11 出発
日没後すぐのシフルにて。
ドビ爺の家の前に、一台の見事な馬車が停止した。
流れるような所作で箱馬車から姿を現したのは、ひとりの貴公子である。いつもの洒脱な恰好ではなく、落ち着いた正装だった。
プラチナブロンドの髪を後ろになでつけ、背筋をのばしている。
「ウィノナ=セリーズです」
口元には涼しげな笑みを浮かべている。いかにも好青年といった立ち居振る舞いである。
「ティアーナ=フィール、ティアと。貴方のことはカホカから聞いている。くだけてもらって構わないし、私もそうする」
ティアが進み出て、告げる。その背後からカホカが顔を出し、「よっ」と、ウィノナに挨拶をする。ウィノナも「また会ったな」と楽しげに返す。
ウィノナとは対照的にティアの姿は平服で、おまけに旅の汚れを残している。しかし、その表情に後ろめたさは微塵もない。カホカ以外にも、バディス、ホゴイ、ドビ爺といった面々が並んでいる。
そんなティアの様子にウィノナはうなずき、
「噂には聞いていたけどな……これほど噂以上の美女も珍しい」
「私のことはすでに知っていると思う。私にふさわしい言葉だとは思わない」
「なるほど」
もう一度、ウィノナはカホカに顔を向ける。
「カホカが心酔するわけだな」
「してないっての」
カホカが唇をとがらせる。ウィノナは笑ってティアに顔を戻した。
「途中、セリーズのケェクに寄らしてもらう。そこからペシミシュタークのオルバサスを目指すけど、いいかな」
「構わない」
「ついでにセリーズではふたりを食事会に招待するよ」
「食事会?」
ティアはすこし考える。
「アルテンシアも参加するのか?」
ティアが呼び捨てに訊くと、「いいね」とウィノナは笑い、
「アル姉はいないな。参加するのはセリーズ関係の貴族が中心だ」
「アルテンシアとの話によっては無駄になるかもしれない」
「気にすることじゃない。承知の上で誘ってる」
「では参加する」
「それは嬉しいな」
ウィノナは本当に嬉しそうに言って、カホカを見た。カホカは何も言わない。ティアの判断に任せる、ということなのだろう。
「それじゃ、どうぞ」
ウィノナがティアとカホカを箱馬車へと促す。
扉が閉じられる前に、ティアはバディスとホゴイを見た。
「後は頼む」
ティアが声をかけると、ふたりが神妙な面持ちでうなずいた。ティアはさらにドビ爺に視線を移す。
「みなに苦労をかける」
「旅のご無事をお祈り申し上げます」
ウィノナが乗り込むと扉が閉じられ、馬車が動き出した。
◇
残照を左手に眺めながら、馬車は未舗装の道を進む。
「ティアはアル姉とはもう会ったんだってな──怒らせたんだって?」
向かい側に座るウィノナが訊ねてくる、ティアとカホカのふたりは並んで後部座席──進行方向の向きに座っていた。
「アルテンシアの馬車が山賊に追われているときだった。やはり怒っていたのか」
「怒るのは、それが的を射ているからだと」
「思ったことを言った。それで怒らせた。私が悪いということでもいいが──」
ティアは手の甲を示す。
「私もナイフで刺されている」
その言葉に、「ん?」とカホカが反応を示す。アルテンシアとの出会いは伝えてあるものの、ナイフで刺されたことは伝えていなかったのだ。
「まぁ、あれだ──」ウィノナはバツが悪そうである。
「アル姉だって本気じゃなかったんだろうな」
「そうだな、とても痛かった。私が吸血鬼でなければ傷が残っていたところだ」
ティアが無表情で告げると、「アル姉に代わって謝るよ」と、ウィノナは降参のポーズを取る。
「ティアが吸血鬼だから治ると思ったのかもな。実際に治ったみたいだし。アル姉は先を見通す人ではあるが、感情的になることもある。でも、長くは続かないんだ。そのうちケロリと忘れる」
「ただのロクでもない奴じゃん」
カホカが横から口を挟む。
「まぁ、そういう見方もある。でもカホカには優しかったろ」
「それは、たしかに。嫌な感じではなかったけど。助言もらったし」
カホカが言うと、「な」とウィノナはカホカに同意を求めてくる。
「いやアタシに言われても。てか、ウィノナがそんな気を遣わなくてもいいんじゃない? ティアのことならどーせ何も考えてないよ」
「そうなのか?」
ウィノナに訊かれ、ティアは「なんの話だ?」と、首を傾げた。そこへ、カホカが助け船を出した。
「ウィノナはティアが怒ってるんじゃないのかって心配してんだよ」
「なぜ私が?」
ティアはきょとんとする。
「私は別に怒っていないぞ。痛かったから痛かったと言っただけだ」
言ったあと、ティアはふと思う。
「怒っているように見えるのか? 私は」
「というか──」とウィノナ。
「美人が無表情だと何を考えているかわからなくるんだよな」
「そういうものか」ティアは苦笑する。「多分、これはファン・ミリアの癖が移ったんだ。そのうち直るだろう」
「どういうことだよ?」
これにカホカが反応をみせた。
「ファン・ミリアは無表情で皮肉を言ってくるからな」
それで自分も言い返していたら、無表情が移った、という理屈である。
「聖女か。ティアとは懇意らしいな」
ウィノナの言葉に、「懇意だった」とティアは修正する。
「私がファン・ミリアに振られたんだ」
「へぇ」
ウィノナはちらりとカホカを見た。カホカはそっぽを向いている。ウィノナはそんなカホカに優しく目を細めて、再びティアを見た。
「言うわりには悲しそうに見えないな」
「そう見えるか?」
「見えるな」
「人の心の問題だからな。できることとできないことがある」
「ほー」と、ウィノナが感心した様子で言った。「吸血鬼が人の心を語るんだな」
「私は吸血鬼だが、人の心を捨てた覚えはない」
「たしかにな。人の皮をかぶった悪魔もいるからな」
ウィノナは納得した様子で腰を深くかける。
「でもよかったんじゃないのか? 吸血鬼と聖女、面倒もすくなくない」
「そう思うことにしておく」
ティアも足を組んで窓に顔をむけた。話はこれで終わり、と暗に伝えながら。
ウィノナも聡い。それ以上は訊いてこなかった。
天井から吊られた明かりが揺れている。
「んで──」
しばらくして、カホカが口を開いた。
「アルテンシアはなんでアタシに優しくして、ティアには強く当たったの? 本当にティアが怒らせたから?」
カホカとしても意外なのだろう。アルテンシアの自分に対する態度と、ティアに対する態度は明らかにちがう。内実は知らないが、カホカの前ではアルテンシアは鷹揚だった。すくなくとも、そのように振る舞っていた。
「──簡単だ」
ウィノナではなくティアが答える。
「私を試したんだろう」窓の外を眺めながら、ティアは口の端を上げた。「頭がいいのも大変だな。いろいろと雑音が多そうだ」
「笑うんだな」
ウィノナが抜け目なく言ってくる。
「不敵って感じだな」
「アルテンシアは私に興味があるらしいからな。そもそも──私が吸血鬼であることをどうして知っている?」
「情報の網を張り巡らせてあるからな。特に王都には」
「私のことを知ったのは舞踏会以降ということか」
「存在自体は情報として持っていたが、注視するようになったは、そうだな」
「含みのある言い方だ」
「理由があるからな。そのうち話すよ。俺の口からじゃないかもしれないけどな」