9 食事
厚く切り分けた豚肉のミートローフを、カホカは大口を開いてかぶりつく。
「うまし!」
噛むほどに肉汁が滲み出してくる。胡椒の香ばしさが口いっぱいに広がった。
もぐもぐと咀嚼しながら、さらに塩で煎ったレンズ豆をかきこむ。
蜂蜜を混ぜた水を喉に流し込み、
「ぷっはぁ~!」
と、カホカは幸せそうな表情を浮かべた。
『よく食う娘じゃ』
『なに言ってんのよ』
イスラの心外な物言いを聞きながら、カホカは鱈の切り身を指でつまんで口に放った。こちらは唐辛子が利かせてあり。ほどよく辛い。
『アンタたちが小食すぎるんだって』
乙女たる自分が食べすぎるわけがない、というのがカホカの主張である。
「やっぱ王都ともなると美味しいものが集まるんだねぇ」
カホカは上機嫌で店内を見回した。
外門の外の、宿からほど近い一軒の酒場だった。泊まる宿には食堂がなかったため、番頭からお勧めの店を教えてもらったのだ。
店内の客は男ばかりで、ほぼ満席だった。
そして、その客のほとんど全員が、こちらの席にチラチラと視線を送ってくる。いや、客だけではない。女の給仕でさえ、すっかり見入って惚けたような表情をこちらに向けている。
──アタシのかわいさのせい、って言いたいところだけど。
ちがうよなぁ、とカホカは思う。
お目当ては、カホカの正面に座るティアである。
──男だか女だかわかんない吸血鬼のくせして。
カホカは憮然としてライ麦パンをかじった。
どうやら『ヤバイ』のは寝顔だけではないらしい。
居住まいが整っているわけでも、食事作法が完璧なわけでも、ましてや美しく着飾っているわけでもない。
ただ頬杖をついて、ぼんやりと店内の様子を眺めているだけなのだ。髪にしたって後ろで簡単にまとめているだけで、結んでやったのもカホカだった。長髪にもかかわらず、いままで髪の結び方さえ知らなかったティアは、「これは楽だ」とひとりではしゃいでいたほどである。
それでも人目を惹かざるをえない、ということなのだろう。
カホカの脳裏には、宿屋の部屋で見た、ティアの涙がこびりついている。
こうしてぼんやりと店内を眺めている今でさえ、悪夢を見るほどの過去を思い出しているのだろうか。
ついついティアを目で追ってしまうカホカだったが、
──ああ、陰気、アタシって陰気。
ティアが自分から言い出すならともかく、あれこれ心配したところで不毛だというのに。
そんな考えを振り払うように食べ物を口へと運ぶも、店内の連中のせいで、なかなか思惑がはかどらない。
──せっかくこんなうまい料理があるんだからさぁ。
飯の時くらい、没頭させてほしいものである。
ちなみに、ティアの前には一皿も料理が置かれていなかった。水をちびりちびりと飲む程度だ。
「ティアってさぁ……」
カホカはフォークでミートローフを突き刺した。
「ほんとに、ぜんぜん、食欲とかないの?」
「ないな」
ティアはあくびを噛み殺す。その仕草がどことなくイスラと似ている気がした。
──くそ、のんびりしやがって。
本当に何も考えてないんじゃないか、コイツ。
だんだん腹が立ってきた。
ティアは起きてから、ずっとこんな調子である。
「食べられないわけでもないが、おいしいとは感じないし、腹もふくれない」
「はーん。さいですか」
カホカはムカッ腹を抑えながら、
「つったって、肉だよ、肉。アンタ人生損してるよ?」
ほーれ、とフォークに刺した肉をティアの顔の前で振ってやると、
「だから、いらないって言ってるだろ」
ティアが、おもむろにテーブルの上に身体を乗り出してきた。手を伸ばしてカホカの口元についていたパンくずを取ると、自分の口に放り込む。
「……やっぱり、わからないな」
そう言ってティアは微笑う。
「そ……そゆうことをするな!」
完全に意表をつかれ、カホカは怒ったようにミートローフを頬張った。
──うう、なんなんだコイツ。
いちいち調子が狂って仕方がない。
もそもそと口を動かしながらカホカが恨めしげに睨んでいると、机の下、ティアが組んだ足の先で、こちらの足をつついてきた。
「……あんだよ?」
「いま、カホカは照れているだろう。なんとなくわかるぞ」
なぜか得意げな口調で言われ、イラッとした。
──人の気も知らないで!
思った時にはもう、カホカはティアの顔を掴んでいた。
「……なんでアタシがアンタにからかわれなきゃいけないんだよ」
指に力を込めると、ティアの顔がみしみしと音を立てはじめる。
「悪かった、謝るから離してくれ」
ふん、とティアを離すと、カホカはフォークをくわえたまま腕組みをした。
「……ったく、元タオのくせに」
むしろ、タオだからこその無頓着ぶりなのだろうか。
小声で愚痴をこぼすと、
「あのちっこい娘、ひでぇな」
「あんなキレイな姉ちゃんの顔を鷲掴みにしやがったぜ」
「世も末だな」
「嫉妬よ、あれは絶対、嫉妬してるんだわ」
事情を知らない客と給仕から、きわめて理不尽な声が聞こえてくる。
「うるせぇな!」
ドン、と机に拳を叩き、カホカは勢いよく立ち上がった。
「言いたいことがあるならかかってきやがれってんだ!」
「やめろって」
止めようとするティアに、カホカはアサリの羹をぶっかけてやった。
「あっちぃ!」
「主犯者は黙ってろ!」
怒鳴りつけてやると、
「なんてことを!」
「横暴すぎる!」
義侠心にかられた男たちが次々と椅子から立ち上がってくる。
カホカも望むところだと構えを取った。
「オラ、かかってこいハゲども! もしアタシに勝ったらこの女を一晩好きにさせてやる。そのかわり負けたら有り金ぜんぶ置いてきな!」
コキコキと指の関節を鳴らし、男たちを手招く。
「オッシャア!」
「最高すぎる!」
「悪く思うなよ小娘!」
完全に趣旨が変わっている。
男どもが一斉にカホカに踊りかかってくる。店のなかで大乱闘がはじまった。
食器や椅子、果ては男たちが宙を舞う。
「……なんなんだこれは」
さっぱり意味がわからない。
ティアはただ呆然と立ちつくした。
◇
「あー、すっきりした!」
カホカは満足そうな表情で夜道を歩く。
結局、カホカはすべての男を張り倒し、有り金ぜんぶを巻き上げてしまった。
それでも最後は全員分の飲食代を支払ってやり、張り倒した客たちと肩を組んで唄を歌っていたあたり、一筋縄ではいかない娘である。
「情報ももらえたしね」
それに関してはティアも同意せずにはいられない。
店を出る時、ひとりの客がカホカに尋ねてきたのだ。
「あんた、ルーシ人か?」と。
母親のほうがね、とカホカが答えると、
「実は俺もルーシ人なんだ」
男は笑って、
「見たところ、ここいらの人間じゃないんだろ? ここからすぐ近くに俺たちの溜まり場があるから、よかったら顔でも出してやってくれ。あんたみたいな面白い奴なら大歓迎だ」
そう言って、男は親切に地図まで描いて渡してくれたのだった。
「ルーシ人はこうやって情報をやり取りしてるんだな」
「弱い奴らは弱いなりに工夫してんだよ」
なるほど、とティアは感心する。
ふたりは早速、そのルーシ人の溜まり場に行ってみることにした。