66 オルバサスにてⅢ
同時刻。
大浴場でカホカがアルテンシアと話をしている一方──
廊下に敷かれた、絨毯の上を歩く。
周囲に気配は感じられなかった。使用人だけではない。館に入った当初は明らかに監視の視線を感じたものだ。手練れの護衛が、館のいたるところに隠れていた。
それが、指示された室に向かうにつれ、すくなくなった。
つきあたりに扉がある。
ノックすると、すぐに返事が聞こえた。
ルクレツィアは、何も言わずに扉を開いた。
書斎である。
四方の壁を本棚に囲まれている。中央の丸卓には燭台が置かれているため、暗いとは感じなかった。
ひとり用のソファに座っているのは、ウィノナ=セリーズである。
洒脱な衣装をまとい、一重の目は涼しげに笑っている。
「そこに座ってくれ」
ウィノナが、対面に置かれたソファをすすめる。
言われたとおりにルクレツィアはソファに腰をおろした。丸卓のうえに羊皮紙が載っている。さりげなく見ると、『シニフィア』の文字が書かれている。嫌な予感がした。
「疲れているところ、悪いな」
ルクレツィアは首を横にふった。警戒してはいるが、しすぎてはいない。
「なにかしら、話って」
「ルクレツィア=タルチオ。お前には個人的に興味があってな」
ウィノナの言葉に、ルクレツィアは身をかたくした。
「まず、お前の旅の目的を聞こうか」
「どういうこと?」
「答えられないか?」
訊き返され、ルクレツィアは黙り込む。ややあって、
「改まって訊かれれば、誰だって考えるでしょう?」
「そりゃそうだな」
ウィノナは笑い、
「行方不明になった聖女ファン・ミリアを見つけるために、カホカたちと同行している、だっけか」
「ええ、そうよ。──おかしい?」
ルクレツィア自身、本当にそう思っている。
「お前がファン・ミリアと親友なのは確かなことなんだろうな」
探るような言葉でもあり、ひとりごとをつぶやくようでもあった。
「いちいち確認が必要なことかしら」
ルクレツィアは顔つきは厳しい。
「いったい何が言いたいの?」
すると、ウィノナは丸卓の羊皮紙を手に取った。
「ルクレツィア=タルチオ。幼少時に西国のシニフィアからムラビアに移住。神職の両親のもとで生まれる。両親もともにシニフィアの生まれ。神職だからな。調べるのはさほど難しいことじゃない。すくなくとも、俺たちの諜報を使えばな」
「……私を調べたの?」
「気になるのはな」
ウィノナは、羊皮紙から視線を上げ、ルクレツィアの目を、それから髪を見た。
「その髪だな、ルクレツィア=タルチオ。お前の髪は陽の光を浴びると青を映す」
「……」
ルクレツィアは答えない。ウィノナが続けた。
「すべてが、というわけじゃない。ただ、うちのアル姉いわく『青は特別の色』だそうだ」
言いながら、ウィノナは脚を組んだ。
「ルーシ人の混血児は青い瞳をもって生まれる確率が高い。カホカが良い例だな。さらにその混血児の子は、その親同様、青の特性を持つ者が生まれる可能性がある。やはり瞳に多いが、まれにそれ以外の部位にも出るらしい」
「可能性よね?」
「そう。すべてが、というわけじゃない。──その一方で、お前の両親の血筋をさかのぼっても、ルーシ人らしき者はいなかった」
ルクレツィアは、ウィノナを見返した。
「つまり?」
「すべてが、というわけじゃないけどな」
ウィノナは肩をすくめ、「知ってるか?」とルクレツィアに尋ねてくる。
「アル姉いわく『青は特別の色』らしい。特別ってのは通常とは異なる、という意味だ。またアル姉はこうも言った。──『青は喪失の色』と」
本音を言うとな、とウィノナは続ける。
「お前がルーシ人の血を引いてるかどうか、それ自体に俺の興味はない。だが問題は、お前がそれを隠している、という事実だ」
「隠したおぼえはないわ」
「認めたおぼえもないだろう?」
ウィノナはかるく笑う。
「もう一度いうが、ルクレツィア=タルチオ。俺はお前が出自を隠そうが隠さまいがどうでもいい。ただな、自分を隠すことはオススメしないな」
「……どういうことかしら?」
「モシャンの船だ」
はっきりとした口調でウィノナから告げられ、ルクレツィアは組んだ両手に力をこめた。──やはり、見られた。そう思った。ファン・ミリアにも隠していた、隠し続けていたものを……。
「俺はお前の闇を見た。これもアル姉の受け売りで悪いけどな──いや、アル姉も昔、誰かから聞いたらしいんだけどな。人は、誰もが心に闇を持っている。だからこそ、光を目指すんだと」
「……」
「闇を抱えるのはいい。だが、光から目をそむけるとロクなことにはならない。そういうことらしいな」
ルクレツィアはおもむろに立ち上がった。つとめて冷静に。それでいて、一刻も早くここから立ち去りたいと思った。
「話はそれだけ? つまり、私に対する忠告かしら」
「いや、助言だ」
「余計なお世話とは思わないようにはするけれど、ありがたいとも思えないわね」
「これはセリーズってより、ペシミシュタークの流儀だな。有能な人物には投資をするようにしてるんだ」
「投資?」
「人への投資こそ、ペシミシュタークでは最上としているらしいぜ。だけどお前は、アル姉のお眼鏡にかなわかなったみたいだな」
「それは残念」
「ペシミシュタークが拾わなかった者を、セリーズが拾ってはいけない法はないからな」
「格が落ちるわね。喜ぶべきか悩むわ」
「アル姉だって間違いを犯すこともあるだろうからな」
「それを主家の屋敷で言うかしら」
「ここは南でも中央でもない。北の貴族は互いに成長しあうんだ。そうでなきゃ、時代に取り残されちまうからな」
どれだけ皮肉を言っても、セリーズの嫡子は気にもならないらしい。
「好きなように言ってくれるのは構わないけれど、私のいないところでお願いしたいわね」
「そりゃ怒るよな。自分の痛いところを突かれれば」
ルクレツィアは、ウィノナに強い苛立ちを覚えた。かすかに手首を返して袖からナイフを落とし、その手に握る。相手からは見えないように。
「過去にな──」
その時、ウィノナが言った。
「シニフィアのある町で、野良猫や野良犬がナイフで腹を裂かれ、腸を引きずり出されて殺されることがあったそうだ。それほど長くは続かなかったし、数もそこまで多くはなかったから、覚えてる者はもうほとんどいないけどな」
「痛ましい事件ね」
「人でなくてよかったと思うよ。ほんとにな」
「ええ──」
ルクレツィアはにこりと笑みを作り、両手を身体の前で組んだ。
「あなたも気をつけたほうがいい。セリーズのお坊ちゃまとなれば、狙う人もたくさんいるでしょうから」
「ご忠告感謝するよ」
ルクレツィアが室を出ていこうとすると、声をかけられた。
「次に話す時は、ナイフを置いてきてくれると助かるな。おっかなくて緊張するからな」
ルクレツィアは扉に手を触れた。ウィノナを見る。
「安心して。二度と話すことはないでしょうから」
言って、室を出た。