにはまったく理解できない。


 ルクレツィアはそんなファン・ミリアの心情を意にも介さず、


「そこまで言い訳するなら、サティには休日の任務を与えます」

「任務?」


 その言葉に、ファン・ミリアの瞳がにわかに輝く。主であり親友でもある彼女の思った通りの反応に、ルクレツィアは内心でほくそ笑みながら、「そうよ」と、朝陽に青みを帯びる黒茶色の髪をかき上げた。


「今日の日没までに、素敵な殿方をひとり、この家に連れてくること」


 一気にファン・ミリアの瞳から輝きが失われた。


「ちがう。それは私の思う任務──」

「おだまりなさい」

「聞けルクレツィア。私には無──」

「お だ ま り な さ い」

「……わかった」


 有無を言わさぬルクレツィアに、神託の乙女ファン・ミリアはしぶしぶ了承したのだった。


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