17 ダビド=サルーニⅣ
日没後──
山小屋の外にて。
ダビドを前に、ティア、カホカ、ウィノナ、弟子の男が並ぶ。
「聞け!」
胸を張り、腕組みをしてダビドが言った。
「聞こえてるっつーの」
カホカが耳をおさえて迷惑そうな顔をした。
ダビドは地声が尋常ではないほど大きい。日常生活においては甚だ迷惑ではあるが、声が大きい、というのは指揮官として必須の能力ではあった。戦場において名を馳せた者はたいてい声量の豊かな者が多い。命令を遠くまで響かせることができる上、自身をより強く、求心力を増すことができるからだ。
「お前らは弱い。激弱だ。見ているこっちが恥ずかしくなるぞ」
しかも、なぜか諸肌脱いだ上半身裸である。
四人はどこか冷めた瞳でダビドを眺めるように見ていた。
無言でいると、
「ひとりひとり相手をするのも面倒だ。まとめてかかってこい!」
威勢よく言い放ったダビドに、ティアが「質問がある」と手を挙げた。
「よし、言え」
「これで勝ったら仲間になる、ということでいいのか?」
「愚問だ。俺が負けるわけがない」
「もし、の話だ」
「あり得ぬ話だが、負ければ仲間にでも何にでもなってやる」
「わかった──」
うなずき、ティアは目を閉じた。
深呼吸する。
かっと目を見開いた。
「全力で行くぞ!」
静けさから一転して、瞳に赤い輝きを宿したティアが雄々しく檄を飛ばした。反応したカホカが地を蹴った。ウィノナと弟子の男が木剣を構え、ダビドに向かっていく。
「よぉし、来い! ぞんぶんに俺の胸を貸してやるぞ!」
ダビドが豪快に叫んだ。
そして……。
数刻後。
無残に倒れるダビドの姿があった。
両手両足を広げた、それはもう見事なまでの負けっぷりである。
「アタシたちの勝ちィ!」
いえーい、とカホカとウィノナがハイタッチする。
「あんたが強いのは言うまでもないが、さすがになめすぎだな」
ウィノナが木剣を肩に乗せて大きく息を吐いた。模擬戦ではあるものの、ティアとカホカがいて、ウィノナもいる。弟子の男も人並みには戦える能力はあった。
とはいえ、ダビドの強さは異常だった。逆に言えば、四人がかりでようやく勝利を収めることができたのだ。辛勝である。
「……化物の力を使うとは」
四人に囲まれ、見下ろされたダビドがうめき声をあげる。
「思い直した」
ティアは口元の血をぬぐう。ダビドからの攻撃のほとんどすべてをティアひとりで受けたため、相応の手傷を負っていた。
「たしかに使わないつもりだったが、お前は体力馬鹿でキリがないし」
ティアの傷口から黒い霧が吹き出し、それが空気にまぎれて見えなくなると、すでに傷はなくなっていた。
ダビドを不必要に傷つけず、さらに勝たなければならないという難題がある以上、そのチャンスがあれば逃すわけにはいかなかった。多勢による速攻で袋叩きにするのが最善と判断したのだ。
「正直なところ、こんなにうまくいくとは思わなかった。私も驚いている」
言いながらティアは内心で安堵していた。もしシフルでの血の蓄えがなければ、勝利は危うかっただろう。
それほどにダビドは強かった。
「オッサンて意外に馬鹿なんだね」
カホカがしゃがみこみ、倒れたダビドをつつく。
「勝負に勝ったのだから今からお前は仲間だ。身支度をしろ、山を下りるぞ」
同様にティアもしゃがんでダビドをつつく。
「認められるかよ!」
ダビドがいきおいよく立ち上った。
「やり直しだ! もう一度こい! だがティアーナは化物の力は使うな!」
「正気か? 元元帥」
ティアはダビドを見上げる。
「オッサン、負けて言い訳する気? すっげー情けないね」
カホカも見上げる。
「同じ男としてアンタにはがっかりだな」
ウィノナが木剣を肩で叩きながら、ため息をつく。
「……」
弟子の男は何も言わない。
四人からの冷めた視線に、「ぐ、ぬ」とダビドが口ごもる。
「わかった、もういい」
ティアは失望して言った。
「お前のような情けない嘘つき男を仲間にしても仕方がない──みんな、行こう」
ティアが山小屋のほうへ歩きはじめると、「おー」とカホカたちが続く。
「待てお前ら!」ダビドがあわてて声を上げた。「誰が仲間にならんと言った。俺は約束は守る男だ」
その言葉に、ティアはくるりとダビドに振り返った。「だよな!」と、満面の笑みを浮かべ、明るい口調で話しかける。
「男に二言はないよな! さすがだ、私が見込んだだけのことはある!」
ティアが言うと、
「カホカちゃん、ダビドにかんげきー」
カホカが続き、
「さすがダビド=サルーニだ。根っからの武人だな」
ウィノナも続いて、
「……」
弟子の男は黙っている。
やんやと四人からはやし立てられ、ダビドは「そうか?」と自分の頭をなでるも、はっと気づき、
「ふざけた策を使いやがって!」
払うように腕を大きく振った。四人は後方に跳びすさる。
「馬鹿が気づいたね」
横のカホカに言われ、ティアはうなずいた。
「篭絡は失敗か」
「つべこべ言ってないでもう一勝負だ! 来い!」
ダビドが構える。
「まぁ、たしかにダビドの気持ちもわからなくもない」
ティアは認める。ダビドが言い出したとはいえ四対一で、ティアが力を使うのも想定外だったのはわかる。そもそも彼が納得して仲間にならなければ意味がない。
「ではもう一度だ。行くぞ」
ティアの言葉に、他の三人がうなずいた。
◇
何日も、何度も。
ティアたちはダビドと模擬戦を重ねた。勝つこともあれば負けることもあったが、続けるうちに、ティアは勝敗などどうでもよくなっていた。ダビドも同じ気持ちなのではと思うことが何度もあった。
結局、ティアが吸血鬼の力を使ったのは一度だけだった。
四対一で戦った次の日は休息を設けるようになった。
休息日の夜はたいてい家事をして夜は早めに眠ることになるが、ダビドから教わることも多かった。
さらに日が経ったある夜、ティアは自らが持つ旗の扱い方を教わっていた。
「本来、旗ってのは合図を送ったり所属を明らかにするものであって、武器として使うもんじゃあない。なんでお前の神器の形状が旗なのかは知らんが、穂先がある以上、槍として扱うことだな」
ダビドから言われ、ティアは素直にうなずく。ともに過ごしてわかったことだが、ダビドは人に教えをほどこすことが好きな性分らしい。聞けば惜しみなく教えてくれるし、どれだけ教わっても偉ぶったり感謝を求められることもなかった。
「旗を(槍として扱うなら)自分の腕の一部だと思え。そのためにはとにかく振り続けることだ」
「わかった」と、ティアが素振りをしている間、ダビドは横に立って姿勢や旗の動かし方を教えてくれる。
振り続けていると、「おかしな奴だ」と、ダビドが言った。
「化物の力を究めれば旗の振り方などいちいち気にする必要もなかろう」
「基本的な技量が身につけば、より強くなる」
「行儀のいいことだ」
「ダメか?」
「人それぞれだが、そういう奴は早く死ぬ」
「なぜ?」
「まともな人間のする考え方だからだ」
「たしかに」ティアはちいさく笑う。「私は死んだからな」
「亡霊として迷い出るほどに未練があったか」
ティアは、素振りをやめた。汗をぬぐい、ダビドに向く。
「そういうことだ」
言って、ティアは素振りを再開する。
旗をふるたびに、汗が飛んだ。標高が高いため空気はひやりと心地いい。しかし、この高原にも夏の足音は聞こえる。
月が雲に隠れた。
「この国を本気で奪れると思っているのか?」
「そのためにここにいる。私がダビド=サルーニを仲間にする。そうすれば私は私の国に一歩近づく。その繰り返しだ。そうしていつか辿りつく」
「お前のような青臭い、甘ちゃんが、か?」
「そうだ、悪いか?」
「お前の甘さで人が死ぬぞ」
ティアは素振りをやめ、旗の石突きを地に立てた。
ダビドの巨躯が人影となってこちらを見ている。
──ああ、そういうことか。
ティアは気づく。
いつかに見た、あの景色。夢のような、幻のような……。
野に風が吹き、多くの人影が自分を見ている。
この男もそのひとりなのだとティアは確信する。
「私には情があり、不完全で、私の弱さによって判断を迷い、その結果、私の愛する多くの者が死ぬ──そういうことか?」
雲間から月が顔を出す。赤い月を。
「私は傷つき、深く悲しむだろう。それでも、泣きながら立ち上がる。前を向く。歩く。旗を振る」
ティアは自分の旗を示す。
「この旗は『夢の旗』。ある人が、私の振る旗に仲間は集まると言った。──お前の目にこの旗はどう見える? お前が求める強さとはなんだ?」
ティアは赤い瞳をダビドに向ける。しかし、攻撃的にではない。自分を伝えるために。ダビドのほどの男であれば、自分の心さえ伝えればいい、そう思った。あとは彼が勝手に決めるだろう。
「青臭いなら青臭いでかまわない。私は私の国を創る。そのためにダビド=サルーニの力を借りたい」
赤い輝きを浴びて、ダビドは腕組みをしたまま、無言で立っている。
「私たちは明日山を下りることにする。返事はいつでも構わない」
ティアが山小屋に戻ろうとすると、背後から声をかけられた。
「気に食わなければすぐに抜けるぞ」
ティアは肩越しに振り返り、言った。
「ダメだ。それは世捨て人の考え方だ。人は人の世で生きるべきだ。ちゃんと人の世界に戻ってこい」
たしかに、とダビドが笑い声を上げた。