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ハーフ・ヴァンパイア創国記  作者: 高城@SSK
第三章 王都編
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2 聖乙女の憂鬱Ⅱ

 午後、ファン・ミリアは時間を見つけて図書館へと足を運んだ。


 聖騎士団本部も図書館も、ともに王城の敷地内にある。


 雨空の下、中庭の緑が濃い。


 ファン・ミリアは濡れた石と草葉の匂いを嗅ぐ。季節の変わり目に揺れる空気に、切ないような、それでいて身が洗われるような心地がした。


 連絡通路と側廊(そくろう)をつかって城内を歩いていると、たまたま彼女を見かけた貴族や役人が頭を下げてくる。ファン・ミリアも同じように頭を下げるが、ほとんど名も知らない者たちである。


 それほどに敷地は広く、人も多い。


 一般的に想像される王の居住空間、及び政務を執り行う主城は、王城のうち、やはりもっとも高い位置にある。


 空から王都ぜんたいを俯瞰(ふかん)してみると、海に突き出た木の葉形の岬となっている。土地は西から東に進むほどに高くなっていき、その東側が王城であり、最東端に主城が位置し、そこから直下する崖となってネブ海峡が広がっている。 また、北側の段々になった崖のところどころに軍施設が置かれ、崖下にはヌールヴ河が海峡に流れ込む様が一望できた。比較的なだらかな南側は森と港湾になっている。


 天然の要塞にそびえる難攻不落の王城。


 それが東ムラビア王国、王都ゲーケルンのウル・エピテス城だった。

 

 館内ではほとんど人の姿を見かけなかった。


 書棚に収められている本たちが、かすかな雨音だけを残し、ほとんどの音を吸い込んでしまうようだった。


 ファン・ミリアは高襟の(つめ)をはずし、星神シィン・ラ・ディケーに関する文献を探す。ファン・ミリアが信奉する神だから、というわけではないだろうが、文献は少なくなかった。無作為に一冊の本を取って拾い読みしてみたが、やはり姉妹神という記述はない。


 紙が貴重であれば、なおのこと本は貴重である。


 借りることはできないため、目についたのを二、三冊重ねて閲覧室に足を向けると、


「その紺碧(こんぺき)の海を思わせるマントは、ファン・ミリア様ですな」


 呼ばれてファン・ミリアは振り返った。


 背の高い書棚に囲まれ、腰の折れた老人が立っている。


「リージュ殿、お久しぶりです」


 ファン・ミリアは頭を下げた。リージュはこの図書館を預かる館長である。


「珍しい御方がいらっしゃったと部下から伝え聞きまして、あわてて参りました」

「珍しい、ですか」


 ファン・ミリアはかすかに苦笑する。


「なにかご無礼でも?」

「いえ、そういうわけではなく──」


 ファン・ミリアはとりなすように言った。


「今日、同じ言葉を別の方から聞いたものですから」

「なるほど、そんな日もございましょう」


 それから、老人はちらりとファン・ミリアの脇に抱える本に視線を走らせた。笑い皺を深くさせる。


「勉強熱心なことですな」

「……私は物を知らなくて」


 ファン・ミリアも自分の抱える本に視線を落とした。そうしてふと、聞いてみようか、という気になった。


「リージュ殿は、シィン・ラ・ディケーについてをご存知ですか?」

「人口に膾炙(かいしゃ)されている程度には」


 もしご存知であれば、とファン・ミリアは前置きして、


「最近、このシィン・ラ・ディケーに姉がいる、という話を聞かされたのです。ですが、恥ずかしながら私はこれまで、そのような話を聞いたことがなかった」

「私もありませんな」


 リージュは即答する。


 やはり、とファン・ミリアが思っていると、


「ですが、そうでないとも言い切れませんでしょうな」


 え? と、ファン・ミリアは顔を上げた。


「最近でこそ紙の物が目立つようになりましたが、もともと神話は口伝によって人から人へと伝わるのが基本でしたから。ある地方では同じ神が別々の神とされていたり、またある地方では他神と同一視されることもあります。神々の関わりを紐解くのは至難の業です。下手をすると、人と同じ数だけ神話がありますからな」

「では、何をもって我々は、それが正しい神話だとするのでしょうか?」


 ファン・ミリアが訊くと、ふぅむ、とリージュは考え込み、


「おそらく……それをこそ、人が決めるのでしょうなぁ」

「と、言いますと?」

「それが正しいと思う人の数が多ければ多いほど、正しくなっていく……」

「私には、ずいぶんと曖昧なものに聞こえてしまうのですが」

「私もです」


 そう言って、リージュは気さくに笑う。その笑い声につられ、ファン・ミリアもつい白い歯をのぞかせた。


「とはいえ、神が人を作り給うたとするなら、神の関係とは人の与るところではなく、はじめからそうと決まっていることになる。それが教会の教えでもありますな。──ファン・ミリア様はいかがお考えですか?」

「私はやはり、神は人に先んじるのではないかと、そう思います」


 迷いなくファン・ミリアが答えると、ほぉう、とリージュは瞳を喜ばせた。こういった話が好きらしい。


「その御心をお聞きしてもよろしいですかな」

「はい」


 と、ファン・ミリアは自分の心をたしかめながら、


「なぜなら……人が作りし神ならば、人が嘆き悲しむこの世を、いまの状態のままにしておくとは思えないからです」


 頭にはなぜか、タオ=シフルのことが浮かんでいた。彼ほどの高潔な心を持つ者でさえ、その天寿を全うすることができなかった。


 ファン・ミリアの回答に、リージュは真剣な表情を作る。


「決して揚げ足を取るわけでも、弾劾するわけではありませんが、ファン・ミリア様のおっしゃりようは、神の栄光に疑念を持たれているようにもうかがえますな」


 それはちがいます、とファン・ミリアは断固として否定する。


「それほどに神とは奥深く、深遠であると、私はそう言っているのです。人智を超えたものであればこそ、我々は神を信じ、その奇跡に(よく)すことができるのです」

「嘆き悲しむ人々もまた、神の思し召しであると?」

「そうです。だからこそ我々はそれを試練とし、乗り越えることができるよう、正しく生きねばなりません」


 ファン・ミリアが力強く言うと、なるほど、とリージュは満足そうにうなずく。


「まさに神託の乙女たるファン・ミリア様にふさわしい御言葉ですな」


 含んだような物言いに、ファン・ミリアはわずかに表情を強張らせた。


「それは褒めていただいているのでしょうか、それとも皮肉でしょうか?」

「どちらでもありません。あなたらしい、と申し上げた次第です」


 その時、ひとりの聖騎士団員が早足で歩いてくるのが見えた。図書館にいることは本部を出る際に伝えてある。


 ファン・ミリアが心持ち耳を上げると、団員が耳打ちしてくる。


「……ウラスロ王子の御使者がお見えになりました。本部でお待ちです」

「……わかった。すぐに行く。私の部屋にお通ししておいてくれ。くれぐれも失礼のないように」


 ファン・ミリアが小声で告げると、団員は短く返事をして去っていく。


「申し訳ありませんが、所用が入ったため、私はこれで失礼させていただきます」


 脇に抱えた本を手早く書棚に戻し、ファン・ミリアが辞去(じきょ)を申し出ると、


「ファン・ミリア様」


 歩き出したところを呼び止められ、ファン・ミリアは肩越しに振り返った。


「私はいつもここにおります。閑職ですからな」

「はぁ」


 と、ファン・ミリアが返すと、


「いつでもお待ちしております。貴女はまぎれもなくこの国の英雄ですが、まだ若い。人は惑い、悩む生き物です。英雄と呼ばれる貴女であればこそ、他人(ひと)には言えぬ苦悩もおありでしょう」


 リージュの言葉に、ファン・ミリアは一瞬驚いた表情を浮かべたものの、すぐに薄紫色の瞳を和らげた。


「また来ます」


 それだけ言って、ファン・ミリアは図書館を後にした。

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