18 ダビド=サルーニⅤ
次の日没後。
ティアは山小屋を出た。見送りに出たのは弟子の男である。結局、男のことのほとんどはわからなかった。しかし、ともに同じ飯を食い、戦った仲である、友情に近い感情が芽生えていた。
「んじゃ、ありがとね」
カホカが手を差し出すと、男はカホカの手を握った。
「旅の無事を祈る」
最低限ではあるが、会話ができるようになっていた。
「ダビドは──」
ウィノナは二階を見上げる。「寝てるかな」
「いや……起きてはいるはずだ」
男も同じように二階を見上げる。
「いいさ。思うところがあるのかもしれない」
ティアは翼を広げ、
「世話になった。また」
言うと、男はうなずいた。
来たとき同様、カホカを抱き、ウィノナを背負ってティアは山を降りた。
麓からは馬車をつかい、セリーズへの復路につく。
「来るかな?」
馬車の窓から、カホカは ダビドの山のほうへと視線を向ける。
「来るさ」
ティアはカホカの隣でゆったりと座る。
「ねーねー」と、カホカは自分の両手をひろげ、ながめる。
「アタシ、なんか最近すごい絶好調なんだけど」
「ダビドから色々教わったからな。有意義な時間だったな」
ウィノナの言葉にカホカは「それもあるんだけど」と、カホカは首をひねる。ウィノナは剣術を、カホカは体術をダビドから教わっていた。すると、
「たぶん私の調子がいいからだ」
ティアが言った。
「どういうこと?」
「常に私の力がカホカにも流れている。私がシフルで血を飲んだせいだな。私の力が強まれば、カホカに流れる力も自然と多くなるんだろう」
「へー」
と、カホカは目を丸くする。
「カホカはあくまで人間だからな。バディスほどには影響は受けないだろうが」
「なるほど」
ティアが説明する間も、カホカはどこか嬉しそうである。
──力が増えるのがカホカも嬉しいのだろう。
ティアが考えていると、「前にさ」とカホカが言った。
「ティアがレム島にいて、アタシたちがまだ王都にいるときに、バディスがティアの居場所を当てたんだよね」
「へぇ」
「アタシにもそれができるってこと?」
「どうだろうな、さほど遠くなければ可能かもしれないが。しかし──」
ティアはやや考える。
「ゲーケルンとレム島ほど離れていて、バディスはよくわかったな」
「あんだよ、それ」
途端にカホカはうろんな目つきになる。
「アンタとバディスはそれだけ特別って言いたいの?」
「ちがう、単純に影響力の差だ。私が飲んだ血の量と言ってもいい」
「んじゃ、もっと飲め」
カホカがずずいと腕を差し出してくる。
「馬鹿なことを言うなよ」
「あんだとぉ」
なぜか、カホカの不機嫌さが増していく。
「バディスの血は飲めて、アタシの血は飲めないってか?」
「また酔っ払いみたいなことを……」
ティアはあきれて言った。
「バディスとちがってカホカは人間なんだ。私の影響がすくないほうということは、それだけ自由ということだ」
「そんなこと聞いてない」
「じゃ、何を聞いてるんだ?」
「知るか馬鹿、死ね」
すっかり臍を曲げたらしく、ぷいと顔をそらしてこちらを見ようともしない。
ティアが困っていると、向かいのウィノナと目があった。
「いまのはティアが悪いな」
だしぬけにウィノナから言われて、ティアは驚く。
「私が、か?」
「そう」と、ウィノナは意味ありげに笑う。「ティアの言っていることは正しい。けど、ティアが間違っている。──ティアは本当に元男なんだな」
くっくっ、とウィノナが笑う。
「カホカも許してやれ。ちゃんと言ってやらなきゃわからない男もいるんだ」
カホカはそっぽを向いたまま、「知ってるっつーの」と小声でつぶやく。
ティアは居心地悪く馬車に揺られるしかなかった。
◇
それから日数をかけて一行はセリーズに入った。
目的地に到着する時間はたいていティアが活動を開始する日没時間である。ウィノナが調整してくれているのだろう。ティアは感謝するしかない。
セリーズの屋敷に訪れるのは二度目だが、思ったよりも日数が経っていた。
すでに懐かしい気分で屋敷に入る。
ウィノナが家人に出迎えられ、ティアとカホカが客室のある上階に行くため、階段を上っているときだった。
ウィノナが「待て」と、ティアに声をかけてきた。見ると、ウィノナが家人に耳打ちされている。ウィノナは一瞬、驚いた顔をした後、「わかった」と神妙な表情でうなずき、
「ちょっと待ってくれ」
ウィノナが階段を上ってくる。
「悪いけど予定が入った」
「いまから? どこに?」
カホカが訊くと、ウィノナは「貴賓室だ」とティアを見つめてくる。真剣そのものといったウィノナの様子に、ティアはうなずくしかない。
「こっちだ」
言って、ウィノナは階段をのぼりはじめる。
「一階じゃないの?」
前回、食事会をした貴賓室は中庭に面した一階だった。
「上にもあるんだ」
ティアとカホカは顔を見合わせ、ウィノナの後を追う。
廊下を進むと、カホカが「あ」と声を上げた。前に人が立っている。
「あの人……」
カホカがつぶやく。「知り合いか?」とティアが訊こうとする前に、
「スタンのおっさんも来てたのか」
ウィノナが気軽に声をかけると、スタンと呼ばれた男が手で挨拶する。
「スタン=ブルームだよ」
カホカから小声で告げられ、「ああ」とティアもうなずく。
「ペシミシュタークの剣か」
スタン=ブルーム。
貴族の男児であれば一度は耳にしたことのある名である。ペシミシュターク家に忠義を立て、勇猛果敢で知られる騎士である。
「あんな顔してんだ」カホカは驚いて伝えてくる。「前に見たときは山羊の兜をかぶってたから」
ティアはもう一度うなずく。
スタンは身長こそ人並みではあるものの、チュニックの上からでもわかるほどに筋骨隆々といった体つきをしていた。それ以上に目を引くのが、顔の額から右あごにかけて走る深い創傷である。
そのスタンが両開きの扉の脇に立っている。ティアとカホカにゆったりとした視線を向ける。
「ティアーナ=フィールだ」
「カホカだよん。この前は助けてくれありがとね」
ペシミシュターク領、公都オルバサス近郊で、カホカとウィノナが襲撃された件についてだった。スタンの救援によって窮地を脱することができたのである。
「助けられたのは我々だ」
スタンが応える。笑顔を浮かべるでもなく、かといって冷たい物言いでもない。職人といった印象を受けた。
「そっちはふたりでいいのか?」
スタンの言葉に、ティアとカホカが返答に窮していると、「ふたりでいい」と、かわりにウィノナが答える。
「俺がティア側にいてもいいけど、やっぱり変だしな」
「どういうことだ?」とティアが聞こうとした時だった。階下から物音がした。
「がはは! ダビド様が来てやったぞ! 酒はないのか! 女を出せーい!」
「うげ、本当に来た!」
一度聞けば忘れられない声にカホカが驚く。
「女を出せーい!」というダビドの声とともに、きゃあきゃあと家人の女たちの悲鳴まで聞こえはじめた。騒々しいことこの上ない。
「来たか……」
ティアは口元を緩めた。
「ダビド! 私はここだ! 上がってこい!」
ティアが大声で告げると、「おお! そっちか!」とダビドが階段を上ってくる。そうしてのっそりと廊下を曲がってダビドが姿を現した。両肩にふたりの若い女を抱え、すでにご満悦といった表情を浮かべている。
「やはり街はいい。女も酒もあるからな!」
がははと笑いながら、ダビドはティアの前に立つ。乱れて伸び放題だった髪を戦士風に刈り込み、髭も整えている。
「山から下りてきたか」
ティアが言うと、「おう」とダビドはティアを見下ろす。破格ともいえる武威を誇る、頼もしい偉丈夫の姿がそこにはあった。
「ダビド=サルーニだ! お前ごとき小娘に扱える刃とはとうてい思えぬが、見所はありそうゆえ付き合ってやる。感謝するがいい!」
「ああ、感謝する」
込み上げる嬉しさをそのままに、ティアが手を差し出すと、
「悪いが、いま手がふさがっていてな」
抱えた女を示し、ダビドは豪快に笑う。
「──まさか本当にダビドを仲間にするとはな」
ウィノナは驚きを隠さず、そしてスタン=ブルームを見た。
「これで三人だ。ティアーナ=フィールにカホカ=チェン、ダビド=サルーニをつける」
「わかった」
スタンが応じる。すると、ダビドがスタンに視線を向けた。「ほーぉ」とスタンに顔を寄せる。
「なかなか骨のありそうな男だ。が、弱い! 弱すぎて話にならん! どうだ、俺が鍛え直してやろうか?」
「……いらん世話だ」
スタンもひるむことなくダビドを見返し、さらに言った。
「武名だけがひとり歩きする者もいる」
「ああ?」ダビドは両肩に抱えた女たちをおろす。「それは俺のことかぁ、小僧」
ダビドが好戦的な笑みを浮かべる。
「ちょうど良い馬が欲しいと思っていたところだ。四つん這いにさせて轡をつけてやるぞ。おおっとぉ、男は趣味じゃないからな。変な期待はするんじゃあないぞ」
ダビドが挑発する。
一触即発の空気が漂うなか、
「意味もなく喧嘩をふっかけるなよ」
その空気をほぐすようにさらりとティアが言った。それからウィノナに尋ねる。
「二人とか三人とか、さっきから何を言っているんだ?」
「入ればわかる。──スタン、これで三人だな」
ウィノナに促され、スタンはうなずく。
「俺は室には入らない。すべてティア次第だ。カホカもダビドも入ってくれ」
ウィノナに告げられ、三人は室のなかへと入っていく。
◇
室内は広い。
ティアは目を見張った。正面の壁のほぼすべてがガラス張りになっており、セリーズの夜景が一望できる。
家具はほとんどなく、ただ、ガラス窓の手前に高価そうな安楽椅子が二脚、景色を向いて置かれていた。
二脚のうち、一脚は空席である。
そして、もう一脚の椅子に誰かが座っている。椅子の背から豊かな黒金髪の髪が垂れて床に届きそうだ。
その脇に立つ東方系の女が、こちらを見ていた。
「……プラム=リー」
カホカがつぶやく。
ティアも見覚えのある顔だった。
プラムがこちらに歩いてくる。両開きの扉のすぐ横──壁際にスタンと並び、
「カホカ様とダビド様はそちらに」
逆側の扉の壁に立つよう伝えてくる。それだけ言うと、プラムは瞑目してその場に立つ。まるで存在を消すように。
ダビドが「なるほどな」と興味ぶかそうに顎をなでた。
「俺は護衛、カホカは付き人といったところか」
ダビドに言われて、カホカも納得した。自分とプラム、ダビドとスタン。
そして──
ティアが椅子のほうへと歩きはじめた。
自分に用意された椅子に回り込むと、なんの気負いもなく座る。
「あらぁ──」声の主は煙管の煙をくゆらせる。「まだ座っていい、とは言ってないわよ」
「『次からは了解を取る必要はない』。私はそう言ったはずだ」
ティアは、隣に座るその人物を見た。
「ティアーナ=フィールだ」
「アルテンシア・アブシューム=ヘルツェーネ=ペシミシュターク」
アルテンシアはちらりとティアを流し見する。
国を目指す吸血鬼と、苦艾の公女の会談がはじまった。