2 コードウェル蠢動(中)
東ムラビア王国における貴顕なる三公爵家──コードウェル家、アービシュラル家、ペシミシュターク家。ナジームはそのうちのコードウェル家の当主であり、対するネオンはアービシュラル家の当主である。
アービシュラル家は三公爵家のうちもっとも歴史が古く、王国南部を本拠としている。武名に重きを置き、派閥を形成する貴族を含め、中央においては武官に就く者が多い。
コードェル家は新興であり、中部を本拠としている。王家からの信頼が篤く、中央の権力にもっとも大きく食い込んでいる。官位における最高職の『宰相』を二代連続で輩出し、宰相府においてはコードウェルとアービシュラルで二大派閥を形成している。
ペシミシュターク家は北部を本拠としている。アービシュラル家に拮抗する勢力を保持するものの、コードウェル家の台頭以降は中央に対する発言力を弱めている。商売が盛んで経済が強く、学問も盛んな土地柄のため、中央においては文官に就く者が多い。
これら三公爵家のうち、コードウェルとアービシュラルの二家の当主がウラスロを挟んでおだやかに談笑しているが、よほどの世事にうとい者でない限り、これを額面通りに受け取る者はいないだろう。水面下では激しい権力闘争が繰り広げられているのだろうと誰もが想像していた。
しかし、それでも見かけ上は凪の状態を保っているのは、二家の実力が伯仲している証左なのではという憶測も飛び交う。
実際のところ宰相府を構成する12人の派閥割合は、コードウェル4席、アービシュラル4席といわれている(同数ではあるものの、票が半数に割れた場合などは宰相が決定権を持つなど、宰相一人で二席分の価値を持つと言われている)。ちなみに近年、中央での発言力を弱めているペシミシュタークは2席。他に中立派が2席となっている。
「──さて、殿下」
円卓の間に限られた者が残ったのを見計らい、ナジームが威儀を正した。
「先般のティアーナ=フィール一党による王城襲撃事件並びに『鷲』のギルド長レイニー=テスビア脱獄事件に関してですが」
「事件は知っている。余が催した舞踏会を狙ってのことだったらしいな」
ウラスロは神妙な顔つきでうなずく。そのときの記憶がウラスロにはないため、あくまで『らしい』という伝聞としてである。
「左様でございます。我が国の中枢であり、国王陛下のおわす王城での蛮行、加えて殿下の催す舞踏会の日を狙うなど、これは国家に対する明確な大逆にございましょう」
「それがまことであれば余に異論はない」
「殿下もお聞きになっていらっしゃったかと思いますが、鷲のギルドはいまだ王都に潜伏している様子」
言って、ナジームは確認するようにネオンを見た。
「ほとんど動いてはいないようだけどね。だからこそうまく潜伏できていると言うべきだろうね」
ネオンが請け合って、ナジームはウラスロに視線を戻す。
「しかし、ティアーナ=フィールの足跡は掴めました」
「そうか。してその場所は?」
「シフルでございます」
「シフル?」
ウラスロは腕組みをする。
「西だな。シフル、か……」
「殿下に覚えが?」
「いや」と、ウラスロは首をふった。「我が国の領有する土地ということ以外は……」
反芻するようにつぶやき、「そうだ」と顔を上げる。
「ファン・ミリアが、その土地を望んだと報告にあった」
「さすがでございます、殿下」
ナジームは満足した笑みを浮かべる。
「シフルは領主の失政によって民が離散し、いまでは盗賊が跋扈する地となっております」
「嘆かわしいことだ」
本当にそう思っている様子のウラスロに、「まことに」とナジームはうなずき、
「そのシフルにティアーナが現れたと、元帥から報告がありました」
再びネオンを見やると、ネオンは離れた席──先ほどから黙然と会話を聞いているフーノックを見た。
「フーノック卿、間違いはないね」
「はい」
つぶやくようにフーノックは認めた。老齢の翁である。早口でぼそぼそとした話し方に特徴はあるものの、思慮深く、駆け引きに長けた人物として知られていた。宰相府のなかでは中立派であり、それゆえ独立色の強い聖騎士団の監督者を任されたという経緯があった。
「聖騎士団所属のファン・ミリア=プラーティカからの報告にございました。彼女は襲撃事件の折にヌールヴ河に落ちたまま行方不明なっておりましたが、ティアーナ=フィールと行動を共にしていたと」
「それはいったい、どういうことか」
真っ先に反応したのはウラスロである。そこにナジームが言葉を重ねる。
「ティアーナ=フィールは反逆者として断罪されるべき罪人である。我が国の聖女がなぜそのような者と行動を共にする道理があるのか?」
「聖女ゆえでしょうか」
フーノックは即答して、
「ティアーナが何者かを見極めたかったと申しております。ティアーナは人外の疑いがあり、ファン・ミリアもそれには同意しております」
「聖騎士団は人外の脅威を祓うことが本旨ではないのか?」
ナジームはウラスロの疑問に先回りしてフーノックに訊ねる。
「おっしゃる通り。ですが、ティアーナは無差別に人に害をなす者ではないと判断したようです。人間と同等か、それ以上に理知的であると」
「世界は広いゆえ、そうである化け物もおるやもしれぬ。しかしティアーナは重罪人である。それを赦すのが聖女の慈悲だと?」
ナジームの追求に、フーノックは落ち着いている。
「私も同意見です、宰相。たしかに人外への具体的な対処方法は聖騎士団に委ねられる部分が大きい。ですが、それは討伐を前提としているがゆえ。ファン・ミリア=プラーティカには現場の責任者として他の団員よりも柔軟な権限を与えてはおりますが、今回の件に関しては明らかな越権行為と認識しております」
「では、卿は監督者として今回の非を認めていると?」
「認めざるをえぬ部分もあるかと」
言質を取られかねない危うい発言である。ナジームは驚くと同時に違和感を覚えた。いま設けられたこの場はいわば秘密会議であり、正式な宰相府会議はすでに終わっている。とはいえ、王の代理であるウラスロがおり、宰相である自分もいる。ネオンもいる。この三者の前での不用意な発言は、己の身の破滅を招く。
しかし──と、ナジームは思う。
フーノックはここまで潔い男ではない。仮に本性がそうであったとしても、譴責を逃れる抜け目なさがなければウル・エピテスでは生き残ってはいけない。
──何かある。
そうナジームは読んだ。
「して、ファン・ミリアは?」
待ちきれず、といった様子でウラスロがフーノックに訊ねる。この反応に、ナジームはなるほど、とすぐに理解した。
「正式に沙汰があるまで自宅にて待機するよう申し付けております。本人もこたびの件に関しては軽率であったと認めておりますゆえ」
「そうか」
うなずき、ウラスロはナジームをうかがう。
「宰相、ファン・ミリアの我が国に対する貢献は一通りではない」
「心得ておりますよ、殿下」
ナジームは満面の笑みを作り、あえて口調に親しみを込める。自分こそがウラスロの良き理解者である、と。
──フーノックは殿下の慕心を読んだか。
もしナジームがフーノックを罰せよと命じれば、当然ファン・ミリアも連座することになる。ウラスロはそれを許すまい。ナジームの強権によってできぬこともないが、その結果、ウラスロの覚えが悪くなっては後事に触る。そもそもフーノックは日和見的な中立派であり、宰相府における重要度は低い。
──恩を売って裏で操るのがよい。
自身の派閥だけが大きくなりすぎても反感を買う。
生かさず殺さず。
表向きは均衡を保ちつつ、裏で実権を握る。これがウル・エピテスで長く宰相の座につく秘訣である。
──とはいえ、いささか出すぎだ、フーノック。
事前に相談があったのならまだかわいいものだが、いきなり自分を飛び越えてウラスロの情にすがろうとしたことを看過はできない。
思いつつも、ナジームは笑顔をウラスロに向ける。
「ファン・ミリア=プラーティカは殿下の王道に欠かせぬ者と存じます」
「そうであると余も嬉しい」
「御意」と、それからナジームはフーノックに視線を移した。
「聞いたであろう。私は殿下の高貴なる想いを無下にはできぬ」
「ありがたく存じます」
「こちらでの処罰はいたさぬが、しばらく聖女殿には目立つ行動は慎んでいただきたい」
「そのようにいたします」
フーノックが深々と頭を下げる。
「殿下の温情、しかと本人にも伝えるよう」
「──必ず」
そうして頭を上げたフーノックを、ナジームはひたと見据える。
「また新たなことがわかり次第、委細漏らさず報告せよ。私に直接でもかまわぬ」
土産を持ってこい、と暗に伝えながら。
「かしこまりました」
ナジームを見返し、ぼそりとフーノックがうなずいた。