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ハーフ・ヴァンパイア創国記  作者: 高城@SSK
第四章 眠れない夜編
216/239

70 シフルⅣ

 星が輝いている。

 夜が更けるにつれて、うすい雲間から月がのぞくようになった。見えたかと思えば雲に隠れ、またのぞいたかと思えば隠れるを繰り返している。


 その星月の明かりを打ち消すように、カンテラをかかげたドビ爺が先頭を歩く。


 ティアとファン・ミリアとレミ、そしてドビ爺を加えた四人は、シフルの街を出てドビ爺の住処へと向かう。雨宿りの森小屋を貸してくれた男は準備をと先に駆けていった。


「準備?」


 草原の道を歩きながらファン・ミリアが訊くと、ドビ爺は「いやなに」と表情をなごませた。


「むさくるしい場所なので、せめてファン・ミリア様をお迎えできるようにしておかなければ」

「気遣いは無用だ」

「ファン・ミリア様には御恩があります」

「どういうことだ?」

「ファン・ミリア様は、ウラスロ王子の非道に異を唱えてくださいました」


 ファン・ミリアは首を横に振った。


「抗議はしたが、シフルを守れたわけではない」

「そうしていただければどれだけよかったかとは思いますが──」


 言ってすぐ「いや、失礼しました」と、ドビ爺は謝る。


「この老いぼれにもいまだやりきれない思いはあるのです。お(ゆる)しください」

「あなたが言うことはもっともだ」

「王家に逆らうことは国に逆らうに等しい。誰もウラスロ王子の暴挙を止めることはできなかったでしょう。感謝しております」


 そうしてゆっくりと歩きながら、ドビ爺はぽつりと付け加えた。


「……ファン・ミリア様は、タオ様を看取ってくださった」


 その言葉に、みなが口を閉ざして歩く。

 歩きながら、ティアはレミを背負いなおした。レミはティアの背の上で目を閉じている。バンシーは夜に眠ることはないが、子供のレミがいつまでも目を爛々と開いていたら不自然のため、ティアがそうするよう命じたのだ。


 黙々と歩くティアを横目で見つつ、ファン・ミリアが口を開いた。


「あの日、屋敷で起こったことを見ていた者がいたと?」

「実際に目撃した者はすでに怪我を負って亡くなっています。その後、幾人かの又聞きで私の耳に入りました。紫の瞳に青いマントの女性武人といえば、この国で思い浮かぶのは御一人だけ」


 ファン・ミリアは無言で肯定する。


「ですが、ウラスロ王子が去られた後のことが判然としません。黒い狼がタオ様を連れていってしまったとか。にわかに信じがたい話ですが、たしかにタオ様の亡骸はなかった。タオ様を看取ったのはファン・ミリア様とお聞きしておりますか、これはいったいどういうことでしょう?」


 ファン・ミリアはやや間を開けて、言った。


「……その話を聞いて、どうする?」 

「タオ様のご消息を知りたいのです」

「あなたは、私がタオ=シフルを看取ったと聞いた、と。そう言ったな」

「たしかに……」


 ドビ爺が目を伏せた。


「どちらにせよ、タオ=シフルがすでにこの世にないと、あなたはそう思っているのではないか」

身罷(みまか)っておられる。そう考えべきなのでしょう」


 ドビ爺はシフルの元家人で、街の相談役だった。何か住民間でめ事や困りごとがあれば、それを領主に伝えるのが役割で、差配を待つ。職名は相談役ではあるものの、実体は仲介役と呼ぶのが近い。


 退職後、ドビ爺は街から離れて隠棲していた。すでに妻は病没し、ひとり息子は独立して家族を持っている。息子夫婦から一緒に住むようにも誘われたが、身体はよく動いた。当分はひとりで暮らすことにしたらしい。


 運が良かったのか、悪かったのか。隠棲していためドビ爺は難を逃れることができた。だが、息子の家族はシフルの街に住んでいた……。


「私はよいのです」


 ドビ爺は大きく溜息を吐いた。


「すでに老い先短い身です。息子夫婦も孫も失くし、この世に未練はありません。ウラスロ王子に恨みはあるが、果たすことができようはずもない。せいぜいが殺された者たちの墓を作ってやることです」

 思えば、とドビ爺は続けた。

「この戦乱の世のなかで、シフルはずっと平和だった。ご領主に恵まれたのでしょう。私は幸福な時間を生きたと思い切るようにいたします。ですが──」


 疲れた顔を上げ、ファン・ミリアの目を見つめる。強く。


「ファン・ミリア様は慈悲深い御方であると聞き及んでおります」

「それは──」


 ファン・ミリアは言葉を詰まらせた。


「そうありたいと思っている。が、私ではシフルの惨状を止められなかった」

「もとよりシフルの民を苦しめるは本位ほんいではない?」

「当然だ。わが身の無力を認めないわけにいかないが、シフルだけでなく、この国のすべての民に危害を加えるのは本位ではない」

「ご自身の神に誓えると?」

「誓おう」


 ファン・ミリアが力強くうなずくと、ドビ爺は満足した様子でうなずいた。


「タオ様はもうすでに身罷っておられる。ですが、どこかで生きておられるかもしれない。それだけが生き残った者たち、未来ある者たちの希望なのです。──たとえまやかしの希望であったとしても」


 その言葉に、ぴくりとティアが反応した。


 ファン・ミリアはその動きを目で制し、


「『未来ある者たち』とは、先ほどの男性のことか?」


 雨宿りの森小屋を貸してくれた男は、先行している。


 しかし、ドビ爺からの返答はなかった。


 それが明確な答えになっていたが、おいそれと口にできることではないのだろう。生き残ったシフルの民が他にもいるのであれば、存亡がかかっている。

 

「……生き残ってくれてよかった」


 沈黙のなか、ふと、ティアが小声で言った。

 ドビ爺が振り返る。ティアはフードの奥から見返した。


「あなたの心境ではそうは思えないかもしれないが」


 子に先立たれた親はつらい。タオが──ティアが言える立場でないのも、自分がシフル受難の原因となったことがわかっていても、そう言わずにおれなかった。


「シフルの民がひとりでも多く生き残ってくれていれば、私は嬉しい」


 切実な響きに、本音であることは伝わったのだろう。「そう思うようにします」と、ドビ爺は笑みをのぞかせた。


「ティア殿は、シフルに(ゆかり)のある方ですか?」

「縁はあります。あなたにも何度かお会いしたことはある」

「はて」


 老人は本当にわからないといった様子で顔を振った。「申し訳ないが、覚えてはおらんようです」


「当然です。誰も私を見て私とはわからないでしょう」


 ティアは自嘲するように笑う。


「ですが、私が何者かを知ってもらわなければならない。その上で、あなたがたの裁定(さいてい)を受けることになる」


 ティアの口調は、冗談を言っている口ぶりではない。ドビ爺は不思議そうにティアを見つつ、どう答えていいかわからない様子である。


「彼女の正体はおのずと明らかになるだろう」


 ファン・ミリアが言った。


「彼女自身に明かすつもりがあるならば、の話だが」


 ファン・ミリアの視線にティアはうなずいた。


 また歩いた。


 月が、雲に隠れた。風に揺れるカンテラの明かりが強まる。

 ティアは立ち止まった。ドビ爺に背中に声をかける。


「そろそろか──ドビ爺?」


 ティアの口調が変わった。ドビ爺の足取りがぴたりと止まった。


「はい、家はもう近く──」

「そうじゃないだろう?」


 ティアが否定すると、ドビ爺がゆっくりと振り返った。


「そうじゃない、とは?」


 ドビ爺がこちらをうかがう。ティアは遠く草原を見渡した。それからドビ爺をひたと見据える。


「ドビ爺は盗賊を避けるために住処に案内すると言った。なぜカンテラを掲げる?」

「それは……」

「歩くのも遅すぎる。老齢だとしても、ドビ爺は元気な人だった。自分でも言っていたな」


 ドビ爺は黙っている。ティアは重ねて言った。


「まるで誰かに私たちの居場所を伝えているようだ」

「申し訳ありません」


 ドビ爺は、まぶたをしばたかせた。苦しそうに表情をうつむかせる。


「──この愚かな老人をお赦しください」


 すでに、ティアの耳は遠くから響く馬蹄(ばてい)の音をとらえている。ドビ爺の不自然な言動により、街を出るあたりから蝙蝠を分離して周囲を調べさせてもいた。


「ティア、何人だ?」

「三十から四十。盗賊のようだ──レミ」

 

 呼ぶと、背中におぶった銀髪の少女の目がぱちりと開いた。

 ティアはレミをおろしてドビ爺を見た。


「私たちを盗賊に売るつもりか?」

「滅相もありません。いや、しかし──」


 ドビ爺は肩を落とした。


「それ以上の罪なのかもしれません」


 申し訳ありません、とドビ爺は繰り返す。


「ファン・ミリア様は救国の聖女であらせられる。その強さは人智の及ばぬほどだとか」


 ティアは眉根を寄せた。ドビ爺の言いたいことがわからない。


「ああ──」


 と、先に理解したのはファン・ミリアである。


「私に盗賊を退治してほしかったのか」


 ドビ爺は悄然(しょうぜん)とうなずく。


 ティアはまだ()に落ちない。


「なぜ、こんな手の込んだことを? 退治してほしいならそう言えばいい」

「言えぬのだ」


 ファン・ミリアがティアに言った。


「彼の立場と、私の立場。国の庇護(ひご)を失ったシフルの民と、国に所属する聖騎士団の私とでは」


 そうしてファン・ミリアはドビ爺を向く。


「あなたは賢い。シフルの民であるあなたが私に直截(ちょくせつ)、要請すれば角が立つ。だが、私と盗賊がたまたま居合わせれば、私は盗賊を排除しなければならない。これはシフルとは関係のない問題だからな」


 しかし、とファン・ミリアは続けた。


「これは危険を(ともな)う。この考え方は、私がシフルに敵対、もしくは助けないことを前提とした苦肉の策であるはずだ。そうでなかったとしても、私のあなたに対する心象が悪化する。ハメられた、ということになるからな」

「ファン・ミリア様のおっしゃることはもっともです」


 ようやくティアは理解した。

 ドビ爺が、いつの間にかナイフを握りしめている。


「老いぼれですが、身体は動きます。せめて盾としてお使いくだされ」

「ドビ爺……死ぬつもりだったのか」

「ファン・ミリア様のおっしゃる通り、シフルの民がシフルの民でいる限り、国に庇護を求めることはできません。せめて盗賊どもの脅威だけでも取り除いてやりたかった」


 ティアはドビ爺から足元に視線を落とした。


「そうか……そうだな」


 切なかった。

 すでに隠棲したはずの老人を、ここまで追いつめてしまった。家族を奪われた彼が、それでもシフルを想って命を(なげう)とうとしている。


 追いつめたのは、自分だ。


 素晴らしい民を持っていた。誇らしく、自慢したくなるほどの民だ。

 それなのに。

 自分は真っ先に帰らず、壊れた夢にすがって王都へ上った。これまで出会った人々、仲間、得たものが無駄だとは思わない。思うわけにはいかない。


 けれども──


「ずいぶん待たせてしまった」


 ティアが、ドビ爺に告げた。


「もう、二度とあなたがたを傷つけさせない。私の命に代えても守ろう」


 ドビ爺はナイフを持ったまま、意味がわからないといった表情を浮かべる。

 

「レミはドビ爺を守っていてくれ」


 命じると、レミはドビ爺のもとへぱたぱたと駆けていき、その脇に立った。


 馬蹄の足がすでに間近に迫っている。

 ファン・ミリアが外套の下から剣を引き抜こうとする。


「サティは何もしないでくれ」

「しかし──」

「サティが動けは事が大きくなる。何より、私がしなければならないことなんだ」


 灰褐色の瞳が赤い輝きを持ちはじめる。

 ファン・ミリアが抜きかけた剣をおさめた。


「……わかった」


 矢が、ティアのすぐ足元に射かけられた。威嚇だろう。

 ティアは手を振って三人を退がらせる。

 

 自らは、道を塞ぐ位置に立った。


 盗賊のうち、先頭のひとりが馬を棹立ちに止めらせた。

 すでに剣を抜き、剣身を見せびらかせるように振りかざす。


「女か」


 頭目らしき男が、それからファン・ミリア、レミ、ドビ爺へと視線を移す。


「女が二人。子供と爺か──おい」

 

 剣を振ると、一団のなかから馬に乗った男が前に進んできた。


「こいつか?」

「ああ」


 頭目から訊かれ、ああ、と男がうなずく。髭面(ひげづら)の男だ。


「間違いない」


 髭面の男がうなずく。酒で頬が()けた顔に、ティアは見覚えがあった。


「お前は……」


 目を見張った。

 髭面の男は、ひとつ前の村でティアの宿に押しかけていた男だった。


 突然──


「貴様! シフルの恥知らずが!」

 

 ドビ爺が血相を変えてこちらに駆け寄ろうとする。それをファン・ミリアが腕を伸ばして押しとどめた。


「ご領主に……ノルド様に取り立てていただいた御恩を忘れおって!」


 激高するドビ爺に対して、髭面の男は馬上から地に唾を吐いた。


「ふざけるな! シフルに仕えたせいで肩身の狭い思いを強いられているのだ! お前らこそ愚かだとなぜ気づかぬ!」

「盗賊に身を落とした分際で!」


 ファン・ミリアの腕に静止をかけられながら、それでもドビ爺は暴れるようにもがいている。


「同胞に手をかけておきながら……!」


 皺の刻まれた頬に、涙がつたう。

 

 その時だった。


 『──城へと続く深い森バール・オズ・ミィ・エルドゥ


 ティアの全身から黒い霧が噴出した。

 霧は風に逆らい、意思ある動きでファン・ミリア、ドビ爺、レミの三人を包み込む。その一方で、霧は分離して別のかたまりを作り、盗賊の一団を覆いはじめる。

 

 同じ性質の霧でありながら、片方は強固な防御の結界となり、もう片方は敵を閉じ込め、逃走を許さぬ闇の(おり)となった。


「ティア、力を使いすぎだ」


 霧の隙間から、ファン・ミリアが言った。


「大丈夫だ。力はすぐに補給できる」


 赤い瞳を輝かせ、鬼気迫るティアの表情に、ファン・ミリアが息を吞んだ。


「ティア、待──」


 言い終わるのを待たず、黒い霧が完全に覆う。

 同時に、驚き、あわてる盗賊たちをもう一方の黒い霧が覆い、閉じた。


「人の世は難しい」


 故郷のために命を()ける者、捨てる者。

 ふたつの閉じた空間の狭間(はざま)で、ティアは雲間からのぞいた月を見上げる。

 フードが落ちた。


「──血を飲み、血にまみれ、多くの命を奪うだろう」


 月に向かってつぶやいた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 更新ありがとございます!突然ですが、 最初の「ティアとファン・ミリアとレム、そしてドビ爺を加えた四人は、」のところですが、名前は レムではなくレミなのでは? 
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