表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ハーフ・ヴァンパイア創国記  作者: 高城@SSK
第四章 眠れない夜編
203/239

57 苦艾の公女Ⅲ

「──ル様」


 光が弱まっていく。


「アル様!」


 呼ばれて、アルテンシアはまぶたを開いた。


「うるさいわねぇ」


 ぼんやりとかすんだ視界に、侍女のプラム=リーの顔が映っている。ぐらぐらと頭が揺れる。そこで、アルテンシアは自分が馬車に乗っていることを思い出した。


「下手な運転ねぇ」


 背後の板壁に身体を預けて、息を吐く。ずきりと鋭い頭痛に襲われたが、間隔(かんかく)が開いている。薬が効いてきたらしい。


「あー……」


 長手袋(グローブ)をはいた手で頭を揉む。


「吐きそう」


 その言葉を聞き取ったプラムが、あわてて革袋(かわぶくろ)を用意した。口元に差し出された革袋に、アルテンシアは吐いた。酒と胃酸(いさん)ばかりで(のど)が痛んだ。


「アル様、水を」


 プラムにされるがまま、アルテンシアは水で口を注ぎ、それも革袋に吐く。


「アル様、もう少しです」


 何だったかしら、とアルテンシアはしばらく考えて、思い至った。


「そう、山賊」


 山賊に追われている途中、野原を走る馬車の振動で頭痛がはじまったのだ。


 移動力を重視しているため、箱馬車内は狭い。


 アルテンシアはもたれていた板壁からずるずると身体を倒し、クッションを枕にして横になった。


「ご気分がすぐれませんか?」


 プラムが心配そうに訊いてくる。


「そうねぇ」と、アルテンシアは焦点の合わない瞳で言った。

「どちらかと言えば最悪かしらねぇ」


 横になった姿勢で、向かい合わせの席に座っているプラムに顔を向けた。


「プラム、あなた最後にしたのはいつ?」

「……知りません」


 ふぅん、とアルテンシアは輪郭のぼやけたままのプラムを眺める。


「……なんでしょうか?」


 気まずそうなプラムに、アルテンシアはくすりと笑った。


「あなたにも良い男をつけてあげなきゃね」

「必要ありません」


 即答され、アルテンシアは目を細める。


 その時、走る箱馬車の板壁を抜けて、矢じりが顔を出した。


「アル様、危ない!」


 プラムが覆いかぶさるようにアルテンシアを抱き上げ、「こちらへ」と、自分の座席に引き寄せる。


「馬の足が近くなってきたわねぇ」


 そもそも、馬車で山賊から逃げることに無理がある。


 次々と、矢が壁を打つ音が室内に響きはじめた。


「アル様……!」


 プラムがしがみついてくるのが、すこし苦しい。


 ──この子を使いはじめて、どれくらい経つかしら。


 三年か、四年か、五年のような気もする。


 過去を振り返るのは億劫(おっくう)だ。


 どうせ、自分の意思とは関係なく思い出す時がくるのなら、いちいち思い出したところで、なんの意味があるのだろう。


 いま、自分が見ていた夢のように。


「……それが、なんだというのかしら」


 ぽつりとつぶやく。

 応えるように、横の扉をノックする音がした。


「取りつかれた?」


 青ざめるプラムに対して、


「入ってるわよぉ」


 アルテンシアがいつもの間延(まの)びた口調で返す。


「アル様、なんてこと!」


 プラムが血相(けっそう)を変えるのを、「だってぇ」とアルテンシアは悪びれす、


「山賊が、わざわざノックなんてするかしら?」

「しないとも限らないでしょう」

「──その通り、私は山賊じゃない」


 ふたりの話をさえぎって、女の声が聞こえた。


「私はティア。たまたまこの馬車が襲われているのを見かけた。──なかに入っても?」

「どうぞぉ」

「アル様!」


 プラムがあわてて止めに入る。


 だってぇ、とアルテンシアは笑う。


「山賊じゃないって言ってるじゃない」

「山賊は自分を山賊とは言いません!」


 外の女が扉を開けようする。が、扉には鍵がかかっている。


「入ってるわよぉ」


 アルテンシアが応える。さきほどの繰り返しである。


「いい加減にしてください!」


 主の無軌道(むきどう)ぶりにプラムが声を荒げた。その時、扉を開けようとする音が止まった。変わりに、下の隙間から黒い霧が入り込んでくる。


「なに、これ……!」


 にわかに恐怖を覚えたプラムの目に、車内に流れ込んできた黒い霧が、人型をつくりはじめた。輪郭が明らかになり、白い肌があらわになる。


 車内に、女が立っていた。


「あら、ごきげんよう」


 ネーン・カーテシーのアルテンシアが目で挨拶をする。


「あなた、吸血鬼ティアーナね」


 アルテンシアから言われ、ティアは「おや」という顔をした。


「私を知っているのか?」

「知っているとも、知っていないとも」


 アルテンシアはプラムに支えられながら、


「さっそくで悪いんだけど、あなたにお願いがあるの」


 ティアの返事を待たず、アルテンシアが言った。


「出てってくれない?」


 傍目(はため)に、ティアの表情に変化はない。


「化け物が、何をとち狂って人界(にんかい)にさまよい出てきたかは知らないけど、お呼びじゃないの。さっさと消えなさいな」


 挑発するように、ハシバミ色の瞳が笑う。


「これが苦艾(ニガヨモギ)か」


 興味深そうにティアがかがみ込んでくる。プラムが止めに入る間もなく、アルテンシアの顔をのぞき込む。


 珍しいものを見るように、ティアは首を傾げた。


「酒が過ぎるな。何をそんなに怯えている?」

「あら、そう見える?」

「私にも覚えがあるからな。お前は光から逃げている」

「そういえば、思い出したんだけどぉ」


 アルテンシアが、とろりとした笑顔を浮かべる。


「私、蝙蝠(コウモリ)って好きじゃないのよねぇ」


 ティアを指さして、告げる。


「プラム、こいつを殺しなさい」


 はっ、と眼鏡の侍女が後ろ手にナイフを引き抜いた。


 狭い車内で突き出されたナイフを、ティアは手の平で受ける。刃先が貫通(かんつう)したにもかかわらず、ティアはアルテンシアから目を離さない。


「そんな……!」


 驚くプラムをよそに、


「残念」


 さして悔しがる様子もなく、アルテンシアは笑みを浮かべている。


 あきらめたように溜息を吐き、ティアが立ち上がった。


「私は助けにきたつもりなんだけどな」

「あら、もう帰るの? 案外、根性がないのねぇ」 

「……お前は、お前の意思でもって吸血鬼(ヴァンパイア)(しょう)じ入れた」


 ふたたび、身体が黒い霧に変じはじめた。


「次からは了解を取る必要はない」


 ティアの手に刺さったナイフが床に落ちて、むなしく響いた。


 黒い霧が、車内からすべり出ていった。


 ◇


 前方の黒い霧が風とともに流れてくる。


 ファン・ミリアの背後で一塊となった霧が、ティアへと再構成される。


「どうだった?」

「追い返された」


 ティアが答えると、どういうことかとファン・ミリアが振り返ってくる。


「それは?」


 ファン・ミリアの視線が、ティアの顔から手の甲へ。血が(したた)っている。


「ナイフで刺された。さすが北の貴族だな。たっぷり聖水がかけられていた」

「平気なのか?」

「かなり痛い。時間はかかるが、そのうち治るだろう」


 そうか、とファン・ミリアは前方を向いた。すでに、山賊たちはティアとファン・ミリアの存在に気づいている。山賊たちは突如(とつじょ)として現れた邪魔者を排除(はいじょ)をしようとするが、相手は得体の知れない人外と、恐ろしく腕が立つ手練(てだ)れである。攻めようにも攻めあぐねていた。一方で、馬車への追撃はいまだあきらめていないようだ。


「この短期間でずいぶん嫌われたな」


 責めるでもないファン・ミリアの口調に、ティアは憮然(ぶぜん)とする。


「思ったことを言っただけなんだけどな。人は難しい」

「同感だ」

「ただ」と、ティアは付け加えた。「苦しんでいた」

「何に?」

「それは本人にしかわからない」


 そうこうしているうちに、山賊たちが馬車に迫っていた。いつ取りつかれてもおかしくない距離である。


 馬車が小川にかけられた橋をわたっていく。


「サティ」


 川向こうを見つめるティアの瞳が、赤みを帯びはじめた。


「馬を止めてくれ。あの橋は渡らないほうがいい」

「……わかった」


 ファン・ミリアが身体を起こした。手綱(たづな)を引くと、馬がゆるやかに足を止める。


 その時だった。


 突然、橋が火を()いた。


 赤々と炎をまとい、夜空を()がす。


「油を()いていたのか」


 ファン・ミリアがつぶやく。(いなな)く馬の首を叩き、「大丈夫だ」となだめる。


 川の向こうで、絶叫が起こった。


 山賊たちに矢が射かけられていた。


 いつの間にか、山賊たちは包囲されていたのだった。


伏兵(ふくへい)だ」


 ティアの赤い瞳が、下草から飛び出してくる人の姿を(とら)えている。逃げ道を失い、矢を射かけられて動揺する山賊たちを、(かぎ)のついた棒で馬から引き落としていく。


 そして、とどめとばかりに奥から騎馬の一群が駆け出してきた。


 山羊(ヤギ)を模した兜をかぶり、全身鎧をまとった重装騎士を先頭に、騎馬隊は山賊たちを切り伏せていく。


 あざやかな手際だった。


「策か。馬車を(おとり)にして、山賊たちを山からあぶりだした」


 ファン・ミリアの言葉に、ティアはうなずく。


 地の利を失い、逃げ場を失った山賊たちに勝ち目はなかった。


 さして時間もかからず、山賊たちは全滅した。


 崩れ落ちる橋の炎に照らされて、馬車から、黒衣の女と侍女が降りてくる。


 女が、ふらつく足取りで川の(みぎわ)に立ち、こちらを──ティアを見ている。炎の風にあおられ、豊かな黒金髪(ブリュネット)が波打っている。


「知恵者か」


 ティアがぽつりと言った。すると、


「あれがアルテンシア=ペシミシュターク様だ。軍略(ぐんりゃく)に通じていると聞く」


 立場上、ファン・ミリアは馬上から一礼するも、アルテンシアからの反応はなかった。


苦艾(くがい)の公女か。しかし、危ういな。わざわざ自分の身を囮に使う必要があったとも思えないが」


 川を挟んで、ティアとアルテンシアは見つめ合う。


 燃える川の(みぎわ)で……。


 互いの存在を、その瞳に焼き付けるように。


 しばらくして、アルテンシアが背を向けた。山羊兜の重装騎士に指示を与え、自分は新しく用意された豪華(ごうか)な馬車に乗り込んでいく。


「私たちも戻ろう」


 ティアが言うと、ファン・ミリアは馬首(ばしゅ)を返した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ