10 君とダンスを
貧民街の奥は空き地になっていた。
ここら一帯はルーシ人の居住区になっているらしく、黄色い布があちこちの家にかかっていた。
その理由をカホカに訊いてみたところ、少数民族である彼らには、それとわかるよう、家や服に黄色い印をつけるのが義務づけられているのだそうだ。
空き地のところどころには下草が生え、片隅には資材やらゴミやらがうず高く積まれている。松明の明かりのなかで、子供たちがナイフの投擲の練習をしたり、綱渡りや梯子を使った曲芸の練習などをしていた。
「ルーシ人は大道芸をしたり、手相占いなんかをして金を稼いでるんだよ」
そうカホカから教えられた。
「だからカホカは身軽なのか?」
ティアが訊くと、「さぁ、どうだろ」とカホカは肩をすくめる。
子供たちの視線を感じながら、空き地に面した酒場のような建物の前に立つ。基礎部分が石造りになっており、その上に木造の建物が載っていた。元は店として使われていたらしく、古く傷んだ看板が支柱から剥がれ落ちてしまっていた。割れた窓の内側には黄色い布で覆いがしてあり、こちら側に明かりがうすく漏れている。
なかに何人か人がいるようだ。
ティアとカホカは階段を上る。途中、ふとカホカが口を開いた。
「ルーシ人てさ、けっこう人見知りする民族なんだよ。これまでさんざん虐められてきたからね」
ドアの前で、ティアはカホカからルーシ人に対しての心構えを聞かされた。
「みんな仲間なんだから、絶対に嘘はついちゃだめだよ」
「わかった」
「あと、場合によっちゃ、ティアには待っててもらうことになるかも」
「わかった。遠慮なく言ってくれ。──イスラは今、そっちにいるのか」
ティアが訊くと、カホカは首を横に振る。
「たぶん、いない」
『お前の影の方じゃ』
イスラの声が、ティアの頭のなかに響く。
『イスラは、カホカの側にいてくれないか?』
『心配なのか?』
『そういうわけじゃないけどな。まぁ、オレがいなくても、イスラがついてくれていれば安心だ』
ティアが言うと、よかろう、とイスラから返ってきた。
『お前たちふたりの影を重ねよ』
イスラから言われた通り、ティアは空き地からの逆光をつかって、自分の影とカホカの影を重ねた。するとすぐに、
『お、イスラがこっち来た』
カホカが嬉しそうに言って、ティアもちいさく笑う。
なんとなくだが、イスラはカホカのことが気に入っているようだ。それがティアと同じ群れの仲間だからか、それともただ単純に性格が合うからなのかはわからないが、いずれにしてもふたりが仲良くしてくれるのは、ティアにとっても嬉しいことだった。
建物内は壁を取り払っているらしく、かなり広々としていた。洋灯の光が室内を照らしている。一見してルーシ人とわかる男女が五人、椅子に座ったり、寝椅子に横になったりしていた。
「見ない顔だ。誰だ、あんたたちは?」
すぐに男のひとりが近づいてくる。
「どもども」
と、カホカが明るい声で挨拶をする。
「アタシはカホカ=ツェン。で、こっちがティア。ルーシ人じゃないけど、仲良くしてやって。アタシたち、リュニオースハートからついさっき王都に着いたばかりなんだよ」
紹介され、ティアはちいさく頭を下げた。そうしてカホカが先ほど大乱闘をした酒場での事情を説明すると、室内に爆笑が起こった。
「そういうことなら、歓迎するぜ」
ティアとカホカはテーブルに案内された。
しばらくカホカを中心に会話をしていると、二階から呼び鈴が鳴り響くのが聞こえた。
「お、婆が呼んでやがる」
男のルーシ人が言った
「きっと、新人が来たから気になってるんだよ」
カホカがティアに話しかけてくる。リュニオスハートのイヨ婆に限らず、こういったルーシ人が集まる場所では、最高齢の女性が長老としてまとめ役になるのが常らしい。
そして、基本的に長老はルーシ人としか話をしない、とも。
そういうことか、とティアは先ほどのカホカの言葉の意味を理解した。
「じゃ、ちょっと待っててね」とカホカは手を振って二階へと上がっていく。
カホカがティアとルーシ人との間を取り持つ人間になるため、自然、彼女がいなくなってしまえば話が途絶えがちになった。
気まずさ、というよりなんだか申し訳ない気分になってきて、
「ちょっと、外にいる子供たちを見てきてもいいか?」
ティアが訊くと、
「ああ、好きなようにしてくれ」
と、あっさり許可をもらうことができた。
◇
外に出ると、夜もかなり深まっている時間にもかかわらず、子供たちが熱心に大道芸の練習をしていた。
階段に腰を下ろし、しばらくその様子を眺めていると、ひとりの少女がティアの前に寄ってきた。肌にぴったりとした道化師の服を着ている。頭巾の先についた鈴が、かわいらしい音を立てた。
愛くるしい姿に、ティアはつい顔を綻ばせた。
「あなた、どこから来たの?」
「シフルだよ」
ティアが正直に答えると、少女はわかったような、わからないような表情でうなずいた。
すると、それをきっかけに子供たちが集まってきた。自己紹介をするよりも早く、ティアの隣に座ってきたり、髪を触ってきたりする。ティアが自分の名前を伝えると、「ティア、ティア」とさらに子供たちは面白がって、後ろから抱きついてきたり、腕を引っ張ったりする。
そうして空き地へと連れ出されたティアの前で、子供たちが次々と得意の大道芸の技を披露していく。
「すごいもんだ」
笑顔のティアが惜しげもなく拍手をすると、子供たちは気を良くしたらしく、
「ティア、踊ろう」
と、言ってきた。
ひとりが言い出すと、他の子供たちも次々と「踊ろう、踊ろう」とティアに取りすがってくる。
ティアはタオ=シフルだった頃に、貴族の嗜みとして、宮廷舞踊の基礎を学んだことはある。けれど、子供たちの指す踊りとは明らかにそれとは違うものだった。平民向けのもので、けっして優雅でもなければ気品のある振り付けではなかったが、その分、わかりやすく、また情熱的だった。
ティアは子供たちから振り付けを教えられ、ステップを踏みはじめた。
貴族の踊りと比べて大きく違うのは、男性役が女性役の肩に手を置いたり、身体を支えたり、場合によっては抱きついたり、要するに密着が多いということだった。貴族の踊りにもそれがないわけではないが、基本的には手を握ったり重ねたりする程度である。
子供たちは楽器も扱えるらしく、ティアはその音に合わせながら、子供たちに囲まれて踊った。武術の心得のあるティアだったが、根本的に身体の使い方が違う。武術は自分の身体を武器にするのに対して、舞踊はあくまで楽器のように身体を奏でる、といった感じだ。
全身から汗が流れるまで踊り、ティアは階段に戻って休憩する。子供たちもティアを囲んで座ると、すぐにちょっかいを出してくる。ティアもお返しとばかりに子供たちをくすぐったり、頬っぺたを引っ張ったりしてやると、子供たちはますます面白がって笑い声をあげる。
子供たちが笑い止むと、ティアは気になっていたことを訊いてみた。
「あそこで踊っている男の子は?」
ティアは顔を空き地へと向ける。
ティアとカホカがここに来たときから、ずっとひとりで練習していた少年だった。こちらには近づいてこようとせず、黙々とダンスの練習に没頭している。年齢もティアを囲む子供たちよりも上で、カホカの弟分であるシダと、ちょうど同じぐらいの年頃だった。
「あ、カペッザはねぇ。いつもひとりで踊ってるんだよ」
と、道化師の恰好をした少女が教えてくれた。聞くと、カペッザという少年は舞踊士を目指しているらしい。舞踊士とは踊りの振り付けを教えたり、酒場などの舞台で踊り、客を喜ばせたりする職業である。
「へぇ」
夢を持っている少年を、ティアは懐かしい瞳で見つめる。自分もかつては、あんな風にひたむきに夢へと走り続けていた。
ふと、視線を感じたらしく、カペッザと眼が合った。少年はティアの視線から逃げるように、またダンスの練習をはじめる。よほど人見知りする性格らしい。
ティアは階段から立ち上がった。カペッザのほうへと歩いていく。
近づいてくるティアの気配にはとうに気づいているだろうに、あくまで気づかないふりをするカペッザが微笑ましい。
「もし──」
ティアが話しかけると、ぴたりと少年はダンスの練習を止める。
「よかったら、私にダンスを教えてくれないか。君が一番、踊るのが上手だってみんなから聞いたんだ」
「別に……」
カペッザはティアの顔を見ようとしない。
ティアは構わず、強引に少年の手を取った。カペッザはますます恥ずかしそうに顔をうつむかせる。
「もし君が玄人の舞踊士を目指すなら、私なんかと踊ることに照れてちゃいけない。君の夢は、地面には落ちてない」
ティアが真剣な口調で告げると、カペッザのまとう雰囲気が一変した。顔を上げ、にらむようにティアを見つめ、手を強く握り返してくる。
それでいい、とティアは微笑む。自分が失ってしまったものを持っているこのルーシ人の少年が、ティアには眩しく、そして羨ましかった。
気を利かしてくれたのか、子供たちが演奏をはじめる。ティアは慣れないステップをたどたどしく踏みながら、それでも必死にカペッザについていく。小声ながらも、カペッザはティアにアドバイスを送ってきてくれる。
踊りながら、ふと周囲を見ると、いつの間にか子供と一緒にカホカも踊っていた。独楽のようにくるくると回りながら、「やっほー」と、片目をこちらに瞑ってくる。カホカだけでなく、建物内にいたルーシ人の大人たちも総出になって空き地で踊っていた。
──がんばれ。
心の中で、ティアは少年に話しかける。
月と火に照らされながら、ティアは真夜中のダンスを踊り続けた。