13 ケェクにてⅡ
ウィノナが部屋を出ると、かわりに侍女たちが入ってきた。
手慣れた動作で様々な色と形のドレスを広げ、ティアとカホカのふたりに好みを聞いてくる。
カホカは特に抵抗もなくドレスを選びはじめる。一方、ティアはその場に立ちつくし、さきほどのウィノナのように硬直していた。
「男物はないのか……」
絶望の声音に、カホカはちらりとティアを見た。
「今回は男装する必要ないでしょ?」
言って、カホカは「じゃ、それで」と、緑のシンプルなドレスを指さし、
「アタシはさぁ」と頭をかいた。「別にいいんだよ。ティアが男物の服を着てたほうが。でも、ずっとそれでいくつもり?」
意味深な物言いに、ティアはどういうことかと眉を上げる。すると、
「一応、外見は女なんだからさ、それっぽい恰好してたほうが、得することもあるんじゃない?」
「得?」
「交渉が有利に進むこともあるんじゃないかってこと。見た目や恰好も重要でしょ? ティアが女として見られたくないのはわかるけど、使えるものは使わなきゃ、もったいなくない? これから普通じゃないことをするんならさ」
ティアは反論できずに黙り込む。カホカの言い分はもっともだった。ティアが国を目指すなら、自分の好みなど瑣事である。大事を成すには持っている資源はあまりにもすくない。服ごときで選り好みしている場合ではないのだ。
──使えるものは使っていかなければならない。
「わかった。着る」
一大決心する気分で言うと、カホカはまた別のドレスを指さした。
「んじゃ、ティアはこれで」
◇
緑のドレス姿のカホカは、ティアとともに貴賓室に入った。
「ティアーナ=フィールだ。本日は食事会にお招きいただき感謝する。私はわけあって食事を摂ることはできないが、皆さまがたとの親睦を深めることができればと思っている」
深い赤色のドレスに身を包み、ティアは挨拶をする。癖のない黒髪を結い上げ、空いた胸元には雪のような白肌が輝いている。
──やっぱティアが本気だすとヤバい。
カホカはしみじみと思う。
その破壊力たるや、脳天に踵落としを直撃させる以上である。
居並ぶ貴族どもがアホ面さげてティアに見入っている。
時おりカホカを見る者もいたが、理由は明らかである。ティアと目が合い、恥ずかしさで目をそらした、そこにたまたまカホカがいた、という料理の添え物のような扱いである。屋敷ごと燃やしてやりたい。
──しょせん顔か? 顔なのか?
そう思うカホカではあったが、残念ながらティアはスタイルも良い。身長は平均的ではあるものの、全体的にすらりと細く、出るところは出て、引っ込むところは引っ込んでいる。
──格差! ああ格差!
しかし、ティアにドレスを着せるように仕向けたのは他でもない、カホカだ。
理由があった。
先のウル・エピテスで開かれた舞踏会に参加した際、ティアは男装したわけだが、これまた当然のごとく貴族の娘どもが群がった。
実は、そっちのほうがカホカの精神衛生上つらいのである。
なぜならティアは精神的ノン気だから。身体は女だが、心は男なのである。つまり恋愛対象は女ということになり、必然的にカホカのライバルは女ということになる。今回のように男がいくら群がろうとも恐れるに足らないのだ。
ちなみにこの対ティア用恋愛理論はファン・ミリアの一件で完成した。
ティアが女であるファン・ミリアに恋をしたからだ。
サティめ出し抜いてくれるじゃないか、とは思うものの、結果的には褒めてやりたいところである。あの聖女、吸血鬼を振りやがった。それでこそアタシが見込んだヤサグレ聖女だ。
聖女たるもの吸血鬼とは相容れない存在でなくてならないのである。
──ティアざまぁ。フラれ吸血鬼ざまぁ。
貴族どもがティアに見入っている間、カホカはそんなことを考えている。
主人役であるウィノナと向かい合うかたちでティアが座り、その隣にカホカも座った。
食事会がはじまると案の定、貴族たちのほとんどがティアの美しさを賛美し、その次には決まって自領の美しさを誇り、ティアに相応しい土地だからぜひ立ち寄ってほしい、といった誘いをかける。
いいのかお前らのほうが捕食対象だぞ、とカホカは思うのだが、男はそういう生き者だと思うしかない。
ふたりきりで遠乗りか、夜這いか──立ち寄った日には何されるかわかない、とティアも思っているだろうが、
「機会があれば」
と、軽い微笑とともに対応している。元男ではあるものの、元貴族である。女性の所作についても覚えがあるのだろう。
「本当に残念だ。ティアが妙齢の女性ならよかった」
そんな中、ウィノナは若手でありながら、セリーズ家の次期当主として堂々とした立ち居振る舞いを見せていた。
自分を下に置きつつ、機智に富んだ冗談で周囲を笑わせ、まんべんなく話をふる。主賓であるティアにはもちろん、カホカにも退屈せぬようさりげなく目を合わせてこちらの様子をうかがい、ちょっとした身振りで笑顔を引き出そうとする。
──こいつはモテるわ。
カホカはウィノナに向けてちいさく杯を上げ、思う。
いつかバディスが僻みっぽく、ウィノナを「女泣かせ」と評していたが、あながち間違ってもいなかったらしい。こういう気遣いを見せられれば、貴族のマダムどもはさぞ悶絶することだろう。たいそう浮き名を流していそうだ。
──てか、なんだこの意味のないモテ合戦。
カホカは呆れつつも、しかし料理は文句なくうまい。とりあえず口をもそもそと動かしていると、
「──義賊?」
ふとティアが反応した。カホカもそれにならって見回すも、ざわついた室内では誰が発言したのかわからない。
が、ティアはわかるらしく、やや離れた位置、隣同士で話し込んでいる貴族ふたりを見つめている。気づいたちかくの貴族が小声で伝えると、ふたりははっとした様子でティアを見た。
「いま、義賊と?」
これまでとはちがい、ティアの真剣な表情に、ふたりは気圧されたようにうなずく。が、すぐに取り直した様子で答えた。
「いえいえ、義賊ではありません。そう言う者がいるというだけです」
「詳しく聞かせてもらえないだろうか?」
ティアが強いて頼むと、
「──ティアもすでに見たはずだな」
渋るふたりのかわりに、ウィノナが答えた。
「アル姉が退治した山賊だよ。俺たちは山賊と呼んでいるし、実際そのような行動をしている。貴族や商人を襲い、金品を強奪する」
「しかし、それを義賊と呼ぶ者もいると?」
「山賊のうちの一派が、奪った金品を貧しい者に分け与えているらしいな」
「一派……」
「奴ら、それぞれが独立したような動きをしているんだ」
「わからない。ではなぜ同じ山賊だといえる?」
「同じような練度で、同じような動き方をする。すくなくとも素人の取れる動きじゃない」
ウィノナの説明にティアは黙って考え込む。
「つまり」とつぶやくように言った。「同じ訓練を受けている……」
しかし全体としてまとまっているわけでもない、とウィノナは言う。
「一網打尽にされないための策なのでは?」
実際、山賊たちがアルテンシアによって退治された現場を目撃している。
「ちがうだろうな。以前だが、どういうわけか奴らが同じ標的を狙ったこともあった。その時は襲った側が明らかに驚いていたらしい」
それに、とウィノナは続ける。
「奴らは強奪するが、おとなしく金品を差し出せば何もしないし、抵抗しても殺さるほどのことはない。しかし何にでも例外はあるように、不幸な目に遭う者もいた。それぞれの集団によって程度に差がある、ということだな。統制が取れていないともいえるが、そもそも独自に動いているからだと思う」
「すべてを退治するには手間がかかるというわけか」
ティアが言うと、ウィノナが料理の手を止めた。銀器を置き、腕組みをする。
「奴らも考えている」
別の、落ち着いた声音で誰かが言った。
中あたりの席に座る男だった。
まだ青年と呼べる若さである。参加者のなかではウィノナの次に若そうだ。
「北部と中部の境界線上を行き来して、こちらの追跡をうまく逃れている。うかつにこちら側の領兵が中部に入れば、コードウェルから何を言われるかわからない」
すると別の年嵩の武人らしき貴族が言った。
「同様のことをされれば、こちらも抗議するからな」
そしてウィノナが言った。
「コードウェルが政権を握って以降、東ムラビアは貧しくなった。聖ムラビアとの終わらない小競り合いで国庫を空費している。貴族の懐も寂しい。そうすると民に対する税の取り立ても厳しくなる。耐えきれなくなった者から土地を捨てて難民化する者もあれば……」
「山賊となる者もいる、か」
最後にティアが引き取る。
「必要悪、とまでは言わないが、俺たち北の貴族たちにも責任はある。ペシミシュタークはウル・エピテスから距離を取り、俺たちもそれに従った。とはいえ、野放しにしてはおけないから、討伐に出るときもある。ティアが見たときのアル姉がそれだな」
ウィノナが食事を再開すると、ほかの貴族たちもそれに倣う。しかし、以前とはあきらかに室内の雰囲気が変わっていた。みなが難しい顔をしている。
この国の行く末を憂いているのだ。
──アタシが知ってる貴族よりもマシだな。
すくなくとも彼らは自家以外のことを考え、悩んでいる。
「義賊か……」
ティアがぽつりとつぶやくのをカホカは聞いた。
「さっき──山賊たちは同じ練度と言ったな」
ティアが訊くと、ウィノナは「ああ」とうなずく。さらにティアが尋ねた。
「それはつまり、山賊たちに訓練を施す者がいるということか?」
「そうなるな」
「ではなぜその者を捕らえない?」
「訓練をほどこしただけでは罪には問えない。かつ、その者が山賊活動を扇動していないのは明らかだからだ」
「なぜそんなことがわかる」
すると、ウィノナが苦虫を嚙み潰したような表情をした。他にも先ほど発言した年嵩の武人も同じような顔である。
「理由がありそうだな」
「……元英雄だからな」
ウィノナは苦いものを飲みくだすようにワインを一気飲みする。
「ダビド=サルーニ。かつて東ムラビアの元帥の地位にまで上り詰めた男だ」
にやりとティアが笑うのをカホカは見た。とても嫌な予感がした。
「──ティア、もしかして?」と、カホカが訊くよりも早く、ティアは席を立っていた。
「その男に会いたい。ウィノナ、案内を頼む。──カホカ、用意するぞ」
「待ってよ、まだ料理が! デザートが!」
カホカがあわてて見上げると、ティアは食事会の参加者を見回した。
「山賊の動きを弱めることができれば、報酬で山ほどデザートをもらえる」
ウィノナは目を白黒させている。
「ちがうか」とティアが尋ねると、ウィノナはあわてて口元をぬぐった。
「それは助かるが、今からか? 近くじゃないぞ。馬車で何日もかかる」
「問題か?」
「オルバサスはどうする? アル姉が待っているんだ」
「待っているだけなら待たせておけばいい。私は用事ができた」
言ってティアは室を出ていく。
「ったく、ついてくこっちの身にもなってよ」
カホカは料理の皿と杯を抱えるように持ち、ティアの後を追う。
残された貴族たちは顔を見合わせるばかりだった。