16 ダビド=サルーニⅢ
裸のまま両手と腰を掴まれ、さらに宙づりにされたティアが取り乱しもせずにいると、ダビドが不思議そうな顔をした。
「抵抗しないのか?」
「公平じゃない」
「何のことだ?」
首を傾げるダビドに、さらにティアが言った。
「お前にくれてやるつもりはない、と私は言ったはずだ。それでも力づくで私を奪う気なら、相応の犠牲を払うべきだ」
「ほーう、どんな犠牲だ?」
「私がお前に勝てば、私の仲間になること。私が負ければお前の好きにしていい」
ティアがひるみもせずに言うと、ダビドは歯をのぞかせた。
「そんなことか。面白い女だな、乗った」
ダビドの言質を取るや、ティアはしてやったりと会心の笑みを漏らした。瞳が赤く輝く。身体が黒い霧となってダビドの手からすりぬけ、その頭上で形を成した。
ティアは踵をダビドの首裏へ打ち当て、反動で跳び上がった。岸辺に着地する。
ダビドはまるで効いていない様子である。
「……やはり人外か」
ぐらつきもせず、ティアを向く。
「不服か?」
全力ではないにしろ、常人であれば一撃で仕留める威力はあった。ティアは服を着ながら、これは手こずりそうだ、と心のなかで気を引きしめる。
「いいや、面白い。人外を相手にするのは久しぶりだ」
ダビドは豪快に笑い、
「それに──」
と、その場に片膝をついた。ティアが何をするのかと構えると、ダビドが地を蹴り、水しぶきを上げてこちらめがけて突進してくる。
ティアは避けず、その突進を受け止めた。身体が吹き飛びそうになるのを両足に力を込めて踏ん張る。
「『同門』とやるのはもっと久しぶりだ」
「やはり、そうか」
薄々感じてはいた。
ティアは受け止めた体勢からダビドの首を脇に抱え、そのまま締め上げた。するとダビドが暴れ牛のように頭を跳ね上げ、ティアごと持ち上げて後方に倒れこむ。ティアは下敷きになる直前で腕をほどき、その場を逃れた。
「誰に教わった?」
ダビドに訊かれ、ティアが師匠の名を出すと「懐かしいな」とその目を細める。
「俺の師匠でもある。まだ生きているか?」
「もちろん」
ティアが答えると、ダビドはさらに嬉しそうにうなずき、腕を組んだ。
「ティアーナといったか。基本に忠実なのは性格か。しかし技が拙い」
「耳が痛い。私には才能がなかった」
ティアが素直に認めると、ダビドは声をあげて笑った。
「武を志すには優しすぎたか。──なるほど、兄弟子らしく俺が手ほどきをしてやる」
「ありがたい」
ティアが構えると、ダビドもゆったりと腕をほどき、構えた。
周囲の空気が引き締まった気がした。
◇
数刻後。
いまだ決着はつかず、ティアとダビドは対峙する。
「……化物はどっちだ」
無限とも思えるほどのダビドの体力に、ティアは称賛と焦燥を込めてつぶやく。地を蹴った。ダビドの間合いを図って背後に回り込む。背後から蹴り上げるも、ダビドにかわされた。ダビドは振り返りざまにティアを腕に引っ掛け、木にめがけて投げ飛ばした。
「チッ」
激突する寸前で体勢を変え、ティアはぴたりと幹に張り付く。
「ぬん!」
ダビドは巨大な川石を抱え上げ、放り投げてくる。巨石が後ろの木もろともティアを押しつぶした。
「ぬはは! 見たか!」
ダビドが両腕に力こぶを作って笑い声をあげる。
しかしそれも束の間、巨石を幾本もの黒槍が貫き出た。粉々になった石のかけらの下から、ティアが跳び出してくる。
「オォ!」
ティアが何発ものの拳を打ち込むも、ダビドが両腕で防御する。
「ぬるい!」
ダビドは腰を沈ませ、ティアの腹に拳を打ち上げる。
「くっ」
一撃で、ティアの勢いが止まった。
──やりにくいな。
的確に急所を突いてくるため、回復するのに一瞬の間が空く。
「やみくもに拳を振るのはガキでもできるぞ」
ティアの防御をすり抜けるように、さらに一撃をくらい、ティアは後ずさる。そこにダビドが素早く身をしゃがませ、ティアの足首をつかんで振り回した。何度も地面にたたきつける。
さらに跳び上がって踏みつけようとするのを、ティアはとっさに転がった。
間合いを取って立ち上がったティアの頬を血が流れていく。
いつしか東の夜空が白々と薄まっている。
──キリがない。
身体が動かなくなれば、ティアは戦闘不能である。
「どうしたどうしたぁ! もうお手上げか?」
言われ、ティアはダビドを見つめた。
「ん?」
これまでとは異なる雰囲気に、ダビドは不思議そうに眉を寄せる。
ティアの瞳の赤がより強く輝きを放つ。両の掌を打ち合わせ、その掌を離していくと、間の空間に黒い旗が伸び出てくる。
「夢の旗……」
一度、その旗を大きく振って、槍の穂先のように鋭くとがった竿頭をダビドに向ける。
「それがお前の奥の手か。出し惜しみできる相手ではないからな、俺は」
かっかとダビドは笑う。
ティアはしばらく旗を構えていたが、やめた。もう一度旗を振ると、その旗が消えた。
「なんだ、使わんのか?」
拍子抜けした様子のダビドに、ティアは頭を振った。
「旗は仲間がいなければ力を発揮しない──し、これから仲間になる者に使う力でもない」
「夜が明けるぞ。化物は多かれ少なかれ弱るだろう?」
「そう、特に私は……」
言って、ティアは両手に黒剣を出す。
「……」
しかし、その剣も地面に放る。
「なんだ?」
ダビドが目を瞬かせる。ティアの瞳が灰褐色に戻り、身体がぐらりと傾いだ。
「時間切れだ……身体が動かなくなってきた」
「んんー?」
警戒を解き、訝しんで近づいてくるダビドを、ティアは見上げた。
「勝負は夜まで預けてやる。さっさと太陽から私を守って小屋に連れていけ」
それだけ言ってティアは意識を失った。がくりと膝の力が抜け、崩れ落ちそうになるところを、ダビドが支える。
「おい、こら、勝手に寝るんじゃない──」
しかしティアからの反応はない。ダビドはぽりぽりと頭を掻いた。
「どう考えても俺の勝ちだろうが」
ダビドは仏頂面を作る。
しかし、とダビドは思う。
──こいつは逃げようと思えば逃げることができた。
にも関わらず、戦える時間ギリギリまで戦うことをやめなかった。
その上、化物としての力もほとんど使っていないらしい、あくまでダビドに合わせた戦い方をしていた。
「これで国が奪れるかよ」
ダビドは苦笑するしかない。
正々堂々と戦えば、相手もそれに応じると本気で考えているのなら、あまりにも発想が青臭い。むしろ、ダビドのような叩き上げの猛者にとっては、どんな卑怯な手を使っても勝つ、という考え方こそが正義である。
命のやり取りは綺麗ごとではない。
自分の死を覚悟した上で、どんな手段を使ってでも敵を仕留める。それが活路であり、敵の善性を期待するなど馬鹿のすることだ。
ダビドは「おい」と、離れた茂みに向けて声を放つ。
「さっさとこいつを連れていけや」
ダビドが言うと、茂みを払い、ウィノナが出てきた。さらにその背後には、カホカが碧い瞳を見開き、全身に炎の竜をまとわせてこちらに構えている。ダビドがティアに手を出そうものなら、すぐさま竜が飛んできそうだ。
「物騒なことだ」
ダビドはティアをウィノナに預けながら、
「ルーシ人か。お前も同門だな」
カホカの敵意を気にもせず、放ったままの熊を背負う。
「続きは夜だ。まずは飯だ。お前らも手伝え」
ダビドはそれだけ言うと、のそのそと山小屋に歩いていった。
◇
ダビドとカホカ、ウィノナ、弟子の男の四人は熊を解体した後、食卓を囲んだ。
食事をしている間、ウィノナは山小屋に訪れた経緯をダビドに説明する。ダビドはどこか不機嫌そうな表情で、焼いた熊肉を噛んでいる。
「アイツはなんだ?」
ダビドが、ぎょろりとウィノナを見る。
「俺よりカホカが詳しい」
言って、ウィノナはカホカを示す。
「ティアは吸血鬼」
熊鍋をつつきながら、カホカが言った。
カホカはティアがかつてタオであったことからはじまって、山小屋に訪れるまでの経緯をダビドに説明した。ダビドは食べながらカホカの話に聞き入っていた。話を聞き終わると。
「聖騎士団か」
木杯に満たされたワインを一気飲みする。
「青臭いガキが目指しそうなところだ」
「懐かしいだろう? 古巣は?」
ウィノナが口をはさむと、ダビドが「ふん」と鼻で笑う。
「あそこは退屈すぎる。俺の性には合わん」
「おっさん聖騎士団にいたの?」
驚いて訊くと、「いたもなにも」と、ウィノナは呆れ顔を作る。
「ダビド=サルーニは聖騎士団の団長も務めていた」
「なにそれ、聞いてないよ」
「そういえば言わなかったな」とウィノナは苦笑する。
「それで元帥にもなったの? どんだけ化物なんだよ、おっさん」
がはは、とダビドは笑う。
「どうだ、俺の子種が欲しくなっただろう?」
「いやぜんぜん」
しかしダビドはまったく気にしない。「俺の膝の上にこい」とカホカを口説こうとしてくるのを、「行かねーよ」とにべもなく断ると、「初心な娘だ」といっそう声をあげて笑う。どこまでも陽気な色情魔である。
「どいつこいつも理由をつけたがる」
一口でワインを飲み干し、ダビドは大きく息を吐いた。
「強いか、弱いか。それだけだ」
「そうか」と、ウィノナは納得して言った。「アンタのその政治色のなさが、上には都合がよかったんだな」
「俺以外の都合なんぞ、どうでもいい」
ダビドは一笑に付す。
「俺が従ったのは、デナトリウスが俺より強かったからだ。自分より弱い奴に従えるか」
「王様と戦ったの?」
「王が喧嘩に乗るかよ。戦わずとも見ればある程度はわかる」
もっとも、とダビドはわずかに気鬱な表情を浮かべる。
「奴はどこか変だった。俺の直観が従うべきではないと言った。だから、去った」
「どゆこと?」
カホカが顔を上げてダビドを見る。ダビドは「知るか」と吐き捨てた。
「奴は強い。いや、強さとも見える底知れなさがあった。そして異質だった」
手づかみで肉を口に放る。
「異質……」
カホカはウィノナと顔を見合わせる。
「他人なんぞどうでもいい」ダビドが言った。「問題はお前らだ」
「アタシたち?」
カホカが自分を指さすと、
「お前らは弱い」
ダビドは立ち上がり、嬉々として言った。
「食ったら昼寝だ。起きたら俺が鍛え直してやる。四人がかりで来い」