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ハーフ・ヴァンパイア創国記  作者: 高城@SSK
第四章 眠れない夜編
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71 シフルⅤ

 黒い霧に閉ざされ、頭上の夜空さえも見えなくなった。


「なんだこれは……!」

 

 盗賊の頭目がつぶやく。

 なにかの力に閉じ込めれた。黒く、暗い力だ。


 怯える者たちの喧噪を、頭目が一括した。


「黙れ! こけおどしだ!」


 叫びながら、自分の言葉がなんの慰めにもならないことを、本人が一番よくわかっていた。なぜなら……。


 目の前に、赤い瞳の女がたたずんでいる。


 ──人間ではない。


 女と真向かい、頭目は気づいた。なぜすぐに気づかなかったのか。いや、なぜ気づいてしまったのか。


「お前たちは、逃げられない」


 感情の読めない声音で女は告げてくる。長い黒髪と、白い肌。整いすぎた顔立ち。無造作に立つ女の姿が、背筋が凍るほどに恐ろしい。


「てめぇ……」


 頭目はうめくように背後の、髭面(ひげづら)の男を睨みつけた。


「何がいい女がいた、だ。仲間にしてやったのに、とんでもねぇ貧乏くじを引かせやがって!」

「俺だって何も知らなかったんだ!」


 髭面の男の顔が青ざめる。


「今まで、あんたにだっておいしい思いをさせてきただろう! 俺のおかげでシフルでの仕事がやりやすかったはずだ!」


 必死の形相で弁解すると、頭目はするどく舌打ちした。


「てめぇはあの女を()った後だ!」


 頭目が剣先を女に向ける。が、髭面の男は気がついた。

 いつの間にか女が消えていた。先ほど立っていた場所から。


「あ──」


 と、髭面の男が間抜けた声を漏らした。馬上の頭目の真後ろ、宙に魔法陣が描かれている。

 そこから──


 女の手が、足が、頭が現れた。

 その顔の開いた口から、ざらりと鋭い牙が並んでいる。

 女が、頭目の首筋に食らいついた。

 

「ぐぅおおおお!」

 

 すらりとなまめかしい女の手が、暴れる頭目の口をそっとおさえた。頭目は女の手を引きはがそうとするも、宙を()く仕草をするのがやっとのようだった。抵抗が弱まっていく。

 

 どくり、どくりと。


 心臓の鼓動にあわせるように男の身体が痙攣(けいれん)し、女の喉が大きく動く。頭目は虚空の一点を見つめ、抵抗するのさえ忘れてしまったかのようだ。


 そう──頭目は血を奪われていた。


 みるみるうちに頭目の肌つやが失われ、一回りも二回りも身体がちいさくなった。対して女の赤い瞳はますます強く輝きを帯びる。


 命が、頭目から女に移っている。強制的に。


 やがて、頭目の動きが止まった。鼓動も。血を飲みつくされ、空っぽになった命の残骸が、ひらりと風に流れるように落馬していく。


「……久しぶりだ」


 地に落ちたそれ(・・)から女は自分の手のひらへと目を向ける。


「力が充実していく」


 すでに成り行きを目撃した者たちは恐慌状態に陥っている。我先にと逃げ出そうとするものの、黒い霧の外に出ようと飛び込んだはずが、逆向きになってこの空間に戻ってきてしまう。


 人が、馬が、無意味な衝突を繰り返しては傷ついていく。恐怖と混沌があたりを支配していた。


 その最中、


「──元シフル兵」


 女に呼ばれ、髭面の男はうつろな表情から、はっと視線を上げた。


「いまは別の村で衛兵をしつつ、裏では盗賊稼業か」


 男は、答えることができない。


「私の民を何人殺した?」


 責めるのではなく、確認するような口調だった。

 血の口紅を引き、馬上の女は悠然と足を組んでこちらを見つめてくる。

 緊張で男が唾を飲んだ。すると、女の背から翼が広がった。巨大な蝙蝠の翼だ。


「この霧は私を戦闘不能にするまで消えることはない。お前は最後の(エサ)だ。私が戻るまでに、選べ。──戦って死ぬか、餌として死ぬか。お前が、お前自身の正しさを証明する者であれば、私を滅ぼすことができるかもしれない」

 

 馬の背を蹴り、女が霧のなかへと消えた。


 

「これは、ティアなのか」


 もう一方の黒い霧に包まれ、ファン・ミリアはつぶやいた。こめかみを冷たい汗がつたう。


 間欠的(かんけつてき)にティアの力が増幅していくのが伝わってくる。

 

 ──ティアが血を飲んでいる。


 明らかだった。しかしながら、血と力。それを受け入れるティアという器の大きさが、予想外だった。


 ──これほどティアは(かつ)えていたのか。


 吸血という力の補充が不足しているのは、感じてはいた。いま思えば旅の道中、ティアが吸血している場面に遭遇したことはない。

 

 ──脅威だ。


 邪を(はら)い、人外を打ち滅ぼす任を負う聖騎士としてみれば、ティアの存在は危険すぎる。

 不死に属する頂点の種族であり、しかもティアは真祖である。

 

 ──真祖……。


 よくよく考えてみれば、吸血鬼において真祖かそうでないかの具体的なちがいを、ファン・ミリアは知らない。吸血鬼のはじまり──吸血鬼に()らない吸血鬼化が一般的な認識だが、では、能力や存在においてのちがいは?


 気がつけば、ティアの力を得る間隔が長くなっている。


 ──残されている者はすくない。


 すでにティアは盗賊たちを全滅に近い状態まで追い込んでいる。


 外に気を取られていたファン・ミリアが、鋭く振り返った。

 同じ空間、同じ霧のなかに閉じ込められているドビ爺が、ナイフを握っていた。

 その刃先を自らの胸に向けて。


「自死か……」

「まがりなりにもこの国の聖女であるファン・ミリア様を罠に陥れようとした。シフルに恩のある方を……お赦しくだされ」


 ドビ爺のナイフを持つ手が震えている。


「赦すも赦さぬもない」

 ファン・ミリアは穏やかに告げる。

「そもそも私は怒っていない。私に対して責任を感じてすることなら、それこそが私に対する最大の侮辱だ」

「しかし──」


 ためらうドビ爺に、ファン・ミリアはふっと相好を崩す。


「ナイフをおろしなさい。あなたが自害すると、いま彼女のしていることが無駄になる。下手をすると私が恨まれかねない」


 言って、ファン・ミリアは霧の外、その先にいるであろうティアを示す。


「あなたが生きていてくれた。それが彼女にとってどれほどの救いになるか」

「……ティア殿が?」

「あなたは()きシフルの民であり、彼女の宝なのだ」


 すべてを明かすわけにはいかない。それはティアがするべきことだから。

 それでも、伝わるものがあったのだろう。ナイフを握るドビ爺の拳の力が弱くなっていく。

 

 その時──

 誰かが、ドビ爺の服のすそを引っ張った。

 レミだ。

 はっとレミを見下ろしたドビ爺に対して、銀髪の少女は無表情のままゆっくりと首を横に振る。


「そういえば」

 と、ファン・ミリアは気づいた。

「レミはティアから命令を受けていたな。ドビ爺を守るようにと」


 つぶらな銀の瞳に見つめられ、ドビ爺の全身から力が抜けた。重責から解放されたかのように、両膝が地面についた。


「ファン・ミリア様……」


 うつむいたまま、ドビ爺が言った。


「ティア殿はいったい何者なのでしょうか?」

「じきにわかる」

 

 霧が薄くなっていく。



 両膝立ちになり、元シフル兵の男は絶望でうなだれていた。人の声は絶え、馬のいななきだけが響いている。それが妙に耳障りだった。


 男の視界に、剣が落ちてきた。


「追いつめられて人は真価を発揮する」


 剣のすぐ先に、女のブーツが見えた。声が降ってくる。


「だが──そもそも、平時であればお前が追いつめられることもなかった。お前を追いつめたのは、私の罪だ」


 拾え、と女から命じられた。


 男はほとんど思考の停止した頭で、剣を拾うべきか考えた。拾えば自分は殺されるだろう。しかし、拾わなかったとしても殺されるだろう。


 男は、緩慢な動作で剣に手を伸ばす。


 その間にも女の声は聞こえていた。 


「お前が盗賊に身を落としたことを、私は責められない。それでも、お前がシフルの民を傷つけたことを、許すわけにはいかない。たとえお前が元シフルの民であったとしても、だ。私はそう決めた。私は私の責任を果たす。だからお前も果たせ。ひとりの意思ある者として」


 自分を殺す呪いの言葉のようだ、と男は思った。しかし同時に、その口調は女の懺悔(ざんげ)のようでもあり、男を鼓舞するようでもあった。

 男は剣をつかんだ。そうしてゆっくりと、おそるおそる顔を上げる。

 女が、こちらを見下ろしていた。

 静かな灰褐色の瞳だった。女の肩越し、薄れゆく霧のむこうに、月が見えた。白銀の月だ。


「あなたは……」


 見覚えがある。その瞳の色に。

 男は剣の柄を握り、立ち上がった。構えた。男が構えると、女の瞳がわずかに赤く輝き、袖の下から黒い剣が滑り出てきた。柄も(ガード)もない、影の剣だった。


 自分は死ぬ。


 にも関わらず、なぜか逃げようという気は起きなかった。

 恐怖よりも、それが自分のしなければならないことのような気がした。


 ──責任。


 そう、責任を取る時がきたのだろう。ツケを払う時がきたのだ。

 盗賊たちを手引きしてシフルの領内へ招き入れ、その分け前に預かった。賄賂を払って別の村の衛兵の任に就き、旅人の金品を奪い、女を襲った。子供も殺した。


 人の心を守り続けたドビ爺と、人の心を捨てて化け物に成り下がった自分と。


 男は、剣を大きくふりかぶった。女めがけて踏み込む。

 ゆらりと女の身体が左右に揺れた、そう思ったときには、男の心臓は黒い剣によって貫かれていた。

 一瞬の強い痛みのあとで、四肢が動かなくなった。振り下ろした剣の勢いのまま、男は前のめりに崩れ落ちていく。


「逃げていれば、血を奪っていた」


 最期に女の、いや、懐かしい少年の声が聞こえた気がした。


「すまない……」


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― 新着の感想 ―
[一言] ティアにしてみれば複雑極まるよね…盗賊に身をやつしちまった者が居て、愛すべき自分の領民出身のそいつがまた別の愛すべき自分の領民を襲ってたわけだし… 感情のぶつけどころとして盗賊にあたるしか…
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