64 オルバサスにてⅠ
「あれがスタン=ブルーム?」
カホカは唖然として見つめる。
山羊兜の重装騎兵は、身の丈以上の巨大な槌を両手に握りしめている。その振り抜いた姿勢から、馬車を弾いたのは彼だとわかった。
スタンは槌を構えなおすと、柄を長く持って近くの刺客に迫る。その槌を受けたファルシオンの刃が折れて、木っ端のように刺客が吹き飛ばされた。
大男、と呼ばれるほどの体格ではないものの、膂力は人並みはずれている。
「ウィノナ、無事か?」
兜の奥から響く声に、「ご覧の通りだ」とウィノナは軽く跳んでみせる。
「カホカさん!」
そこへ、バディスとルクレツィアのそれぞれが馬に乗って駆けつけてくる。
他にもオルバサスの領兵らが続々と集まってきた。
「ソムルは?」
カホカが見上げて訊くと、
「無事にオルバサスに到着しました」
バディスが答える。
その横で、ルクレツィアがカホカに手を伸ばした。
「ご苦労さま。作戦は成功ね」
「ったく、もーちょっと早く来てくれればこんなに疲れなかったのに」
「急いだのよ、こう見えて」
その手を掴み、カホカはルクレツィアの馬に乗る。
劣勢にあることを悟った仮面の女が、早々に引き上げの合図を出した。
刺客たちは戦闘を長引かせることなく、各々が草叢のなかへと溶け込んでいく。
「よく訓練されてるわね」
ルクレツィアが、感心して言った。
「歯噛みする思いでしょうに」
たしかに、とカホカは無言で同意する。
目的のソムル暗殺は果たせず、一矢報いることもできず、撤退を余儀なくされたのだ。その引き際の良さが、かえって悔しさの余韻を残している。
夜の帳が下りるとともに、襲撃が終わった。
カホカはルクレツィアの馬に乗り、そのままオルバサスに入った。ペシミシュターク家の屋敷に着くころには、すでに真夜中近くになっていた。
◇
公都オルバサスに入ると、まずふたつの高い尖塔が目につく。どちらも緑の瓦材を用いており、一棟が教会の、もう一棟がペシミシュターク家のものである。
ふたつの建物は広場を挟んで対象に位置している。
全体として落ち着いた街という印象を受ける。
道も特段に広いというわけでもなく、派手さはない。けれどもよくよく見てみれば、石畳の道は掃き清められているし、他の都市と比べて圧倒的にゴミの量が少なかった。
視線を転じれば、通りがかった広場中央の噴水を囲んで、テーブルとイスが並べられている。近くに大学もあるらしく、天気のよい日には勉強する学生たちを見ることもできるらしい。
また、興味深いのはペシミシュタークの屋敷へと続く道だった。
本来であれば領主の館は広場か大通りに面しているか、もしくは丘の上に建てられるのが常だが、むしろ印象としては路地に近い。背の高い建物に挟まれて、影が濃い道だった。
「土地が安かったからだそうだ」
隣で馬を操るウィノナから教えられた。
「もっとも、アブシューム=ペシミシュタークの頃からは道も館も拡張したらしいけどな。あえて新しい土地を求めないのがペシミシュタークって感じだよな」
そういう感じらしい。
ルクレツィアの後ろで、カホカは首をひねった。
「質素ってこと? でも拡張なんてしてたら、かえって高くつくんじゃない?」
「いや」とウィノナは笑う。
「単純に引っ越すのが面倒くさかったんだろ」
「……そういう感じか」
その半路地を抜けると、視界が一気に開けた。
四方を高い家々で囲まれ、ぽっかりと開いた街の空間に、豪奢な屋敷が鎮座している。中央の母屋を彩る木々も豊かで、別世界に迷い込んだ錯覚を覚えた。
衛兵たちに見送られながら、カホカたちは敷地内へと入る。左翼棟、右翼棟の他にもさまざまな建物がありそうだった。庭もひとつやふたつではないだろう。
手入れされた前庭の芝生を眺めながら、母屋の前で馬を降りた。
遅い時間にも関わらず、多くの使用人の出迎えがあった。その真ん中に、丸々とした体型の中年女性が立っていた。背が低く、手足が短く、顔も真ん丸だった。
「家宰のメイと申します。カホカ=ツェン様、当家にお越しいただき誠にありがとうございます」
はちきれそうな笑顔を浮かべ、メイがお辞儀をする。それにならって、他の使用人たちが一斉にお辞儀をした。
「どーも。カホカです」
ぺこりと頭を下げると、
「まあ、かわいらしいお客様だこと」
たっぷりとした頬肉のせいで、笑うとメイの目が細く見えなくなる。あまりにも見事な笑顔で、つられてこちらも笑顔になってしまいそうだ。
「お呼びにあずかり光栄です」
カホカは言いながら、使用人たちを見やる。女性が多いのはどこも同じだが、年齢もさまざまである。
「さあさあ、こちらどうぞ」
メイの赤ん坊のような丸い手に促され、屋敷内に入ろうとしたところで、ウィノナに呼ばれた。
「俺は先にアル姉に会いにいく。カホカもアル姉と話すことになると思う」
「ういうい」
「驚くなよ?」
「ん?」
カホカは怪訝顔を作る。
「驚く? 何に?」
どういうことかと思っているうちに、案内役の給仕に呼ばれ、聞けずじまいになってしまった。
◇
ウィノナは両開きの扉をノックして入る。
正面の窓際に置かれたソファ。豪華な赤いベルベット地に、目当ての人物が座っている。足を組み、やや前のめりになって書見台の本に読みふけっていた。
「来たぜー」
ウィノナが声をかけると、眼鏡をかけたアルテンシアが書見台から顔を上げた。
「あら、思ったより早いじゃない。またどこぞの欲求不満マダムを口説いてくると思ってたのに」
「最近は警戒されることが多くてさ」
笑ってアルテンシアの前に立つと、すぐにプラム=リーが椅子を用意してくる。
「知ってるだろうけど、カホカ=ツェンも到着してる。──ソムル様は?」
「お疲れのご様子だったから、今日は挨拶だけね」
「アル姉も視察から戻ってきたばかりなんだろう?」
「ええ、おかげで身体はガタガタ。いいお酒をたくさん出しちゃった」
眼鏡をはずして、アルテンシアは深くソファに腰かける。ウィノナは、ひょいと書見台の本に手を伸ばした。『クォーリス動物誌』と書かれている。
「今度は何に興味が出たんだ?」
「吸血鬼。でも、駄目ね。民間伝承を当たったほうがよく知れそう」
「ティアーナ=フィールか」
「会ったのよ。たまたま」
「どこで?」
「山賊をとっちめている時に、馬車に乗り込んできたのよ。シフルに向かっている途中だったみたいね。恋仲の神託の乙女と一緒にね」
「ファン・ミリア=プラーティカ。ティアーナ=フィールと恋仲だったとはな」
「大した醜聞じゃない。ゲーケルンの社交界で一年はもちそうなネタよねぇ。知れ渡ったら彼女、どうするのかしら。破滅は目に見えているのに、酔狂なこと」
「強請るつもりか?」
「まさかぁ。私が聖騎士団にいくら投資をしていると思ってるの? そんなことをしてもゲーケルンの保守連中に手札を与えるようなものじゃない」
ウィノナはうなずき、
「で──どうだったんだ? ティアーナ=フィールと会ってみて」
「そうねぇ」
アルテンシアは、プラムに目線を移した。
「プラム、あなたどう思ったの?」
予想していなかったらしく、「はぁ」とプラムは考えながら、
「美しい女性だとは思いました。信じられないくらい。あと、吸血鬼だから、ということもあるんのでしょうが、怖いとも思いました。雰囲気があって。でも──」
ふと、プラムは気づいた様子で、言った。
「話が通じないとか、とんでもない非道なことをする、という感じでもなく」
「それなのにプラムは攻撃したのよねぇ」
「……アル様のご命令ですよ」
「何かしたのか?」
ウィノナが割って入ると、「この子、ナイフで吸血鬼の手を刺したのよ」と、アルテンシアは自分の手で実演してみせる。
「いきなりか? それでティアーナ=フィールは怒らなかったのか?」
「不死身だからいいんじゃない? それに、先に余計なことを言ったのはあちらだもの」
「アル姉の逆鱗に触れたのか」
「頭にくるっていうのは、それが的を射ているからなのよねぇ」
「そっか」と、ウィノナはあいまいに笑う。あえて詳しくを訊かないのは、アルテンシアの性格を熟知しているからだ。彼女がウィノナに当たることはまずないが、下手な詮索をしたところで不機嫌になるだけである。
「それで?」
ウィノナは、改めてアルテンシアを見た。
「ティアーナ=フィールのことなら、ノーコメント」
「見どころがあるってことか?」
「個人的に蝙蝠は嫌いなんだけどぉ。でも、どう考えても彼女が渦の中心にいるのよねぇ」
アルテンシアは言って、ソファの脇に積まれた報告書の束を見やる。
「騎士団からの報告書も、お父様からの書簡も、六色猿からの手紙も、すべてティアーナ=フィールの存在が示唆されている。特に気になるのは、『レイニー=テスビア脱獄事件』以降、王都では蛇のような影に操られた徘徊者が住民を襲う事件が多発していること」
「それは『蛇』が原因って話だろ?」
「その蛇の首魁と目される男を葬ったのが、ティアーナ」
「いいのか、本当に。そんな奴と関わっちまって」
「関わらざるをえないのよ。そっちこそ本当なの? ソムル様がティアーナを思慕していらっしゃるって」
「ああ、俺も驚いたけどな。間違いなさそうだ」
「どういうめぐり合わせかしら」
まったく、とアルテンシアは悩ましげに眉間をおさえる。
「ゲジ眉あたりに言わせれば、これも関係の束といったところかしらねぇ」
「ゲジ眉?」
「こっちの話よ」
扉がノックされて、満面の笑みを浮かべた家宰のメイが入ってくる。
「お嬢様、準備が整いました」
深くお辞儀をする。
「ご苦労様」
アルテンシアがゆらりと立ち上がる。気だるげに、黒金髪を手の甲で払う。
「まずは実像をあぶり出してみましょうか」