63 オルバサス近郊
夕暮れに沈みはじめた大地の彼方に、公都オルバサスの長い城壁が見えた。
「やっと着いた……」
カーテンがわりの暗幕をすこし上げ、カホカは窓のすきまから外をのぞく。後方から、まったく同じ外装の馬車がついてくる。
「ご苦労さん」
対面に座るウィノナは、座席に片足を乗せている。まだまだ余裕たっぷりといったプラチナ・ブロンドの貴公子に、カホカは胡乱な瞳を向けた。
「好き放題にこき使いやがって」
「そういう取引だろ」
ウィノナは歯をのぞかせて笑う。
「俺だってちゃんと働いてたさ」
小脇に抱えた剣の柄で、自分の頭を小突く。
「馬車の進路と、情報収集・攪乱な」
「何が攪乱だよ」
カホカは対面の席、ウィノナの横の空いている部分に、足を伸ばした。
「めっちゃ襲われてんじゃんかよ」
身体を折って屈伸をする。怪我はないが、かなり疲労が溜まっていた。
なにしろ連日の襲撃である。
オルバサスにいたる道中、昼夜問わず襲撃に遭遇していた。本気の護衛は神経を使う。カホカ、ルクレツィア、バディスのうち、ふたりが常にソムルの馬車に同乗し、ひとりは別馬車で待機する配置である。ウィノナは常にその別馬車で指揮を執っている。
「ちがうぜ」とウィノナは笑う。
「俺の攪乱のおかげで、これだけの襲撃で済んでるわけだな」
「言った者勝ちだろ、それ」
うえーい、と屈伸をやめて、カホカは狭い座席の上で身体を横にする。すこし仮眠を取ろうと思って、気がついた。ウィノナがにやにや顔でとこちらを見ている。
「……あんだよ、こっち見んな」
「元貴族とは思えない口の悪さだな」
「光栄だっつの」
「そうこなくっちゃな」
なぜかウィノナは満足気である。カホカはまじまじとウィノナを見返した。
「そういう趣味なの?」
「いや、俺はむしろ逆」
さらりと言って、
「ただ、そのぐらい反骨精神がないとな。面白くないからな」
「なんだよそれ」
「こう見えて俺たちも必死ってことだ」
「……どうでもいいけど、面倒には巻き込まないでよね」
「ティアーナ=フィール次第だろ?」
ウィノナは羊皮紙を読んでいる。
カホカは、両足を壁にかけて、天井を見上げた。ふと思い出した。オボロ往きの船上で、バディスが言っていた言葉を。
「アンタって、けっこうモテるの?」
「いや」とウィノナはゆっくり羊皮紙をめくった。「異常にモテる」
出し抜けの質問にもかかわらず、悩みもせずに返してくる。
「なんでモテんの?」
「若くて金持ってるから」
やはり即答してくる。まぁ、潔いけど、とカホカは思った。
「で、そんなモテモテのアンタは女のどこに惹かれんの?」
聞きたかったのは、ここだ。カホカの脳裏にはひとりの姿が浮かんでいる。
「胸」
「糞だな」
「──が半分で、残り半分は年齢だな。三十以上が好ましい」
んあ? とカホカは再びウィノナを見た。
「アンタっていま何歳?」
「二十二」
「年上好きなの?」
「変か?」
率直に訊き返され、「ぜんぜん」とカホカはあわてて首を振った。
「年下は好みじゃないの?」
「飽きた」
あっさりと、ウィノナは言った。
「こっちが何もしてないのに寄ってくるからな。おなじことしか言わんし。年上はいいぞ。経験豊富だし、いろいろ教えてくれるしな。面倒もないし、勉強になる」
「ふーん」
見た目によらず向学心が強いらしい。船でも、ウィノナはソムルに教えていた。
「んじゃ、胸があるのと、経験豊富なのはどっちがいいの?」
「後者」
「ふーん」とカホカ。「んじゃ、経験豊富な年上と面倒くさくない経験豊富な年下は?」
「どっちでもいい」
「経験豊富ってのは、いままで付き合った人数ってこと?」
「そうとも限らない。俺の知らないことを優しく教えてくれればいい。優しくってところが肝だな」
「ふーん……」
「参考になったか?」
うがった問いに、カホカは一瞬、言葉に詰まる。
「まぁ、いろんな奴がいるなって……」
とっさに出た言葉に、ウィノナは「俺もそう思う」と、楽しそうにうなずいた。
「人それぞれだよな、嗜好なんて」
「アンタって……」
ウィノナの意外な一面に、カホカはすこし驚いた。
「あんまり貴族っぽくないな」
「そうかあ。北はこんなもんだぜ」
「なんか頭が柔らかい……気がする」
「どうだろうな」と、ウィノナは微笑う。
「これぐらい頭が柔らかくないとな。アル姉についていけないんだ」
道が整備されているらしく、車内に伝わってくる振動もちいさい。
すこし経ってから、カホカは訊いてみた。
「そんなにすごい人なの? アルテンシア三世って」
「俺やスタンのおっさんとかはすごいと思ってるな」
「頭がいいんでしょ?」
「アル姉の言われた通りに動けばうまくいく。そういう信頼感はあるな」
「気難しいって聞いたけど?」
「『ネーン・カーテシー』か……自分が描いた絵にならなければ、かなりヒスるのは事実だな。物に当たれば人にも当たる。実際、難しい人だとは思うよ」
「それでもついていくの?」
「誰よりも自分に強く当たるからな、アル姉は。自分の無能が許せない性質なんだろうな。完璧主義者ってやつ。いるだろう?」
「まぁ……」
「それに、アル姉は絶対に相手の言い分を残してやるからな」
「どういうこと?」
「頭のいい奴ってのはさ、自分で頭がいいことを知ってるんだよ。特に舌の回る奴な。だから、怒ると調子づいて相手をやりこめようとする。徹底的にな。これがよくないんだ」
ウィノナは羊皮紙をひざの上に置いた。
「言葉はナイフよりも人を斬る。心をな。しかも、その傷は一生消えない。傷つけた奴から恨みを買い続けるんだ。それで結局は身を滅ぼす。──わかるか?」
「なんとなく……」
カホカはうなずいた。カホカ自身、東ムラビア人とルーシ人の混血児で、貴族の妾腹の子でもある。幼少の頃に傷ついた言葉はいまでも覚えている。その一方で、すこし前に負った脇腹の傷はすでに忘れかけている。
「アル姉はそれがわかってるから、相手が苦しくなる前に、ちゃんと止めてやるんだ。追い打ちをかけるなんてことも絶対にしない。いるだろう? もうすでに話が終わってるのに、自分の気を晴らすためにダメ押しをする奴。言わんでもいい一言を言ってしまう奴。そういう奴は、結局は負けるんだ。本当に賢い奴は、そこで褒めてやるんだ。本気のときほど自分の怒りを吞んで、相手を認めてやる。『あなたの言い分にも一理ある。私にも非があった』ってな。それが相手にも伝わるから、遺恨を残さない」
とはいえ、とウィノナは苦笑して続ける。
「アル姉にしたって、はじめからそうじゃなかった。頭のいい奴ほど、こんな簡単なことに気づかないらしいな。実際に痛い目を見て、気づいたらしいぜ」
「痛い目って?」
「詳しくは聞いてないけどな」
そして、ウィノナはつぶやくように言った。
「後悔、したんだろうなぁ」
車内に静寂が訪れた。
その時だった。
窓から矢が射こまれた。矢には魔石が結びつけられている。
「カホカ!」
即座に反応したウィノナが、剣の柄頭を逆側の扉にたたきつけた。
「これだからさぁ!」
いきおいよく開け放たれた扉から、カホカは飛び出した。重なるようにウィノナが続く。
緑光が閃き、馬車が爆発した。
「ったく」
カホカはすべるように地面に着地する。その隣に、ウィノナも並んで着地した。
「最後の襲撃って感じだナ。向こうもなりふり構っちゃいられないらしい」
「アンタの情報攪乱、ぜんぜん効いてないじゃんか」
燃える馬車の前で、カホカが不平をこぼす。
「何言ってるんだ」
対するウィノナはしたり顔である。
「大成功の間違いだろ?」
ふたりとも立ち上がり、後方の馬車に向かう。カホカたちの乗っていた馬車同様、はげしく炎上していた。
どちらに本命のソムルが乗っていなかったかわからないため、同時に矢を射込んだのだろう。
「あーあー」
カホカは崩れゆく馬車を眺める。割れた窓から暗幕が燃え落ちていく。なかには燃える四体がのぞいて見えた。
その四体が燃えて、中に詰めていた藁がぱちぱちと爆ぜる音が聞こえた。
ソムル・じいや・バディス・ルクレツィア──の姿に似せた人形だった。
「かわいそうに」
本物ではないとはいえ、人形が燃えているのを見るのは気分が悪い。
本物は、別に用意した馬車によってすでにオルバサスに入っているはずだ。
「アタシを恨まずに成仏してね」
「呑気なこと言ってる場合じゃないみたいだぜ」
鞘を払って抜き身をさらした剣を手に、ウィノナが周囲に視線を走らせた。
草叢から、いくつもの人影が立つ。それらが音もなくカホカとウィノナを取り囲む。顔には一様に仮面をかぶっていた。
「ったく。懲りない奴らだな」
カホカは構える。
「かかってきなよ。まんまと罠にかかった間抜けは、アタシがぶちのめしてやる」
ちょいちょいと指を動かして、にひりと笑った。
そして──
「待って! ごめん、ちょっと待って!」
カホカが必死に静止をかけるも、仮面の男がファルシオンで斬りかかってくる。それを上身体をたおしてかわし、
「んなろ!」
左足を高く持ち上げて顔面に後ろ回し蹴りをくらわせた。
「待てっつってんだろうが!」
その背中合わせに、ウィノナが立つ。呼吸を乱さず、構えた剣先がぴたりと宙に静止している。
「数が多いな、どうも」
「聞いてないよ、こんなにいるなんて!」
カホカは悲鳴じみた声を上げた。
何しろ死をも恐れない刺客である。殴っても蹴っても立ち上がってくる上に、はじめより数が増えている。
「総力戦でソムル様を亡き者にするつもりだったらしいな。ここで殲滅しておくと後が楽なんだけどな」
「誰がやるんだって話だろ、それ」
「期待してるぜ」
ウィノナが言って、背中から離れていく。カホカも刺客に間合いを詰めた。
ファルシオンを薙ぐ刺客の懐に入り、片手でその手を叩く。もう一方の手で、男の喉仏に手刀を当てた。足払いをして、次の刺客にぶつける。
一筋縄ではいかないのは、仮面の男たちが相応の手練れということだ。本来ならこのまま関節を極めたいところだが、同時にこちらの体勢を崩すことにもなる。
カホカが短く後ろに跳ぶ、ひとりを斬り伏せたウィノナも同様にして、再び背中合わせになった。
「おまえら!」
カホカが仮面の刺客たちにむけて叫ぶ。
「こんな美少女ひとりにみっともないぞ!」
「……俺もいるよな」
当然、カホカはウィノナの言葉なぞ聞いていない。
「どうせなら縦一列になってかかってこい! アタシの必殺技で吹き飛ばしてやる!」
「……すげー自分に都合のいい状況な」
包囲の奥から、細身の肢体を持つ刺客が前に出てくる。
白い髪の、女の刺客だ。エギゼルの海で船を襲撃した女と姿形が一致している。どうやらこの女が指揮官らしい。
女が、右手を高々と持ち上げた。それに応じて刺客たちが得物のファルシオンを構える。
ぴくりと、カホカとウィノナに緊張が走った。
「ここにきて一斉攻撃かよ」
「カホカが余計なことを言うからだな。けど、まぁ」
ウィノナはゆるゆると息を吐き、
「……来てくれたみたいだな」
つぶやくのがカホカの耳に届いた。
女が持ち上げた右手を振り下ろした、瞬間──
いまだ火を残す馬車の荷台が、宙に浮いた。馬車が近くの刺客を巻き込み、草叢へと落ちていく。
「なんだぁ?」
カホカを含め、その場にいる者が動きを止める。
そこに、山羊兜をかぶった重装騎兵の姿があった。
「スタンのおっさんだ」
「あれが?」
ウィノナの言葉に、カホカは目を丸くした。