8 ラヴィンの任務Ⅰ
黒檀の机に両肘をつき、手を組んだ。
しばらくそうしていたジルドレッドだったが、うんざりして溜息を吐いた。
「なんとか言ったらどうだ」
その視線の先に、ファン・ミリアが直立している。
「言い訳は?」
ジルドレッドが言葉を変えると、「性分ではありません」と予想通りの答えが返ってきた。そして「報告したとおりです」と付け加える。その潔さが、今日に限っては聖騎士団をあずかるこの大男の神経に触った。
「聖騎士団員の、筆頭という立場である者が、吸血鬼と行動をともにした挙句、そのまま放置して帰ってきた、と。しかもその吸血鬼はこのウル・エピテスで大暴れたお尋ね人ときている」
言い、ジルドレッドが鋭い視線をファン・ミリアに向ける。
「なめてるのか、貴様!」
大音声が団長室に響き渡った。
「なぜティアーナ=フィールを王都に連れ帰ってこなかった? それができぬのならばなぜティアーナ=フィールを滅殺しない? 得意の温情でもかけたか。神託の乙女は法の裁定者にでもなったつもりか」
「お前のつまらぬ慈悲のせいで、団の面目は丸つぶれだ。これで我々はティアーナ=フィールを是が非でも仕留めねばならなくなった」
「私が──」
ファン・ミリアが口を開いた。
「仕留めます。この手で」
ふん、とジルドレッドは鼻を鳴らした。
「覚悟はあるか。だが、遅い。そう思うならなぜシフルで仕留めなかった?」
黙り込むファン・ミリアに、「それがお前の限界だ」とジルドレッドは告げる。
「その限界が超えられないのであれば、消えろ。聖騎士団にお前の居場所はない。謹慎中によく考えろ」
ジルドレッドはわずらわしさを振り払うように手を振った。
「行け。俺からは以上だ」
ファン・ミリアは一礼をして団長室を出た。
◇
「──はじめて聞きましたよ、筆頭が団長に雷を落とされてるトコ」
ファン・ミリアが扉を閉めたとき、声が聞こえた。
顔を上げると、ひとりの聖騎士が立っている。
「ラヴィンか。久しぶりだな」
「筆頭もお元気そう、でもないか」
ラヴィンはちいさく笑う。年齢的にはラヴィンのほうが年上だが、ファン・ミリアは上役である。
「王都に異動になったらしいな」
「はい」
ラヴィンはちらりと団長室の扉を見やる。
「いますぐに行くと筆頭のとばっちりを受けそうなんで、すこしだけ時間を置こうかなと」
「賢明だな」
「そんだから、可愛い部下の相手してやってくださいよ」
「なんだ?」
ファン・ミリアは苦笑する。
その使命ゆえに危険も多く、団内は殺伐とした雰囲気になりやすい。そのなかでラヴィンの性格は明るさをもたらしていた。
「ビストリツェ砦を出るとき、餞別がわりにケルトのおっさんに稽古をつけてもらったんですけど」
「ケルト支部長だ」
ファン・ミリアが指摘すると、「そいつです、そのおっさん」とラヴィンはうなずき、
「んで、稽古したんですけど──」
「勝ったのか?」
「いや、それがボロ負けで。部下に見せる剣筋じゃなかったすね、鬼っすわ」
「だろうな」
「あのおっさん。手も足も短いくせに、やたら強いのなんのって。だもんで、次会うまでに勝てるようになっておきたいなーと」
「無理だな」
ファン・ミリアは言下に告げる。
「ケルト支部長は剛の者で鳴らした人らしいからな。現役時代は団長と技を競っていたと聞いている」
「だから勝っておきたいじゃないですか。俺はおっさんの悔しがる顔が見たいんす。なんか良い秘策とかないですか?」
「そんなものがあれば苦労はない」
「可愛い部下のためにラズドリアの盾を貸してやくれませんかね?」
ラヴィンは茶目っ気たっぷりに言ってくる。本気で借りることができるとは思ってないだろうが、ファン・ミリアに気を遣っているのかもしれない。彼に限らず、一にも二にも「なぜジルドレッドに怒られたか」を訊いてみたくなるものだ。
「わかった」と、ファン・ミリアは真顔でうなずいた。
「私のラズドリアの盾を貸してやる。ちゃんと返せよ」
「お?」と、ラヴィンがまじまじとファン・ミリアを見つめてくる。「マジすか?」
「嘘にきまっている。殺すぞ」
真顔で即答するファン・ミリアに、「あらら」とラヴィンは拍子抜けした表情になる。
「筆頭でも冗談を言うんすね。めちゃ意外です」
言われたファン・ミリア自身も意外だった。部下に冗談を言ったのははじめてである。
──そういえば、とファン・ミリアは思う。
ティアの旅の最中、くだらない会話をよくしたものである。
その影響だろうか、と考えていると、
「ラヴィン、いるなら早く入ってこい! ファン・ミリアはさっさと家に帰れ!」
ジルドレッドの怒声が扉越しに聞こえてきた。
「無駄なあがきだったな。しっかりとばっちりを頂戴してこい」
言い、ファン・ミリアは目線で「行け」とラヴィンをうながす。
「へーへー」
ラヴィンがうんざりした表情で団長室に入っていく。その肩を落とす姿にファン・ミリアはちいさく笑みを漏らしながら、その場を後にした。
◇
「ラヴィン=エッジ・ハズ、参りました」
団長室に入るなり、ラヴィンは背筋を伸ばして直立する。直立しながら、
──こっちのおっさんは見るからにおっかねぇんだよな。
などと、しみじみ思っていたりする。
「遠路ご苦労だったな」
「はい! 何度も引き返そうかと思いました!」
「……頸椎を引き抜かれたいか?」
真顔で訊かれ、ラヴィンは「いえ!」と、さらに背筋を伸ばす。
「ケルト支部長からはどこまで聞いている?」
「副団長とグスタフのじいさまが殺されたってことくらいは。あと聖騎士団じゃないのも殺されたんすかね。俺はかたき討ちで呼ばれたってことかなーと」
「かたき討ちと言えなくもないが」
ジルドレッドが事情を話しはじめる。
「先にグスタフの話をする。彼を殺したのはティアーナ=フィール。吸血鬼だ。だが、そのティアーナを操っていたのはイグナスという男だ。こいつは王都で『蛇のギルド』と呼ばれている暗殺ギルドの長だった。そして、この男を殺したのもティアーナということになる」
「仲間割れってことですか?」
「いや、ティアーナは『蛇のギルド』と敵対する『鷲のギルド』に味方していた。ティアーナの目的は鷲のギルド長であるレイニー=テスビアの脱獄幇助だったはずだ」
本来、とジルドレッドはラヴィンの言葉を待たずに続ける。
「『蛇のギルド』にしろ『鷲のギルド』にしろ、取り締まるのは軍治安部の管轄だ。それを報復目的で俺たちの案件にすることは不可能ではないが手がかかるし、それ以上に──俺はグスタフの最期を見ている。ファン・ミリアもだ。率直に言って、ティアーナに対して報復の感情はない。むしろグスタフを殺したのはイグナスとするべきだろう」
「そのイグナスをティアーナが殺っちまったと」
「そうだ。この件に関して、すくなくとも俺はティアーナに対して悪感情はない。あくまでこの件に関して、だ」
「はい」
含みのある言い方に、ラヴィンはとりあえず返事をする。
「だが、面倒が起こった。これは新しい事態だ。先日までファン・ミリアが行方不明となっていたが、聞けばシフルまで旅をしていたという。その同伴者がティアーナ=フィールだった」
「筆頭が、吸血鬼と?」
「あくまで内密の話だが、その吸血鬼の正体はシフルの元領主ノルド=シフルの次男テオドール=シフル、通称タオ=シフルと呼ばれる男だ」
「まじすか」
ラヴィンは目を丸くする。
「人間が吸血鬼になったってことすか?」
「現実に人間が化物になるのはありえることだ。男が女になるのは俺も初耳だが」
「なんでそうなったか、っていうのは?」
「もともとの発端はシフルがウラスロ殿下の異教徒狩りの対象になったところからだな。タオ=シフルも粛清されたが、イスラと呼ばれる黒狼の神の力を得て蘇った。これがティアーナ=フィールということになる」
「いまどき異教徒狩りって……」
「王都では軍も協力して情報封鎖にやっきになっていたからな。お前は砦にいたから知らぬかもしれぬが、シフルだけではない」
「なら、ティアーナはウラスロ殿下を恨んでるってことすか?」
「だろうな。そして──タオ=シフルが亡くなったとき、彼の立場は聖騎士団見習いだった」
「えー!」
「微妙な問題ではある。タオ=シフルは当時、シフルにいたわけだが、それは聖騎士見習いとして戦場に派遣され、その戦場から去ったからだ」
「任務放棄ってことすか?」
「そうとも取れるが、ちょうどタオが派遣された軍が敵国に寝返っている。それによってタオが軍から離反したなら、むしろ正当な行為といえる」
「ややこしいな。……でも、本部には戻らなかったんでしょう?」
「そうだが、日数としてはシフルに寄っただけとも考えられる。褒められたことではないが、用があったのかもしれんし、同じ状況であれば他の団員も絶対にしないとは言えぬだろう。程度によっては懲罰の対象にはなるが、すくなくとも除名するほどではない。見習いの試験中であり、その行動によって落第する可能性はある。あるが、その時点で見習いではなかったとすることもできない」
「それじゃ、タオ=シフルは見習いとして化け物になっちまったてことすか……」
「その糾弾を団としては避けたい、というのが本音だ。これまでも聖騎士団員が化物になった例はあるが、許されることもあった。そのまま聖騎士団員として国に仕える場合など」
「けど、タオはウラスロ殿下を恨んでいる」
「現実にそれを裏付ける反国家的な行為に及んでいる」
「じゃ、やっぱりタオを、じゃなくって、ティアーナを殺っちまう?」
「そうなる。我々はそれによって責務を果たさねばならない。タオ=シフルはウラスロ殿下によって粛清され、ティアーナ=フィールとなった今度は聖騎士団の粛清対象となる……不憫と思わぬでもないが、本人の行動の結果だ」
「できるかな、俺に。手強いんです?」
「ティアーナはお前の手に余る。──ラヴィン、お前に与える任務は別だ」
「別、すか」
「ベイカー暗殺の背景を探れ」
「副団長を殺した犯人を見つけろってことですか?」
「それも含まれる」
「犯人の目星は?」
「ない、と言っておこう。が、まずはその背景だ──宰相府のフーノック卿に会ってこい」
「フーノック卿に?」
肩書のない聖騎士がフーノック卿に会うのはよくあることではない。
「一家言あるのかもな。王城内で起こった事でもある。慎重な行動が必要になる可能性が高い」
ラヴィンは半眼になった。
「どう考えても俺には不向きじゃないすかね?」
「お前は前職、王族付きだったことから城内に顔が利く。聖騎士団員としては耳に届かぬことも、お前の耳に届くこともあるだろう」
「なんか……」
単純に聖騎士としての能力で選ばれたわけではなさそうだ。
「嫌な予感がしてきました」
「理由があるということだ。これ以上は俺からは言えん」
「辞退することは可能ですかね?」
「その場合はケルト支部長と真剣で稽古することになる」
ばっちりファン・ミリアとの会話を聞かれていたらしい。
「……ぅわぁーい、たのしーなー」
ラヴィンが白目を剥いていると、ジルドレッドが嘆息した。
「お前は判断に柔軟性があり、よくわからんが精神力はタフにできている。これは特務だ。好きにやってこい」
ジルドレッドの言葉に後押しされ、ラヴィンはしぶしぶ団長室を出た。