12 旅立ちのエルフⅣ《外伝》
シィルは暗い部屋のなかで目を覚ました。
「う……」
前後左右、そして上下にも揺れを感じる。
「ここは、どこですか?」
意識がはっきりとしてきたにもかかわらず、揺れは続いていた。自分ではなく、床が……いや、部屋ぜんたいが揺れている。
はっとして立ち上がった。
暗い部屋の、牢屋にシィルは閉じ込められていた。
「ちょっと、これは何ですの!」
シィルは鉄格子を握った。押しても引いてもビクともしない。
「だれか。だーれーかー!」
必死で呼び求めると、
「うるせぇぞ」
男の野太い声とともに、シィルの背後で物影が動いた。
「ちょっと、そこのあなた!」
シィルは地獄に仏とばかりに逆側の鉄格子に取りついた。
「ここはいったいどこなんです? 助けてください! いや、助けなさい!」
すると、男は「ハッ」とシィルを小馬鹿にしたように笑う。
「何を笑うことがあるか、この下郎!」
シィルは腹を立てた。自分がこんなに頭を下げて頼んでいるというのに、なんという無礼な態度か。
「お前を助ける奴なんざ、どこにもいやしねぇよ」
そう言って、男は自分の周囲を顎で示す。
シィルがよくよく見てみると、男もまた隣り合った牢屋に入れられていた。
ふたりが捕えられている牢屋は、もともと部屋に備えつけられたものではなく、鳥籠のような造りになっている。
「わかっただろ、エルフの姉ちゃん。オレもお前と同じだ」
「私と、同じ?」
「売られたんだよ、オレたちは」
「え、ええ?」
「もっとも、オレは自業自得だけどな。お前はそうじゃないみてぇだ」
シィルは驚く。驚いてはみたものの。
「売られたってどういうことですの? 私は商品になった覚えはありませんわ」
当然のことを言ったつもりが、男は「お前、本気か?」とかえって心配されてしまった。
「人を売り買いする性質の悪い連中に捕まったんだよ、お前は。ずっと眠っていたようだが、薬か、殴られるかされたんじゃないのか?」
「薬か、殴られて……」
殴られた記憶はなかった。
──そう。
すこしずつシィルは思い出しはじめていた。
蛇の刺青をしている男にお礼を言われ、紅茶を奢られ、そして眠くなった。
そう男に伝えると、
「それだな」
あっさり指摘された。
「眠り薬でも紅茶に入れられたんだろう」
「眠り薬……」
シィルは呆然とつぶやく。
「私は、あの刺青の男に騙されたのですか?」
「それを騙されたと言わねぇで、他に何て言うんだ?」
「ぬ……ぬぬ……」
怒りがふつふつとこみ上げてくる。
「おのれー!」
と、シィルは肩に背負った弓に手を伸ばしかける。だが。
「あら、私の弓がありませんわ」
どこに行ったのかしら、と牢屋のなかを見回すも、どこにも見当たらない。
「弓やーい、シルヴィハールやーい」
自分の愛弓を名を呼んで探すが、牢屋にないのは一目瞭然である。
「……おおかた、上の奴らに持っていかれたんだろう」
「上の奴ら?」
シィルがまた鉄格子の前に寄っていく。
「暗殺ギルドの連中だ。ノールスヴェリアと東ムラビアを股にかけて人身売買をする、阿漕な奴らだ」
「……ひょっとして、私は攫われたのですか?」
「だからさっきからそう言ってるだろうが!」
男に呆れられつつ、ようやくシィルは理解した。
「では、ここは……」
「船だ。おそらく俺たちは東ムラビアに運ばれている」
「ぬ……ぬぬぬぬぬ……」
謎の全貌が解け、再び怒りがぶり返してくる。
「この私を攫うなど、許されることではありませんわ!」
シィルは再び背中に手をやるが、やはり弓はない。矢筒もない。気がつけば、頭に巻いていたターバンさえなかった。おまけに魔法石の原石が入った布袋までなくなっている。
「身ぐるみ剥がされましたわ!」
怒りここに極まれり、といった調子でシィルは喚き散らす。
「こんちくしょう!」と地団駄を踏んでいると、
「……そんなことより、自分の身の心配でもしたらどうだ?」
さすがに同情した口調で男が話しかけてきた。
「オレもお前みたいなエルフを見るのははじめてだが、上の連中の話によると、お前は相当な高値で売れるらしいぞ。エルフは美人で有名だからな。手籠めにしたがる金持ちなんざいくらでもいるだろう」
「まぁ……!」
シィルは頬に手を当て、恥じらいながらいやいやをする。
「手籠めだなんて……そんな」
「なんで照れてるんだ、お前は?」
男が半眼になる。
はっとしてシィルは頭をぶんぶんと振った。急いで拳を作る。
「この、エルフの皇女たるシィル=アージュを手籠めにするなど、許されることではありませんわ!」
「……さっきからお前、おんなじことばっかり言ってるな。ていうかお前、エルフのお姫様なのか?」
多少なりとも驚いた様子の男に訊かれ、ええ、とシィルは力強くうなずいた。
「でもこれは内緒ですわよ」
手の平を口元に添え、シィルは声をひそめる。
「内緒のことを、見ず知らずの俺に話してもいいのか?」
「あなたには特別ですわ、袖振り合うも多生の縁とも言いますし」
自身満々にシィルが告げてくる。
「……お前が攫われた理由がよくわかった気がするよ」
男は疲れたような溜息をこぼした。
「あら、あなた元気がありませんわね」
「元気うんぬんの前に、普通、攫われたら気分が落ち込むもんだろう?」
「なにを言ってるんですの? 安心なさい。どうせですから、あなたは私が助けてさしあげますわ」
「助かる方法があるのか?」
「そんなもの──」
シィルはさも当然といった口調で、
「ぜんっぜん、あるわけないですわ!」
言い放ち、哄笑する。
「でも……えっと、あなたのお名前は?」
「サスだ」
つまらなさそうに男が名乗る。
「サス、よくお聞きなさい」
シィルは言って、
「いいですか、サス。私はエルフ族の皇女として、高貴なる役目を果たさねばなりません。たとえそれがあなたのような下賤な人間族の、見るからにうだつの上がらないおっさんだったとしても、です」
「さいですか」
サスはだんだんこのエルフの娘の性格がわかってきた。
「いいですか、サス。よくお聞きなさい」
「さっきから聞いてる」
サスが面倒そうに答えると、シィルは両の拳をぐっと握りしめた。
「スゥ、スゥ、カッ、ですわ!」
「ああん?」
「スゥ、スゥ、カッ!」
シィルは意味不明な言葉を繰り返している。
「なんだそりゃ、呪いの言葉か何かか?」
「お馬鹿!」
サスが訊くと、ものすごい剣幕で怒られた。
「これはエルフ語で『頑張ります!』という意味の言葉ですわ。ほら、あなたも言ってごらんなさい」
「はぁぁ?」
「いいから言ってみなさい!」
「……嫌だ」
サスが断ると、シィルはひとりで「スゥ、スゥ、カッ!」と連呼してくる。はじめは無視していたサスだったが、あまりのしつこさに根負けし、仕方なく、
「……すぅ、すぅ、かっ」
と、言ってみると、
「ぜんっぜんちがいますわ!」
また怒られた。
「スゥ、スゥ、カッ! は女性が使う言葉ですわ。男性の場合はスゥ、スゥ、カップ!」
「知るか!」
サスの怒声が部屋に響き渡った。