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ハーフ・ヴァンパイア創国記  作者: 高城@SSK
第四章 眠れない夜編
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62 月とアメジストⅩ

 夜明け前。

 寝台から起き出したファン・ミリアが教会に向かうと、衝撃的な光景を見た。


 ティアが、両手を樽のなかにつっこんでいる。

 

 手でも洗っているのか。

 当然、そう思った。

 しかし、水は魔物である。いかに吸血鬼といえども賢明とは言えない行為だ。

 これは注意を与えなくてもならない。


 指導だ。

 指導の時間だ。


 うきうきした心持ちでティアに近づいていくと、目が合った。

 ティアが両手を持ち上げる。

 次の瞬間──


 ばっしゃあ! と。

 

 水しぶきを上げ、両足首を掴まれたレミが逆さに吊り上げられた。


「な、にぃ!」


 だらりと両腕を伸ばし、逆さになったレミの大きな瞳が、ファン・ミリアをすんと見据えている。

 絵的に怖い。


「なぜだ。罰か?」


 ファン・ミリアが身構えて訊くと、


「いや」 


 と、再びティアはレミを水のなかに沈める。


「おい、やめろ」


 ファン・ミリアが止めに入ると、


「いや、ちがうんだ」


 ばっしゃあ! とバンシーが吊り上げられる。


「レミを洗っているんだ。ずいぶん汚れていたから」

「言い訳が苦しいぞ」

「本当なんだ」


 ティアは淡々(たんたん)と答える。逆さになったレミが、にたりと笑った。


「なんだその表情は? うすら寒いぞ」

「楽しいらしい」


 ティアが、疲れたようにレミを床におろした。


「樽のなかにレミの声をぶつけた。この樽のなかの水は無害だ。で、思いのほか水が澄んでいたので、飲んでみたら真水だった。水は貴重だろう?」


 それでレミを洗うことを思いついたらしい。


 レミはふるふると顔をふって水気を払っている。たしかに汚れを落とした少女は、銀髪ともあいまって、輝くような愛くるしさをまとっている。


 少女が、にたりと笑みを浮かべた。大切な愛くるしさが不気味さに反転する。


「ティア、この笑いをやめさせろ」

「いや、私がさせているわけじゃないし」


 声も出さず、レミはくつくつと肩を揺らしている。

 驚愕してファン・ミリアが見つめていると、


「私は眠る」


 ティアがあくびをした。


「レミには力の配分を教えたから、むやみに泣くことはないだろう」


 夜通し教えていたらしい。ティアはかなり疲れた様子で、おやすみ、と教会を出ていく。


 残されたのはファン・ミリアと、うつむき加減に肩をふるわすバンシーである。


「……まだ笑っているのか」


 あの水責めにどれほどの魅力があるかは不明だが、本人が楽しいなら仕方がない。

 ファン・ミリアは溜息を吐いて、


「せっかく綺麗になったんだ。服を着なければな」


 レミは裸の上に襤褸(ぼろ)をひっかけているだけである。


 もとは人間である。しかもここはレミの生家だから、彼女の服を探すのに苦労はなかった。

 一番新しい服を選んで着せてやると、ぴったりと合った。村がいつ滅んだかはわからないが、バンシーになったことでレミの成長も止まってしまったらしい。

 そういう悲しみを抱きながら、ファン・ミリアはレミに服を着せ、靴をはかせた。銀髪を高いところでまとめてやると、かなり見栄えのする格好になった。

 その間、レミは嫌がることもなく、かといって、喜ぶこともなかった。それが、もともとの少女の性格なのか、それともバンシーという種族に由来しているのか、ファン・ミリアには知る由もない。


 ◇


 それから数日、樽のなかに溜まった魔物を、レミの声によって浄化させた。

 地味な作業だったが、もっとも安全で、確実な方法である。

 やがて周囲から魔物の気配が完全に消えたの見計らって、葬送の儀を執り行うことになった。


 ファン・ミリアが檀上に立つ。

 戦装束の凛々しい姿ではない。簡素な身なりに、ずっとそうしてきたような自然さで、朗々と、石の教堂に落ち着いた声が響く。その声は硬い床に置かれた幾体もの骨にしずんで、聖女の奇跡を起こした。

 死体から光が浮かび上がってくる。

 ひとつひとつの弱々しい光が、堂内をあわく照らしながらのぼっていく。

 ファン・ミリアの声に促されて。

 強く詠み上げるでもなく、ただ静かに。けれども聞き取ることができる声で。言葉で。

 閉じた瞳のまつ毛が影を作っている。


「光が(かえ)っていく……」


 そのティアの隣では、レミが光を見上げている。まばたきもせず、じっと。

 光は一粒一粒、天井に吸い込まれるように消えていく。

 

 魂か。

 かつて命だったものか。

 その光は、侵すことのできない聖性を放っている。


「すごいな、聖女は……」


 ティアは感慨を込めてつぶやく。

 ファン・ミリアの祈りに導かれ、天へと昇っていく光を見ていると、人の生がけっして無意味ではなかったということを教えてくれる。

 蹂躙され、不当に奪われた命であればこそ、安らかであってほしい。

 ティアがそう願うように、ファン・ミリアも同じ想いを抱いているのだろうか。

 

 光が天井へと消えていく。

 そこでティアは気づいた。ただ静かに、隣で光を見上げていたレミが、涙を落としている。じっと、食い入るように光を見上げながら……。

 ティアは、レミの頭をくしゃりと撫でた。

 かける言葉は思い浮かばなかった。

 幼くとも英雄だ。褒め言葉であれ、同情の言葉であれ、少女の気高さにはそぐわないと思った。

 

 ファン・ミリアの祈りに包まれながら、ティアはちいさな手を握って、最後の光が消えるのを見ていた……。 

 

 そして……。

 霧が晴れて、夜空にうすい月がかかっている。


「レミはどうする?」


 村人たちと別れ、ひとり残ったバンシーにティアは尋ねる。

 正直なところ、村人の魂が解放をされることによって、レミは成仏をするものだと思っていた。が、よくよく考えてみれば、レミはバンシーであって、幽霊ではない。吸血鬼が人の血をすする者であるように、バンシーもまた、人の家に憑くことを宿命づけられている。

 そう考えてみると、吸血鬼も、バンシーも、人に寄生することで命を永らえる哀れな存在である気がした。


 人に恐れられる化物でありながら、人なしでは生きていけない存在。


「このまま教会に残るか?」


 ティアが訊くと、レミが首を横に振った。


「私たちと来るか?」


 レミはうなずいた。


「そうか」


 ここでレミを残していくのも後味が悪い。内心で安堵をしつつファン・ミリアを見ると、ちいさく肩をすくめただけだった。任せる、ということらしい。


 ──ありがとう、サティ。


 心のなかで礼を言った。


「それなら──」


 ティアは、レミの前に(ひざまず)いた。


「これからよろしく頼む」


 同じ視線の高さで、言った。

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― 新着の感想 ―
[良い点]  素晴らしい作品に出逢えました。  ありがとうございます。  各キャラクター達もイキイキしてますね! 一人ひとりで物語が出来そうですよね! (待ってますよ?)笑  指輪物語の様な壮大…
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