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ハーフ・ヴァンパイア創国記  作者: 高城@SSK
第三章 王都編
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17 凶事

残酷な描写があります。

 月は黒い雲に隠れ、星の光も届かない。


 肌にまといつくような生温い風が、嵐を予感させた。


 深い夜に包まれた山々に、小雨が降っている。


 唐檜(とうひ)(もみ)などの常緑樹が鬱蒼と生い茂る山の中腹あたりに、焚かれた篝火(かがりび)の列が見え隠れしている。


 それぞれの火に浮かび上がる村人たちの顔は、一様に強張り、緊張の色を浮かべていた。


 雨が篝火に当たり、ちりちりと音を立てている。火は明滅するように、強くなったり、弱くなったりを繰り返す。その度に、人の影が踊るように伸び、また縮む。


 言葉を発する者は誰もいない。篝火の明かりを頼りに、村人たちは黙々と歩き続けた。泥濘(ぬかるみ)に足を取られぬよう、用心深く、ゆっくりと。


 押し黙りながら、脳裏に思い浮かべるのは、ひとりの娘の笑顔だった。


 明るい性格と表情の豊かな娘で、村人の誰からも愛されていた。


 娘の母親は産後の肥立ちが悪く、すでに亡くなっている。父娘ふたり、村で唯一の宿を営んでいたが、最近になって父親が中風にかかり、寝たきりになってしまった。


 それでも娘は女手ひとつで父親の世話をしながら、宿を切り盛りした。


 (あわ)れと思った村人たちは、娘が生活できるよう、何かと工面をしてやりながら、このつらい山の生活をともに生きてきた。


 その娘がある日、忽然(こつぜん)と姿を消してしまった。


 毎朝、店先に出て掃除をしていた娘が、その日に限って出てこない。


 風邪か、もしくは父親に何かあったのかと、心配した村人が入っていくと、三階に父親がひとりだけ、寂しく床に横になっていた。


 娘はどこに行ったのかと訊いてみると、父親は知らないと言う。娘は出かける時は必ずその旨を父親に伝え置いていたらしいが、それも聞いてはいないとのことだった。


 しきりに心配する父親を慰めつつ、村人のほとんどがこう思った。


 とうとう、この村から娘を連れ出してくれる男が現れたのか、と。


 もしくは、この貧しい村に嫌気がさし、山を下りてしまったのか。


 どちらにせよ、娘が幸せになってくれさえすればと、村人は願うばかりだ。村からの援助を受け取るたび、「申し訳ありません」と恐縮しきった様子で頭を下げる娘を見るのは、誰にとってもつらいことだった。


 父親の今後を考えればたいそう惨めではあるが、それは村人全員で慰めていくしかない。娘には娘の人生がある。


 しかし……。


「あそこだ」 


 列の先頭を歩く猟師(りょうし)の男が、前方を指さした。


 後ろに続く村人たちが、不安そうに顔を上げる。


 猟師の男が手にした篝火を高く持ち上げると、一本の木の枝に、布の切れ端が結びつけられていた。男が目印につけておいたものだった。


 その木のむこうからは底なし沼が広がっている。危険なため、地元の村人たちでさえ、滅多に近づくことはなかった。


 猟師は厳しい顔つきで沼の縁に立つと、乗り出すように篝火を突き出した。


 明かりが、暗い沼の面を照らし出す。


 猟師の男の横に並び、沼の縁に立つ村人の、その誰もが恐怖に顔を引きつらせている。


「これは……」


 照らし出された沼から、明らかに若い女のものだとわかる右腕が、まるで水草が生えるように伸び出していた。


 腕は不気味なほどに白々として、手の平がこちらに向けて開かれている。


 ──こっちに来い。


 そう誘いかけてくるようだった。


 腕が伸び出ているのは、沼の縁からそれほど離れてはいなかった。


 だからこそ恐ろしい。


 ちょうどいま猟師が立っている位置から、人ひとりを思い切り沼に放り投げれば、そのあたりに着水するのではないか……。


 無言のまま、猟師の男が命綱を腰に巻きはじめた。村人は数人がかりで命綱を掴む。そうして誰もが願っていた。


 せめて別人であってくれ、と。


 猟師の足が、沼に入っていく。いつでも引けるよう、村人たちは綱を持つ手に力を込めた。


 猟師はおそるおそる白い腕を掴む。とうに温かみを失った腕は、雨に打たれながら、人の柔らかさをも失っていた。


 少しずつ力を込めながら、腕を引っ張り上げようとする。が、すぐに猟師はその異常に気がついた。


 ──軽すぎる。


 人の重さにしては、あまりにも軽い。


 猟師は己を鼓舞しながら、それでもゆっくりと腕を引き上げていく。


 すぐに二の腕があらわになった、そして肩、胸と……次第に女の裸が外気に晒されていく。


 けれども次の瞬間、残りの部分が一気に現れ出て、男は尻もちをついた。引き上げた勢いのままに、それが男の上に覆いかぶさってくる。


「引け、引け!」


 猟師が悲鳴のような叫び声を上げた。


 だが、村人たちは動けない。誰もが顔面を蒼白にさせ、男が引き上げたものを凝視していた。


 死体は、顔と右半身だけしかなかった。


 そして、その顔は……村人たちのよく知るその顔は、どれほど残酷な目に遭えばそうなるのかと思われるほど、恐怖と苦悶の表情を浮かべていた。


「……イースラス・グレマリー様──」


 泣き声のような祈りの言葉が、ひとりの村人の口からこぼれ落ちていく。


 月は黒い雲に隠れ、星の光も届かない。

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