9 ラヴィンの任務Ⅱ
ラヴィンは晴れない顔つきでウル・エピテスの奥──宰相府へと向かう。
「慎重にやれとか、好きにやれとか」
なかば仏頂面で、ラヴィンはジルドレッドの言葉を考えている。
「どうしろってんだか」
どうにも任務の全体像がぼやけている気がする。
そもそもラヴィンは頭脳労働が苦手であることを自認している。
あれこれ机で考えるより、スカッと魔物をぶっ叩いているほうがわかりやすい。
そんなことを考えながら歩いていると、通廊の角からふたりの男がこちらに曲がってくるのが見えた。
──やーれやれ。
嫌な奴に会っちまった、とラヴィンが内心で舌打ちをする。
「ほぉ、ラヴィンか。砦勤務に飛ばされたと聞いていたが」
太い声の、いかにも高圧的な男である。頭を戦士風に刈り込み、鎧を身にまとっている。体格もがっしりとしており、かなり大きい。
ユリウス=アービシュラル。ネオンの子であり、特務部隊の隊長である。
「飛ばされたわけじゃねー。誰がてめーみたいなのがいる場所に好き好んで来るかよ。むこうのほうが100倍マシだぜ。つか、お前らこそ何してやがる」
「我々は化物ばかりを相手しているお前たちとはちがうのだ。国の最重用機密にも関わっている」
「けっ」
ラヴィンはユリウスをにらむ。
エッジ・ハズ家のラヴィンにとって、アービシュラル家のユリウスは本家の嫡男であり、従兄弟である。しかしその感情は複雑だった。
「わかったらさっさと帰るがいい」
ユリウスが口をゆがめて嗤う。
「神聖な場所が狗臭くなってはかなわん」
「狗が他人を狗呼ばわりかぁ? 笑えるぜ」
ラヴィンが言ってやると、ユリウスが不快そうに眉根を寄せた。次の瞬間、ラヴィンの首元に剣がつきつけられた。ユリウスではなく、その背後に控えていた男だった。
特務部隊の副隊長のデジュ・カリコー。冷たい目をした男である。
「どういうつもりだ、コラ」
剣を突きつけられながら、ラヴィンはひるまずに胸を張った。デジュ、そしてユリウスをにらむ。
「城内で剣を抜いてんじゃねー。てめーらの部隊はどうなってやがんだ」
聖騎士団と特務部隊、どちらも立場がある。
分が悪いと思ったのだろう、ユリウスが忌々しそうに舌打ちした。
「──デジュ」
ユリウスが腕を上げると、副隊長のデジュがしぶしぶといった様子で剣を鞘におさめた。
──狗同士、首輪をつけ合ってろ。
そう言おうと思ったラヴィンだったが、やめた。言わなくてもいい最後の一言──自分を満足させるためだけの言葉が、相手を深く傷つけ、恨みとともに暴発させる。かつてラヴィンが教わったことだ。
「分家の分際で──」
しかしユリウスはまだ気が収まっていないらしい。より敵意をむき出しにしてラヴィンに顔を近づけてくる。
「親父は甘すぎる。俺が家を継いだ日にはエッジ・ハズは断絶だ。──楽しみだな。アービシュラルの後ろ盾を失ったお前が落ちぶれていく様が目に浮かぶ」
「ネオンのおじさんも憐れだぜ。てめーにゃ、アービシュラルは重すぎる」
言い返したラヴィンの脳裏に、ひとりの女性の姿が思い浮かんだ。華奢な身体に、その重責を背負う女の姿を。
ユリウスが上げたままの腕を横に振ると、押しのけられるようにラヴィンの背が壁にぶつかった。
「力のない者が何を言っても無駄だ。自分の非力を噛み締めていろ」
横目で見下すようにユリウスが、その後ろをデジュが通り過ぎていく。
「ったく、一張羅が汚れるだろうが」
ラヴィンは制服をはたく。
──いちいちつっかかってきがって。
ユリウスがラヴィンに敵意を向けるのは、いまにはじまったことではない。そもそも、本来であれば分家のほうが本家筋の者に恨みを抱くのが常だが、ふたりに関しては逆になっている。
ユリウスにも事情がある。
その事情自体はラヴィンも知っているが、それがなぜ自分と結びつくかがわからないし、そもそも結びついているかさえわからない。
やるせない疲労感とともに、ラヴィンはフーノックの執務室のドアを叩く。
「おお、入れ」
言われてラヴィンが入室する。
要職に就く者に与えられる執務室は大抵が同じつくりである。
黒檀の執務机と、脚の低い長椅子が二脚、テーブルを挟んでおかれている。
「疲れているだろう。座れ座れ」
フーノック自身も執務机から立ち上がり、長椅子に腰をおろす。ラヴィンもそれにならって向かい合わせに座った。
平団員がフーノックと直接会話をかわすことは珍しい。
入団式のときなどは団長に先んじて言葉を戴くことはあるが、会話ではない。しかもそういった席ではどちらかと言えば寡黙な雰囲気をにおわせているので、明るい口調がラヴィンには意外だった。
「団にはもう慣れたか?」
そう訊かれたが、ラヴィンは新人ではないし、聖騎士団に配属されてから数年以上は経っている。
「まぁ、ボチボチやらせてもらってます」
ラヴィンが答えると、「そうかそうか」と、フーノックは顔中に満面の笑みを浮かべている。どこからどう見ても好好爺である。
それから「ちゃんと食っているか」とか「はやく奥さんを持て」とか、ここがウル・エピテスであるかを忘れるような会話をひとしきりしたあとで、
「──アービシュラルはお前にとってどういう存在だ?」
突然の予期しない質問に、ラヴィンは返す言葉を失った。
「いや、まぁ」
答えあぐねていると、笑顔のフーノックの目の奥が光った気がした。
「即答はできんか。そうだろうな」
無難な答えを返せばいいのだろうか、ラヴィンは迷った。フーノックはラヴィンの返答を待っている。
「好きではないっすね」
ため息を吐くようにラヴィンは言った。どうせ嘘を言ったところですぐに見抜かれる気がしたからだ。『気がした』と思わせることがフーノックの話術なのかもしれないが。
「伯父のネオンからはかわいがってもらいましたけど、息子のユリウスとは馬が合わないですし、うちの親父に関してはアービシュラルが大嫌いですから」
「複雑だな」
「そんなもんじゃないですか。どこの家も」
「お前は優しい男だ」
「やめてくださいよ」
ラヴィンの声が無意識に大きくなった。
「親父よりはマシかもしれないけど、……好きではないのはたしかですから」
「かといって、見捨てるほどでもないか。だからこそ、お前に任務を任せたのだ」
「見捨てない自信はないすけど。どういうことすか」
「今回のベイカーの調査は、軍治安部のハズクという男の暗殺とも関わっている。そしてラヴィン、お前がエッジ・ハズの者であるということも考慮している」
「意味がわからんっす」
「エッジ・ハズにとってアービシュラルは本家筋──つまり主君筋だ。お前の心情は別にして、すくなくともエッジ・ハズはアービシュラルに対して不利益な行動はすまい、と周囲は思うだろう」
「そりゃまぁ、そうかもしれませんけど……」
「だが、調査の結果、お前がどのような行動をするかは誰にもわからん。私にもわからんし、お前自身もわからぬだろう。だからこそ、お前に任せるのだ」
「本当に意味がわからんっす。それってつまり──」
「私の憶測だ。すべては調査の後だ」フーノックは話をさえぎり、「この件、聖騎士団の行く末さえも左右すると私は考えている。お前にこの任務を任せるのはエッジ・ハズだからという理由もあるが、それだけではないのだ」
信じてもらえればと思う、とフーノックは最後に付け加えた。
フーノックの執務室を出て、ラヴィンはさらに肩を落とした。
「ますますわかんねー」
もともとが雲をつかむような話なのに、フーノックの話を聞いた後では雲さえ見えなくなった気がする。
「本部に戻るか……」
とりあえず資料を読むところからはじめるしかない。
──ニネヴェ様に挨拶に行こうと思ってたんだけどな。
ニネヴェ・ホッザー・ナミ=ディーネ・ムラビア。
国王デナトリウスの長女であり、王姫の称号を持つ女性。ラヴィンの親衛隊時代の護衛対象である。
とりあえず今日はそんな余裕はなさそうである。面会の予約も取っていない。
ラヴィンは重い足取りで聖騎士団本部に戻った。