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ハーフ・ヴァンパイア創国記  作者: 高城@SSK
第五章 創国編
223/239

3 コードウェル蠢動(下)

 緑の丘を越えた先に、森があった。

 森のなかに泉があった。()き出る水は冷たく透明に澄んでいる。若葉を()けて木漏(こも)れ日が降り注いでくる。

 あの日、すべてが輝いていた。

 少年は泉のほとりに立つと靴を脱いだ。足の裏に、ぬかるんだ土の感触がある。それから服を脱いで手近な岩にかけると、泉に飛び込んだ。

 ひとしきり泳ぎ、満足すると全身の力を抜いた。

 肺に空気を溜めると、少年の身体が水面に浮かび上がっていく。

 見上げた空に鳥が横切っていく。

 ひとりだった。

 世界には自分しかいないのではと錯覚するほど静かで、完璧な世界。

 

 目をつむり、陶然とうぜんと浮かんでいると、耳に、がさがさと草を()く音が聞こえた。

 少年ははっと我に返り、音のした方を見つめる。

 間を置かず、草叢(くさむら)の奥から、話をする男たちの声が聞こえてきた。

 

 少年は目を見開き、声のする方をじっと見つめていた……。


 ◇


 夜。

 王城ウル・エピテス、宰相室にて。

 控えめに扉を叩く音に、ナジーム=コードウェルはゆっくりと目を開いた。

 

 うたた寝をしていたらしい。


「入れ」


 声をかけると、使者が入ってきた。ヒースノックである。


「閣下におかれましてはご機嫌うるわしく……」


 その口元に卑屈な笑みを浮かべるヒースノックを「よい」と途中で遮り、


「何用だ? このような時間に」


 覚醒(かくせい)しはじめたコードウェルが訊ねると、「それが」とヒースノックは袖で顔の汗をぬぐう。


「実は殿下がお会いになりたいと」

「殿下が?」

「『会議のことで礼がしたい』との御言葉を受け賜っております」

「なんだ──」


 そんなことか、と言いかけた言葉をナジームは()みこんだ。拍子(ひょうし)抜けした気分だが、顔に出すわけにはいかない。たとえ本人がおらずとも。


「わかった。参上するとお伝えしろ」


 コードウェルが立ち上がりかけると、「いえ、それが」とヒースノックは両手を振った。


「もう(へや)の外でお待ちになっております」

「ここに? なぜそれを早く言わん。すぐにお通ししろ」

「はっ」


 言うが早いかヒースノックは部屋を走り出ていく。すると入れ替わるようにウラスロが入ってきた。


「これは殿下──」


 ナジームは立ち上がってウラスロを迎える。


「このような時間に悪いな」

「なにをおっしゃいます」


 言いながら、ウラスロを椅子に座らせる。


「宰相も楽にしてくれ」


 促され、ナジームも対面に腰を下ろした。

 ウラスロはどことなく緊張している様子である。ナジームが黙って言葉を待っていると、


「今日のファン・ミリアへの差配、礼を言う」

「そのことでしたか」


 ナジームは意外そうな顔をつくり、笑う。使者のヒースノックから『礼』という言葉を聞いて想像はついたが、やはりらしい。


 ──殿下は若い。


 身分とプライドの高い男は惚れた女に対して同じような態度を取る。まだ手に入っていないものを、あたかも自分のものであるかのように庇護を与えようとするのだ。それを彼らは誠実さと思い込んでいる。


「平民の出でありながら、聖女殿の活躍は私も聞き及んでおります」

 

 ナジームはあえて、平民の出、という言葉を口にした。ウラスロが鼻白んだ表情になる。


「ファン・ミリアほどの功績があれば貴族になることもたやすかろう」

「ですが出自(しゅつじ)は隠せません」

「功績が第一であろう」

「貴族の反感を買いましょうな」

「愚かなことだ。余がさせぬ」

「愚かですが、貴族たちの協力がなければ国は立ちゆきませぬ」

「わかっている」


 ウラスロは気色(けしき)ばんで言った。


「宰相はさきほどから否定ばかりしている」

「なにをでしょう?」


 言葉に詰まるウラスロに、ナジームは相好を崩した。


「大変意地の悪い申し上げ方をしました。お(ゆる)しを。殿下がそう思われるのであれば、そのようになさいませ」

「どういう意味だ?」

「言葉通り。私は殿下の尊き想いを無下(むげ)にはできぬと、会議の折にも申しました。聖女殿は平民の出ではありますが、殿下のお気持ちがあるのなら、それはめでたきことと存じます」

「反対せぬのか?」

「反対などと」ナジームは快活に笑う。「国の慶事(けいじ)かと存じます」


 百官の長たる宰相、そのナジームの言葉に、ウラスロは感激して目を瞬かせた。


「重ねて礼を言う」

「もったいないお言葉。しかし軽んじられたと感じる者もおるやもしれません。ご配慮は必要かと存じます」

「そうだな。(きも)に銘じておく」


 ウラスロは胸を張って応え、「夜分、申し訳なかった」と立ち上がった。

 ナジームはウラスロを送りながら、


「フーノックから報告がありました。聖女殿は謹慎(きんしん)ということになりそうです」

「そうか」

「これは宰相としてではなく、ただの爺の独り言ですが──時間が空きますな」


 怪訝(けげん)そうなウラスロの視線に、ナジームは気づかぬふりをした。


「気を()いてはいけませんが、しかし、これまで多忙だった者ほど、時間をもてあますもの。あれこれと考えて気分も(ふさ)ぎがちになるものでしょう」


 言い終わり、ナジームはいまウラスロの視線に気づいた、という顔をして。


「おっと、これは失礼いたしました。殿下の前でつい余計なことを」

「策か」

「いかにも」


 うなずくナジームに、ウラスロは苦笑する。


「宰相もあまり(こん)を詰めるなよ。もう若くはあるまい」

「適度にうたた寝をしておりますゆえ」

「ならば良い」


 ナジームはウラスロが去るまで時間をおいて、ようやく頭を上げた。


 ──やれやれ。


 (あわ)れな男だ、とナジームは思う。

 

 ファン・ミリアがウラスロに(なび)く可能性は低いだろう。自分が悪名を()せるに足る行いをしていたなどと、(つゆ)にも思うまい。

 

 ──ムラビア家に生まれていなければ。


 たとえ王家でなかったとしても、まだ可能性はあったかもしれない。

 本来、ウラスロはけっして無能な男ではない。たしかに才気走(さいきばし)ったところはないが、次代の王としては及第点だろう。デナトリウスが病に()せるまで、地味な人物という評価が与えられてはいたものの、逆にいえば悪目立ちすることもなかった。そもそも、よほどの能力がなければ人に噂されることはないし、優秀な人物だったとして、必ずしも名君になるとも限らない。


 むしろ、出しゃばらず臣下や民の声に耳を傾ける王ほど治世は安定する。


 若い、ということも多分にあるが、ウラスロは考え方に柔軟性があり、進取(しんしゅ)の気質も持ち合わせている。三公爵家のうち、実はペシミシュターク家ともっとも相性がいいのでは、とナジームは冷静に分析している。


 ──だが、そうはならぬ。


 自分がいるから、という自負心からではない。それ以上に、すでに流れはできてしまっている。どれほどウラスロが流れに逆らおうとも、この国が進む流れに(あらが)うことはできないだろう。


 ナジームは宰相室に設えられた席につく。呼び鈴を鳴らすと、すぐにひとりの男が室に入ってきた。

 とりたてて特徴のない青年である。宰相の前にも関わらず、ご機嫌うかがいの挨拶もない。


「お呼びでしょうか」

「ノールスヴェリアに行って新しい交易ルートを作ってこい。誰を訪ねるかはわかるな?」

「はい」と、男は返事する。

「必要なら『蛇』を使ってもよい」

「最近、『蛇』の質が落ちております」

「知っている。そのためにルートを再確立する必要があるのだ」


 男は一礼して室を出ていく。

 男の名はキギョウといった。ナジームの子飼いであり、諜報その他の活動を任せている。表には決して出ない私兵である。


 再びひとりになった室で、ナジームは腕組みをした。

 

 ──まさかイグナスが討たれるとは。


 予想外ではあった。

 討ったのはティアーナ=フィールという、これも予想外の者だった。というより、予想だにしていなかった、が正しい。聞けば化生(けしょう)前はシフルの次男坊だったらしい。イグナスが何を狙ったのかは不明だが、奴も焼きが回った、と思うほかない。

 

 その後もティアーナには注意を払って動向を追わせていたが、ネオンからの情報から判断すると、邪魔な存在にはなり得るものの、流れを変えるほどの存在ではない、というのがナジームの結論だった。

 何しろ。


 ──もう終わっている。


 のだから。

 

 しょせんティアーナがこの国をどれだけ荒らし回ろうと、ナジームの計画を早めることはあっても、壊すことはあるまい。ティアーナがシフル民である以上、どこまでいっても内乱である。

 

 ──いま自分が気をつけなければならないのは、別の者。


 ティア―ナ以上に厄介な存在はいるのだ。

 

 思いながら、ナジームは黒檀(こくたん)の執務机に乗せてある紙に目を向けた。

 昼の会議のあとすぐ、フーノックから送られてきた報告書である。


 やはりフーノックはあらかじめ『土産』を考えていたらしい。


『聖騎士団副団長ベイカー=バームラーシュ暗殺事件の調査のため、ビストリツェ(とりで)よりラヴィン=エッジ・ハズを転任させる』とのことが書かれていた。


 一瞬、ナジームはなんのことかわからなかった。


 しかし、エッジ・ハズ家がアービシュラルの分家であることは知っている。それを踏まえて考えていくと「ああ、なるほど」とナジームは納得した。納得したが、その程度である。ナジームの期待には程遠いが、フーノックにできるのはこれくらいかと、つい(あなど)りの笑いが()れて出た。


 ──あの男なりに敵意がないのを示したつもりだろうが。


 ナジームほどの人物に対してはあってないような気遣(きづか)いである。


「まぁ、いい。聖騎士団は使いみちがある」


 ナジームのつぶやきは、ウル・エピテスの奥部、宰相室の夜に溶けて消えた。

ベイカー=バームラーシュ

聖騎士団の副団長。舞踏会当日、何者かによって暗殺される。


ラヴィン=エッジ・ハズ

聖騎士団員。アービシュラル家の分家、エッジ・ハズ家の嫡男。


ビストリツェ砦

聖騎士団の支部。大陸北部から国内に侵入する化物を退治するための前線基地。

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